「えええ……そんな気はしていたけど、フェリクスってば、全然なの?」
「う~ん、まったく、というわけではないのよ? でも、フェリクスはそういうの得意じゃないもの。しょうがないわ」
「でもでも! それって寂しすぎるよ!」
生徒たちの喧騒も遠い教室の一画。王都の魔道学院で教壇に立つ側となったアネットは、親友であるメルセデスの手を握って眉根を寄せた。
フェリクスが、妻であるメルセデスを伴って王都に訪れたのは昨日のことだ。ファーガスの王──ディミトリに領地の報告やら政務の手続きやらで謁見が必要となり、雪が深まる前にと冬を感じさせる風を身に受けながらフェルディアに降り立った。
フェリクスとメルセデスが婚儀を交わして二ヶ月ほどが経つ。アネットやディミトリと顔を合わしたのもそれ以来のことである。
フェリクスは未だ王城にこもりディミトリと仕事の話を続けている。メルセデスも一緒にいるつもりだったが、フェリクスから「アネットに会いに行けば良い」と心遣いを受けて、こうして母校でもある魔道学院に訪れるに至ったのだ。
「メーチェはそれで良いの……? せっかく一緒にいられるようになったのに」
二人しかいない木造作りの教室にアネットのソプラノの声がこだまする。メルセデスは少し考えるように首を傾げて、それからひとつ頷いた。
「フェリクスが私を選んでくれた、っていう事実があるだけで、言葉がなくたって平気だと思うのよね。……それに、」
「……それに……?」
そこで口を噤んだメルセデスに、今度はアネットが首を傾げて顔を覗き込む。
「……ううん。なんでもないわ~。ふふ、アンったら可愛い。『私だったら愛してるって言われたい』って。アッシュとは会えているの?」
「も、もう! 今はメーチェの話でしょ! からかわないでよ!」
顔を真っ赤に染め上げてぎゅうぎゅうと手を握る親友にメルセデスは「あらあら」と微笑む。ちょうど、学院の敷地にフェリクスが足を踏み入れた時のことだった。
アネットの別れてからのことだ。学院まで迎えに来たフェリクスは、アネットに内緒話のようにこそことを何かを告げられてからというもの、どこか考え事をしているかのように唇を引き結んでいた。ともすれば苦虫を噛み潰したかのような、とも表現できなくもない。口数は多くないけれどかと言って無口というほどの人間でもないフェリクスは、王城までの道すがらほとんど言葉を発することがなかった。メルセデスが話の水を向ければ「ああ」とか「そうだな」とか気のない相槌は打つのだが、ともかく上の空といった様子だったのだ。
何を考えているのか。メルセデスは想像に難くなかった。苦笑を浮かべてもフェリクスは気づかない。
王城に用意されたこの部屋は、基本的に自分たちの領地に住まう領主たちが王城へ訪れたときに寝泊りする部屋だった。爵位持ちばかりとなるため誂えられた調度品や部屋の装飾は豪華なものとなっている。
小さな円卓、フェリクスの前に紅茶を入れたカップを置く。彼は湯気の立つ水面をじっと見つめている。
メルセデスも自分のカップに紅茶を注いで椅子に腰掛けた。カップの取っ手に触れながらフェリクスの顔を窺って、再び小さく笑う。
彼が何に頭を悩ませているのかというのは、恐らく、アネットとのやり取りのことだろう。具体的に言えば「愛している」の言葉ひとつも言わない男の何が夫なのか、というものだ。
確かに、メルセデスはフェリクスにそういったことを言われた覚えはなかった。結婚を申し込まれた時だって「俺と共に来い」と言われただけである。メルセデスの好意に対しても曖昧な返事をするだけの日々だった。
寂しくない、とは言い切れない。けれど、目くじらを立てて乞うことでもない。
アネットに伝えたことは紛れもない本心だった。一人で在ろうとしていた彼の周りには、本人の意向とは別に人が多く集っていた。そんな中でメルセデスを選んでくれたことは奇跡のようにも思える。だから、その行動が示した意味を思えば言葉がなくとも別に良い気がしたのだ。
そう。彼は言葉がなくとも行動で、振る舞いで気持ちが如実に現れる人だった。
だから、言葉が全てだとは思わない。それでも言葉ひとつに振り回され恥じ入るフェリクスを見ていると、いじらしく愛しく思う気持ちが込み上げる。
彼がどのような結論を出すのか、微動だにしない様子を見守っていると、フェリクスはようやく幾分か冷めた紅茶で唇を湿らせた。
「……アネットに、」
「アンに?」
アネットの名前を出して言い淀み、それから意を決したかのようにメルセデスに目を向けた。
「愛しているの一言も言えないのか、と、そう言われた」
苦々しく口を開く様子にメルセデスは笑いを堪える。本当に、本当に想像通りの言葉が出てきたのだ。アネットは実直であり、それが良いところでもあるのだがあまりにもわかりやすい。腹芸のできない可愛い親友のことを頭に浮かべる。
「そうなの」と応えた声は白々しかった。フェリクスは視線で「余計なことを漏らしただろう」と非難を訴えかけてくる。確かに、メルセデスが言われたことがないと、そう教えてしまった事実はアネット本人によって筒抜けとなってしまった。
フェリクスは態度を崩さないメルセデスを諦めたのか、大きく息を吐いた。
「……やはりお前も、そういうことは気にするのか」
「う~ん、そうねえ……あなたから言われたら、きっと、とても嬉しいのだと思うのだけれど。でも、フェリクスってわかりやすいもの」
「わかりやすい?」
怪訝そうに目を眇めたフェリクスに、メルセデスはふふ、と笑う。
「実は、アンには言えなかったけれど……フェリクスって、目が口ほどにものを言う、って感じだから」
メルセデスがそう言うと、フェリクスは虚をつかれたように瞳を丸めた後、バツが悪そうに視線を彷徨わせる。
「確かにあなたから『好きだ』とか『愛している』とか、そんな甘い言葉を囁かれたことはないわ~。でも、あなたの目を見ればとっても実感できるのよ、愛されているのだと」
「……そうか」
なんとか絞り出した、といったフェリクスの声にメルセデスは笑みを深める。アネットにそうやってしっかりと説明していたら、きっと彼女はフェリクスに口添えはしなかっただろう。そしてフェリクスも頭を抱えることはなかったはずだ。
けれど、メルセデスはそれを躊躇った。フェリクスのそういった面を知っているのは自分だけで良いのではないかと、微かな嫉妬心が胸中を過ぎったのだ。そしてやはり──
「でもね、もしもあなたがちゃんと言ってくれるのであれば……。私はこの上なく、幸せに感じると思うわ~」
正直に言えば、アネットに言われて初めて気づいた事柄だったのだ。だから、彼が愛の言葉を紡いでくれる機会にもなるのかもしれないと、そういう下心が芽生えたのも事実だ。
う、と言葉を詰まらせたフェリクスにメルセデスは微笑む。誤魔化すようにカップを口に運んだフェリクスは、その中身が尽きていることに気がついていない。
彼が愛を囁くまで、あと数秒──
おわり
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