七井さんへのお題は『クリスマス』の季節に『早朝』『カフェ』で『香水』『国境(線)』『ビジネス』のワードが出るものです。(残りは『香水』『ビジネス』)
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の続きからとなります。
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無造作に伸ばされた黒髪の合間から覗く目は弧を描いていた。
友人ではないが、悪い関係ではないらしい。
「うらやましいな……」
「なんで」
「……話、聞いてくれる?」
「食ってる間、好きに喋ってくれ」
「ありがと」
時間つぶし程度の扱いにしてくれた方が気が楽だ。
コンソメスープを一口飲んでから男が頷き、カップを置いた手でフォークを持つと豆と白飯を混ぜつつ口に運ぶ。
のんびりした食事風景を眺めながら女は話しだした。
ありがちな話である。
貧しい山村に生まれた女は十六歳の時に幼馴染で一つ年上の男とともに出稼ぎの為に村を出た。
長距離バスを乗り継ぎ、頼る者の居ない都会の狭い集合住宅で共同生活。
女は昼は観光客向けの土産物店、夜は地元の人間向けのバーで働いた。
男は幼い頃からの畑仕事で自然と鍛えられた肉体を有効活用するべく、運送会社の配達員になった。
働いて稼いだ金から決まった額を村へと送り、残った分はなるべく貯蓄に回す。
贅沢は出来ないが、必ず月に一度は二人で食事に出かけて普段よりもお腹いっぱいになるくらいに食べるのが楽しみだった。
そんな生活を四年続けたある日。
月に一度の外食の席で、男に「彼女が出来たんだ」と告げられた。
働いている運送会社の同僚で、十九歳。
事務員である彼女とは仕事の合間に話している内に意識するようになり、思いきって告白したところ相思相愛だったと分かったそうだ。
ありがちな話だったのはここまでだ。
突然のことだったが、女はほっとした。
そう、安堵したのである。
女にとって彼は本当にただの幼馴染でしかなかった。
彼も同じ気持ちだったのだろう。
村の人間からは物心ついた時から仲が良く、このまま大人になれば結婚するのだと思われていたようだが、実際は違っていた。
四年間の共同生活は同棲というには湿っぽさが欠片も存在していなかったのだ。
二人の仲は通じ合った兄妹に似たものであり、恋愛感情は皆無。
ただ、仕送りをする度に折り返し届く両親からの連絡が手紙からスマートフォンのSNSへと変化しても、二人がいつ結婚するのかを探る内容があからさまに盛り込まれていたのが苦痛だった。
否定するのも億劫になり、受け流すのが当たり前になった今、ようやく見切りがついた。
そんな気がした。
「本人はただ報告したかっただけみたいだったけど、彼女が出来たのに幼馴染の女と共同生活している状況って、どう考えても良くないでしょ? だから、住み込みの仕事でも見つけて出て行くわ……って」
ちょうど新しい年を目の前にして、どの業種も忙しくなる時期だ。
探せばすぐに見つかるだろうと気楽に考えていたものの、実際は上手く行かなかった。
焦った末にやけになり、仕事が見つかったと嘘をついて自分の貯金と少ない荷物を携えて適当な長距離バスに乗った結果、この街に辿り着いた。
「今、家に帰ったら仲たがいしたんだろうって勘違いされるだろうし、同情の目で見られるのを想像したら嫌で嫌で。……でも、これからどうしよう」
溜息をついた後、冷え切って香りも飛んでしまったコーヒーを飲む。
行くあてはなく、手持ちはそれなりだが有限だ。
ここからまた他のバスに乗り継いだとして、行き着いた先で仕事を見つけられるかも分からない。
もう一度溜息をつきかけたところで男が空になった皿にフォークを置き、口を開いた。
「たとえば」
「たとえば……?」
「アンタが最初から都会生まれで、出稼ぎの為に貧しい村から出て来た幼馴染じゃない男と出会っていたら、どうなってたんだろうな」
言い終えると彼はコンソメスープのカップを口に運ぶ。
どうやら返答待ちらしい。
女は問われた内容を想像してみた。
真面目だけど愛嬌もあり、気配り上手。
甘い酒やお菓子が好きで、大きく口を開いて笑うとえくぼが出来るのがちょっと可愛い。
「……十歳までおねしょが治らなかったり、怖い話を聞くと添い寝してもらわないと寝られないとか、そんな話を知らなければ、付き合っていたかもしれないわ」
他にもたくさん知っている。情けないところも、そうではないところも。
もしもの話でしかないけれど、あんなに近い距離に居なければ——。
「あー……そっかァ……」
すとん、と胸の何処かに落ちるものがあった。
彼は素敵な男性だったのだろう。
けれど、自分にとっては幼馴染の枠から出ない存在で、仮定でもされなければ恋愛感情を抱く相手にはならなかったのだ。
きっと、彼も。
「二人きりで四年も一緒に居たんだもんね……きっと、分かってたんだ……」
鈍いといえば良いのか、悪いのか。
女は笑いが込み上げてくるのにコーヒーカップをテーブルに置き、両手で顔を覆う。
ショックを受けたのとも少し違う、不思議な感情だった。
「おっかしい……今更、ここで泣いても仕方ないのに」
手や頬を濡らす感触がまたおかしくて、小さく笑い声を洩らしながらしばらく感情に任せて数分。
ようやく笑いの波が落ち着いたので両手を下ろすと、いつの間にかカップの横にタオルが置かれていた。
「マスターが」
こちらもいつの間にかスープを飲み終えたらしく、テーブルから全ての食器が引き上げられている状態の男が短く言った。
「ん、後でお礼言わなくちゃ……」
カフェを一人で切り盛りしている様子の老人は調理場に移動しているのか、姿が無い。
女はタオルを手に取って目元を拭った。
「コウタロウも、もしもの話をするんだよな」
唐突に、あの聞き慣れない人の名が出てきた。
「俺と出会う前、今から十年前になるけど、その頃に出会っていたかもしれない話をする」
「十年前……って?」
「同じ学校の生徒になる予定が、俺がヘマやったせいでそうならなかったんだよ」
「じゃあ、その……ヘマをやらなかったら、もっと早く出会えていたってこと?」
「そう。実際に出会ったのは今年の頭だったからな。コウタロウにとっては、もしも十年前に出会えていたらどうなっていたのか、が気になるらしい」
「コーヒー」
「どうも」
話をしている最中に調理場から新しいカップを持った老人が現れ、男の前へと置いた。
女は手にしたままだったタオルについて礼を言おうとしたものの、老人はちらりと彼女を見ただけでまた調理場へと消える。どうにも声をかけづらい。
「……お礼言えなかった」
「あの爺さんはあれが普通だから気にしなくていいぜ」
知り合いなのだろうか。
男は左手をひらひらと振って言う。
「で、まあ、俺からしてみれば、もしも十年前に出会えていたら、今みたいな関係にはならなかったんじゃないか。と思うんだよな」
「どうして? 今は、友達……ではないけど、別に嫌いな訳じゃあないんでしょう?」
「そうだよ。だからこそ、十年前の俺とコウタロウが、今みたいな関係になるとは思えない。アンタが幼馴染を恋人には出来なかったのと同じ……っていうのは、ちょっと違うかもしれねェけど」
男は遠くを見るように目を細めてから、視線をコーヒーカップへと落とした。
「十年前に出会わなかったからこそ、今の関係が有るんだろうと思ってる。逆に、十年前に出会っていたら、俺とコウタロウはもう二度と顔を合わせないような、そういう関係になっていた気がする」
「でも、そのコウタロウという人は……そう思っていないのね」
「結構夢見がちなヤツなんだよ」
右手でカップを持った男が低い笑い声を響かせた。
「なんだかんだ言いながら、人間を信じてるタイプ」
寛いだ様子でコーヒーを飲む、その表情は柔らかかった。
「それで……話は変わるが、アンタはこれからどうするんだ」
「ああ……正直、あなたと話していて、忘れかけていたわ……」
どうやら彼とコウタロウに関する話はここまでらしい。
女は考えたくなかったことへと矛先を向けられてうなだれた。
「クリスマスシーズン真っただ中に、飛び込みで雇ってくれそうな所なんて有るかしら……」
一応客商売なら経験は有るし、酔っぱらい客に対しても物怖じしないようにはなった。
住み込みの仕事であれば、犯罪絡みでなければなんでもいいと思ってしまう窮状である。
「有るだろ。アンタの横に」
「え?」
男が差し上げた左手の人差し指が、女の座るテーブルの脇、壁を示している。
そちらへと顔を向けた女は、『急募:モーテルの清掃係およびカフェの従業員。住み込みも可』と手書きで記された張り紙と対面した。
「勤めてたヤツが病気になった親の面倒をみなきゃならないとかで、急に辞めちまったんだとさ。ちょうど今日から募集してる」
「マ、マスター!!」
女は勢いづいて立ち上がると、調理場に居るであろう老人に向けて大声で呼び掛けた。
「良かったな。早々と従業員確保出来て」
日本から遺跡探索の為に訪れていた《宝探し屋》が言うのに、私は苦笑とともに頷いた。
同業であり既に引退した身ながら、数々の遺跡が存在するこの国において、移動時の休憩や一時的な宿泊場所の提供を目的として《ロゼッタ協会》が建設したモーテルとカフェの経営を任されたのが私である。
表向きは一般客も受け入れ、少し寂れたこの街で細々と経営しているように見せかけている。
日本支部に所属するこの《宝探し屋》も探索を終えて帰国する途中であり、長距離バスの一般客に紛れてモーテルを訪れ、一泊した後のこれから協会派遣の車で空港へと向かう予定だ。
「無理して大人っぽい格好してたみたいだけど、身支度を整えれば年相応に落ち着いた感じになるだろ。あの様子だと仕事も真面目にこなしそうだから、忙しいのも少しはマシになるんじゃねェの」
「そうだな。君が話を振ってくれて助かった」
「お互いちょうど良かったよな。あの子は仕事と寝床を確保して、アンタはこの時期に新しい従業員を得られたんだから」
彼は遺跡探索で得た《秘宝》や宝物の類は現地の情報統括局員に任せ、自分は一足先に帰国するのだと言う。
なんでも、年明け前に会いたい人間が居るそうだ。
おそらくカフェでの話題に出てきたコウタロウがその人物ではないか、と思う。
ただの勘でしかないが、長年として培ったそれは間違いではないはずだ。
「そうそう。頼んでたこれ、期日までに探してくれて助かった。土産が欲しかったんでね」
「土産なら、他にも……というか、遺跡でもそれなりに見繕えたのでは?」
「そっち方面にそこまで興味が無い相手なんだよ。だから、これが良い」
彼の右手に収まるほどの箱の中身は、とある山村で手摘みされ、丁寧に生成された香水である。
高地で栽培されたラベンダーの香水だ。
さほど高価な代物ではないがとにかく生産量が少なく、入手するのが難しい。
この国の遺跡探索に派遣されたばかりの彼から相談を受け、私は伝手を頼ってなんとか入手が叶った。
香水よりも入手絡みの手数料がかなりの額になってしまったが、彼は文句一つ言わずに支払いを済ませている。
「じゃあ、そろそろ迎えの車が来る頃だから行くよ」
「では、気を付けて」
「どうも」
使い古してあちこちに補修の跡が残るナップザックを左肩に提げた《宝探し屋》が軽く頷いた。
何処となく楽しげな気配を感じるのは、年内に帰国出来ることと、香水を入手出来たことによる喜びからだろうか。
遺跡探索が完了した安堵よりも強く感じられるそれが向けられている先を想像し、私は少しくすぐったい気分になって目を細めつつ立ち去る背中を見送った。