白いシャツ、紺色のスカート。赤いセーラーリボン。茶色い革靴。
それが、元の世界を思い出させてくれる。あたしに残されたものだった。
刀を握り続けて厚くなった手のひらも、日にさらされて焼けた肌も、金色に変わった髪の毛と瞳も。
どんなに毛皮が厚い鬼でも一刀両断できる筋力も、空を飛ぶ鵺にたった一度の跳躍で追いつける足も、山の向こうにある狒狒の巣を見つけ出す視力も。
ぜんぶがあたしを化け物になったと証明してる。この世界の人々は、妖魔とよばれる悪しきものを倒すためにあたしを呼び出したと言って、英雄とあがめた。たった一振り刀を押しつけて、戦えと。あたしにしかできないことだからと妖魔の巣に放り出して命じたのだ。
できないと泣き叫んで、それでもやらねば何も知らない人が殺されると脅されて。あっけなく生き物だったものを殺せて。なにより、あまり抵抗感がなかったのに恐怖した。
どうして、と思った。どうしてあたしだったのかと。
ただの女子高生だったのに、いきなり生き物を殺して祭り上げられて訳がわからなかった。
馬鹿の振りをして祭り上げられることに酔えれば良かったのかもしれない。だけど、あたしはいつまでも正気のままで、妖魔は殺せて。でも心の中で何かが削れていく音を感じていた。
そう。だから、帝の敵だという大物の鬼を倒した後、逃げ出したのだ。
もう、彼らに敵は居なかったのだから。
逃げ出して、ただの娘のふりをしていろんな場所を旅した時はとても楽しかった。
戦場と、与えられた豪奢で空虚な部屋以外知らなかったあたしにとって、昔の日本のようでちょっと違う異世界は、すべてが珍しくて面白かった。
けれど、あたしの姿は「英雄」の証である色を持っていたせいで、ひとたびばれるとどこでも頼られた。
英雄様、英雄様、妖魔を倒し、どうか我らにお救いを。
また、心の奥底でなにかが削れる音がして、そのたびに逃げ出した。
ただ平和に暮らしたくて、できるなら帰りたくて。帰れないこともわかってて。
あとほんの少し、削りきられたら、きっとおしまいなんだろう。
そんなときに、出会ったのが、あなただった。
*
こっちに来てから、どんなに動いても洗うだけで元通りなセーラー服は、今日もかわいい。
革靴で土道を歩いて、このあたりの山々で一番、見晴らしのきれいな場所に出る。
そこにぽつりとあるのは、白い石だ。ただあたしの刀で切ったおかげで、名前を刻んだ表面だけはなめらかである。
これは、誰にも弔ってもらえない、あたしの師匠の墓、墓廟だった。
腰に差していた刀をとって地面に置き、あたしは目の前に座る。
空が目にしみるくらい青い。
「ししょー。あたし、今日は橋に夜な夜な現れては人を食っていた鬼を切ったよ。お父さんを食われて泣いてた子が、……やっぱり泣いてたけど、ありがとうって言ってくれたんだ」
妖魔を切ることで、心のそこから救われる人が居ると知ったのは、師匠のおかげだった。
いつも無精ひげを生やしたまんまで、浮浪者といってもおかしくないボロボロの身なりで酒好きで。お金にいつも困ってて。でもとっても強かった師匠。強くなったはずのあたしでも勝てなくて。
あたしをコテンパンにした後、ゆうゆうとのぞき込んで、眉を上げたんだ。
『こんなかわいい嬢ちゃんが、一体何で妖魔切りなんてしてる?』
かわいい嬢ちゃん。
ずっと英雄様か、化け物としか呼ばれなかったあたしを、師匠は初めて女の子として扱ってくれた。そしたら、心の奥底で細く張っていた糸が、ぷつりと切れた。
自分でも不細工だってわかるほど大泣きして、師匠を困らせたのは一生に一度の不覚である。……ほんのちょっぴり胸がすいたけど。
でもびしょびしょに泣きながら途切れ途切れにこれまでのことを話すあたしの言葉を、最後まで聞いてくれた師匠は、一つうなずいた。
『あんたは生きるのがへたくそすぎらあな。俺を見習って、いいかげんになってみればいい。他人の思惑なんざ、かまわなくったっていいんだよ』
『かなえてあげないと、死ぬ人が、いっぱいいるって、いわれ、て』
だって、あたしが殺さないと、それ以上の多くの人が死ぬと言われた。
あたしが行かなかったら、なんて非情な化け物かと罵られた。
そうしたら、師匠は、化け物のあたしの頭にぽんと頭を乗せたのだ。
『そりゃあ、重かったなぁ』
ずっとずっと、命じられるだけだった。向けられる重すぎる願いに心が潰れそうだったのだ。
こちらに来てから初めてもらったぬくもりは、すごく乱暴で、暖かかった。
だから、その指先にある爪が人よりもずっと鋭かったのにも、気づかないふりをしたのだ。
その日から、師匠の庵があたしの帰る場所になった。
帰る場所があるだけで、女の子として扱ってもらえるだけで、十分過ぎるほど幸せだった。
ざりざり削れていた心が、少しずつ少しずつ満たされるのがわかった。
師匠のまねをして、一日中ゴロゴロしてみた。
お酒は飲ませてくれなかったから、山から果物をとってきてジュースにしてみた。
ひっそりと、師匠の太刀筋をまねてみもした。
そしたらすぐにばれたけれど、初めて正しい剣の振り方を教えてもらえた。
誰かに優しくすること、刀を振る以外で、役に立つこと。腹が立ったら断ってもいいこと。
全部ぜんぶ師匠に教えてもらった。
『あんたには、自由にしていい権利があるんだ。イイ女ってのは、男の言うことを聞かせるもんだぜ?』
そういうくせに、全く手を出しては来なかったけれど。からかうような口調が好きだった。
たぶん、あたしは父親みたいに慕っていたのだろう。恋慕の情より親愛や敬愛が勝っていたのだ。
気が向いたときにしか助けない。
そういう割に、師匠はわずかな金子を握りしめて、必死に助けを求めてくる人々には、迷わず手を差し伸べるひとだった。
『助けてる訳じゃねえよ。ただ、あいつらが心底ほうっとした顔を見るのがな、ちょいとばかり気分が良いだけさ』
自分が、助けたいから助ける。それでいいんだと気づいたら、なんだかすっきりして。目の前が明るくなったような気がした。
『自分がやる、と決めたことだけは、なにがなんでもつらぬけよ』
師匠はにっかりと笑った。
あたしは、師匠が笑う顔が好きだった。
ずっと……それこそ死ぬまで側で見ていられると思ってたのに。
「まさかさ。人を好きになったからって、人食いをやめたなんて、ばっかじゃないの。しかもそれを貫き通してほんとに死んじゃうなんて。貫きすぎでしょう?」
しろい石に話しかけても、答えなんて返ってこない。
けれど、師匠はにぎやかなのが好きだったから、あたしは話しかけるのをやめなかった。
「あたし、ししょーが鬼だって知ってたんだよ。だって、あたしは英雄として喚ばれたんだよ。いくらきれいに人間に化けてたとしても、妖魔か妖魔じゃないかなんてわかるんだ。ここの人があたしを人間扱いしてくれなかったのに、ししょーはあたしを人として、女の子としてあつかってくれた。それでもう良かったんだ」
まず、師匠の寝ている時間が長くなった。あたしが来た頃には、夜通し起きてることも珍しくなかったのに、だんだん一日の半分以上目を覚まさないこともよくあるようになった。
次に、感覚が鈍くなって行くのを感じた。背後に立っただけで気づかれていたのに、特に気配を消さずとも肩をたたくまで気づかれないこともあった。
「ねえ、あたし、食べられたって良かったんだよ。知ってたでしょ? 英雄の血は妖魔にとっては極上のご飯になるって。わざと指を切ってたのに、ししょー鉄の理性すぎるでしょ」
朗らかに言っているつもりなのに、だんだん声が湿ってきてしまう。
師匠は、あたしの笑顔が好きって言ってたのに。泣くなっていつも言われてたのに。
でも、でも、これは師匠のせいだ。
「ししょー。ほんのちょっと、食べてくれるだけでよかったんだ。そしたら、あたしが死ぬまでは一緒にいてくれたでしょ。……いて、欲しかったんだよ」
指を切ってみせた日、師匠に猛烈に怒られた。自分の身を大事にしろと。取り返しがつかなくなる前に出て行けと初めて声を荒げられた。
全然わかってくれない師匠にイライラして、あたしも同じだけ言い返して出てった。
そこで、出て行ったりしなければ良かったのに。
怒られたことがショックで、でもむかむかするきもちを押さえられなくてふてくされた。
伝説の千年鬼を狩りに来たという集団の話を聞いた時にはもう遅くて。
ボロボロになった師匠と、嬉々としてとどめを刺そうとする「英雄」達に目の前が真っ赤になった。
初めて、自分のために刃を振った。
あたしが全部を終わらせた時には師匠は虫の息だった。
むせかえるようなおいしい匂いが漂っているはずなのに、師匠は抱き起こしたあたしにつきものが落ちたような顔を向けてきた。
『やあっと、俺は、終われるんだなぁ』
誰のものともわからない血にまみれた手をおっくうそうにあげて、あたしの頬をなでる。
『さいごの、じかんが、こんなに穏やかだとは思っていなかったなぁ』
『そう、思うなら続けてよ……ねえ、血だけでもいいから』
押し込もうとしても、それだけは頑固に拒んで、師匠は言葉を落としてゆく。
『ひと、みてえに、死ねる機会なんて、これが最初で最後だ。俺はぁ、あんたに殺してもらうつもりだったんだぜ』
ひどいだろ、と吐息をこぼす師匠に、あたしは何も言えなかった。
致命的なのだとわかる、肺腑を裏返すような激しい咳をこぼしたあと、師匠は笑った。
笑っているのに、泣いていた。
『それをしたら、あんたをまた英雄にしちまうからなぁ。俺にとって、あんたは最初から、最後まで可愛い嬢ちゃんだったんだ。……――食べちまいたかったくらいにな』
ほう、とやさしい息を吐いて、力強く首元を引っ張られて抱きしめられる。
『あんたにゃ、俺の家は狭すぎる。とっとと出てけ』
そんな、力強く抱き寄せておいて、信じられるわけがない。
吐息が触れるほど間近で見た師匠の満足した顔が、最後だった。
「だから、絶対に帰って来ることにしたの。だってあたしは自由なんでしょ。帰る場所くらい自由にするんだから」
あたしはもう英雄じゃない。どこの国にも属さない。
ただ一人の女の子として、困っている人がいたら助けていく。そう決めたのだ。
それで、帰って来るのはいつでも師匠の庵なのだ。
今回の仕事の話をし終えたあたしは、そっとしろい石に腕をかけてみる。
やっぱり冷たい。あの最後のように燃えるように熱かった腕と体とは大違いだ。
ほとりと、雫が膝を濡らす。笑顔なんかになってやらない。だって勝手に満足していった師匠がわるい。
「おかえりって言ってよ」
答えはない。けれど、ここがあたしの帰る場所なのだ。
ふわ、と頭に何かが触った。
反射的に顔を上げ、刀を手に取りかまえた。
けれど、そこには何もない。風の具合が、錯覚を引き起こしたのだろうか。
まるでなでられているみたいだった。
釈然としないながらも、
あたしは乱暴にぐしゃぐしゃにされたような、髪をちょっとなでつける。
空は相変わらず目に染みるほど、青い。
ごしごしと目尻を拭ったあたしは、思いっきりのびをして見せた。
「さーてと! 干したお布団取り込んで、一日中ごろっごろするぞー!」
置いていったのが悪いんだ。どこかで地団駄踏んで悔しがるくらい、イイ女になってやるのが復讐である。
革靴はピカピカの茶色、靴下は膝下半ば。スカートは膝上がベスト!
リボンタイは今日もきれいに結べている。
腰に差した刀だって、個性だと思えばなかなか悪くない。
だって、あたしは、異世界に来ても、たった一人の、可愛い女の子なのだから。
〈おしまい〉