夏といえばビールである。
今が盛りと照り付ける太陽は夜にまでその余韻を残し、生き物の生きる気力を奪ってくる。
「秋や冬だとなぁ、日本酒が美味いと思う事が多いんだが、夏だけはどうしたってビールが美味いよなぁ」
「同意しよう。水の如く飲める飲料はなんだって美味く感じるのが夏だ」
日本号の隣で、長谷部が同意の声を上げた。
時間は深夜。場所は田舎に店を置く居酒屋日本号の閉店後の店内。そこにいるのはただ二人。店主の日本号と居候兼恋人の長谷部である。
「売り上げは上々。酒のオーダーが増えるのはいい事だ。飲み物が出れば簡単に利益が出るからな」
「言う割には、飯や肴を進めるその矛盾はなんだ。今日も良く立ち回ってご苦労な事だ」
「作るのが本分の料理人の性だ。そこを矛盾にすんじゃねぇよ」
よく回る口が、酒で更に滑りを良くして本筋から外れた矛盾を指摘する。恋人同士の二人なのに、随分と辛口の言い合いになるのは、持って生まれた性格のせいだ。
「大体、夏なんて意識しなきゃがっつりした飯なんざ口にしたくねぇだろう。酒が入っている時ぐらい、しっかり飯を食わねぇと、体が持たねぇよ」
「まあ、おこぼれに預かって今、俺の前に酒の肴があるからいいが」
「おう、うめぇだろう。鮎並山椒煮と鹿肉の生姜巻きは。山椒煮に使った山椒は初夏にお前にも手伝ってもらって塩漬けにした奴を使ってんだ」
「あの死ぬかと思う程、山椒の実を手でもがされた奴か……。あれは辛かった……、いつまでやっても山椒がなくならないんだ。本当に辛かった……。だから俺には余分にこれを食べる権利があるはずだ」
「いい度胸だ。今出ているので全部だからもうねぇぞ。大事に食え」
そう言った瞬間、長谷部が日本号の非道を訴える罵声を上げたが、日本号はそれらに一切反応せず、涼しい顔でジョッキに注いだビールの喉に流し込んで一息ついていた。夏の労働の後には冷たいビール。これ程、正しい夏がどこにある、と嬉しそうにビールを半分だけ飲み、長谷部が食べていない鹿肉の生姜巻きを口に入れて咀嚼し、新生姜の辛みを確認して満足そうな顔をした。
「ん、いい塩梅だ。辛みもちょうどいいし、鹿肉のローストもいい感じの柔らかさだ」
「おい、俺の話を何も聞いていなかっただろう。しかも俺が獲って来た鹿肉じゃないか。これももうないと言うつもりか」
「また明日だな」
「あれもこれもと手伝わせておいて!賃金が安すぎる!」
「じゃあ俺の分の鮎並をやるよ。また明日、鮎並が来るんだ。これはまた作る予定があるから食いつくしてもらって構わぇから、いい加減に不貞腐れるのをやめろ。晩酌のビールは一杯だけだ。それが決まりだ、注ぎ足そうとするな!立つな、やめろ、馬鹿!」
「どっちが馬鹿だ!俺の労働力は安くないぞ!」
酒の肴が増えないせいで、長谷部がビールに標的を変え、深夜にも関わらず二杯目を求めて腰が浮いた。
それを見て、慌てて日本号が止めて、長谷部が静止を振り切ろうと日本号に向かって声を荒げた。
いつものやりとり、いつもの風景。いつもの日常。
怒鳴り合おうと、相手より多く報酬をもぎ取ろうと何をしようと、これが二人の日常で、これだけは他人の入れない不可侵であれば、どんなに怒鳴り合おうとも大喧嘩になりはしない。
日常の中のいつもどこかでやっているやり取りは、気取りがないからこそ心地いい会話になり、結局長谷部は日本号の肴をもらわないし、日本号は自分の分と一緒に長谷部にも二杯目のビールを注いでやる。
誰も見ていないその甘えこそ、二人が愛してやまない日常である。
【終】