メイナン
鬱蒼とした木と灰色の煙が揺れる空。人通りの極端に少ない道を行き、石畳で整備された細い道を進んだ丘の上にその建物はあった。
「どうか、どうか。今から僕が犯す罪をお許しください、カミサマ」
そしてしんと静まり返った簡素な部屋に青年の声が響いていく。
黒いくまと不健康な肌色の青年、彼岸花幽凪は見様見真似に指を組んだ。幽凪は生まれてこの方懺悔など一度もしたことがない。それどころか本来の宗派とは違うにも関わらずこうして教会に訪れたのだ。
「死の囁きが聞こえるんです。耳の側でずっと。僕の足を引っ張ろうとする。痛ましい死が、僕を呼ぶんです」
ここは懺悔室だった。誰もいない、それどころか明かりもなく差し込むのは暖かな夕日だけ。それでも幽凪は言葉を続ける。
「僕は葬儀屋をしています。家業ですから。だけど、僕は生まれつき共感性が高いんです。そのせいで遺体を見る度に、何度も……。母に、呪われているのだと言われました。見ただけで痛みを考えてしまう。冷たい肌に触れると心まで冷えていくんです」
返答は求めていなかった。いくら教会とは縁遠い生活を送っていても、懺悔室がカウンセリングの場所でないことくらいは知っている。この壁の向こうにいる方に話を聞いてもらうだけの場所だ。だけど今は日暮れ。もはや懺悔室が機能する時間帯ですら既にない。
「感謝します。僕の話を聞いてくださって。これで心に整理がついたと、思います。さようなら、カミサマ」
椅子から立ち上がり扉に手をかける。そして一度目を瞑り、ドアノブに手をかけた瞬間に空気が震えた。
「続けてください」
それは凛とした男性の声だった。
まさか人がいたなんて、と幽凪は慌てて取り外しポケットに仕舞っていた腕時計を見遣る。時刻は確かに18時半を過ぎたばかりだ。疑問ばかりが浮かび上がる役ただずな脳に、その声がじわりじわりと染み込んでいくようだった。
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「馨、久し振り」
店先に並べられた花に手を伸ばす内にそんな声が聞こえて来た。誰かと思いふと指を止め、慌てて顔を上げた先にはいやに懐かしい青年が立っている。
「本当、久しぶりだね幽凪」
風に煽られ花弁が数枚ふわりと宙を舞う。
白百合馨は人形のような淡い瞳を和らげ笑った。そして扉の前の札をひっくり返し、表記をクローズにする。
「俺に何も言わずいなくなるなんて、薄情なんじゃないの? 取り敢えず何してたのか教えてよ。事によっては許してあげる」
「うん、ごめんね。でも体調は良かったんだよ。ちょっと忙しかっただけ」
「最後に会った頃よりは、確かに。顔色もましだ。仕事はどう? 繁盛してる?」
馨はいつも、幽凪と間を空け会った時はこの質問をする。決まり事のようなものだった。
「もう、また。葬儀屋は繁盛してるって言ったら駄目なんだから、その質問はずるいよ」
「はは。幽凪がそうやっていつも狼狽えるのが面白くて」
ひとしきり談話を楽しんだ後に、それで、と馨から切り出した。
「今日もお姉さんへの贈り物? それなら丁度女性らしく可愛い装飾を考えてたから、上手く纏められそうだけど」
「ううん。今日は花を買いに来たわけじゃなくて、ただ……馨と話がしたくて」
「わざわざこんな夕方に? ふうん」
「閉店時間を待ってたから。仕事中だと長話できないでしょう?」
つまりただの会話ではなくて、大切な話ってわけだ。最初、目が合った時からの落ち着かない様子や多少上擦った声。いざこうして要件を聞かずとも重要な要件だと理解してはいたが。幽凪には店に入ってと促す。折角だし本人の口から聞いてやろう。
「わぁ、お洒落」
テーブルに乗せられていた彩が目についたのだろう。幽凪は数本の、季節を意識して作られたブーケをそう褒めた。
「それがさっき言ってた女性向けのやつ。あ、折角だからリボンを選んでほしいな。このブーケならリボンどっちが似合う? 右はフリル。左はボーダー」
「ええっと、ううん。……どちらかと言えば、左がいいんじゃないかな」
「ならこれにしよう。ありがとう幽凪、いつもいつも助かるよ」
馨がこうやって他人に装飾を選ばせる時、自分は綺麗な花は好きでも綺麗な色には興味がないのだと説明する。それだと大抵理解してもらえると人生経験の中で学んだ。
「そういえばこのリボン、馨の目と同じ色だね。どうりで綺麗な赤色だと思った」
だからこそ馨にとってはその言葉は意外で、考えもよらなかった。自分の脳にない事態の対処は苦手だ。
あぁ、と一瞬だけ反応が遅れて、それを隠すように頬を擦る。
「そうだね、言われてみれば」
「な、なんだか格好つけすぎだったかも。忘れて」
「忘れるのは難しいよ、しっかり覚えちゃったし」
恥ずかしそうに幽凪が顔を下げているうちに、選んでもらったリボンを箱にしまった。こうやっておかなければ、混同した時に些か時間がかかる。
「……馨のお店は、どう?」
「問題ないよ。祝い事よりと弔事の依頼で売る花が増えたってだけ。経営は黒字で、俺は大助かりだけど」
「そっか。でも……馨も気を付けて。南地区は元から治安が良かったわけじゃないけど。最近は特に酷い。個人店は狙われそうだから」
「そうだね。今日も不審者みたいな人が来たし」
「え、不審者?」
今朝の事を思い出しながら、愛用の鋏でばちんと花の茎先を切り落とす。
「黄色の帽子を深く被ってサングラスに黒いマスク。体格もそれなりだったかな。ね、怪しいでしょ?」
「た、確かに」
「勿論ただの客だったけど。退院祝いの花束が欲しいだとか、なんとか」
良かった。とても心配だ。幽凪の顔にはそう書いてあるように分かりやすい。感情が出やすいのは彼に利点だ。一重に羨ましいと思う。
「俺がもし死んだら、死体はどうなる? この通り身寄りはないんだけど。そこら辺に放られるかな」
「やめようよ、そんな話」
「もしもだよ。それに仮の状況を考えのは脳の事前練習にもなって有意義だし」
「……なら、仮に、馨が死んでしまっても。安心してね、僕が絶対に正しい方法で弔うから」
「うん。安心した」
やると言ったらやってくれるやつだ。だが事実、馨も自分が死ぬなんて想像はつかない。それでも自分の死後が少しでも安定するならそれほど喜ばしいことはない。
店の窓から外を見た時に映る閑散とした道路がやけに目に焼き付く。いつ頃からこんなに人通りがなくなったのだろう。昔はもっと人はいた、はずなのに。誰も歩かなくなって草が無理矢理芽吹くアスファルトが綺麗だった頃なんて、もう思い出せない。そんなに昔ではないはずなのに不思議だ。
「その、君に会ってほしい人がいるんだ」
その声に意識を戻される。暴動の名残を眺めていたせいで反応に遅れ、らしくもない間抜け面を晒してしまった。それまで持っていた花が萎れてしまわないようにもう一度水へ戻し、カウンターチェアにお行儀良く座っている友人に向き合ってみせる。
「誰。もしかして借金取り?」
「違うよ、まさか!」
「売人とか」
「僕は、そんなの。絶対あり得ない」
「じゃあ……うん。もう悪い案が尽きた。だからほら。幽凪から言ってみて」
「……えっと。馨は、この近くにある教会って知っている?」
「あー、そっちね」
初めて会った時からだ。この幽凪という友人は、何か依存できるものがなくてはそのうち自殺でもしてしまうのではないかと思っていた。今は浮き彫りになっていないもののそれ程までに危うい精神を持っている。
……言われてしまえば確かに。ギャンブルや酒でもないのなら、残りは宗教くらいだものな。幽凪に限って異性関係はないだろう。人付き合いは俺と同じように壊滅的に下手だから。
「まずは俺をその神父様に会わせたい理由を教えて。それなら考えてあげる」
「勧誘とかじゃないんだ。お金とかでも。ただ、僕の口からは説明が難しくって……」
「はっきりしないね」
くるくると、試作品のブーケを新聞紙で包んでいく。馨が使っている新聞紙はレース中の不運な事故、という大きな見出しがついておりそんな事最近あっただろうかと疑えば、ああ、そうか。それは大分前の日付らしい。半年以上も前の新聞紙のようだ。
「神父様、教会にいるんでしょ。教会は……あんまり心地良い場所とは言えないよね。今もまだ」
「う、ん」
「そっちこそ教会に行って平気なの? 下手な葬儀場より死体が転がってると思うけど」
「今はそこまでじゃないから。あの頃と違ってもうご遺体は、ちゃんと、火葬しているよ」
ふうん、そう。
馨の声は冷たいものだった。心底興味がなさそうに聞こえる。この南地区は北や東と違って暴動による直接的な被害は少ない。建物も残っているし巻き込まれた民間人の死亡報告も、ほぼないと言っていい。だがそれでも死者数は他の地区と負けず劣らず多かった。
「あぁ……じゃあその神父様って、疫病の人たちを受け入れて、一時的な隔離施設を作ってた人格者なんだ。凄いね」
では何故人が多く死んだのかと言うと、簡単だ。南地区を中心に感染病が広まった。感染率は高いが致死率はそこまで高くない。はずだった。せめて、ちゃんと普段通りに医療施設が動いていたらこうはならなかったのかもしれない。
だが馨は疫病での死亡数や二次被害、蔓延の経路などは殆ど知らない。その当時に自分は罹らなかったし、他に忙しく流行のニュースに構っていられなかったからだ。だが教会に死体が積まれたことは知っている。何故、街にある小さな教会に? そうなると答えは一つしかあり得ない。
「うん。よく知ってるね。だから神父様はね、宗教が絡まなくてもとっても善良な人なんだ」
「そうだろうね。語る善意より施す善意だ。……ま、そこまで熱意があるようなら。分かった、会いに行こう。外聞きよりそっちの方が早い」
「そっか、良かった。これで神父様も喜んでくれる」
縋るようにこちらを見つめていた瞳が安堵したように緩む。まるで懇願するように説かれては、さすがの自分も断れなかった。まったく、人の善意に漬け込むのは上手いやつだ。
南地区の高地、木々とちょっとした草原に囲まれた丘に教会はあった。最近は特に人通りが多いようで、行く途中に何度も丘を降りていく人とすれ違う。
「車じゃ登れないような狭い道だね」
「うん。足で来てもらう必要があるんだって聞いたよ。丘の下には駐車場もあるみたいだけど」
「お宮参りとか、神社の参拝みたいなものかな」
「……ううん、分かんないけど。あんまりその例えが良くないことは僕にも分かるような……」
待ち合わせをしているからと言われて案内されたのは教会の本堂ではなく、それに隣接する石造りの部屋だった。名称は知らないが、応接室だと思って良いのだろうか。ここで、しかも唯一落ち着けそうな家具である木の長椅子に座って神父様を待たなくてはならないらしい。まず俺が座ると少しの距離を空けて幽凪も同じ椅子に座った。ちょっとした時間が流れる。
「……それで今日の話、何だっけ。実験?」
「うん。あ、そのことなんだけど。馨のご家族は科学者だって聞いたんだけど、合ってる?」
「元、だけど。合ってるよ」
「馨自身も物理学を学んだんだよね」
「そうだね。その話はいつしたんだっけ」
確かに自分の専攻は物理学、中でも量子力学や熱力学を学んでいた。親の影響もあるし、何しろ得意なものだから。自分に才能がある技術を人前で披露するのは心地よいものだ。だから好きでもないのに熱心に勉強に励んでいた。
「少し前に。僕が仕事の相談をしたでしょ? その時に、馨のことを聞いたんだよ」
「そうだっけな。……それで、続きが聞きたいな」
「あ、それでね。今から神父様がお話しされることは、多分君の知識が活躍するんだと思う。僕には、理解は難しかったんだけど……」
「待たせたようで、申し訳ありませんね」
奥の重厚な扉から男が現れた。宗教には明るくない馨にも分かるほど、整った典型的正装に身を包んでいる。へえ、よく見る神父様の格好だ。どうやら邪教の類ではないらしかった。そう確信し息を吐く。
「神父様!」
だけど俺が声を出すよりも早く、幽凪は心からの笑顔と共に神父様に歩み寄って行った。その意外性に表情を動かさないまま驚いてしまう。だってそんな姿初めて見る。彼はいつも下を向いて、自分の姉以外とは目も合わせないような人間だったはずだ。
「彼がそうです。僕が言った候補生」
「そうですか。初めまして、私は胡蝶蘭羚凰。ここの神父です」
「白百合馨です。名南地区で花屋を開いています」
「何も言わずに彼を連れて来てしまって。神父様から説明していただけますか?」
「承知しました」
どんな胡散臭く馬鹿げた文脈で勧誘してくるのかと興味津々に待っていれば、その期待はすぐさま打ち砕かれた。神父様から大まかに語られる、中央区を始めとした政府達の企画。ヒプノシスマイク。地区同士のバトル。そこまでは俺も知っている当たり障りのない事実。だが最後に、本題であるだろう言葉を神父様は厳かに呟いた。馨が座っている木の長椅子がきしりと音を立てる。
「名南地区代表として、私のチームに加入してくれないでしょうか」
「それはラップバトルっていう、あの?」
「そうです。私の拙い説明で主旨を把握していただけると良いのですが」
「それはご心配なく。理解力に自信があるので」
神父様の謙遜を否定はしないんだ。ただ成り行きを見守っていた幽凪はぴくりと肩を揺らす。ここへ来た時の雰囲気から、何となくだが馨はこの話に肯定的でない気がしていた。ただこれは、どうか馬鹿な僕の勘違いであってほしい。ただそう願いまた視線を落とす。
「私を筆頭に、彼岸花さんと白百合さんの三人で。優勝を目指しましょう」
「褒賞が凄く豪華だしな、うーん。俺もそれ目当てで参加するなら、結局は双方に悪くない話になるってわけですよね」
「ええ。あなたに願いがあるのなら、それを叶えてください。私達の行いで多くの人々が光を取り戻せる。暴動による根深い絶望を覚えているでしょう?」
「そうですね。俺の世界は色を失った。勿論覚えていますよ。今でも鮮やかだった過去を夢に見る。もう諦めたつもりなんですけど」
とても共感出来る言葉だ。色を失ったのは僕も同じだから。
ただ馨が自分を語るのは珍しいことだった。いつも僕が必要以上に共感してしまわないように、彼は悲痛な心情を口にしない。軍手を外さないのも馨なりの配慮。彼は花屋だ。仕事上指をよく切るだろう。その傷口を僕には見せないようにしてくれる。
「……なるほど、あなたは。そうでしたか」
胡蝶蘭は深く頷く。
「すぐに決断しろとは言いません。ただ、良い返事を期待していますよ」
話は終わりだとばかりに神父様は柔らかな布が張られた椅子から立ち上がる。
あまりにも早い終結だ。
この小高い丘に来るまでが結構な時間を要するのに、いざ始めたら三十分もかからないなんて癪ではないか。だから俺は立ち上がらずにじっと、下から神父様の様子を観察する。どの程度信頼するべきなのか。
「ね、神父様。それよりもまず俺でいいんですか?見た通りただの花屋なんですけど」
「ええ。むしろお願いしたい。白百合さん」
首から下げられたペンダントが煌めき揺れている。それは清廉を表す美しさであるのに、反対に男の瞳は目を背けたくなるほどの闇で覆われていて底が見えない。
「あなたは情報を扱うのが得意だとか。彼岸花さんが詳しく聞かせてくれましたよ」
「ほんのちょっと、ですけど」
「それは素晴らしい。丁度他の地区の状況を知りたいと思っていまして」
「ご随意にどーぞ?今なら名古屋が一番多いかな。栄が特に何も。あの地区発祥のブランド店が話題沸騰中ってことくらいですね」
最初からこの情報が目当てだったのだろう。 人の良い笑顔を見せた神父様は三人で今後の話をしたい、と奥の部屋へ足を向ける。
しゃがみ込み墓石を見つめる幽凪を見て、その長い三つ編みが地面に付いてしまわないかぼんやりと心配をする。
「この花も馨のお店のものかな」
「違う。俺はこんな風に花をカットしないから手摘みだと思うよ」
教会の裏には夥しい量の簡易な墓石が立ち並んでいた。死者は全てカトリックに則り土葬であったけど、通常なら許されない供養もこのご時世なら仕方がない事。墓場も火葬場も足りない。焦げた死体は判別が難しいし身元も不明だ。こうするしかない。
「神父様は毎日ここへ花を供えているんだ。教会の中に他の関係者がいないのは気が付いていた?一人で、全て背負っている」
「また同情しちゃったんだ」
「違う、ただ神父様の手助けがしたいと思った。あの人は一人きりだから。僕に姉さんや馨がいたように誰かが必要なんだ、って」
「それを本人が望んでいなくても?」
「……どういう意味」
閑散な風が背中を撫でる。それが馨の雑に纏められた髪を煽り、顔に寄り添うように流れた。こちらから表情が途端に伺い難くなる。
「ううん。君のそれは信仰でも信頼なんかでもなくて、逃避行動なんじゃないかなって」
「なら僕は何から逃げたいの」
「俺に聞かなくたって。そんなのもう分かってるくせに」
心臓がずきずきと痛んで息が苦しくなる。時々、彼はこうだった。僕がどうしても隠したい事を容易く見抜いてしまう。一番最初は僕が母を嫌っている事。その次に共感覚。そして今は、僕が死への恐怖を信仰心で無理矢理塗り替えた事。全て人に打ち明けたくはない感情だった。そうだったのに。
「やっぱり君に隠し事は出来ないね」
幽凪は諦めたように口を一度強く噤み、立ち上がった。
「あの人を信じることにした日から、背後の声や気配は消えた」
「そっか」
「だけど新しい闇が心に住み着いてしまった。清く正しく、美しい闇が」
「それだけ分かっているならいいよ、俺も入ってあげる」
素直に受け入れて良かった。そう幽凪が心臓を撫で下ろしたその時に、「でも」と馨は言葉を付け足す。顔を上げて目を合わせた。揺れる髪から覗く形の良い大きな瞳には何の感情も込められていない。きん、と不快で甲高い耳鳴りがしたと思えば、一瞬だけ僕の世界がモノクロになった。それは僕の脅迫観念が生み出した幻覚かもしれない。
「考えて。俺との友情か代用品の信仰、幽凪にはどっちが大切なのか」
「……うん、約束する。でも今はこのままでいたい。初めてなんだ、目を開けていたいと思ったのは。眺めていたいと思った人は」
足りない脳で絞り出した唯一の答えだった。ただ馨は満足してくれなかったのか、冷たい顔で自分の手からゆっくりと軍手を外す。
「もしここが、全部神父様の犠牲者で積み上げられた墓地だとしても。それでも幽凪は真っ直ぐ着いて行くんだね?」
「うん。信じているから」
頷いた幽凪の指先にじくりと違和感が走る。花の棘が刺さったような鋭い痛みだった。
白百合馨。思った通り賢い人間だ。まさかこんなにも早く核心を突く発言をするとは、耳を傾けていて正解。放っていては勿体無い。胡蝶蘭は鳥肌が立つほど無駄なく整った顔でそう微笑み、うっそりと古びたパイプオルガンの鍵盤を指でなぞる。
元が一つのものを無理矢理に割いたように不揃いな二人。きっと彼らは私に貢献してくれる。例え命を落とそうとも。
「……もし」
だが、もしこの野望を止められる人間がいるとしたら、それは二人のどちらかだ。彼岸花幽凪かもしれない。彼の無意識にどんな感情でも共感する性質は厄介だ。ただ意思が薄弱。白百合馨はそのどこまでも冷酷な心でいつでも私の首を噛み千切る事が可能。だが彼は周りを伺う。自分の感情が本当に正しいのか他人と比較して判断するのだ。きっと二人の意思が統一された時、私は背後から足を折られるだろう。
「そうなると良いですね」
私が神になる前に。
「やれるものならやってみろ」
勿論、それほど簡単に首など差し出す気はないがね。