それは、今より三千年も前のこと。
 いまだ建国王マスタウスの現れぬ《大陸の華》ネウストラは数多の小国に分かれ、戦いと同盟の日々を繰り返していた。
 今より語られるは、その混迷の時代を生き抜き、その地に統一と天空神レアの光をもたらした八人の騎士たちの物語。
 彼らは人であって人ではなく、異形の姿を持ちながら異形のものでもない。
 運命の女神リサ・エメルダの操る糸の上で雄々しく生き抜き、《大陸の華》ネウストラの礎を築く。
 だがまずは、彼らが生まれる前のいきさつから始めよう。
 それこそが、全ての波乱の本当の始まりであったから。
 神紀(じんき)四九二二年。大陸の南西中部に位置する小国エリスは、滅亡の危機に瀕していた。
 はるかな太古、天空神レアの命により軍神アレイエがその王城の地下に封じたという魔女、フェスタリア・フェスタが再びこの地上に現れたためである。
 封印を破ったは、エリスの国王ルーゼルフに仕えし魔道師、リムロックであった。
 それ以後、人々はその名を忌みて、リムロックをただ《黒の魔道師》とのみ呼ぶようになった。
 ともあれ、魔女の力を得た《黒の魔道師》リムロックは、その地に眠るさまざまな悪霊を召喚し、エリスを、いや、大陸全土を我が物にせんとしていた。
 だがむろん、人々がそんな野望を見逃しておくわけもない。
 エリスの民は、王ルーゼルフの指揮の下、周囲の小国の協力も得てリムロックと戦った。
 しかし彼らは所詮、ただの人間にすぎない。
 大陸全土から多くの魔道師が召喚され、兵と共に魔法を駆使して戦ったものの、魔女の力には及ばなかった。
 ところで、エリスの国王ルーゼルフには、三人の子供がいた。
 上二人は頼もしい王子たち。
 この戦にも、兵を率いて獅子奮迅の働きぶりを見せている。
 その王子たちの下には、この年十七になる王女がいた。
 王女の名は、コーネリア。
 生まれつきの白子で、目も見えねば体も弱い。
 生まれ落ちた時より、その生を危ぶまれて来た姫であった。
 だが、彼女はそんな肉体と引き換えのように、神々から不思議な力を与えられていた。
 彼女は未来を予知し、失われたものの在処を見、死者や精霊と話すことができたのだ。
 戦が始まってすでに一年。
 進退きわまった王は、王女に助言を乞うた。
「あれは、人ではありませぬ。人でないもののことは、人でないものに任せるのが一番でありましょう。テラボーンの山脈へ使者を。かの山に住まう白銀の竜に助けを乞うのです。かならずや、我らを助けてくれましょう」
 雪白の髪と雪白の肌の中、鮮やかに赤い彼女の唇から、そんな言葉が告げられた。
 王は半信半疑ながら数人の魔道師を使者として山へと差し向けた。
 とはいえテラボーンの山脈は、《大陸の背骨》と呼ばれる険しい山。
 大陸を南北に走り、天高くそびえ立つ。
 今でさえ人を拒み受け入れず、誰もがたやすく足を踏み入れられる場所ではない。
 ましてやこの時代、いかに魔道師といえどもそこに登るのは、容易なことではなかった。
 しかも目当ての竜は、その山脈のいずこにいるともわからぬのだから。
 その困難さを知ってかコーネリアは、旅立つ魔道師たちに己の髪の一房を与えて告げた。
「この髪がそなたたちを守り、白銀の竜のもとへと導くでしょう。肌身離さず身に着けておきなさい」
 魔道師たちは、それを押し頂いて受け取った。
 やがて彼らは山脈へと出発した。
 彼ら魔道師は、空間をたわめて翔(と)ぶすべを知っている。
 それを使えば、山脈の麓までの長い道のりも数日で終わりを告げる。
 その上、王女の言葉どおり、彼女の髪が護符となって彼らをさまざまな危険から守ってくれた。
 魔道師たちは毎夜、夢の中で光の託宣を受けた。
 それが行くべき道をさし示し、彼らは迷うことなくひたすらに険しい山脈の中の道なき道をたどった。
 かくして彼らは、出発より半月の後、目指す竜の住まいへとたどり着いた。
 今でこそ竜はすでに滅んで久しい生き物だが、この時代、彼らは人の踏み込まぬ地にてただひっそりとくらしていたのだ。
 魔道師たちが見つけたのも、そんな竜たちの一匹にほかならなかった。
 彼の住まいはテラボーンの山脈の内、最も高いアデナイの山中にあった。
 水晶で造られた巨大な城に、彼は多くの一族と精霊たちを率いてくらしていた。
 白銀の竜は、名をルシフォールといった。
 巨大な体は白銀の鱗に包まれ、たてがみは透き通る青。青玉のごとき鮮やかな青い双の眼を持ち、額には一本の水晶を思わせる角があった。背に生える翼は広げると太陽の光を受けて、さながら金剛石のような輝きを見せる。
 まさしく、一族の王といっていい姿だった。
 使者の魔道師たちは、その竜の命により丁重にもてなされた。
 あまりの雄々しさに圧倒されながら、使者の魔道師たちが用件を告げると、竜はしばしの黙考の末、言った。
「我(われ)がその魔女を退治たあかつきには、その姫君を我の妻として娶ることができようか。それがかなうならば、そなたらに力を貸そう」
「王女を、あなたの妻にと?」
 思いがけない申し出に、魔道師たちは戸惑い、思わず顔を見合わせた。
 まさか竜が見返りを求めて来るとは、彼らは思いもしなかったのだ。
 ましてや、彼らの大切な姫、神々に愛され不思議な力を授かったその人を妻に望むなどとは。
 いかに人語を理解し人と変わらぬ知能を持とうとも、竜は竜。
 人とは相容れぬ異形のものでしかない。
 そのようなものに、人間の娘を――それも一国の王女を与えるなど、応じられるはずもない。
 だが、祖国の窮状を思えば、魔道師たちは今、どんな条件も飲むよりほかに道はなかった。
 そも、国を救う手段を求めてここまで来たのだから。
「よかろう。我らが王と王女を説得いたす。なれば、ぜひにお力を」
「ならば、それを誓うがいい」
 竜はうなずく魔道師たちに告げた。
 今でもそうだが、誓いは常に神聖なもの。一度口に出した言葉は消すことができぬ。それゆえに。
 だが、なればこそ魔道師たちは再び困惑した。
 これほどの重大事を彼らの一存で誓うことなど、できるはずもないからだ。
 とはいえ、誓わねば竜は動くまい。
 もとより異形の生き物たちは、人との取引に慎重なものだ。
 それは古来からの人間の身勝手にふり回された結果でもあり、そうしたことは誰より魔道師たちはよく知っている。
 魔道師たちは、互いに互いを見て決意した。
 いざとなれば、誓いを破った報復は全て自分たちで受ければいいと。
「誓おう。天空神レアと我が祖国の御名(みな)にかけて」
 魔道師たちが、次々と誓いを口にする。
 それを聞いて竜はやっと大きくうなずいた。
「なれば、我も誓おう。かならずやそなたらの祖国、救ってみせよう。我が名にかけて」
 翌日、魔道師たちは白銀の竜ルシフォールの背に乗り、祖国への帰途に着いた。
 ルシフォールの翼は一打ちで数万サーラを飛び駆ける。
 魔道師たちは、たったの二日で祖国エリスへとたどり着いた。
 エリスに到着したルシフォールの働きは目覚ましかった。
 《黒の魔道師》リムロックの繰り出す悪霊の群れを、その冷たい呼気で塵と化し、数々の魔法を背の翼の輝きで霧と散らす。
 それに業を煮やしたリムロックは、己が身を魔法で黒い竜に変え、ルシフォールに挑んだ。
 されど、たかが人の身が本物の竜にかなうはずもない。
 ルシフォールの鋭い牙でその喉笛を噛み裂かれ、爪ではらわたをえぐられて、リムロックは黒い血を流しながら息絶えた。
 だが、さすがのルシフォールも、魔女フェスタリア・フェスタには苦戦を強いられた。
 なにしろ相手は、軍神アレイエですら苦戦したという往年の魔女である。
 その生きて来た時間ですら、ルシフォールの倍はある。そして、その時間の数だけ魔力は強大で、知識は膨大だ。
 ルシフォールとフェスタリア・フェスタの戦いは七日七晩に及び、その間、エリスだけでなく大陸全土にわたって豪雨が降り続き、大地は揺れ動いた。
 だがやがて、八日目の明け方、勝敗は決した。
 ルシフォールはフェスタリア・フェスタを絶命させることはできなかったものの、瀕死の重傷を負わせて南の《暗黒大陸》デカンダ砂漠へ追うことに成功したのだ。
 人々はその勝利に湧き、ルシフォールの名を称えた。
 その一方、エリスの王城は重い空気に包まれた。
 魔道師たちがルシフォールと交わした誓いが、にわかに現実の重みを持って王と重臣たちの上にのしかかっていたからだ。
 ルシフォールは誓いを守った。
 ならば、彼らも誓いを守らねばならない。
 けれど。
「いかに白子とはいえ、コーネリアは人間。どうして竜のもとへなど嫁がせることができようか」
 王は、苦悩の表情で居並ぶ重臣たちに告げた。
「しかし、誓いを破れば我らは神々の罰を受けねばなりません。いえ、それよりも前に、ルシフォールの怒りが我らを許しますまい」
 重臣たちもまた、苦悩と共に返す。
 彼らにせよ、いかに国のためとはいえ、虚弱な王女を異形のものの元へやるなどできはしないと考えていた。
 ましてや、王と王子たちの悲しみ、苦しみを思えばなおのことだ。
 そんな彼らの前に、コーネリアが姿を現すと、言った。
「私は、ルシフォールのもとへ参ります」
「コーネリア!」
「姫!」
 驚き騒ぐ王と重臣たちに、コーネリアは静かに続ける。
「あの竜のことをお父様に告げた時より、私はこの日が来ることを知っておりました。ルシフォールは竜ですが、この地上の誰よりもその魂は気高く、澄んでいます。もとより私は、普通の殿方に嫁ぐことのできる身ではありません。これも、運命の女神リサ・エメルダの決められた定めでありましょう。ならば、私はそれに従おうと思います」
 静かな彼女の言葉には、誰にも動かせない強い意志が込められていた。
 こうして彼女は、白銀の竜ルシフォールの妻となり、彼の背に乗って、はるかテラボーンの山脈へと去って行った。
 エリスの民たちの多くはそのことを悲しみ、おりに触れ口の端にのぼせた。
 だが、もとより二十歳までも生きられぬと言われていた王女のこと。彼らは時を経るうちに、次第に彼女のことは忘れて行った。
 一方、家族にとってはそう容易いことではなかった。
 王女のいなくなった王城は、まるで火が消えたようなありさまだった。
 殊に上の王子サムエルは、幼いころよりか弱い妹を誰よりもいつくしんで来たがゆえに、王女が去ったあとはさながら魂が抜けたような様子だった。
 それがどうにか元気を取り戻したのは、すでに王女が去って半年もすぎたころ。
 南の《暗黒大陸》デカンダ砂漠から訪れたという旅の女魔道師、フェルナと出会ったことがきっかけだった。
 フェルナは美しい上に魔道師らしく機知に富み、沈んだ王子の心を慰めるには、かっこうの人物だった。
 王子サムエルは、まるで妹姫のことを意識の底から追い出そうとでもするかのように、剣や乗馬の鍛錬に夢中になり、進んでフェルナに魔法の教えを乞うた。
 王女が去って一年が過ぎようとするころ、やっと王城の人々もまた、民たちと同じく彼女のいないことに慣れ始めていた。
 そんなおり、彼らのもとに王女コーネリアから一通の手紙が届いた。
 それは、彼女が白銀の竜ルシフォールの子供を身ごもったという知らせであった。
 王をはじめとする人々は、その知らせを半ば呆然と受け止めた。
 誰もが――魔道師や神官でさえ、人が異形のものの子を孕むなど伝説か寓話の類でしかないと思っていたのだ。
 それは、サムエルにしても同じこと。
 ただ、彼の呆然自失する心に、怒りを呼び覚ました者がいた。
 女魔道師フェルナである。
「おそろしいことです。人と竜がまぐわうなどと。竜はいってみれば、動物と妖魔の混血のようなもの。すなわち、姫は二重の意味で冒涜を犯しているのですよ。とはいえ、それは姫の罪ではありません。全てはその竜が悪いのです」
 怒りに狂ったサムエルの耳に、なおもフェルナは毒のような囁きを注ぎ込む。
「おそらく、そのような子供を産むなどと、姫様の本意ではありますまい。私がお力をお貸しします。王子が、姫様を助けに行かれませ」
 毒の囁きは、急速にサムエルの意識を支配した。
 彼はフェルナと共に国を出奔した。
 むろん、向かう先はルシフォールとコーネリアの住まうテラボーンの山脈である。
 だが、彼らが国を出たのは冬のさなかの青の月のこと。
 山脈は、まるで二人を拒むかのように以前にもまして険しくそそり立っていた。
 その険しさに、さすがの彼らも圧倒され、山脈のふもとで春を待つことにする。
 やがて黄の月の半ば、二人はようやく山脈へと足を踏み入れた。
 国を出奔して二月後のことである。
 山脈へ足を踏み入れる前の夜、フェルナはサムエルに一振りの剣を手渡して言った。
「これは、私が苦労して手に入れた竜退治のための剣でございます。その昔、軍神アレイエに竜退治を命じられた”凄の王(ヴァナオール)”が使ったといわれるもの。それと、これを――」
 更にもう一つ、彼女が取り出したのは、小さな紙包みであった。
「これは、竜だけに効くしびれ薬でございます。東の、ティルナノグの民たちが竜を捕える時に使うもの。王子のために、手に入れて参りました。これを、飲み物にでも混ぜてルシフォールに飲ませて下さいませ。ほどなくかのものは身動きできなくなりましょう。それを、この剣にて」
「すまぬ、フェルナ」
 うなずいてサムエルは、二つの品を受け取った。
 やがて彼らは、ルシフォールの水晶の城へとたどり着く。
 何も知らない竜たちは、二人を客として歓待した。
 大広間には篝火が焚かれ、竜たちに仕える精霊たちが、みごとな舞いや演奏を二人のために行った。
 ルシフォールは、その大広間の少し高くなった玉座の位置にどっしりとうずくまり、その傍にはコーネリアがそっと寄り添っている。
 祖国であれば異形と見えた彼女の雪白の髪、雪白の肌も、白銀の竜ルシフォールの傍らにあっては、まったく違和感がない。
 むしろ、生まれた時からそうして寄り添い合っていたかのよう。
 更に、コーネリアの白い頬には鮮やかな血の色が昇り、その瞳は輝いて、誰の目にも幸せそうに見えた。
 だが、フェルナによって言葉の毒を注がれたサムエルの目には、それさえも妹の兄を悲しませぬための、けなげな演技と映る。
 夜も更け、宴もそろそろ終わろうとするころ。サムエルはルシフォールに、二人だけで酒を酌み交わそうと誘いをかけた。ルシフォールは、疑いもせずにそれを承知する。
 やがて他の竜たちも精霊たちも、そしてコーネリアさえもが引き取ったあと、小部屋に移って二人は酒を酌み交わす。
 人間が酒の相手とて、ルシフォールも魔法でもって人型を取っていた。
 けれどもその姿がサムエルの胸に、怒りのほかに嫉妬までをも呼び覚ますことになろうとは。
 人型のルシフォールは長身優美な青年の姿。
 白いたくましい体に水晶の鎖帷子をまとい、銀の長い髪をなびかせて、鮮やかな青玉のまなざしをサムエルへと向ける。
 それはさながら王の風格。
 更には生まれながらにして、コーネリアと同族であるかのよう。
 それらの全てがサムエルには癪に障った。たかが竜の分際で――と。
 彼はそんな内心を押し隠し、あたかも打ち解けたようにルシフォールと酒を酌み交わしながら、相手の酒杯にそっと例の薬を溶かし込む。
 ほどもなく、ルシフォールの全身を薬が巡り、彼は激しい痙攣に身をもがきながら、本体の竜の姿へと戻って行った。
 あまりにも激しい痺れに、魔法で人型を保つことすらできなくなってしまったのだ。
 それを見るなりサムエルは酒席を蹴って立ち上がり、腰の剣をすらりと抜き放った。そのまま剣を、竜の眉間へと打ち下ろす。
「兄様、やめて!」
 激しい竜の苦悶の声が響く中、再び剣を打ち下ろそうとしたサムエルを止めたのは、妹コーネリアの悲痛な叫び声だった。
 なぜとない胸騒ぎに、兄と夫の様子を見にやって来た彼女は、惨劇を前にたまらず飛び出して来たのだ。
 だが、その彼女を阻んだのは、女魔道師フェルナであった。
「さあ、王子よ。早くとどめを」
 必死にそちらへ駆け寄ろうとするコーネリアの体を捕え、フェルナはサムエルに促した。その声に操られるように、サムエルは再び剣を打ち下ろす。
「愚かな王子よ。その女が何者なのか、しかと見よ!」
 苦悶の打ちに、ルシフォールはそんな叫びを残して絶命した。
「ルシフォール!」
 吹き出すルシフォールの血潮がサムエルの体を染めるのと、コーネリアが絶叫と共にその場に崩折れるのとは、ほとんど同時であった。
 全身をルシフォールの血で真っ赤に染めながら、呆然とサムエルがフェルナの方をふり返る。
 フェルナの肩が小刻みに震えていた。
 やがてその震えは大きくなり、彼女の口から激しい哄笑がほとばしる。
 それと共に、慎ましい女魔道師の姿は、毒々しい魔女へと変わった。
「おまえは……!」
 その姿を目の前にして、サムエルはやっと自分が欺かれていたことに気づいた。
 女魔道師フェルナとは、魔女フェスタリア・フェスタが化けた姿であったのだ。
「私を滅ぼそうとした愚かな国の王子よ。我が報復の恐ろしさを、身を持って知るがいい。だが、これはほんの小手調べぞ。私はいずれそなたの国を滅ぼし、この世界をも滅ぼす所存じゃ。私をあのような地下に封じた神々への復讐としての」
 そう言い捨てて、魔女は哄笑と共にかき消えた。
 あとに残されてサムエルは、ただ呆然とその場に立ち尽くす。
 ようやく、自分がどれほど恐ろしいことをしてしまったのかに気づいたのだ。
 我に返って、水晶の床に倒れ伏している妹の方へと駆け寄った。
 そっと抱き起こした彼の腕に、妹の体は冷たく、押し当てた胸に命の鼓動は驚くほど弱かった。
「コーネリア! コーネリア……!」
 小さく名を呼びゆすぶると、彼女はかすかに身を震わせた。
「兄様……?」
「おお、コーネリア。すまぬ。私は、魔女に欺かれたとはいえ、そなたの夫をこの手で殺めてしまった……!」
 強い後悔と共に告げるサムエルを、コーネリアは白い手でそっと制した。
 その手にはすでに命の息吹すら感じられず、まるで幽鬼のようだ。
「起こってしまったことは、今更悔いてもどうなるものでもありません。兄様は、次へと進まねばなりません」
「次へ、だと?」
 妹の強い口調に、サムエルは思わず顔を上げる。
 それへ、コーネリアは言葉を続けた。
「そうです。私たちのできなかったことをするために。私の命の火も、もうすぐ消えてしまうでしょう。私のか弱い肉体は、このような恐ろしいことにはとても耐えきれませんから。ですが、兄様は生き永らえて、私たちの和子(わこ)をより良き道へと導いて下さいませ」
「そなたたちの和子、だと?」
「はい。私の命が尽きた時、この肉体より八つの魂が天に向かって放たれましょう。それは、この世に生まれ出ることができなかった、私とルシフォールの子供たちです。その子らはいずれ、この地に天空神レアの王国を築くための礎となりましょう。ですが、それを成し得るためには、導く者が必要です。その役目を、兄様が担って下さいませ」
「それが、私への罰ということか……」
 妹の言葉にサムエルは、低く呟いた。そして強くうなずく。
「わかった。その役目、かならず。私の愚かさが、そのようなことで贖うことができるのならば」
「ありがとう、兄様」
 コーネリアの声は次第に震え、かすれて行く。だが彼女は、その最後の力をふり絞って、なおも言葉を紡いだ。
「魂が、天に向かって放たれるを見たあとは、ルシフォールの角を折り、それを持ってこの山を下りて下さい。角は、私の髪がれば簡単に折れましょう。その角が、和子たちの行方を知らせてくれるはず。兄様、どうぞ、和子たちを……」
 彼女の声は次第にかすれ、やがて途絶えてその頭が力なく垂れる。
 サムエルは、妹もまた息絶えたのを知った。
 激しい悲しみが彼の胸をふさぐ。しかし彼には、それに浸ることは許されなかった。
 あふれる涙をそのままに、彼はそっと妹の遺体を水晶の床へと横たえた。
 と、彼女の言葉どおり、その腹のあたりからふいに白い光が湧き上がる。
 それはやがて、八つの光の球に分かれると、そのまま空中へと立ち昇り、いずこともなく消えて行った。
 サムエルはそれを見届け、妹の髪の一本を抜き取ると、それを手に白銀の竜ルシフォールの居間はもう動かぬ体によじ登った。その高き額から、水晶の角を根本から切り取る。これもまた、コーネリアの言葉どおり、彼女の髪を使うと驚くほど容易くできた。
 切り取った角を手に、サムエルはそのままそこをあとにする。
 城がかなり遠くなったあたりで、主とその妻の異変に気づいた竜たちが追って来たが、どの竜も彼に傷一つつけることができなかった。
 ルシフォールの血潮を浴びた彼は、不死身の肉体を手に入れていたのだ。
 山を下りたサムエルは、その後ぷっつりと消息を絶った。
 テラボーンの山脈での出来事を知った祖国エリスでは、誰もが、彼が己のしたことを悔いて自ら命を絶ったのだろうと噂した。
 やがて五十年が過ぎた。
 王ルーゼルフも今は歓びの野(マーグメルド)へと去り、エリスを治めるは新たな王となった下の王子コーラルである。
 エリスの周辺にひしめく小国は、相変わらずの戦と同盟を繰り返している。
 そんな中、それらの国々の間で囁かれる一人の魔道師の噂があった。
 その名をサークラムド。
 水晶の杖を持つ魔道師であるという。
 そう、彼こそは、かの王子サムエルだった。
 かつて折り取った竜の角は彼の杖となり、彼の行くべき道を指し示す。
 さながら、今は亡きコーネリアの白い指先のように。
 そして、これが始まり。
 大陸には更なる嵐が荒れ狂い、その中で竜の和子たちは数奇な運命の果てに巡り会う。
 だがそれは、はるか先の物語なれば。
 今宵はこれで、終わりとしよう。
 ――口伝八人の竜の和子より抜粋。
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初公開日: 2020年07月28日
最終更新日: 2020年08月01日
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800文字デイリーチャレンジ 3DAY三十分くらい書くよ~~ はい終わらない!!いつものこと!仕上…
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