薄暗いステージ。物語は終盤にさしかかり、主演であるアントニーは右から左、左から右へと移動をし、時には跳んでしゃがんでと舞台の上を縦横無尽に駆け回っていた。他の役者もそれぞれ配置されているが今はアントニーの独壇場。彼を追いかけて眩しいくらいの照明も忙しなく揺れる。
少し前まで彼はシリアスな役柄が多かったが、今ではお調子者やピエロといったコメディアンのような役を担うことも増えていた。彼の演技は多くの人間を惹きつける一流とも呼べる代物である。これ以上の名役者を見たことがないと世間に言わしめるアントニーの演技力。しかしその質は未だ向上のさなかにあるらしい。こうして演じる役に幅を持たせられるほど、彼の演技力と才能は底が知れなかった。
朗々とした声が劇場内に響き渡る。声の高さ、抑揚の付け方、間の開け方。短い台詞ひとつとっても魂が宿っているかのような力強さがあった。耳だけでなく肌までもが空気の震えを感じ取る。どこからか上がった感嘆の息が漏れ聞こえる。
舞台裾。客席に視線を巡らせ終えたアントニーと目がかち合う。一瞬だけ細められた瞳に、ベンヴォーリオは眉尻を下げた。──まだまだ遠い背中だ、と。
「やあベンヴォーリオ。議会は終わったのかい?」
「ああ。予定より早く終わったから、貴方の公演を見ようと思って。アントニー、今回も素晴らしかったよ」
「お褒めに預かり光栄です」
軽い調子で気取ったように頭を下げたアントニーは疲労を滲ませず茶目っ気たっぷりに笑って見せた。一日の最終公演後、額にじっとりと汗を浮かべているアントニーにベンヴォーリオは「お疲れさま」と冷たい水の入った水筒とタオルを渡す。
観客も全員退場し、再び上がった幕の裏側。他の劇団員たちもそれぞれが思い思いに舞台上で公演後の時間を過ごしている。談笑している声や反省点を挙げる声。劇場の舞台装置を確認する裏方たちは何やら顔を突き合わせている。少しだけ汗の匂いが漂うこの空間で、華奢な貴族衣装を着込むベンヴォーリオが役者見習いとして馴染めるようになったのは最近のことだった。
「貴方に演技指導をお願いした身でありながら、役者への道のりの遠さを思い知ってしまった気分だ」
「何を言っているんだ、ベンヴォーリオ。俺もそれなりに忙しい身なんだ。それでも君を才能を見込んで演技指導を引き受けたんだから」
「そうだね。あまり卑屈なことは言っていられないが……でも、そう思ってしまうくらい、貴方の演技には引き込まれてしまう」
「そう褒められると悪い気はしないな。しかし焦っても仕方がない。こういうのは積んできた経験もあるからな」
「むしろ俺はさ」とアントニーは続ける。
「君がこれからどう化けていくのか、それを考えると楽しみでしょうがない。君のそのアンニュイな瞳の内側に秘められた熱い想いを知った時、俺はひどく感動したんだ。何かを、誰かをひたむきに想えるその情熱。役者に何より必要な素質だ」
アントニーは、ベンヴォーリオが国王の守護精霊を呼び起こしてしまった時のことを指しているらしい。負傷者こそ少なかったものの、もたらした被害のことを思ってベンヴォーリオは瞳を伏せる。
ベンヴォーリオが抱いた想いはあまりにも独りよがりなものだった。その執着とも呼べるような想いをアントニーは肯定し、あろうことかロミオは救われたとも言ってくれた。しかし、暴走が止まらなかった「もしも」を考えると、ベンヴォーリオは今でも恐怖に足が竦む。
小さく肩を震わせたベンヴォーリオを見下ろし、アントニーはふっと息を漏らした。
「……俺は時々思うのさ。君の纏う、その物鬱げな何もかもを取り払って君の中にある熱い気持ちに触れられたらって。それこそ、今着込んでるその豪華な服やマントを一枚一枚脱がせるかのごとく、ね」
「……その表現はどうかと思うけれど」
あまりにも明け透けな物言いに、思わずベンヴォーリオが苦笑してアントニーを見上げると、彼は安心したように笑みを浮かべた。
「あまり自分を責めすぎるなよ。責任を言うなら俺だってそうさ」
「……そうだな。貴方に口説かれるのも変な感じがするし」
「おいおい、俺はローズ座の花形だぞ? ベンヴォーリオ、君は贅沢者だな」
やれやれといったふうにアントニーが肩を竦める。その姿を見て、ベンヴォーリオも笑う。考えても詮無いことをいつまでも考え続けるベンヴォーリオに、アントニーは幾度となく言葉をかけ、そして笑わせようと振舞って見せた。演技に対しては驚くほどに真摯で、その熱意は時に恐ろしくもあるが、優しく、そして甘い人だと思う。
ふと気が付けば、舞台の上にいた劇団員たちはそれぞれ捌け始めていた。視線を巡らすと、窓の外はすっかり夜の帳が下りている。
「さあて。稽古を始めるか、ベンヴォーリオ」
瞬きの間に役者の顔になったアントニーは口角を不敵に持ち上げた。彼の鷲色の瞳は鋭く細められこちらを見据えている。ベンヴォーリオは細く息を吐き、言葉なく頷いた。
おわり
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アンベン未満
初公開日: 2020年09月13日
最終更新日: 2020年09月13日
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コメント
アンベン未満の話 仲良くなったばかりとか