第二章
硯茗は、いつものように恋人の自宅兼仕事場に向かっていた。元々今日は会う日ではなかったが、急にメールで呼び出されたから。飼っている九官鳥の世話を頼むと。
探偵、それも名探偵というけったいな仕事をしている恋人は、ちょくちょく家を留守にする。その時に九官鳥の世話を茗がするのはお約束になっている。
雑居ビルの一室、いつもの見慣れた渋谷探偵事務所の看板を見て、少しだけ違和感を覚えた。なんか、曲がってる?
変なとこで几帳面な恋人は、しっかりつけていたはずなのに。
直すにしても道具が必要そうだし、一旦家の中に入ることにする。合鍵でドアを開け、
「え?」
開けた室内に、驚きの声をもらした。
開けてすぐは事務所になっていて、簡単な応接スペースとエグゼクティブディスクがあるだけだが、なんかもう、物の見事に荒らされてる。
正直、名探偵な恋人のせいで、多少の荒事には慣れているが、それにしたって……。
「慎吾? いるの?」
いたら九官鳥の世話は頼まないか。声をかけてから気づき、
「くーちゃん?」
慌てて、九官鳥の存在を確認した。プライベートの空間にいるのか、事務所の方にいるのか。
室内に足を踏み入れ、
「くーちゃん!」
床に落ちて、倒れていた九官鳥のカゴを元に戻す。
「大丈夫?」
カゴの中を覗き込む。九官鳥にパッと見、怪我はないようだが。
「ビックリシタダケ!」
九官鳥が言う。この子は本当、言葉が分かっているようなタイミングで喋るな。どうしよう、病院連れてった方がいいのかな。慎吾に連絡してみるか。いや、っていうか、慎吾はどうした? この部屋のありさまは一体……。
混乱する頭の中で、なんとか冷静になろうと思考を巡らせていると、
「ウシロ!」
九官鳥が叫び、
「騒ぐな」
いつの間にか背後にいた男に拘束された。
ああもう、だから、名探偵とかかわるとろくな事にならない。
諦めの境地で、まずは身の安全を確保するためにも大人しくすることにした。
「渋谷慎吾はどこだ?」
三人組の男たちが問う。顔は出したままだが、全員に見覚えはなかった。
「知らない」
そう聞いてくるということは、慎吾は一先ず無事なのだろう。それにちょっと安心する。
「本当だな?」
「私は九官鳥を預かりに来ただけ。疑うならメールを見てもらってもいい」
目でカバンを示すと、男の一人が中から茗のスマホを取り出す。顔認証でロックを外してやると、男は二人のやりとりを確認したのか、ひとつ頷いた。
「嘘はなさそうだな」
「渋谷慎吾のいる場所に心当たりは?」
「ない。あるとしたら、仕事先では?」
「確認したが、特に今受けてる仕事はなさそうだな」
ああ、ここを荒らしたのは慎吾の行き先探しなわけね。
「どうする?」
「仕方ない、別の手を考えよう」
「この女は?」
「顔を見られたんだ、殺すしかないだろ」
「ちょっ!」
顔を見られたくないなら隠す努力をしてほしい。なんだその、頭の悪い結論は!
一か八かで逃げるか。でも、どうやって? これがいつもの名探偵絡みの事件ならギリギリで、助けがくるはずだけど。
ピンポーン
茗の期待に応えるかのように、チャイムが鳴る。
「声を出すな」
男に口を覆われる。
チャイムが鳴るってことは、慎吾ではないだろう。誰でもいいから気づいてくれないか。大声を出したら気づいてくれるか? でも、男三人に対してドアの向こうにいるのが一人なら、勝ち目のない戦いに巻き込んでしまうし。
答えの出ない問題に悩んでいると、僅かだがドアから遠ざかる足音がする。
しばらく待ってから、
「ったく、驚かせやがって」
男の一人が毒づき、
「薬あるだろ?」
「ああ」
なんか怪しいカプセルを出してきた。
「安心しろ、すぐに楽になる薬だ」
「毒も検出されないしな。ちょっとした変死だな」
どこが安心できるんだ、どこが。
男が強引に飲ませようとしてくるのを、首を曲げて必死に避けていると、
ガッシャーン!
自宅として使っている方の部屋から、大きな音がした。ガラスが、割れるような。
「なんだ?」
「ちょっと見てこい」
下っ端っぽい男が一人、偵察に行かされ、自宅の方のドアに手をかけ、開けた瞬間に、
「うわっ」
ドアの向こうにいた何者かに、蹴飛ばされ、吹っ飛んだ。
ドアの向こうの乱入者は、背の高いやたらと顔の良い男で、そのまま三人衆……の残り二人に向かっていく。
「な、なんだ、お前?」
慌てたように男がいうが、乱入者の無言のパンチでKO。
茗を拘束してた男が、慌てて、
「そ、それ以上近づくとこの女の命はないぞ!」
絵に書いたような悪役ムーブを決めると、乱入者は切れ長の目を細め、
「チーオ」
小さく呟く。
次の瞬間、茗は軽く宙に浮き、男は蹴飛ばされて倒れた。
今の、なに?
見えないなにかに、掴まれたような……。
乱入者は起き上がろうとする男に追撃を加え、三人を近くにまとめると、男たちが持っていたロープで縛りあげる。
助かった?
「あり……がとうございます」
お礼を言ってから、対応としてこれで合ってるのかわからないなと思った。
いや、この人、信じていいの? 一人であっという間に三人を倒しちゃったけど。っていうか、今……
「硯茗さん?」
色々考えてると名前を呼ばれる。
「あ、はい……」
「怪我とか、大丈夫ですか?」
結ばれていた手足をほどいてくれる。
「はい、おかげさまで……。あの……」
どちらさまですか? そう聞こうとして思い出す。知っている。背が高くてやたらと顔の良い、この人物。昔、会ったことがある。
「あなたは……確か、慎吾の友達の」
大学の時に、慎吾がよくつるんでいた相手だ。
「一海直純です。ご無沙汰してます」
柔らかく直純が微笑む。
「慎吾から連絡があって。ちょっとヤバいことに首を突っ込んでしまったかもしれないから、硯さんを迎えにいってほしいと。多分、事務所にいるからと」
間に合ってよかったです、と続ける。
「着いてみたら事務所の看板曲がってておかしいし、変な気配を感じたので強引に入ってきました」
強引に……。そうだ、この人が慎吾の友達なのは思い出したが、怪しさは消えてなくて。だって、今、
「窓から、入ってきました……?」
出来なくはないかもしれないけど、なんで? 普通、やる?
「それはお気になさらず」
綺麗な笑みを浮かべた直純がそう言うから、なんとなく有耶無耶になった。
さてはて、どうしたものかな。
使い魔の下で伸びている不審な男たち。困惑している友人の恋人。「トリ! デカイトリ!」とか叫んでる友人のペット。実にカオスである。ってか、あの九官鳥はチーオのことが見えてるのだろうか。確かにでかい鳥だが。だとしても、賢すぎるな。
そんなことを思いながら、スマホを確認。連絡とった二人から、すぐ行くとの返信があった。
「譲もすぐ来てくれると思うので」
茗とも馴染みが深い、警察官の友人の名前をあげると、安心したような顔を彼女はした。
「慎吾に一体なにが……」
「俺にもさっぱり」
「危険な目にはこれまでもあってきたけど、なんとなくいつもと違うんですよね」
さらっと怖いことを言うな。
でもわかる。こんな風に慎吾に頼みごとをされることはなかった。
送られてきたメッセージを思い出す。
「悪い。ヤバいこと首突っ込んだ。念の為、事務所に行って茗ちゃんと合流して、守って。直純にしか頼めない」
直純にしか頼めない。
ここが引っかかる。
普通ならば刑事である笹倉譲に頼めばいいわけで。まあ、公務員よりも時間の融通がきくフリーランスに頼んだのは分からないでもないが、多分そうじゃない。
幽霊絡みだ。慎吾は一海の家業を知っている。
しかし、霊視能力のない慎吾がなんでまた。
考えていると、騒がしい物音と一緒に、
「直純! 硯さん!」
譲がやってきた。
ラフな格好しているので、休みだったのだろう。すぐ来てくれたし。
「……マジでこれどういう状況?」
「さっぱりわからん」
部屋を見回し、譲が困ったような顔をする。まあ完全に泥棒が物色したかのような状態だし。その泥棒は伸びてるし。
「硯さん、大丈夫ですか?」
とりあえず、といった感じで譲が茗に声をかける。
「私は、大丈夫」
「えっと、そこで伸びてるのが不審者?」
「そう。とりあえず殺人未遂の現行犯ということで常人逮捕」
「あー、うん、それはいいんだけど、直純がやったわけ?」
向けられる視線は胡散臭げなものだ。まあ、三人を一人で倒してたらそうなるよね。
「うん、まあ」
「格闘技とかやってたっけ」
「無我夢中で」
「無我夢中って……」
全然納得してなさそうだが、譲はとりあえず事態をおさめることを優先したようだ。
「とりあえず、応援を呼ぶわ」
とケータイを取り出す。捜査一課の笹倉です、と話し始め、
「いや、まあ、自分も言いながらよくわかんないなーとは思ってるんですけど。でもほら、渋谷絡みですし。……そうですそうです」
事件の内容に納得してなさそうな相手を、渋谷慎吾の存在で丸め込みだした。
名探偵としてあちらこちらで事件に巻き込まれている渋谷慎吾が、警察内ではなんか知らないけど疫病神として名が通っている話しは本当らしい。それでいいのか、日本警察。
「とりあえず先輩たちが来てくれるって」
「そっか」
「二人とも一応事情聴取とかよろしく」
「なにがなんだかわからないけど……」
「わかってるのは渋谷を探してるってことだけか。外から見たら窓割れてたけど、あそこから侵入したのかな」
譲の推理にそうかもね、と話を流したかったが、茗がこちらをじっと見てくるので、
「それは俺が」
自白した。
「は? お前なの?」
「鍵かかってたから」
「それで窓から入る? 普通? ケガとかは?」
「全然大丈夫。緊急事態だったし」
「いや、そうかもだけど」
不審者を見るような目で上から下まで眺められる。
話を変えよう。
「で、事情聴取とか終わったら硯さんにはうちにきてもらおうと思って。実家の方。セキュリティしっかりしてるしさ」
「え、そんな。悪いです」
「いやでも、慎吾に頼まれてるし。嫌かもしれないけど、家帰るのは危ないと思いますよ」
直純の言葉に茗が口ごもる。危ないのは、理解しているのだろう。
「直純の実家、無駄に広いんでお世話になっちゃっていいと思いますよ。警察の警備も付けられるかわかんないし」
「……それじゃあ、お言葉に甘えて」
これでとりあえず茗の身の安全という慎吾からの依頼は果たせる。家に帰れば人間対策も、それ以外の対策も出来るし。
「直純の実家、無駄に広いよな。地主なんだっけ?」
「そんな感じ」
「そういや、直純、お前今何してんの?」
「ん? フリーのコンサルタント業」
「うわぁ、怪しい」
また怪しまれた。お祓い関係と答える訳にいかないから、仕方あるまい。
なんかつくづく、普通とかけ離れた生活なんだな。と改めて思ってため息をついた。
事情聴取を終えて茗と一緒に警察署を出る。まあ特に話すことも無かったわけだが。
「あ、神山さん」
待っていてくれたらしい、神山隆二が軽く片手をあげた。
「車、ちょっと離れたとこだから」
「すみません。というか今日、仕事だったんですね」
従姉に迎えを頼んだが、まさか彼が来るとは思わなかった。
「まあ、帰り道だし」
答えになってないことを言いながら、歩き出すのでついていく。
少し離れた駐車場に従姉の見慣れた車があった。近づくと中から従姉が出てくる。
「悪い」
「別に」
「一海までたどり着いたら、安全だろうけどねぇ」
「まあ普通の人間だったらあそこ入れないだろ」
「あの、慎吾とはどういう?」
「直純が慎吾の友達で、私が直純のいとこなの。それだけ。それ以上のことは何もないから安心して。硯茗さん?」
「神山さん、もう帰ってもいいけど?」
「いやー、あんたらと一緒のところ見られちゃったし、あと3日はいさせてもらうわ」
「三日?あー、そっか、マオちゃんか」
「そういうこと。ただの人間相手だったら、俺一人ぐらいなんでもないけど。マオがあれの状態なら、こっちいた方が安全だろ?」
さっきからこの人たちは「普通の人間」とか「ただの人」とかいっているけど、普通じゃない人間ってなんだろう。カタギじゃないのかな。絡んで大丈夫かな。弁護士的に、とか思い悩んで欲しい