重たいコートに袖を通す。部屋着の上からダウンを着たら準備完了だとかいう黒死牟と違って多少は気にするのだ、玄関で待っていた男を連れて家を出る。
 はだかの耳から寒さが忍び寄る。スマートフォンの画面をくるくる撫でて、GPSが動いていることを確認した。乾いた空に月はなく、冷たい街灯に照らされて、二人分の細長い影が伸びて揺れる。静かなものだ、一本向こうの明るい通りはまだまだ車が行きかうけれど、こんな裏の細い道へ入ってくるものはほぼない。
 猫の額ほどの公園の中へ。延焼防止とかなんとか、法の都合でこさえられた広場は塗装の剥がれた遊具が二、三と砂場に埋もれた空き缶が転がっている。吐いた息が微かに白い。つるりとした画面に指を滑らせ、ゲーム内地図で公園と重なる青い拠点へ攻撃を加える。飽いた刺激では報酬系を満たすことができないけれど、それでも夜中に外を出歩く理由にはなる。仮にもまだ未成年者なのだ、職務熱心な警官だか有志のボランティアだかに声をかけられる時もある。それ以外の、下心ある人間だって話しかけてくる。
 下心のほうは散歩に連れ出す度に毎回暇そうに突っ立っている黒死牟が何も言う前になんとかするが、公権力が相手でそうするには些かデメリットが大きすぎる。最高学府を出ることを前提とした人生設計を立てたのだ、もう少しおとなしくしてやる必要がある。医療技術の前進の分だけ生じた余裕がそんな悠長な考えを選ばせた。好き勝手するには相応の力が必要だ、人の理を外れた時間しかり、政治的権力しかり。そのどれも、今の無惨にないものだ。
 この平和ボケしたぬるま湯に生えてくる鬼どもの活動は月齢にさえ支配されている。まず陽光で死ぬことは変わらない、一浴びしたならたちまちジュッと蒸発塵も残らぬ無様な最期だ。夜の間も月の輝きに怯え竦み、下弦から上弦の月を大きく欠いた夜だけ地上を歩く。半分より大きな月の日である今晩は地上にあぶれた鬼を駆り立てろと指示が来ることもない。指がかじかむ、よく発達した電極は画面の押し間違いまで緻密に読み取って無惨の意に反した反応を返す。道具の分際で、だなんてわかりやすい苛立ちで髪が逆立つようだ。
 携帯端末の解除に指紋を使っていた時は指が乾いて反応が悪いし、人より弱い肺を守るためにとマスクを付けたなら最新型の顔認証も働かずパスワードの入力を要求される。無惨本人の好奇心に反し、その辺なんだかいまいち相性が悪い。口には出さないが変わらず変な苦労する人だと、携帯電話を未だ二つ折りにして持ち歩く男が内心で案じた。前はそういう心を同情だなんだと難癖付けれられてえらい目にあいまくったが、もう言葉にしなけりゃ伝わらないのでずうっと楽だ、バレたって首をもがれないし。
「帰るぞ。……何をしている」
「ぶらんこを、少し」
「見ればわかる」
 無惨がスマートフォンから顔を上げたなら、ブランコが水平くらい大きく揺れていた。座面に腰を下ろしたまま、背丈相当に長い足を持て余しつつ地面に付けず伸ばして、折って、振り子の勢いをまだ加速させる。このまま根本から折れるんじゃないか、構造上ありえないとしたって想像が無惨の頭の内に生えてくる。子供の遊具でなにしてるんだ、なにが少しだ、風切り音を前に何から言えばいいかとつい悩んだ。とにかくそう、全国の公園から遊具が消える理由が集約されているような景色だ。こうも速度が出るのなら、死人が出る事故とて起こるだろう。
「楽しいのか、それは」
「夢中になるものとは、どうにも。いえ、どうです、無惨さまも」
 風が顔に当たる。艶とうねりのある髪がブランコの動きに合わせ、右へ左へ煽られた。
「帰るぞ」
「承知」
 大きく揺れる座面から飛び降りて、バランスを崩したブランコに構わずほほえんだ。つんのめる気配もないのだ、やっぱり人のまま鬼の首を切り捨てていたような奴は体力おばけなのだと核心を深めるばかり。好き好んで伸ばす癖、絡んだ毛先を一思いに引きちぎる横顔を疲れた気分で見上げた。おおむね不快ではない男だが、やっぱりどうして黒死牟はわかりにくい。向けられた視線の意味をどう思ったか、ちょっと恥ずかしそうに目を伏せるところも。
「ああして遊ぶのは、そういえば初めてでした。もしや、なにか不作法が?」
「……児戯に不作法もあるものか」
「それは、そうですね」
 ふふふ、と、軽やかな笑い声が乾いた空気を揺らす。細くなった目は二つだけ、両方揃って取り繕う気のない喜色を帯びる。無惨は肩をすくめた。家の間近の四辻に白い包みを落として帰る。両手で数えるには指が足りないけれど、数え終えるに苦労をしないまだまだ若い人の年の数だけ紙に包んで、振り返らずに戸を開ける。空へと出たばかりの月は建物に遮られ、星のない空を低く這う。やっぱりばかばかしいとか、寒いとか、そういう文句は寒空に消えた。
 
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一時間で書かないワンライ
初公開日: 2021年02月05日
最終更新日: 2021年02月05日
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コメント
一時間でどうにかなったら苦労しないんだよなあ。むざこく現代転生パロディ回
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タイトル通り。兄妹カップルに結婚式をプレゼントする話です。 結婚式をプレゼントする話→https:/…
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