「ウェイトレス、ってのも楽じゃないね」
「少々荷が重かったか?」
「待たせないための努力がとても地味だってことだよ」
ラップランドは首元まで閉じた白いシャツのボタンを指でなぞった。カウンターの裏、昼のピークを過ぎたカフェのキッチンはまるで戦場の跡のようだった。
「ボクとしては、君ともあろう人がここで皿を洗っていることが気になっているけどね」
「機が熟すのを待つというのは得てして疲労してしまうものだ。ずっと張り詰めていてはいざという時に生き残れないだろう」
「なるほどね」
食洗機に皿を入れスイッチを押したヘラグが答えた。黒のエプロンを結び直し、うっすらと額に滲む汗をタオルで拭った彼は、ディスプレイに注文表が無いことを確認する。
「ピークが終わったか。店内に静けさが戻ってきた」
「バイトのスケジュールもシビアだね。アンジェリーナのシフトがあそこしかないのにへとへとになって帰っていくのも良く分かるよ」
「若い内は自らの持つ力を好きに使うが良いだろう。自由とはそういうものだ」
「まさに」
同意し、ラップランドは背中を壁から離して濡れたタオルを引っ掴んでフロアへと出ていく。凝った筋肉をほぐすために肩を回した彼女はきびきびと動きながらフロアのテーブルを綺麗に拭いていった。
ロドスのカフェは、立地の関係上業務の合間に休憩のために訪れたり、コーヒーだけを注文する客が多い。限定メニューは手作りで提供され、各地から取り寄せられたこだわりの豆を雇われたプロフェッショナルが挽いて淹れるコーヒーは多くのオペレーターが愛飲している。こと人材において感染者の区別なく技量と熱量を見て採用するロドスだからこそ成せる味だった。
太陽が頂点を過ぎ、外の大地に陽炎が揺れる中空調の利いた店内は落ち着いたジャズが流れている。黒板を模したメニューボードがランチタイムを過ぎて切り替わったとき、入り口の方から鈴の音が鳴った。入って来たのはズィマーとイースチナだった。
「本当にここで働いてんのかよ」
「嫌いじゃないからね。お友達を連れて来たのかな?」
「……席は自由で良いのでしょう?」
「構わないよ。今日は下がっていようか?」
「いや。いい。本題は私達じゃないからな」
へぇ、とラップランドが視線を向けると、ズィマーとイースチナの後ろに隠れるように身を寄せていた二人の少女が戸惑いながらも視線はしっかりとラップランドを追っている。
彼女達はウルサス学生自治団のメンバーであるが、戦闘能力がなかったため後方支援や非戦闘業務の重要な部分を担っている。いつの時代でも統率の取れた集団というのは重宝されるものだ。
ただ、それでも彼女らは学生であり、ロドスでも青春を謳歌したいと思うこともあるわけでーーー。
「あ、あの……!」
「ん?」
「ラップランドさんですよね! いつも見てます!」
「へ?」
「あー、そういうことか」
何かを察したズィマーに話を聞いたラップランドは、自分達、オペレーターの戦闘が映像記録としてロドス内で放送されていることを初めて知った。確かにドクターが戦闘の一部始終を録画して教導のために利用しているというのは聞いていたが、まさかこんなところで自らの名が知れ渡っているとは。
恐縮しっぱなしの彼女らを取り敢えず席に着かせたラップランドは、不思議なこともあるものだと思いながらコップを取りにキッチンへと戻る。
「楽しそうではないか?」
「確かに、驚いてはいるよ。ただボクがそんな風な見方をされることもあるんだなって」
「若者は自由を謳歌すべきということに君は賛成だったな。君もそうだろう」
「………」
トレーに四人分の水を注いだコップを乗せたラップランドはフロアへと戻っていく。重心がまったくブレないしなやかな身のこなしに見惚れていた二人は置かれたコップをおずおずと両手で抱える。トレーを脇に抱え、注文を待つべくラップランドはさりげなく視線をイースチナへ向けた。
「もうランチタイムは終わってしまったかしら?」
「ついさっきだね。でも、メニューボードは独立してるからこっちで処理すれば大丈夫かもね。頼むかい?」
「良いのかしら?」
「細かいことはいいさ。苦労を追うのはあのご老人だけだからね。若者は自由であるべきだろう?」
語尾を少し強めたラップランドはにやりと笑う。それに当てられたのかぼうっとしていた彼女らは、注文を尋ねられて多少慌てながら答えた。機器のボタンを押して注文をディスプレイに飛ばしたラップランドは下がろうと思ったがズィマーと目が合ってそれを止めた。
「い、いつもここで働いているんですか……?」
「水曜と金曜はいないよ。それに、15時以降はシフトを滅多に入れないね」
「写真撮らせてもらって良いですか!?」
「写真? まぁ良いけど……」
ドクターに撮られて以来だ、と呟きながらどこかほつれがないかベストを見回したラップランドは、イースチナが彼女達に手渡したカメラに足を滑らしそうになった。
「一眼レフ……なのかい?」
「綺麗なものを綺麗に撮りたいとは思いませんか?」
「まぁ、人の趣味にとやかく言う気はないけどさ」
イースチナの言葉に苦笑する。先ほどまでのおどおどした態度はどこへ行ったのかカメラを持つ彼女はとても楽しそうだ。
「ポーズとかも指定があったりするのかな?」
「良いんですか!?」
「今は空いているからね。好きにしていいよ」
「お前な……」
ズィマーが呆れて首を振るなか、好きにしていいと言われた彼女はそれこそ水を得た魚のようにヘラグが料理を届けるまでラップランドを撮った。四人で山のように積み上げられたサンドイッチをぺろりと平らげた彼女らは、帰り際にツーショットを撮ってもらってとても満足気な顔で店を後にした。少し疲れたのかため息をついた彼女の耳に来客を告げるベルの音がする。
「………げ」
「アイドルがそんな声を出して良いのかい?」
「それを言うなら粛清専門のオペレーターがモデル顔負けの撮影会をしてるのもどうなんですか!」
「そうだったのか。どうりであんなカメラを持っているわけだね」
どうやら入り口から隠れてラップランドを見ていたらしいソラが彼女に言い募る。伸長差と彼女のオフの服装のせいか執事に文句を言うお嬢様のような光景だった。わざとラップランドの方から一歩詰めると密着しそうになり、うっと息を詰まらせる。
「この間合いに入るということがどんなことか、分かっているのかな?」
「なっ………!」
「まがりなりにも君はアイドルだ。喰われないように気を付けた方が良いんじゃないのかな?」
「踏み込んだのはあなたの………むぐっ!」
ソラの口を手で塞いだラップランドは耳元で囁く。
「ボクみたいなヤツには、特に」
「むーっ!」
冗談だよ、と解放したラップランドは疑わしげな目を向けるソラを席に促し、何事もなかったかのように振舞う。
「ご注文は? お客様」
上空5000m。そのさらに上の対流圏上部では一年を通してテラを流れる強いジェット気流がうねりをあげている。地上には明りが灯り、空は無限の暗い蒼穹をゆったりと漂わせていた。
ロドス・アイランド付近の上空にある20mほどの大きさの浮遊施設は、雲海の上を悠々と航行していた。ホログラフの看板には流麗な筆記体で「5K Station」と書かれている。
扉を開けて中に入ってみよう。内部の熱を逃さないように二重の扉が配置され、それを潜り抜けると中央に座する大きなショウーケースが目に飛び込んでくる。磨きをかけられ、ライトアップされた女性の像が艶やかに誘っている。
ナイトバーだ。持ち主の凝り性な性格が所々に見えるデザインの店内は、浮世離れした雰囲気を始めて訪れる人に与え、長旅を経てここへ戻ってくる客には昔の面影を残す懐かしい旧友のように映る。
そこに足を踏み入れた二人は、席を探すべくあたりを見渡していた。
「なかなかどうして、高くするのも馬鹿の一つ覚えじゃないってか」
「あの、やっぱり何で私がここに……」
「そりゃお前、こんなところに一人で来たって面白くねぇだろ? 今日は私が奢るから付き合えよ」
「だったらこういうところに来るって言ってくださいよぅ……! もっとちゃんとした服を着てきますから……」
「おいおい、私の目を見てそれを言ってんのか? お前は今でも十分通じる顔だよ。それに、お前がここを教えてくれたんだろ?」
「私が見てた端末にちょろっと乗ってただけじゃないですか!」
ニェンに半ば抱えられるようにしてバーを訪れたスノーズントは、場を支配する雰囲気に呑み込まれそうになりながらも何とか窓際の席を見つけ、そこに逃げるようにして座った。一見して無骨な薄いガラスのようだったが、指で触れると滑らかにウィンドウが出現した。ガラスの壁に張り付いた小さな虫のような機械がかすかに音を立てて一生懸命に掃除している。
「サイネージか。小細工が大好きだね、まったく」
「最近の技術にも詳しいんですね、ニェンさん」
「そりゃあ、美女とダンスを楽しみたかったらリズムを覚えなきゃいけないだろ?」
「び、美女」
「郷に入ったら郷に従えってことだよ。この店でもそういうルールがあるのさ。それに背く奴はこの店の雰囲気を楽しむ資格なんてない三流野郎ってことだ」
「はぁ」
「ま、もっとも一流を名乗る輩は皆二流だがね」
どっかりと向かいの席に腰を下ろしたニェンはニヤリと笑った。委縮して縮こまったスノーズントは店員から水を受け取って、
「………ミッドナイトさん?」
「当たり。よく分かったね」
人の良い笑顔を浮かべるミッドナイトがニェンの方を見て会釈する。かっちりとスーツを着こなし、髪をまとめ上げた彼は普段のそれからは考えられないほど真面目な目つきをしていた。
「ふん、悪くないんじゃないか?」
「御眼鏡に適ったようで何よりですよ」
「その腕。筋肉の付き方、ウェイターならおかしいだろ?」
「まるで探偵のようだ。もう全てを見透かされてしまったかな」
「客だよ。変なこと言ってたらごめんな」
「お客様は最初から良い顔をしていらっしゃいますよ」
そんなやりとりがあった後、二人はミッドナイトに注文を伝えて彼を下がらせた。二人きりになったスノーズントはやっと人心地がついたのかごくごくと水を飲んであたりを見渡している。
「色んな人がいますね」
「止めとけ。下手したら目が合っただけで首が飛ぶぞ」
「ひぃぇ……」
「流石に冗談だからな? ただ、普通じゃ出会えない面子が集ってるのも確かだが」
彼女の言う通り、この中にいる何人かは自分が十分な力を持っていることを隠そうとしていなかった。しかしそれが鼻に付くほど感じられないのは、それ以上に強い誰かの気配がフロアを静かに、だが識閾下のサブリミナル効果の如く支配しているせいだった。
「キマってるんじゃないのか、なぁ?」
夜のバーでは彼女は注文を取らない。壁にもたれかかるか、全体を俯瞰できる位置に優雅に座っている。獣の荒々しさをスーツでギリギリ繋ぎとめているような雰囲気が、いかにも彼女が暴力沙汰になったときに出てくる店の用心棒のようだ。
今日のラップランドはサングラスをかけて古風な微笑を浮かべていたが、ニェンと目が合うとそれを外した。
「ボクに目をつけるとはね。君にサービスはしないよ?」
「サービスなんて言葉からは最も遠いと思っていたが、それがお前か。」