コンサートの帰り道、いつもより人が多いことに気が付いた。飛び交う言葉を聞くに、祭りがあるらしい。確かに浴衣や甚平を着た人もチラチラ見える。普段ならば無視して帰るところを、押し流されるまま会場に向かってしまったのは、夏の暑さに思考が麻痺したからだろうか。
少し歩くと並んだ屋台が見えてくる。そういえば夏祭りに来たのは初めてかもしれない。とうもろこしの仄かに焦げた匂い、山のように盛られたかき氷、景品を当てた子供の歓声。たったひとり、それもスーツで眺めている自分が酷く場違いに思える。せめて何か買って帰ろうか。出来れば腹に溜まるもの。
ふわり。漂ってきた香りに引き寄せられ、端の屋台を覗き込んだ。やきそば。
『雨月も欲しいならやるよ』
今は遠い男の声がこだました。あれからもう2年も経つ。
ヴァイオリンの練習を一通り終え、ごろんとベッドに寝転んだ。腹が減った。でも何か作る気にはならない。それなのに、こういう時に限って同居人は帰ってこないのだ。いつものことと言えばいつものことだが、無性に苛立つのは空腹のせいに違いない。早く帰ってこいと念じると、がちゃりとドアが開く音がした。同時に香ばしいソースの香りが流れ込んでくる。
「遅い」
「いや、今日練習っつったろ」
そういえば、バンドの練習があるとかないとか言っていた気がする。けれどまあ、俺には関係のない話だ。
「それ、何?」
「やきそば」
白いビニール袋を指させば、秋彦は何故か得意げに中身を出してみせた。
「そこで祭りやっててさ。美味そうだったから買ってきた」
「まつり」
俺が腹を空かせている間、こいつは祭りとやらを楽しんでいたわけだ。不満を視線に込めると、なんだよ、と普段通りのトーンで返してくる。
「お前人混み嫌いだろ」
「そうだけど」
「これだけ買ってすぐ帰ってきたんだから許せよ」
「いやだ」
「あー、そうですか。まあいいけど」
そう言ってパックを開ける。ソースの香りはより濃くなって、空っぽの胃袋を刺激した。それに気が付いているはずなのに、秋彦は何食わぬ顔でやきそばを口に運ぶ。
「割と美味い」
何が割と美味いだ。げしげしと背中を蹴ってやった。
「痛ぇな」
「薄情者」
「はあ? ……あ、お前まさか何も食ってねぇの?」
無言は肯定だ。秋彦が頭を掻く。
「仕方ねぇな。ほら。雨月も欲しいならやるよ」
そしてビニール袋からもう一つ、やきそばを出した。
「いい」
「なんでだよ」
「そっちがいい」
秋彦の手元を指すと溜息を吐かれる。
「わがままかよ」
「どうとでも」
「あっそ。そんじゃどうぞ」
口を大きく開ければ、自動的にやきそばが運ばれてくる。まだ温かい。屋台で買ったやきそばは秋彦の味付けよりも濃くて、少しべちゃっとしていた。
「微妙」
「お前なぁ……」
「秋彦、もう一口」
「食うのかよ」
「早く」
「はいはい、仰せのままに」
次々と運ばれる麺を咀嚼する。数口でソース味には飽きてしまった。食べられないわけではないけれど、秋彦の作るやきそばの方がずっと食べやすい。甘いものが食べたい。色鮮やかならなお良い。ちゃいろ一色というのは味気ない。アイス……はちょっと違う。もっと祭りっぽいもの。かき氷でもなく、もっと色鮮やかな……。
「秋彦ー。りんご飴食べたい」
思いついたままに言えば、呆れた顔をされる。
「そんなもんは家にはありません」
「買ってきて」
「あーもう、今度買ってきてやるから」
とりあえずこれ食い終われ。そう言ってまた、秋彦は箸を動かした。
ひゅー……ばあん。
見上げれば夜空に花が咲いていた。人々の視線を奪った美しい一輪は、パラパラと地味な音を立てて世界に散っていく。花火をやるくらい、大きな祭りだったのか。知らなかった。
屋台の親父に声を掛けられるまま、やきそばをひとつ買って、ぶらぶらと歩いた。途中、偶然見つけた赤にやっぱり惹かれて、りんご飴も買った。がさり。揺れる白いビニール袋見て思う。このやきそばはどんな味がするだろうか。2年前と同じだろうか。同じだったらいい。
あの時、秋彦は俺が人混みが嫌いだからと言った。でもべつに。べつに秋彦とならよかったのに。人混みでもなんでも。ふたりで暑いと文句を言って笑い合えれば、それでよかったのに。今言っても仕方のないことだけれど。
りんご飴にかぶりつく。しゃく、という音とともに、甘ったるくて少し酸っぱい思い出が爆ぜた。
カット
Latest / 60:13
カットモードOFF
文字サイズ
向き
チャットコメント通知
秋雨ワンライ
初公開日: 2021年08月07日
最終更新日: 2021年08月07日
ブックマーク
スキ!
なにもきまってない。みじかいやつ。