嵐の夜だった。
雨が甲板を叩く音が激しく響いている。そんな夜でも不寝番は誰かにまわってくるわけで、今回運が悪かったのはジャンゴとなまえだった。不寝番がこの組み合わせになるのは初めてのことだ。
ジャンゴは副船長だけど、乗組員の人となりを把握しているかというと否であって、新入りならなおさらだ。従って、彼女のこともよくは知らない。沈めた船に乗っていたという特に珍しくもない来歴を覚えていたぐらいか。誰かが見張り台に放置していった一着しかないレインコートを彼女に譲ってやったのは、ジャンゴの優しさというよりは単に彼女がジャンゴよりも寒そうにしていたからだ。タンクトップのジャンゴとTシャツ姿のなまえは同じぐらいの軽装だったけど、そこは男女の違いというやつだろうか。ちゃちなレインコート一枚で何かが変わるとも思わなかったけど。
「大丈夫かよ」
「うん」
「大丈夫じゃねェだろ」
レインコートを着たなまえが小さく震えているのを見て、ジャンゴは舌打ちした。その舌打ちでなまえが怯えた顔をしたような気がしたがだからなんだ、だ。嫌な思いをしたくなければ船になんか乗らなければいいのだ、よりにもよって海賊船とあればなおさらだ。普通は彼女のような年頃の女は、少なくとも海賊とはいっさい関わりなく、もっと楽しく暮らしているものなんじゃないのか。
「海賊船なんか乗ってる女の気が知れねェよ」
「そ、それって私の事?」
「少なくとも普通じゃねェとおれァ思うね」
なまえはジャンゴが話しかけてきたことに驚いたみたいだった。ジャンゴもまた、自分自身にちょっと驚いていた。これまで乗組員の誰かに興味を持ったことがなかったからだ。海賊とかいう人種はみんなろくでなしで、ろくでなしの身の上なんて似たりよったりだろうというのがジャンゴの考えだった。
それはそれとしてジャンゴがこの船で副船長にまでなっているのは、つまりはそういうことであって、同族嫌悪のようなものかもしれない。冷たい雨は人を心細くさせるのだろうか。
「子どもの頃に海賊に攫われたの。それで、そのまま」
げ、と思った。それはそれでありがちな話ではあるだろうから同情したわけじゃないけど、子どもが、それも女が不本意で海賊船にいることがどういう意味かを考えたらいい気分にはならない。ジャンゴがあからさまに嫌な顔をしたのが分かったのか、なまえはやや明るい声でそういう意味じゃないんだよ、と手を振った。
「料理ができる子どもだったから、厨房に立たされてばっかりだったよ」
「そうかよ」
「コックさんになりたかったんだ。おかげで売られたり殺されなくて済んだし、ある意味夢が叶ってるのかも」
「……」
まさか本音ではないだろう。毎日食事を作らなきゃ殺される身分の奴をコックさんとは言わないのは、ジャンゴよりもなまえの方がよく分かっているに違いない。夢という言葉はどちらかというと嫌いなジャンゴだけど、理不尽に踏みにじられた夢の話を聞けばそれなりに思うところはあるのだった。聞かなければ良かったと、後悔するぐらいには。
何も言えなくなって黙っていると、雷が光って夜の甲板を一瞬照らした。それでなまえの横顔もはじめてはっきり見ることができた。雨の音や夜の暗さのせいで気づかなかったけど、彼女の頬が濡れているのは雨のせいだけではなかったのだ。 ジャンゴはいよいよ逃げ出したくなった。泣いている女は苦手だ、はっきり言って嫌いだ。
海賊船に拐われたり捕まえたりしてきた女はたいていみんな泣いている。最初の方は彼女らの不運に同情したりも、した。
だけど、実際問題、ジャンゴに泣きつかれたってどうすることもできないわけで。
最近では、最初からキャプテンクロの方に行けばいいのにとしか思わなくなっていた。
「おいっ。おれは同情してるわけじゃねェぞ。いきなり泣かれたってなあ.......」
なまえの顔を覗き込んだ、彼女の伏せた睫毛から雨じゃない雫が滑って落ちていく。それを見た瞬間、ジャンゴは唐突に分かってしまった。ああこれは普通の女だ、攫ったり殺したりしなくていい普通の女。女といえば攫うか殺すかで、ジャンゴというか海賊の世界ではそういうものだった。 だけど泣いているなまえの横顔は紛れもなく普通の女の子のもので、こういうものはむやみに傷つけられるべきではないのではないかと、そう確信してしまったのだ。
「.......悪かった。嫌なこと聞いたのはおれだった」
「ごめんなさい。副船長には関係ないのにね」
涙の雫と雨で濡れた頬がなんだか綺麗に見えた。本能的に手を伸ばしかけて、やめる。こういうものはジャンゴからは遠く離れた場所にあるべきだと思ったからだ、手を触れたらなまえがこちら側に来てしまう気がした。手を伸ばしかけたことを悟られないように、ジャンゴはまるで最初からそうしようと思ってたみたいに自分の頬を搔いた。
「家に送ってやれよって、キャプテン・クロに頼んでやろうか」
だから泣くな、とは思わなかったから言わなかった。
ジャンゴはかわりになまえの故郷がどこか聞いてみた。なまえが答えたのはとある島のどこにでもあるような普通の町の名前で、ああやっぱりだと思ったのだった。本当なら海賊のことなんて話題にものぼらないはずの平和な町だ。家族とか友だちとか、その内訳は知らないがとにかくなまえのことを好きな人たちがそこにいて、彼女の帰りを今も待っているに違いない。別に海賊船の上で笑わなくたって、そういう人たちの前で笑えばいいのだ。
「副船長が怒られたりしない?」
「旗揚げからの付き合いだしな。おれから頼めばあの人だってまるっきり無視はしねェだろ」
「ほんと!」
「頭数がいりゃあいいってタイプだぜ、ありゃあ」
「.......たしかにそうかも」
我らが船長には、なまえの方もだいたい同じ印象を持っていたらしい。頷いたその声はちゃんと納得がいったという感じの声だった。
ありがとう、と素直になまえにお礼を言われて、ジャンゴは最後に誰かに感謝されたのはいつだか考えてみる。
まったく思い出せないのは、まあそういうことだろう。身体全体がなんだかむず痒いのはおそらく慣れないことをした違和感のせいだ。
普段のジャンゴが今の自分を見たら、あまりの馬鹿馬鹿しさに唾を吐くに違いない。だってジャンゴはなまえと同じ年頃の女を殺したことだって一度や二度でなく、あるのだ。
まあ、でも、その違和感もなまえを故郷に送り届けるまでだろう。島についたらお互いのことはきれいさっぱり忘れればいいのだ、それについてはジャンゴはお誂え向きの能力を持っているし。
「副船長じゃなくて、ジャンゴでいいよ」
そうして次に思ったのは、それまでならこの違和感を大事にしてみるのも悪くはないな、ということだった。どうせ記憶を消してしまうのだ。女子どもだって遠慮なく傷つけられるジャンゴが、同じようにどこにでもいるような女であるなまえを慮っている、そんな矛盾も最後には全部消してしまえるワケだから。
消えてしまえば、それは無かったのと同じだ。
「じゃあ、私も、なまえって呼ばれたい。前の船のときなんて、おい女!だったもん」
ひどくない?と嘆くなまえに被せるように、ジャンゴは彼女の名前を呼んでみた。
「なまえ」
「なに?」
「呼ばないのかよ」
「呼ぶよ、ジャンゴが名前呼んでくれたのが、嬉しかっただけ」
そんなやりとりを好ましく感じたのも、期限付きの感情と思えば、
ジャンゴは頬を掻いた。また身体がむず痒くなっていた。
この船のキッチン兼ダイニングがいまのわたしの職場だ。クロ船長が与えてくれた寝床でもある。わたしが前にいた船は沈んでしまったので。
「『俺たちの計画に影響する島でもねえ。勝手に向かって勝手に降りたらいい』ってよ」
「わあ」
今はまだ朝の早い時間。ダイニングテーブルの椅子に座っているのがジャンゴで野菜と豆をコンソメで煮込んでいるのがわたし。ジャンゴが教えてくれたのはクロ船長の返事だった。
「喜んでんなよ。近くはねえ島なんだからよ。それなりの時間この船に乗ることになるんだぜ」
「だって寝れるところがあって仕事もあるんだよ」
ジャンゴもいるし。初めて見張り番がまわってきた嵐の夜を思い出す。顔が綻んでいるな、と自分でわかる。着とけ、と羽織らされたレインコートのお陰で銃弾みたいな雨も平気だった。だってわたしは不本意なかたちで海に出てから、他人に優しくされたことなんてなかったので。
「簡単に信用してんじゃねェよ。こちとら海賊だぜ」
「でも、嬉しかったんだよ」
ちょうどお湯が沸いた。わたしはやかんから、予め粉をいれておいた二つのマグカップにお湯を注ぐ。
即席のコーヒーをジャンゴに差し出すと彼は一口すすって顔をしかめた。
コーヒーが苦かったわけじゃないのはすぐ分かった。たったひと晩一緒に過ごしたぐらいで何が分かる、とジャンゴは言いそうだ。
だけどひと晩だけだって見せてくれた顔はその人の一面だと思う。だからあの夜、わたしはジャンゴが優しいことを知ったのだ。きっと本人は認めないだろうけど。
「……腹の減る匂いだな」
はたして予想どおり、あからさまに誤魔化されてしまった。熱いコーヒーをぐび、と飲んでくれたから、そっちが苦いわけではないのも予想どおりだった。
「朝の匂いってお腹すくんだよ」
だからわたしはジャンゴが逸らした話題のほうに同調してそう答える。匂いで腹が減る、と言われたのは嬉し。
朝の匂いがさらにそうさせるんだろうな、とも思う。キッチンに放置されていた粉でこだわりなく淹れたコーヒーも、野菜と豆とコンソメの単純で名前のない料理も、朝の独特な空気と混ざると食欲を促進してくれるのだ(と、わたしは思う)。
作った人間の技量より、料理を数段美味しく味わいたいなら断然朝だ。だから朝ごはんは食べ逃すべきじゃない、というのがわたしのささやかな持論だった。
「そういうもんかね」
はじめて聞く概念だというようにジャンゴが首をひねったとき、ダイニングの扉が開いて二人の人影が部屋に入ってきた。シャムさんとブチさんだ。この船のクルーの大半はなぜかねこっぽい人々で構成されていて、この二人はその中でもひときわねこの二人なのだった。
「なんか食いもんの匂いがしたぜ」
「ジャンゴさんなに食ってんだ?」
「まだ出来てないけど、朝ごはん全員分あるよ」
「おれ、朝めし食うの何年ぶりかぐらいだ」
「えー食べたほうがいいよ」
「朝めし担当のやつが時間どおり起きてきたことねェしな!」
そんなことを話していると、鍋の中がちょうどいい感じになってきた。お皿によそおうと思ってちょうどいいサイズのものを探していたら、そのお皿を差し出された。シャムさんとブチさんが自分の分を一枚ずつ。その後ろからジャンゴの同じ皿を持った手も。
「あっこれ野菜だけか」
「肉食いてえな」
「魚なら釣れそうだけどねえ」
わたしを入れた三人で料理を食べながら、ああでもないこうでもないと話をした。海賊船だってこういう感じの朝が来たりするんだと知っている人間はあんまりいないに違いない。わたしはなんだか胸を張りたくなった。
わたしたちの様子を見ていたジャンゴはどう思っているのだろうと気になって、わたしは彼を見つめ返してみる。
ジャンゴはわたしの視線に気づくと、困ったように眉を下げて、手持ち無沙汰にウェーブのかかった髪に指を巻き付けて、そして、また目をそらして照れたように言った。
「お前のいうとこの、朝めしがどうこうの理屈は分からねェけどよ。美味ェめしとそうじゃねェもんの違いぐらいは分かるぜ」
海賊という人種がどういうものかということぐらいはわたしだって知っている。というより拐われて働かされていたぶん、普通よりも詳しい部類だ。この船だって例外じゃないからこそ、わたしの前の船は沈んだわけだし。
それでもこの船でこんな朝があって、明日も同じ朝を迎えられるなら、きっとそれはひとつのかたち、というやつなのだ。
本日は晴天なり。我らがクロネコ海賊団の船は追い風を受けて順調に針路をすすんでいる。ジャンゴは舵を取りながら鼻歌などうたってみた。
「副船長!今日も大漁です!」
ジャンゴの鼻歌はこの船の新入り、なまえの意外と大きい声に中断された。
マストの上で見張り番についていたシャムとブチ、そしてなまえの3人がジャンゴのもとに駆け寄ってきた。なまえがこの船の炊事を担うようになってからというものの、彼女は海賊たちにおおむね好意的に迎え入れられているようだった。とくにシャムとブチの二人はなまえの料理がよっぱど気に入ったらしく、なにかとついて回っている、なまえのほうでも、かれらが魚釣りに長けていることを頼りにしているらしい。二人が釣った魚を大きなバケツに入れて、三人してジャンゴに見せにきたのだ。あんまりといえばあんまりにも、のどかな一幕である。ジャンゴは自分の口角が緩むのを感じていた。
「おいおい見ろよ、ジャンゴさんの顔」
「『また魚かよ』って思ってるぜ、ぜったい」
「ひとこといってやれなまえ」
「ジャンゴ副船長!」
シャムとブチのふたりに背中をおされるかたちで、なまえがジャンゴの正面に立つ。もともとなまえが小柄だということは分かっていたが、長身のジャンゴが彼女と正面から相対してみると、本気で
「な……なんだよ」
「魚はもううんざりです!よって今日の晩ごはんはカモメのステーキにします!」
──とりわけ二人ほど素直ではない大多数の船員たちのあいだでは、副船長のあたらしいイロであるとかなんとか、さまざまに邪推されていることを知らないジャンゴではない。だけど、船の風紀を考えればそれはそれで、だ。真実はともかく。ジャンゴはなまえについての自分の立場を積極的に表明する必要を感じていない。
はたして、漂流船は無人船でもあった。
船から乗員が消えてしまうことは日常茶飯事とまではいかないが、珍しいことでもない。とりわけ救助要請をだすことができない海賊船にはよくある末路だ。
疫病、飢餓、あるいは殺し合い。乗員全員が拉致された例もあるという。
しかしどんなに悲劇的な顛末をたどった船であろうと語り部の不在はそれこそ死人に口なしというやつで、ジャンゴたちはものいわぬ漂流船から有益だと思われるものを頂戴させていただくことにした。
船員総出で運び出した物資は多岐にわたり、甲板にずらりと並べられた。
ベリーの札束で膨れ上がった大きな袋や、ワインやラム酒と書かれた大量の樽は船員たちの熱い視線をおおいに集め、今夜にでも飲み干してしまおうと、誰からともなく声があがる。酒宴となれば料理がほしくなる、船員たちの視線はしだいになまえに集まることになった。
大の男たちの視線を一身にそそがれる羽目になったなまえは──息をすって、ひとこと。
「ワインはカモメの肉によく合いますね!」
クロが来る。
そこでちょうどジャンゴの隣になまえがいたので「下ろすのが惜しくなる」と言ってひゅう~ってなる
「うるさいっ!」
「あっ、あ、あの、オーブンの様子を見てきますねッ」
なまえは海賊たちをおおいにはたらかせながら、自分はもっと忙しく食堂と厨房を往復していた。ジャンゴも彼女の指示で野菜の皮を剥いたりどのように生み出されたのか分からない寄せ集めの海賊たちの前に色とりどりの料理をならべていく。黙って聞いてんのは料理に興味があるんじゃなくて普段縁のない女の匂いに嗅ぎ入ってんだよ。
なんでそんなことが分かるかというと、なまえが隣に座っているいま、ジャンゴの心中は手下たちとまったく同じだからだ。同じ海を同じような海賊船で過ごしていたなんて信じられない。商売女の派手な化粧の匂いとも、かといってどこだかのお姫様の糊の効いた高貴なるドレスの匂いでもない、普通の女の匂いだった。
海賊船になんらかの戦利品がもたらされた場合、戦利品は各船の掟に従って乗組員に分け前が与えられる。この船においては、功労者と認められた者には分配の分に加えて、任意の報酬を選択することができるとされている。今回の報酬は一番乗りにステーキをいただく権利だということか。船長からのご指定だというなら副船長の自分が異議申し立てをする余地はなかった。
しかし、クロはどうもジャンゴとなまえについてのいきさつを面白がっているフシがあるのではないかという気がする。キャプテンクロの右腕を自負するようになってから久しいが、船員の色恋に関心を持つタイプだとはとてもおもえないが……。
皿の左側にお行儀よく並べられたナイフとフォークをとると、ジャンゴは端から刃を入れて口に運ぶ。
しかしカモメのステーキとは。
食用として育てられた陸の鶏肉は、誰が焼いたとしても食えるレベルにはなる。一方どこで何を食べているのか分からない海の鳥、カモメは独特の海の臭いが肉に染み付いていて、単純に火を通すだけの調理ではその臭みを目立たせるだけだった。よってジャンゴやほかの仲間たちのカモメに対する食料としての評価はとりあえず腹は膨れるという程度のものでしかなかった。
そしてその評価は180度かわることになる。
「……うまっ」
「でしょう」
顔を上げるとなまえが嬉しそうに笑っていた。
ラムにワインに
「おいしかった?」
刺された、とはっきりと分かった。
料理人としての自信に裏付けされた、裏も表もないなまえの笑顔はここにあるべきではない眩しさだ。この船でそんな笑顔を向けられる資格のある者はいない、いつだってジャンゴたちはそんな美しいものを踏みつけにしてきた。しかし資格なんてないからこそ──海賊の倫理で、所有したくなる。
「あのね、これ、デザート」
やめろ、触るな、手を握るな!
ジャンゴは叫びそうになるのを必死にこらえなければいけなかった。
この手は海賊の手で、女ひとり、なまえのひとりを海へ奪い去るぐらい簡単にやってのける手だ。
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ジャンゴと新入り
初公開日: 2021年04月29日
最終更新日: 2021年04月30日
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コメント
こんなお話もありましたとさな東の海の海賊船のささやかな恋のお話。
扉絵ジャンゴがいいやつなのは周知の事実ですが、本編ジャンゴだってあんなに約束に誠実で、クロの願いなら叶えたいと船長をひきついで……ってほんとうにたまらなくなりました。