ほら、お前にも兄弟がいたんだ。
そういって放られた銀糸の紙を持った少年は怯えたように自分を見ていたこと、日灯は覚えている。
それに会って最初に命じられたのは、まず日灯の閉じ込められた部屋の使い方や日々の過ごし方だった。日灯が世話を任せられた、イェーインと名付けられたそれはどこか怯えたような挙動は見えたが、特別に愚かというわけではなかった。
日灯は、ただイェーインという名前に対して嫌な気分にはなりはした。
それは、ヨダカという意味だ。彼の脳裏にはある童話は思い浮かんだ。
(当たり前か。知能に問題があるのならここに連れてこずとも処分されていたはずだ。)
自分と同じほどの身長の彼は同じような衣装を着せられていた。100を超えたほどの身長にさほどの違いは無い。
自分の創造主たる、神なのか、それとも人ではないのかわからないそれが用意した衣装も似たようなものだ。
白いシャツに、サスペンダーのついた黒い短パンは没個性極まりない。行儀の良さがでた服装は似合っているのか、似合っていないのか日灯にはわからない。
ただ、命じられたからこそ着ているだけだ。
「あの、日灯。」
「どうした?」
日灯は大人用のせいか、ぶらんと足を揺らして椅子に座っていた。これまた大人に合わせて作られたせいで大きな机に本をおいて読んでいた。
自分たちにあった大きさの椅子が欲しいが、そんなことをあれ、男か女かもわからない創造主が受け入れることなど想像がつかなかった。
椅子から飛び降りるような形で床に降り立った日灯にイェーインはいつも通り視線を床に這わせて話し始める。
日灯はそれにため息を吐いた。別に、イェーインが怯える必要は無い。自分は何かをするつもりもなく、あれもまた用があるとき以外は自分たちに近寄ってこない。
窓もない箱庭の中で、自分たちができることなど殆ど無い。
自分はただ、戯れのように本を読んでいる。知識は良い。少しだけ、自分の世界が広がったような気分になる。
「どうかしたか?あいつに出された宿題で何かわからないところがあるのか?」
「・・・・あの、今日の夜、呼ばれているので僕はいないので。」
それに日灯の目はゆっくりと見開かれた。あれが自分たちを呼ぶときなどたかが知れている。
「俺が行く。」
イェーインはそれに慌てて首を振った。
「い、いいよ!ぼ、僕がいかなきゃ、怒られる、から。」
「いいや、俺が行く。どうせ、行っても実験につき合わさられるだけだろう。だったら、俺だって構わないはずだ。」
「で、でも。」
「いいんだ!」
日灯は己の吐いていたズボンをぎちりと握りしめた。そうして、もう一度、叫ぶようにいいんだと言い捨てた。
「・・・・おや、おかしいな。僕が呼んだのはヨダカだったんだけれど。」
耳障りな声だった。男の声が、女の声が、下手をすれば子供に老人、多くの人間の声が混ざりに混ざったような声だった。
幾重にも重なって聞こえる声はどこかノイズめいていて、日灯は嫌いだった。元より、その、男か女かもわからない。容姿さえも、ぼやけてはっきりとした印象が掠れていくそれの性別なんて元より分かりはしないけれど。
日灯がいるのは男の実験室だ。閉じられている自分たちの部屋から、許可が出されたときだけ開く扉から行くことができる。
薄暗いそこは、壁一面に本棚があり、机や棚にはフラスコやへんてこな模型、そうして訳のわからない図形なども壁に書かれている。
「どうせ、実験だろう。それなら、俺でも良いはずだ。どうせ、前に見つけた新しい配合の結果が知りたいんだろうが。」
憎々しげに言い捨てた日灯に、それはくすくすと耳障りな声を上げた。
「そうだね、そこまで言うのならいいよ。」
やってきた日灯にそれはくすくすと笑って、注射器を取り出した。
「なら、試してみるね。」
日灯はそれに素直に自分の腕を差し出した。
あつい。
倒れ込んだ床の上で、ぼんやりと思うのはそれだけだった。体が溶けるように熱い。そうして、口の中には鉄くさいそれで満たされた。
耳からも生暖かい何かがあふれ出した。掠れた視界の中で、シャツを突き破って、金がかった色味の翼が飛び出す。玉のような汗が自分の肌を伝っていく。
思考がぼやけて、その気狂いが何を言っているのかよく聞こえない。
「・・・・はり、これは・・・・間違っては・・・変身が溶けて・・・・」
熱い、痛い。体がぐずぐずに、マグマに溶けていくようだった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」
身もだえるように体を震わせて暴れる。それに、近くにあった机にぶつかり、立て続けにビーカーが落ちた。それでも、相手は気にした風もなく日灯の様子を観察する。
「・・・・血と、鼻血が出る・・・これなら・・・・・」
その苦しみから逃れようと、必死に体を動かした。
熱い、痛い、苦しい。
助けて、助けて、助けて!!
声もなく、濁点混じりの言葉を吐き出すが、口に溜まった血が吐き出されるだけだった。
手を伸ばす、ただ、誰かに手を伸ばす。誰にも助けてもらえないと知りながら。
がちゃんと、またビーカーの割れる音がした。