(最悪だ…)
起き抜けに感じた違和感に、溜め息をひとつ。
いつでも完璧な自分でいたいのに、どうにも思い通りにならないことがある。
何度か改善を試みてみたけれど、うまくいかない日は何もうまくいかない。得てしてそういうものである。
まったく納得のいかないまま、それでも彼に会いたい気持ちが勝って、しぶしぶ服を着替え家を出た。
恒例になっている遅刻にわざわざ気にかけてくるひともいないだろう。
チラとスマホを確認して、メッセージのひとつも無いことに、いつもならなんとも思わないのに、今日はなんだかへこんでしまった。
気持ちが上がらないまま、のろのろと足取り重く校舎に到着する。
体育中のクラスの横をすり抜けながら、なんでみんなそんなに元気なんだと、内心辟易した。
うちは今の時間なんだろう。
ボヤっと思い出そうとして、時間割がまるで出てこないことに我ながら笑いそうになりながら、メッセージを開き彼に送る。
『ヨヌ、今何してる?』
数秒でレス。
『英語』
単語のみの簡潔な返信が実に彼らしい。
『なにそれ、全然嬉しくない』
半泣きの顔文字を送れば、『好きな授業なんてないだろ』と少し長めの返信がきた。
『ヨヌが教えてくれればなんでも楽しいのに』
これは本当。
彼は別段、優秀な生徒というわけではないけれど、可もなく不可もない成績を維持しているのは知っている。
たぶん叔母さんがこわいからだ。聞かないけど。
早々に返信が途絶えて、相手の既読で終わったメッセージ欄を恨めしげに見て溜め息ひとつ。
授業中の相手に送っている時点で見えていた結果だが、もう少し付き合ってくれてもいいじゃないか。
少々ふてくされつつ、でも少しでも構ってもらえたことが嬉しくて、先ほどよりも足取り軽く、階段を二段抜かしで進んだ。
もう少しで到着というところで、気の抜けた終業チャイムが鳴る。
「残念。間に合いたかったのに…」
いけしゃあしゃあと心にもないことを言って、ちょうど前の扉から出てくる教師にぺこりと挨拶する。
「アンニョン!先生」
「…あと10分早く来なさい」
もはや諦めの境地の相手は渋い顔でそう言って、気怠げに横を抜けていった。
今しがた閉められたばかりの扉に手をかけて、するりと横へスライドさせる。
次の授業までの間、数分の休憩時間の騒めきが全身へ押し寄せる…と思ったのだが。
「……?」
喧騒がピタリと止んだ。
あきらかに視線がこちらに集中している。
自分が遅刻してくることなんて珍しくもないだろうと不思議に思いながら、刺さりそうな視線に眉根を寄せて、できるだけ大股で自席へと向かう。
こういう時はさっさと座ってしまうに限る。
そうすれば、みんなの注意もあっという間に他へ戻るだろう。そう、思ったのに。
「…ユハン、君、今日はどうした?」
珍獣を見つけたような声で幼なじみが訊ねてきて、覗き込むような仕草が見える。
さぞ不思議そうな顔をしているのだろうが、その表情は判別できない。
「何が?」
こちらこそ意味がわからず首を傾げれば、隣のヨヌがひどく険しい顔をしている。
(…なんで怒ってんの?)
疑問符がぽこぽこと頭上に飛んでしまう。
さっきのメッセージのせいか?いやでも、あれくらいならいつでも言ってるし、送ってるし、別段珍しいこともないだろ?
これといった理由が思い当たらず、目を瞬かせてしまう。
頼みの綱と思って、傍らのミンジェの素振りを伺えば、アゴの先で教室中を見るように示された。
愛しのヨヌがいると彼しか見えなくなってしまうのでいけない。
改めて、教室中へ視線を巡らせると、その表情は見えないにしろ、何やらこちらを見てコソコソと内緒話されているようだ。
さすがにその言葉は拾えないけれど、これまでの自分の経験からすると、あれはそう、好奇の視線だ。
「…?」
現状を把握してもなお、理解が追い付かず、寧ろ謎が深まって今度はこちらが険しい顔になる。
「何これ」
答えのわからないもどかしさでイラ立ちを含めた声が漏れると、ヨヌが盛大に溜め息を吐いて、席を立った。
そうして、すぐ目の前に立ち、片腕を掬われる。
「ちょっとこい、」
「え?」
そのまま引かれるのに任せて席を立つと、ジュヘンが後方から呼びかけるように応える。
「次の授業、自習だから。ごゆっくり~」
それはなんて好都合と内心にっこりしつつ、掴まれている手首がじんわりと痛くて、果たして良い状況なのかは、すぐには判断がつかなかった。
「なんでそんな頭できた?」
空き教室に放り込まれて開口一番訊かれたのは、生活指導みたいな一言。
「えっと…時間なくて?」
「そもそも遅刻してるんだから、時間ないもないだろ」
ごもっともすぎる返事に、いやまあと歯切れの悪い返事しか応えられない。
「起きたらすごいことになってて」
「なんで直してこないんだよ」
「だから、時間なくて。これでもがんばったんだぞ」
努力だけは認めてほしい。ふんと鼻を鳴らすと相手は呆れたように頭を抱えた。
「見ただろ、みんなの反応…」
「ん?ああ、なんか、めちゃくちゃ見られてるみたいだったな。たぶん」
表情はわからないけれど、雰囲気でわかる。なんだか楽しそうだったなとおもう。決していい気分ではなかったけれど。
「君が悪いの」
「え?なんで、」
理不尽だとマスクの下で口先を尖らせると、相手はますます肩を落として、呻くように応える。
「君は顔が良いんだ。前髪なんて上げたら大変なことになる」
「………へ?」
至極真面目な顔で言ってくる相手に、思わず素っ頓狂な声が出てしまった。
「ヨヌ、それ本気で言ってる?」
「本気じゃなければわざわざ言うわけないだろ!…もう…言わせるなっ」
どうやら本当らしい。マジか。こんなことあるのか。
今日は朝から最悪の気分だったのに、それがこんなハッピーな結末を導き出すのか。
(寝ぐせ…最高だな!)
ふつふつと湧き上がってくる感情を持て余して、思わずむずむずと口元がゆるんでしまう。
「ねえヨヌ、ヨヌは俺の顔がかっこいいと思ってるの?」
「はあ?」
「だってそういうことでしょ。ねえねえ?」
「くっ…やめろ、近づくな!」
「マスクしてるんだから大丈夫だよ」
カラーラッシュは。そう暗に示せば、相手はバッと両目を覆ってこちらを見ないように抵抗する。
「そういう問題じゃないっ」
「え~なんでよ~」
必死に自分の目元をガードする相手が面白くて、ぐいぐいと顔を近づければ、今度はベチンっとこちらの両目を塞がれた。
「アイゴ…」
「その顔で寄るな…!」
「どの顔? 前髪上げて、いつもよりよく見えちゃうこの顔?」
「お前…っ 楽しんでるだろ!」
「ええ~」
わあわあと抵抗する相手に顔を寄せながら、たまにはこういうのもいいなと、こっそり味を占めて、笑ってしまった。