TO:オーキッド
FROM:ドクター
TITLE:相談
今晩時間ある?
プライベートのことで相談があるんだ
TO:ドクター
FROM:オーキッド
TITLE:Re:相談
今日は事務仕事が立て込みそうなので、確約できるのは21時過ぎになるけど、それで良ければ構わないわ。
TO:オーキッド
FROM:ドクター
TITLE:Re:Re:相談
いつも負担をかけてしまって申し訳ない
では21時頃に、B104に作ったバーに来て欲しい。もし早く来れたら、全額私が持つので好きなものを頼んで欲しい
TO:ドクター
FROM:オーキッド
TITLE:Re:Re:Re:相談
>全額私が持つので好きなものを頼んで欲しい
:ー)
***
結局、オーキッドが事務所のデスクから立ち上がったのは待ち合わせ時間を十五分ほど過ぎた時間だった。
多少ふらつきながら立ち上がり、ふらついているどころかぐらついている事務方職員たちの乾ききった「おつかれさまです」の声を背中に聞きながら事務所を後にする。
ロドス上層部フロアに最近作られたカフェバーは、社外との打ち合わせに使われることもあり、こういう場に数多く出入りした経験のあるオーキッドから見てもオシャレだと思う凝った内装をしている。
店内を二度、見回してようやく、奥まった席に座るドクターを見つけた。あの黒いテルテル坊主みたいな格好でバーの薄暗い店内にいられると、暗闇と同化して迷彩のようだ。
カウンターの向こうでグラスを磨いていたバーテンの顔も見ずに「生一杯大ジョッキで」と告げ、ドクターの隣のスツールへと腰かける。ただの飲みなら向かいに座るが、相談事であるというなら隣に腰かけた方が良い。圧迫感が減って会話がスムーズに運ぶという心理学的アプローチだ。
「遅れてごめんなさい。待たせたかしら」
「いや、私も今来たところさ」
「そういう台詞はその……、その……、……何?」
ドクターの手元にある小皿には、宇宙人の干物のような何か乗せられていた。気の利いたリターニアデザインの小皿から「こんなものを乗せるために生まれてきたんじゃない」という血涙の訴えの幻聴が聞こえてくるような、不気味なつまみだ。
「これ? 砂虫の乾物。食べる?」
「……今はもう少し別のものが食べたい気分なので、気持ちだけ頂くわね。ともかく、そういう台詞はつまみを隠して言いなさいな……」
「うん、次はそうするよ。じゃあ好きなの頼んでくれ」
ドクターが手持ちの端末にメニューを呼び出し、オーキッドへと差し出す。同じアプリケーションがオーキッドの携帯端末からも呼び出せるが、支払いの関係上こちらをつかってくれということだろう。
こういう場合、相談に乗るお礼も込みと経験上わかっているオーキッドは、特に遠慮もせず好みのつまみを選んでいく。
「ついでにダイクン酒も頼んでくれないか」
「はいはい。ドクターはロックだったかしら」
「覚えていてくれたのか?」
「頭にやかんを乗せて急に躍り出したのがインパクト強くて覚えちゃったわ」
「忘れてくれないか」
真剣な声で言うのがおかしくて、オーキッドは笑いながら携帯端末をドクターへ返した。
「それで、相談って何かしら? 素面では聞かないほうがよさそうな話題なら、お酒が来るのを待つけれど」
長髪のバーテンが金色のポンプから泡立つ麦酒を注いでいるのを親指でクイとしながら尋ねてみるが、ドクターは笑って手を振った。
「いや、全然。聞いて貰って大丈夫だよ」
それでも周囲にはあまり聞かせたくないかせたくない話題なのか、ドクターは肩を丸めてこちらに顔を寄せる。
「シルバーアッシュがもうすぐ誕生日なんだ。プレゼントをしたいと思ったんだけど、何を贈ったらいいのかわからなくて。……こういうのって、友達も贈っていいんだよね?」
「……。ええ、もちろんよ」
あまりにかわいそうで、さすがに一瞬返事が遅れた。
(……友人として、ねえ……)
本気で言ってる? と喉まででかかったが、オーキッドはぐっとこらえた。フェイスシールドを上げたドクターの横顔に照れはあったが、それは恋人関係を隠しているつもりの者の「ばれちゃったらどうしよう♡」という、殴りたくなるような甘えたそれではなく、「こんな相談して馬鹿にされないかな」というシンプルなもので。
(……あの人も大変ね……)
突然現れてはドクターに親し気に話しかけ、他には目もくれずに去っていく、謎の美形のフェリーンがいる。
そんな噂は、ロドスに来て割とすぐにオーキッドも耳にした。たまに廊下越しに、あるいは戦場で会うシルバーアッシュという男性は、なるほど確かに噂通りの人だった。付け加えて言うならその視線には明らかに、明確な感情というか意思が宿っていた。
(もう、絶対他の男をドクターに近づけさせないぞ、ってオーラがムンムンだったわね……)
彼がロドスのオペレーターとろくに会話しないのはそうだが、こちらからも話しかけづらいのはそういう雰囲気が駄々洩れだからだろう。視線もそうだが、声にまで、砂糖を煮詰めてシロップのように甘さが滴っているのだ。
少しでも彼らの側で会話を聞いていれば、シルバーアッシュがドクターに秋波を送っているのは誰の目にも明らかだった。
肝心の、当の本人が生後三か月以下の情緒しか持っていないせいで、アンジェリーナが好む少女小説のような展開には全くならないせいで、最近はもはや同情され気味なのは笑い話としていいものか。
「シルバーアッシュ、知ってるよね?」
「何度も一緒の作戦に出てるわ。でもよく考えたら、私、彼と話したことないかもしれない……。目立つ方だから、いればすぐにわかるけど……」
彼が貴方の隣でかなしそうな目をしているのは何度も見かけていますけど、とは言わない。恋愛ごとは当人同士の問題だ。
高台に陣取るオーキッドと、地上で敵を迎撃するシルバーアッシュでは、同じ戦場に配置されてもその距離は遠い。まして爆風吹きすさびビルの砕ける戦場は、隣にいる戦友の声さえたまに聞こえなくなる。緊張に高鳴る心臓の音や、血管の脈打つ音も普段より大きく聞こえて、耳はほとんどふさがってしまっている気がする。
そんな中、平時と変わらないドクターの丁淡な声は、膜のかかったような耳にもスッと聞こえて、心を落ち着かせてくれるので不思議だった。
「いつ?」
「十五日」
「もうすぐ過ぎる……!」
あと十日もないじゃない!! とオーキッドは心の中で唸った。
「……ちなみに何か、これを贈りたい、みたいなものはあったりするのかしら?」
「身に着けてもらえるものはどうかな、と思ってる」
「なるほどね……」
つまりこの短期間で、あの上品な紳士に喜ばれるスペシャルな品物を探さなければならないと……。
「……」
プレッシャーがすごい。絶対、下手なものは贈れない相手じゃないの。いやでも、彼はドクターに甘いとクリフハートさんも言ってたし、あの様子だし、ひょっとしたら「肩たたき券」あたりでも大喜びするのかもしれないわね……?
つい遠い目になってしまったオーキッドの前に、良く冷えた重たいジョッキが丁寧な所作で差し出される。
「お客様、ドクターはそれも込みで相談されたのだと思いますよ」
聞き覚えのありすぎる……というか昨日も一昨日も、その前も聞いた声が、労わるような調子で話しかけてきた。
「……ミッドナイト、貴方今日は非番って言ってなかった? いつの間に前衛からバーテンダー(特殊/スペシャリスト)に配属替えされたのかしら?」
「アルバイトだよ。ビール注ぎもカクテルづくりも、新人時代によくやってたんだけど、最近あまりする機会がなかったからね。腕が錆びないよう、非番の時はたまに立たせてもらってるのさ」
ミッドナイトはつまみの皿を並べ……なぜかそのまま向かいのスツールへと尻を下ろした。
「なぜ座るの?」
「お客様とのトークもバーテンの仕事の内さ」
「お客様のカクテルを作るのもバーテンの仕事ではなくて?」
「今夜の俺はこの瞬間からオーキッドさんとドクターの専属だよ」
パチンとウインクするミッドナイトをどうするべきかと黙り込んでいると、ドクターが……。
「オーキッド、私が頼んだんだ。勿論、君のことは頼りにしているけど、彼もこういうことには詳しそうだし」
「ドクターが許可しているなら別に構わないわ。で、貢がれ慣れているミッドナイトさん? この難問に対してどのような見解をお持ち?」
「多分だけど、オーキッドさんとそう変わらないんじゃないかな」
自分用に作ってきたらしい、フルートグラスに注がれた金色のシャンパンで唇を湿らせ、ミッドナイトが口を開く。
「俺は前衛だから、オーキッドさんよりシルバーアッシュさんを少し間近でみたことがあるんだけどね。彼、服も靴もかなりしっかりしたものを選んでるね。外套を脱いでしまえば、ライン生命の最高経営責任者とディナーにだって行けるだろうね」
「ええと……それってすごいこと、なんだよね?」
ダイクン酒のグラスを両手で持ったままドクターが首をかしげる。
こういう時、そうだった、この人は記憶喪失だったわねとオーキッドはいつも少し驚いてしまう。
聞き間違えようのない言葉選びに声の出し方、話しかけるタイミング、そしてなされる指揮の的確さ。
戦場でのドクターは、指揮の内容もそうだがそれ以外のところも十全だった。
指揮ができるというのは、ただ戦場の行く末がわかるというだけではない。それをオペレーターという他人にいかに伝えられるかも重要だ。
かつて編集者として働き、多くの部下に目配りをして一つの雑誌を作り続けてきたオーキッドには、指示出しがいかに大変で難しいことなのかよくわかる。
ドクターの指揮には、そういう、他人に物事をきちんと理解させるためのテクニックがふんだんに使われていた。何せ本人に記憶がないのでわからないが、どこかで軍事を学んだのではないだろうか。
指揮に関する技術はあるのに、歴史や文化、料理といった一般教養的な知識の一切がさっぱりと失われているのは、まるで戦術指揮の知識を残すためにそれらをいけにえに捧げたようねなどと思う。
「ライン生命はテラ有数の大企業よ。経済誌に配属された後輩が何回か社長にインタビューを申請したそうだけど、結局私がいた頃には実現しなかったわ」
「俺に貢いでくれた子の中にも、ライン生命で働いてるって言ってた子が何人かいたよ。本当かどうかはわからないけど、気前がいい子ばかりでありがたかったねえ」
ミッドナイトは流石にホスト歴が長いだけあって感情を隠すのがうまいのか、あるいは特に思うところはないのか、ドクターの知識の偏りに驚いている様子はない。
「……えっと?」
「ああ、ごめんね。つまり今回の贈り物には、スーツや靴は避けた方がいいと思うんだ。彼が着てるのオーダーメイドだし、そうなると行きつけのテーラーもあるだろうしね」
「シルバーアッシュなら何着ても似合うと思うけどなあ」
「ドクター、それは貴方が、ロドスのフリーサイズのジャケットと白衣しか服がない世界に住んでるから、そう思うのよ。ミッドナイト、ちょっとジャケット貸してくれる?」
「うん? いいよ。はいどうぞ」
ビールジョッキに濡れた手をおしぼりで拭き、バーテンの制服なのだろう黒のジャケットを受け取り、そのまま腕を通す。ミッドナイトの耳がピン! と跳ねた気がしたが、髪が引っかかったのがそう見えただけだろうか。
「見てドクター。肩の布が余って変に尖っちゃってるでしょう? 腰回りもこんなにブカブカ。サイズが合わない服ってこんな感じになっちゃうの。シルバーアッシュさんが、多少あれな服装でも格好良く見せられる素材なのは同意ですけど、体型にあった服を着ているからこそ、今みたいなシュッとした見目の良さがあるのよ」
「なるほど……。服選びって難しんだね」
「そうね。だからこそ良いコーデが見つかると楽しいしワクワクするのよ。あ、ミッドナイト、ジャケットありがとう。返すわね」
「お役に立てて何よりです、リーダー。お代わりはどうする?」
ジョッキの底に残ったぬるい麦酒を一気に飲んで。
「リンゴのお酒頂戴。強ソーダ割りで」
「かしこまりました。ドクターもなにかつまみを足すかい? 砂虫だけじゃ栄養が偏るよ」
「そうだな……じゃあ、この時間に食べても、ケルシーに怒られなさそうなものをお勧めで」
「了解」
カウンターの後ろへ入るミッドナイトを見送って、ドクターが酒精交じりのため息をつく。
「服がだめとなると、どうしたらいいかな。彼に喜んで欲しいんだけど……私、そういうことが本当にわからなくて」
「別にいいのよ。気にしないで。それに服関係が全部ダメって訳ではないわよ。例えばネクタイとか、数があっても困るものじゃないし。ドクター、次の寄港地ってどこだったかしら」
「ああ、ちょっと待って……」
告げられた土地の名前を脳内で検索し、ううんと顎に指を添える。
「覚えている限り、その移動都市にネクタイ関係のハイブランド店は出店してないわね。今調べてみる?」
「いや、可能性が低いなら一旦その方向で考えるのは止めるよ。……休憩室で雑誌も少し読んだんだけど、財布とか時計もよく贈り物にされるんだよね?」
「ミッドナイトは腕が十本あってもつけきれないくらい贈られたでしょうね」
「ご明察」
お盆に二杯目のお酒とつまみ(野菜と蒸し魚肉をライスペーパーで巻いて、シエスタ風のソースをかけたもの)を載せたミッドナイトが戻ってきた。
「でも、それも少し危ないかもね。財布って人によってかなり好みにばらつきがあるし。あと時計は、良いブランドのは本当に高いからね……。流石にちょっと高価すぎて、友人への贈り物というより接待みたいになっちゃわない? もちろん彼が時計の蒐集家だっていうなら気張るのはありだろうけど」
「取引先への贈り物ってことで、接待費で領収書切れば経費からは落ちるけどね」
「そ、それはちょっと」
ドクターがゴホゴホとせき込む。その頬が少し赤らんでいるのは、ダイクン酒の強い酒精のせいだろうか。
「接待とかじゃなくて……私は、彼に喜んでもらいたくて……」
「うん、大丈夫。俺もオーキッドさんもそこはわかってるよ」
「ありがとう。あと、値段に関してはそこまで気にしなくていいかもしれない。……彼にこの間、氷晶化した源石を貰ったんだけど、調べたらちょっとすごい価値で……。私は覚えていないけど、そんなすごいものを贈りたいくらい、その、昔の私はね? 昔の私は、彼と親しかった……はずなんだ。だから私も、彼への贈り物を値切るのは違うかなって……」
「ドクターのお財布に余裕のあるのはわかったわ。とはいえ十五日までに用意するという縛りがあるのをお忘れなく。あんまり高価な品物って、支店クラスだと置いてないこともあるのよ。本社に問い合わせて発送してもらうことはできるかもしれないけど、この日までに手にはいらないんじゃ意味はないわ」
「どこでも手にはいるものか……。あ、じゃあ指輪なんて……」
「止めた方がいいわ」
「虎口に飛び込むのは早すぎると思うよ」
二人同時に口を開いていた。ミッドナイトが小さく頷いて見せる。シルバーアッシュがドクターに向ける熱烈な態度の意味を、彼もまたよくわかっているものの一人だ。指輪なんて渡したら、そのまま婚姻届けを提出しに行きそうだと、二人は視線だけで会話してドクターの肩に手を置いた。
「ドクター、指輪は恋人同士で贈るようなアイテムよ」
「え、そうなんだ!? すまない、本当に知らなくて……」
「いいんだよ。その代わりまたこういうことで困ったら是非俺たちや周りの人に相談してね。指輪だけじゃなくて、特定の種族に対してこれをやったら結婚の申し込み、みたいな習慣って結構あったりするから」
「ええ!?」
「大丈夫よ、そんなに怯えなくて。ドクターが記憶喪失なのは皆、わかってるから。万が一そういうことがあっても、説明すればすぐ誤解だってわかってくれるわ」
まあシルバーアッシュさんならドクターが知らずにやったことととわかった上で既成事実化しそうではあるけど……。
思わず遠い目になってしまったオーキッドに気づかわし気な視線を向け、ミッドナイトが
パンと手を打つ。
「ええと、それで、次に立ち寄る都市で手に入れられるかって話だったよね。そのことだけど、いっそ手作りとかどう?」
「手作り?」
ドクターがきょとんとし、ミッドナイトはうんうんとうなずく。
「あの人、ドクターがくれるのなら『肩たたき券』だって喜んでくれそうじゃない? ……あれ、オーキッドさんどうしたの? 急に酔っちゃった?」
「話しかけないで。今、貴方と同じレベルの発想をした過去の私を、なかったことにしている最中だから」
「アハハ。おんなじこと考えてたか。あれかな、この間ポプカルさんが日頃のお礼だって、お手伝い券をくれたからかな?」
「……ああ、そう言えばそんなこともあったわね……」
カタパルトがさっそくその券を使って自分がした悪戯を代わりに謝ってくれと頼んでいたのに叱りつけたのを思い出してしまい、早めの二日酔いのようにこめかみが痛んだ。
ドクターがぐいとテーブルに身を乗り出す。
「……私、肩たたきしたことないんだけど、私でもできるかな?」
どうやら大分酔っているらしい。その目は真剣だった。だからオーキッドも真面目に返す。
「私が練習に付き合うわよ。それか、『お手伝い券』でもいいんじゃない? 一回十分、五枚つづり。ちゃんともぎるための穴も開けるのよけるのよ」
ミッドナイトが肩を揺らしてグラスを傾け、「そういえば」とグラスを置いた。
「バレンタインも近いし、チョコレートも一緒に贈ったらどう? グムさん主催のお菓子作り教室が来週開催されるそうだよ。マッターホルンさんかクーリエさんに、雪境風のチョコレートの作り方、教えてもらってさ。シルバーアッシュさんをびっくりさせるってのはどう?」
「私、お菓子作りもしたことない……」
「むしろ今のドクターがやったことのあるものの方が少ないんだから大丈夫よ」
「確かに、それなら安心だ……!」
冷静に考えると何が大丈夫で安心なのかよくわからないが、仕事終わりで疲労した身体にアルコールがじんわりと染み渡っていい感じになったオーキッドは「そうよ! チョコレートなら友達同士でも普通に贈り合うから安全よ!」と力強く応援してしまったし、まだ十分に素面だったろうミッドナイトはニコニコと楽しそうに笑うだけだったので、そういうことになってしまった。
***
あれから数日が経った。
翌日、そう言えばほとんど何も決まっていないことに気づいてお詫びのメールを入れたところ、どうやらドクターは次に立ち寄る移動都市のショップを巡り、何があるかを確認してからもう一度考えてみることにしたらしい。
もしそこで良いものが見つからなければ本当に、「お手伝い券」を……ドクターを五十分間好き放題にできる、出すところに出せば争いが起きそうなチケットが……あのよくわからないフェリーンの手に渡ってしまうのかしら……?
冷静に考えると何かとんでもないことをしてしまった気もするが、買い物にはミッドナイトも付き合うそうなので、最悪の事態になったら彼にも地獄に堕ちてもらって一緒に責任を取らせましょうと決意する。
あの夜の言動を見るに、おそらくだがミッドナイトは、シルバーアッシュを応援する側にいるらしい。指輪を贈るにはまだ早いと止めてはいたが、それは裏を返せば「いずれ仲良くなったら贈ってあげなよ」というエールでもあった気がする。
「……なら、修羅場になった時の責任は全部ミッドナイトに取って貰えばいいかしら」
だって私は全力で制止したし。修羅場に巻き込まれた時の対処も、彼の方が詳しいだろうし。
うんうんと頷いて、オーキッドはそれ以上考えるのを止めた。
チョコレートだが、これはプレゼントの一つとして決定したらしい。
昼休み、食堂で「チョコ作りに参加するのはグム歓迎だけど、勝手に砂虫を入れようとしちゃだめだからね!」と聞こえてきた。砂虫を愛食しているのはオーキッドの知る限りドクターだけなので、同じ味覚の人間がほかにもいるのでなければ、お菓子作りの会に参加するのはドクターだろう。
砂虫については本当にその通りなので、グムがしっかり指導してくれるのを祈るばかりだ。
さらに数日後。
甘いお菓子が飛び交う日、オーキッドは再びドクターに呼び出された。
カフェバーは、バレンタイン特別メニューのチョコレートカクテルが給仕されていることもあって、空気までもほんのりと甘い。
先日と同じ席に座ったドクターが片手を上げてここだと合図してくれる。
「遅れてごめんなさい。待たせたかしら」
「いや、私も今来たところさ」
「そうみたいね」
ドクターの手元のグラスはまだ汗もかいていなかった。この前と同じやり取りに、顔を見合わせてクスクス笑う。
「今日はアイツはこないのかしら?」
「今日は流石に抜けられないみたいでね。お礼に一杯奢らせてほしかったんだけど」
ドクターの視線の先では、お盆にグラスとつまみを満載したミッドナイトが忙しなく各テーブルに給仕をしていた。ポケットがボコボコと膨らんでいるのは、客から渡されているチョコレートのせいだろう。
「この前は相談に乗ってくれてありがとう。おかげで良いものが買えた」
「そう。結局何にしたの?」
「……」
「……ドクター?」
何かとんでもないものを買ったのかしらとオーキッドの眉がつい寄っててしまう。
「……シャツの、この……袖口の……ボタンを留めるところにつけるアクセサリー」
名称がわからなかったらしい。オーキッドは肩をすくめ、ドクターの前にあるつまみのナッツをひとつ攫った。
「カフ・リンクスね。頑張って覚えなさい、お友達に少しは格好つけたいでしょう?」
黒胡椒のまぶされたナッツはスパイシーでお酒が欲しくなる味だ。今日は自分の携帯端末からお酒を選ぶオーキッドの前で、ドクターは恥ずかし気にうめいて、呪文のようにカフ・リンクスと唱えていた。
「そうだ。これ」
ドクターがポケットから包みを取り出す。
「私が作ったチョコレート。オーキッドは沢山もらってるだろうけど、よかったら」
「ありがとう。事務仕事してると甘いものが欲しくなるから嬉しいわ。雪境のお菓子ってあまりちゃんと食べたことがないのよね。何か特別なものが入っていたりするのかしら?」
やたら幅の広い紙リボンでラッピングされたビニール袋の中には、ゴロゴロとした丸っこいチョコレートが数粒入っている。あちらの地酒を使ったボンボンショコラだとしたら、ドクターは意外に器用さんだ。
「雪境でよく食べられてるドライフルーツを、チョコでコーティングしたんだ。マッターホルンが、クリフハートとプラマニクスのおやつ用にって多めにストックしてて、それを分けて貰ってね」
「へえ……。おいしそうね。今、食べてもいいかしら?」
「是非そうしてくれ! グムも美味しいって言ってくれたから、味については保証するよ」
「そう、それは楽しみ……。……ドクター、あの、これ……」
紙リボンを解いたオーキッドの表情が笑顔のまま固まる。ドクターはそれに気づかずニコニコと、
「サプライズプレゼント! この前、君たちが話しているのを聞いて、私もやってみたくなって!!」
良いアイディアだろうと胸を張り、ドクターはご機嫌でダイクン酒を飲んでいつかのように頬を赤らめた。
紙リボンの内側には、「ドクターが何でもしてあげる券(十五分)」と書かれていた。
数日後、戦場の後始末の最中に見たシルバーアッシュのシャツの袖口には、ドクターの目の色と同じ貴石の飾られたカフ・リンクスが光っていた。
彼が「何でもしてあげる券」を使ったかどうかは、オーキッドにはわからない。
2021.2.14