電車から降りて、義勇はただ呆然と立ち尽くした。どうしてこんなことになってしまったのか。こうなったのは完全に自分の所為だが、それにしたってこれはあり得るのだろうか。いや、今実際に起きていることなのだけれど。
義勇はその日、週末だった事もあって酷く疲れていた。それもあって、乗っていた電車で居眠りをしてしまったのだ。終電間近で飛び起き、急いで電車を降りて絶望に暮れていたとき、たまたま自分の帰る方向へ、恐らく最後の電車が出ていたのでよく考えずに乗り込んだ。それからしばらくスマホ画面を見ていたが、次第に異変に気付く。電車が一度も止まらないのだ。それだけなら特急なのかと納得もできるが、もっともな理由は他にもあった。義勇の他に、誰一人として乗客がいない。それに、なんだか説明のし難い不気味な雰囲気が漂っていた。止まる駅の名前だって、聞いたことないような名前ばかりだ。窓から見える風景も、トンネルの中を通っているみたいに真っ暗だし。
義勇が不信感を抱いている間も、電車は一度も止まることなく進み続けた。結局三時間は電車に揺られてしまい、やっと止まった最初の駅でようやく義勇は降りることができた。と言っても、聞こえる虫の声と空気の感じからして田舎のほうらしかったが。
時計を見ると、もう丑三つ時である午前2時を指していた。仕事の疲れに加え、精神的な疲れも酷く感じる。流石にもう電車は来ないだろうし、今日はこの駅で寝てしまってもいいだろうか。駅員も誰もいないのだから。
そう決めると、義勇は近くにあった木製のベンチに横になった。リュックを枕代わりに、予備のジャージを掛けてそのまま目を閉じる。時刻表には、明日の朝に電車が来ると書いてあったから、それに乗ってさっさと帰ろう。そんなことを考えながら、意識は急速に遠退いていった。
来ない。
電車が来ない。遅れているにしたって、一時間も待っていても来ないなんて、これはもう駄目なのではないか。不安に思って次の電車を確認すると、流石は田舎。次は夕方になると言う。せっかくの休日が潰れてしまうことにため息が漏れたが、なってしまったことは仕方ない。待っている間に散策でもしてみるか。どうせやることも無いのだから。そう考えた義勇はリュックを背負うと駅のホームを歩き始めた。昨日は暗くてあまり見えなかったが、改めて見てみると随分古ぼけている。『怪凶神苑村』と駅名の書かれた看板も、少し文字が掠れていた。それにしても、この駅名だけでなく、次の駅の名前や前の駅の名前まで何処と無く不気味だ。『闇巡霊園』や『藤襲山』など、聞いたこともないような名前ばかり。ここが一体何処なのか気になってスマホ画面を開いてみると、メッセージが届いていることに気が付いた。見ると、同僚の宇髄と煉獄、不死川からだ。そういえば、今日は四人で出掛ける約束をしていたことを思い出す。……この調子だと無理そうだが。
とりあえず、行けないことを伝えよう。義勇はポチポチとキーボードを操作し、たった一言『すまないが行けない。今知らない村にいる』と返信した。それからマップを開いて、現在地を確認する。……果たして、そこはメキシコ湾だった。義勇の眉間に皺が寄る。もしかして、壊れてしまったのだろうか。
スマホをポケットに入れ、駅から出る。目の前に広がる景色を見て、義勇は知らず、深く息を吐いていた。
青々と広がる田んぼ。その稲は風でさざめき、波のような音と共に揺らめいた。その緑の中にぽつぽつと家が見え、まるで船が浮いているようだ。それらは山に囲まれ、こんな状況にしても、思わず感嘆してしまうほどのものだ。都内のコンクリートに慣れている義勇にとって、それらは物珍しく、子供のような好奇心が掻き立てられた。
次の電車まで、まだ時間はある。それまで、この村を歩いてしまおうか。
そうと決まれば早速石段を下り、土の地面へ降り立った。右か、左か、どっちに行こう。とりあえず、迷ったら右へ。
土を踏みしめ、どんどん道を進んでいく。すると、少し古ぼけた古民家にたどり着いた。人の気配は無く、庭の草も伸びっぱなしだ。ここには何も無い、と引き換えそうとしたとき、背後から不思議な声がした。
「ぽぽぽ、ぽぽっ」
それは空気を貫通するようなはっきりとした響きを持っており、また、同時に風鈴のような冷ややかさも兼ね備えた声である。無意識で振り返ろうとしたとき、義勇のポケットから大音量で着信音が鳴り響いた。
その音に一瞬だけ動きを止める。もう一度振り返ると、そこには誰もいなかった。
「……もしもし」
「おい、冨岡! お前知らない村って何だよ!? ド派手に説明しやがれ!」
その電話は、宇髄からだった。いや、他の二人もいる。少しわかりづらいが、その声には僅かな焦りも含まれていた。
「電車で寝過ごした。色々あって今知らない村にいる」
「はぁ? 終電まで行っちまったってことか?」
「そんなところだ」
電話の向こうから盛大なため息が聞こえる。少しの沈黙の後、今度は宇髄ではなく不死川が尋ねた。
「場所わかるかァ? マップとか見たのかよ?」
「見た。メキシコ湾だった」
は? と声をあげたのは不死川と宇髄。煉獄はよもや! と叫んでいた。変わりないようでなによりだ。
「なら、駅名はわかるか? 電車に乗ったのなら知っていると思うが!」
「確か……怪凶神苑村、だった気がする」
「何だそれ、聞いたことないな……ちょっと待ってろ。調べてみるから」
そう言って、電話は切られた。後でかけ直してくれるということだろう。義勇はその意図を汲み取り、民家を後にした。もう民家が見えなくなる頃かというときにもう一度後ろを見ると、背の高い白い人影が見えた、ような気がした。
坂道のすぐそばにある霊園に近づいてみると、線香の匂いが風に乗ってふわりと香る。近くの木陰からは蝉のミ゛ーともジーとも言えぬ煩い鳴き声が鼓膜を震わしていた。