「お前を見届けるまで、色恋などに現はぬかさん」
兄のあまりにも穏やかな笑顔と返答に、思わずヴァッカリオは「おっっも……」と呟いたのだった。
「しかしきっかけはヴァッカリオなのだぞ?」
少々不服そうに、だがどこかからかうような色を乗せてアポロニオが口を尖らせる。
「おいら?」
何きっかけって。
兄が嘘をつくような人間ではない、というか嘘などつけない人間であることは分かっているのだが、全く身に覚えのないことを言われると疑いたくなってしまうのは仕方ないだろう。後ろに立つ兄に視線を向ければ、ずいぶん昔の話だから仕方ないかと一人で納得しているようだった。
「では私はこれで失礼する」
出動することなくフォースで仕事をこなしている部下たちに声をかけると、広い事務フロアからお疲れ様ですと声がかけられる。アポロンⅥとなったばかりの新人ナンバーズであるアポロニオをよく支えてくれる、頼もしい部下たちだ。彼らがいなければ、巨大なアポロンフォースという組織のトップにいきなり据えられた若輩のアポロニオなど、どうすればいいのか分からず途方に暮れていたことだろう。
しかもアポロニオは定時になったらできるだけ帰るようにしていた。まだ幼い家族がいると副官に伝えたところ、嫌な顔をすることなく、アポロニオの希望を叶えられるスケジューリングを組み立ててくれているのだ。自分は人に恵まれていると心底思った。
廊下に出ようとしたところ、呟くような声でアポロンⅥと呟く声を拾った。それはアポロニオに声をかけたというよりは、何かに気がついて出てしまった声という感じがした。
後ろを振り向き辺りを見回すと、一人の若手職員を視線があった。慌てたように視線を逸らした彼に首を傾げれば、隣に座っていたものが同僚のおかしな様子に気がついたようで、どうかしたのかと話しかけている。彼はデスクトップの画面を指差してアポロンⅥが、と何かを見つけていたようだった。
トコトコと職員の元へ足を向ければ、諦めたように立ち上がりアポロニオに画面を見せてくれた。
「ナンバーズはよくこういった記事が出てくるんです」
だからあまり気にされない方がいいですよ。と親切にも言ってくれた彼が見つけたのは、どうやらアポロンⅥに関したネットニュース。しかもゴシップだったようだ。
新人ナンバーズのアポロンⅥには婚約者がいるらしい。
自分のことを書いているはずの記事がいきなりの嘘八百で何やら興味深い。なんでも美人の女優らしい。へぇへぇほうほうと面白く読んでいるアポロニオに、両脇でそんなアポロンⅥの様子を見守っていた部下たちは苦笑を浮かべていた。
「この私の相手と書かれている女優を知っているか?」
「うーん、最近売れてきてる女優だと思いますよ。Ⅵよりもいくつか年齢は上だったと思います」
「そうか」
こういう形で女優の名前を世間に広めようとする手があるらしい。それでなくとも新人のナンバーズは市民の注目になりやすいし、歳も近いということもあって使われたのではないかという話だった。二人並んだ写真が載せられているが、いったいどこで撮られたのか記憶にない。
合成か、もしくは少し前に行われたアポロンⅥ襲名式にいたのではないかという話だった。式の後の立食パーティには大勢の招待客やらその関係者や知り合い、その他諸々様々な人がいたらしいから、狙って隣に立ったのではないかと。
涙ぐましい努力だな、とどこか他人事のような感想を零し、まぁあっちはそれが仕事ですからね、と年若い上司に微笑ましい視線を向けた。
「ただこれからたくさんこういう輩に追いかけられて、あることないこと書かれると思うので」
本当にそういう関係の人ができた時大変みたいですよ。としたり顔で頷かれた。
「ただいま」
つい部下と雑談に花を咲かせて、アポロニオはいつもより帰るのが遅くなってしまった。弟はお腹を空かせていないだろうかと足早にリビングに足を踏み入れたところで、小さな身体が勢いよくで飛びついてきた。
「ヴァッカリオどうしたのだ、危ないぞ」
神話還りとして覚醒しているアポロニオにとって、幼い弟が不意をついて飛びついてきたところで倒れるようなことにはならない。それでも万が一何かがあってヴァッカリオが怪我をしてしまうと考えると、つい帰ってきて早々注意を口にしてしまう。
だがどうにも弟の様子はおかしかった。普段であれば、アポロニオからたしなめられればすぐに謝れる素直な子なのだ。なのに今はアポロニオの胸元に顔を埋めたままだ。それにいつもなら帰ってくるお帰りもなかった。
何かあったのかもしれない。
「どうかしたのかヴァッカリオ」
「お兄ちゃんに話してくれないか」
学校で何かあったのかもしれない。いつも楽しそうに学校の話をしてくれるが、急に嫌になったとか、実はずっと我慢していたのだろうか。弟のやわらかな癖っ毛を撫でながら、心配がむくむくとわいてくる。
あまりしつこく尋ねるのも良くないだろうかとアポロニオが考えた時だった。小さく「おにいちゃん……」と声をかけられた。ひどく震えた涙声だった。
アポロニオは床に膝をつくと、ヴァッカリオの伏せられた顔を下からのぞき込んだ。
いつも明るく輝いている瞳が、いっぱいの涙をたたえて今にも決壊しそうになっている。
そのあまりにも悲しげな弟の顔に、アポロニオはひどく心を乱された。しかしそんな様子を出さないように自分に言い聞かせると、穏やかな笑みを浮かべてみせた。ヴァッカリオが安心できるような、心の内を打ち明けてもいいのだと思えるような微笑み。
兄の笑った顔に安堵したのかは分からない。しかしついにあふれた涙を流しながら、ヴァッカリオはアポロニオの首にすがりついた。
「……やだ、う、やだよお…………」
駄々をこねるようにいやだと泣くヴァッカリオの背中をぽんぽんとあやすように優しく撫でる。しばらくそうして抱きしめるように弟をあやしていた。
少しヴァッカリオが落ち着いた様子を見はからい、抱き上げるとソファへと腰掛け、弟はそのまま膝に乗せてしまう。ぐしゅぐしゅと鼻を鳴らしていたヴァッカリオもようやく顔を上げる。泣きはらし赤くなってしまっている目元がひどく痛々しかった。手元のハンカチで涙や鼻水を拭う。
汗ばんだ弟の髪の毛を再度撫でつけながら、アポロニオは待っていた。
「……お兄ちゃん」
「なんだ?」
「けっこんするの?」
「え?」
「誰ともけっこんしちゃやだ!」
必死な形相で見てくる弟を、アポロニオは呆けた顔で見返してしまった。なんだか今日は、そういう出どころの分からない話によく巻き込まれる。しかしまさかヴァッカリオからもそんな話題が飛び出すとは思わず、つい肩の力が抜けて、笑いながら弟の細い身体を抱きしめてしまった。
「安心しなさいヴァッカリオ。私は結婚する予定は一つもないぞ?」
「でも、こ、こいびとがいるって……」
どこで仕入れてきたのかそのようなことをヴァッカリオは言う。
「お兄ちゃんがしないと言っているんだから、安心して大丈夫だよ」
アポロニオは、上着を掴んだ小さな手のひらを包みこみ、優しく撫でさすった。かたく握りしめられ、こわばっていたやわらかな手のひらから力が抜けていく。
「結婚する予定はないが、なぜしてほしくないんだ?」
尋ねれば、ヴァッカリオは恥じらったように唇を閉じて視線を逸らし、下へ向けるとアポロニオと繋いでいる手のひらを握りかえした。迷うように小さく揺らす様子を一緒に眺める。
「……あのね、」
「うん」
「なんか、お兄ちゃんがおいらだけのお兄ちゃんじゃなくなっちゃいそうで嫌だった」
わがまま言ったから怒る?
うつむいていた視線を上げて、ヴァッカリオがおそるおそるアポロニオを見つめる。心配そうに自分を見つめるなんて、可愛い弟には似合わない。アポロニオはまさか!とついこぼれた笑みもそのままに明るい声を上げていた。
「大丈夫だよ、ヴァッカリオのわがままが私はとても嬉しい」
それなら約束をしようか。繋いだ手をはなすと、アポロニオはヴァッカリオの瞳の前に小指を立てた。
「何を約束するの?」
「そうだな、ヴァッカリオが大きくなって、お兄ちゃんよりも大切な人ができるまで、お兄ちゃんはずっとヴァッカリオだけのお兄ちゃんでいる、というのはどうだ?」
「……そしたら、お兄ちゃんずっと結婚出来ないと思う」
「それならずっと一緒にいればいいだけだから構わないぞ?今と変わらないな」
ヴァッカリオは嫌かな?と問いかければ、激しく左右に首が振られる。ぽぽっとヴァッカリオのまろい頬が桃色に染まっていく。
迷うように視線を揺らしたのは一瞬で、アポロニオの小指にヴァッカリオの小指が絡められた。
「約束だよ、おいらだけのお兄ちゃんでいてね」
「ああ、もちろんだ」
つなげた小指を小さく揺らし、二人で指切りげんまんと声をそろえる。指切った!と歌い終わって嬉しそうに笑う弟の様子に、ようやくアポロニオは安堵したのだった。
「そういうわけで私は独り身を貫いていたんだ。きっかけはヴァッカリオだっただろう?」
ころころと笑うアポロニオに何も言えず、ヴァッカリオは額をおさえた。
確かに言った。指切りもした。話を聞いている間に、あらかた思い出していた。
アポロニオがネットニュースで見たらしいゴシップを、ヴァッカリオは夕方のワイドショーで見たのだった。
将来は兄のようなヒーローなりたいと憧れを持っていたヴァッカリオは、アポロニオがテレビや新聞、ネットなどで日々のニュースを確認しているのをきちんと見ていた。だから自分でも情報収集をしようとテレビのニュース番組を見たわけだが、まだ幼いヴァッカリオにはそれが正しくニュース番組なのか、ただの娯楽向けのワイドショーなのか区別がついていなかった。アポロニオがいつも確認している番組とは様子が違うな、と首を捻っていたところ、兄が見知らぬ女優と仲睦まじい様子で映っている映像を見てショックを受けたのだった。
婚約、恋人、結婚、断片の情報を耳にしてあまりのことにテレビを消し茫然としていたところで、アポロニオ本人が家に帰ってきた。それからは兄の記憶の通りだ。
大喜びで指切りをしたあの時の自分の無邪気さが恐ろしい。
「でも別にそんな昔の話をいつまでも守る必要は無いでしょ」
「何を言うんだヴァッカリオ。私が約束を違えたことがないのは覚えているだろう」
「いやそうは言ってもだよ?」
もう何十年も昔の話なのだ。あの時確かに兄の将来を手に入れたとこっそり喜んでいたが、それも時が経ってヴァッカリオ本人が忘れていたし、しかもこの10年間は仲違いしていたのだ。なのに、いつまでもそれを守り続けて一人でいたせいで兄が40を過ぎてしまったなんて考えるといたたまれない。
考え込むヴァッカリオを見兼ねたのだろう。ぽんぽんと落ち着かせるようにアポロニオが背中を叩いた。
「何をそんなに気がかりにしているのか知らんが、お前の約束が無くても多分私は結婚していなかったと思うぞ」
「そ、そうなの」
アポロニオがこくりと頷く。だが日々生活していれば兄に関するたくさんのゴシップがあらわれて消えているのはいやでも目についた。もしかしたら一人くらいは本当に付き合っていた人がいたのではないかと思っていたのだが、そんな人は一人もいないと力強く言われてしまった。どうやら杞憂だったらしい。
もったいないと思う。確かにアポロニオは融通がきかないし思い込んだら一直線なところはあるが、それすら真っ直ぐな気質の裏返しだし、何よりとても愛情深くて清い人なのだ。やはりあまりにも有名すぎるのと、実年齢と見た目の乖離がよくないのだろうか。そんなもどうでもよくなるくらい、アポロニオは魅力的なのに。
「私のことよりもヴァッカリオはどうなのだ?付き合ってる人がいるなら」
「だからいるわけがないってば」
「おかしな話だな。お前のようないい男に」
もったいないと首を傾げるアポロニオに苦笑を浮かべながら、ヴァッカリオはほんの少し身体の力を抜いて後ろに寄りかかる。後ろを仰ぎ見れば、きっとアポロニオが自分を優しく見つめる瞳を見られることだろう。
兄の温かな身体を背に感じながら、この温もりが昔も今も変わらず自分だけのものである事実にヴァッカリオはほんの少しだけ幸福を感じていた。
ハート有難うございます!しばしお付き合いくださる方有難うございます!
夜は長いですね…
またハート有難うございます!!
新人ナンバーズのお兄ちゃん大人気!
やっぱりトコトコは外せませんよね!あ、青ロゼさん有難うございます!
タキシードとトコトコのギャップが!!(笑)
20くらいの気持ちで書いてます
ハート有難うございます!!
いっぱいのハート有難うございます!!
小さな弟ってなんでこんなに可愛いんでしょうね!
20センチ差かわいいですね…