何か適当に書きます。ちょっと重いかもしれない。以下本文
「ねえ、君、死ぬのが怖くないかい」
男はそう言って私の目を覗き込んだ。彼の目が、果たして黒であったか青であったか、はたまた紫や赤であったか、なにぶん昔のことであるからあまりはっきりとは記憶していないが、おそらく男——であったように思う。
私はその男の顔に一種の畏れを見つけた。畏怖、というのだろうか、あれは何となく神というやつを写した絵画や、あるいは彫刻なんかを見上げる時の表情によく似ていたような気がする。ここもやはり曖昧だ。
彼の目付きは私が何と答えるのか見極めようと必死になっているようであった。どうか恐ろしいと言ってくれ、そんな風に訴えられていたような、やっぱり訴えられてなどいなかったような——それどころか、自分はちっとも怖くない、なぜなら……などと有り難くもなんともない自論を、自信たっぷりに語ってほしそうでもあった。
けれども私には——当時の私には——、彼のその期待に応えてやろうと思うだけの心が存在しなかった。故に私は「いいや全く」と短く答え、神への信奉も天国への憧憬……否、自分が天国とかいう胡乱な場所へ行けるという確信も、一切彼に説かなかった。ただ息を吐いて、
「大体なんだってそう恐れるんだかその感覚がちっとも分からないね」
と無愛想に吐き捨てた。彼は小さくため息を吐き、「そうか」と短い相槌を返す。
「……君は、きっと靭いのだろうね」
不老不死の妙薬。霊魂の不滅。輪廻転生。冥界での第二の生。
この世界、というよりも、人間という生き物は、不思議にそういった話題を好むらしい。それが例えばいつぞやの彼のような死に対する畏れの裏返しなのか、はたまた純粋に死という事象を克服したいが為に発せられる言葉なのか、私には分かりかねた。
そも、私は彼らとは全く違う生き物なのだから、分からないのも道理であるやもしれぬ。
ただ姿かたちが似ているだけの隣人。いわば単なる傍観者に過ぎない。死生観は無論、彼らの信ずる宗教というやつも、不思議に生まれる連帯感——仲間意識というやつだろうか、だとしたら私に理解できないのも全く道理であるが——も、私とは全く異なるか、そもそも自分の中に存在し得ない感覚かのどちらかだ。在り方が根本的に違っていて、致命的に相入れない。そのことに彼らは気付いているのか否か。
「あなたは本当に死が怖くないのか」
「老いがいかに恐ろしいものか知らないのか」
「……であれば、少々不気味だが、どうだい。実は多少は嫌な気分や恐ろしい気持ちがあったりするんじゃないかい」
——こんなような問いを幾度も幾度も繰り返し放ってくる。私はそのどれもに首を振って、NOと返答した。たまに「まあ多少ならあるかもしれないけれど」と答えてやると、彼らは途端に瞳を輝かせて、あなたでもやはり恐ろしいですか、と喜色を滲ませた。私にはそういう時の、喜びを隠しきれぬ彼らの顔が、縁遠い死や周囲よりずぅっと遅い老化などより格段に薄気味悪く見えた。
「今のお前の顔の方が怖いよ」とは、さすがに言わないでおいたけれど。
*ちょっと奮わないのでとりあえず一回筆を置いてみようと思います、唐突にすみません。
おわりです。ありがとうございました!*