『花城フレデリカに伝えておいて。あんたに必ず屈辱を与える。わたしの足元に這いつくばらせてやるって』
「いやです、そんな……」
 画面の向こうの霜月は、眉をつり上げてこちらに強気な言葉を投げつける。そんな態度に、須郷は思わず困り顔を浮かべた。以前自分の上司だった霜月のことは、部下だった当時も立場の変わったいまも、どうにも苦手だった。彼女の言動は須郷の理解の範疇を超えている。昔は理解しようとしたこともあったけれど、あまりに考え方がちがいすぎて諦めてしまった。そんな無茶な要求にどう答えたらいいというのだ。答えようがない。この会話を須郷としては早く切り上げたいところだが、しかし彼女を諫めるための正しい受け答えというものが自分にはわからなかった。このままではますます霜月はエスカレートしそうだ。どうしたらいいのだろう。
「――自分で伝えてくれ」
 しかし、須郷が霜月の返答に悩んでいると、横から宜野座が口を出して画面の向こうの霜月にあっさりと答えた。宜野座の言葉に霜月は腕を組んでそっぽを向き『なによ、もう!』と拗ねた声を残して、通話は一方的に切られた。そのあっさりとした手際に、須郷は面食らう。口を挟む間もなかった。こんな風に簡単に言い捨てて切ってしまってよかったのか。自分には絶対にできない返しだ。
 霜月との通話を終えると、宜野座と須郷は思わず目を合わせてちいさく笑い合う。それから、須郷は軽く頭を下げた。
「すみません、いやな役回りを任せてしまって」
「かまわんさ、これくらい」
 そう言って宜野座は手を振る。そういえば、宜野座は以前から霜月の相手をするのが上手だったように思う。霜月のことを乗せるのがうまいというか、あしらうのがうまいというか。霜月のツボというものを心得ていた。六合塚を除いて執行官のなかで宜野座が一番、というか唯一、霜月の相手をするのが上手だったのではないかと思う。宜野座と霜月のやり取りの根底には、互いが互いを信頼していることが伝わってきた。須郷と霜月の間には構築されなかったものが、ふたりの間には確かに存在している。須郷もそれなりに霜月と長い時間を過ごしたつもりだが、ついぞ霜月との間に得ることができなかったものだ。それをうらやましいとは思わないが、でも、彼女を上手にあしらう方法はご教授願いたいところだ。今後円滑な業務連絡を行うためには、ぜひ身に着けておきたい術である。毎回霜月に気圧されていては、ろくに連絡も取れなくなってしまう。苦手意識があるからつい宜野座にばかり霜月との連絡を任せてしまっているが、いつまでもそういうわけにはいかないだろう。
「宜野座さんは霜月監視官のあしらい方が上手ですよね。なにか、コツとかあるんでしょうか」
「……そういうところじゃないか? ”あしらう”なんて言い方、彼女が聞いたら怒るぞ」
「あっ、いえ、その」
 須郷の物言いに宜野座は苦笑する。しまった、と思うが、苦手意識が強くてどうしてもそういう言い回しになってしまうのだ。
 宜野座は軽く首をひねって考えるようにあごに手を当てた。そして「うーん」と、短く悩んだあと、なにかを思い出したように宜野座はふわっと、驚くくらいやわらかな笑みをその顔に浮かべた。口元に手を当てて浮かぶ笑みを隠す。その表情に、須郷はぎょっとした。宜野座がそんなにやさしくやわらかい顔をして笑うのを初めて目にしたから。普段から宜野座はよく笑うけれど、そういうものといま見せた笑顔はまったく別種のものだった。その笑みはだれのために浮かべたものなのか。考えるまでもないじゃないか。宜野座がいま頭に浮かべている相手のことを想像して、須郷はまた内心で驚く。それはとても意外な相手だったから。でも須郷の直感がまちがえているとも思えない。
「……そんなに難しく考えなくても、いまの俺みたいな言い方をしたところで、彼女は本気で怒ったりしないさ。むしろ、須郷が変な風に身構えるから彼女も頑なになってしまうだけだろう。もっとふつうに接したらいい」
 やわらかな笑みのまま宜野座は気安くアドバイスを口にした。軽く言ってみせるが、自分にはそれができないから悩んでいるというのに。須郷と霜月の間に十分な信頼関係がないのでは、それは通用しない方法だ。
 しかし、それだけじゃなくて――その方法は、宜野座にしかゆるされないのではないかと、須郷は直感的に悟った。
 だって、いまの宜野座の表情はまるで――霜月のことが好きだと言っているようなものだった。いままで須郷が気付かなかったことが不思議なくらい、宜野座の霜月を見る瞳はやわらかくて、慈愛にあふれたものだった。宜野座はいつからそんな顔をするようになったのだろう。最近になってか? それとも、ずっと前から? 知らない、わからない、まるで気付かなかった。知らない人の顔。霜月のために用意された顔。いとおしいものを包み込むようなやわらかであたたかな宜野座の瞳が、須郷の脳裏に焼き付いた。
 そうして須郷は、先ほど通話を終えたばかりの霜月の表情を思い出す。――通話を切る直前の、宜野座の言葉を聞いて拗ねた霜月の顔は、課長でも監視官でもなく、まるでふつうの、恋する女性のように須郷には見えたから。好きな人にいじわるをされて、わざとらしく拗ねてみせるような顔だった。そんな霜月の顔を、須郷はこれまで一度も目にしたことがなかった。知らない人の顔。見た瞬間、目を背けてしまいたかった。見てはいけないものを見てしまった気持ち。そんな顔は、須郷のような他人が見てはいけないものだった。宜野座以外には決して見せるはずのない顔だから。宜野座のことが好きだと、その表情だけで如実に語っていた。
 ふたりの普段とはちがう表情を立て続けに見せられたら、気付かないわけにいかないだろう。ふたりの関係にだれだって気付く。鈍い自分でさえ否が応でもわかってしまう。できればふたりの関係にはずっと気付かないままでいたかった。宜野座はまだしも、霜月のそういう面は知らないままでいたかった。気まずいったらない。湧き上がるむずがゆさに、須郷は無意識に腕を掻いた。
 しかしそんな恋人同士のコミュニケーションを教えられたところで、須郷に真似することなどできるわけがなかった。宜野座と霜月のふたりでなければできない方法である。強固な信頼関係、恋人ならではのやり取りを、須郷が模倣できるわけない。須郷が宜野座と同じような言い方をしたところで、逆ギレされるか叱責をされるに決まっている。苦手意識以前の問題だ。宜野座はそんなつもりもなく、一般論として須郷にアドバイスをしたつもりかもしれないが、霜月に対してそんな態度を取って許されるのは宜野座だけだと理解してもらいたいところだ。もちろん、そんなことを言えるわけもないけれど。これ以上藪蛇になるのは御免だった。
 自分で質問しておきながら、須郷は後悔していた。質問は無駄だったし、知らなくていいことを知ってしまった。ため息をつきそうになるがなんとか飲み込む。しかし一応アドバイスをいただいたからには、感謝をしないわけにはいかない。
「……ありがとうございます。努力、してみます」
「だから、そんなに気構えるなって。真面目だな、須郷は」
 軽やかに笑ってぽん、と肩を叩かれたが、須郷は乾いた笑いを返すことしかできなかった。
おしまい
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宜美
初公開日: 2020年10月25日
最終更新日: 2020年10月25日
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宜美/須郷さん視点/宜美は付き合ってます/それを知らない須郷さん/ピリオドは(仮)です