古いレンガ造りのあばら屋は、耐えずすきま風が吹いていて、ところどころ、風避けにボロ布がぶら下げられている。何に使われていたものだったのか色も素材もまちまちで、それが揺れる度、青臭いかびの臭いが鼻をついた。荷をどければ広いだろう室内には、空の酒瓶や、果物の固い芯の部分、きれいに肉がなくなった動物の骨がそこらじゅうに転がっている。売れ残った盗品が入った木箱が壁に沿って積み上がっていて、入り口からして倉庫のようだった。
 いくつか部屋を抜けると、重い鉄の扉がある。扉の周辺だけは、レンガの色がくすんでいない。セメントでがっちりと固めてあった。扉も、縁がさび付いてはいるが、建物全体から見れば新しい。大人の拳ほどありそうな大きな錠前が、いかにもこの先に入るべからずと訴えていた。開ける鍵は、ほんの数本。鍵番は丸一日中、この部屋の前にいなくてはならない。
 奥にあるのは広い木製のテーブルと、黒い鉄でできた横長の金庫。壁には古びた世界地図が貼られ、ところどころにピンが打たれていた。窓と呼ぶにはあまりに細すぎる、通気のためだけの隙間が空いている。部屋の隅にある太く長い蝋燭は、長時間火を灯していても易々と消えることがない。その火でもって、天井からぶら下がる歪んだ鉄のシャンデリアに一本一本火を灯していく。種類のまとまらない武具が立てかけられており、さながら、ここは兵士たちが戦略を立案する軍議の間のようだった。実際、ここで行われているのはある種の作戦会議だ。
 エリックがはじめてこの部屋に入ったのは、デルカダールから脱出を試みる半年近く前のことになる。
 重い扉が開かれ、男たちの汗や脂の臭いが扉の前に漂った。その場に居た全員がエリックに目をやる。少年の姿を確認すると、ギラギラとした男たちの視線は、大テーブルの上に戻っていった。一番奥で煙草の煙をくゆらせているのが盗賊団の頭目だ。頭目とエリックが言葉を交わしたことはほとんどと言ってない。恐らく頭目は、この小さな少年がいつこの街に売られてきたのか、一団のなかでどのような役割を担っているのか、知るよしもなかっただろう。
 煙草を咥え直す手は節くれ立っていて、よく見ると薬指の先がなかった。そんな欠損がどうでもよくなるほど、顔や腕には生涯消えることのない、深い切り傷の跡がいくつもある。テーブルの周りに立つ男たちも、大なり小なり、頭目と同じような傷や欠損を持っていた。身体に傷を負うことを苦とも思わなければ、与えることにも躊躇がない。
 エリックは、息を殺して意味もなく壁に背をつけた。
 本当なら、呼ばれてもこんな場所には入りたくない。できるだけいないことにならないかと、床に目線を逃がそうとしたとき、ふと、一人の盗賊に目が行った。
 その盗賊は、一団の男達と少し距離を取るように、テーブルの前に立っている。少しばかり小柄だ。わずかに横顔が見えたが、目元の他は黒い布が巻かれていて顔立ちもわからない。ただ、凜とした佇まいがこの場にそぐわないような気がした。
 ここに来て三年。このアジトの出入りが激しいことは、エリックにもわかっている。いわば、ここはギルドなのだ。デルカダールの街や、近隣の寂れた村々を拠点に活動している盗賊団が集まってくる。人手が欲しい者もいれば、仕事を欲しがる者もいた。常にここを根城にしているのは、頭目をはじめ、十人程度しかいない。あとは、外で仕事をしてその帰りか、食い扶持に困って一時的に居候しているということがほとんどだ。そうした根無し草たちを含めると、人数は三、四十人にのぼり、あぶれた者は隣接している木造の馬宿のような家に住んでいる。女子供はそれとは別だ。
 この盗賊は、見たことのない風体だから、恐らく、頭目に何かしらの相談か、挨拶に来たのだろう。この場では立場が弱いはずだ。しかし、威圧的な男たちに囲まれながら、彼は気圧された様子がない。
「もう一度聞くが、コイツは本物か?」
 不意に、頭目が低い声で尋ねた。こくりと、彼は頷く。
 どうやら、大テーブルの上に何か置いてあるらしい。エリックの場所からは、人の影になってそれが何なのか見ることができなかった。幾人かが、鼻で笑う。
「あんまりに馬鹿げてますよ」
 別の男が言った。
「こんなもん、どうやって売りつけろって言うんです?」
 呆れたように首を振ると、彼に向かって語気荒く「お前らにやった仕事はこれじゃねえだろう」と凄んだ。どうやら、彼は一団から何事かの仕事を与えられたらしい。しかし、目的と違うものを盗み出してきた。成果を上げられなくては報酬はない。弁明のためにここに来て、対価となりそうな品を見せているのだ。しかし、一団の男達の機嫌はすこぶる悪かった。
「ユグノアの秘宝なんて盗む馬鹿がどこにいやがる! これがガラス玉でないなら、そっちの方がよっぽどまずい事くらいわからねえのか!」
 怒鳴り声に、通気の悪い室内の温度が一層上がったような気がした。ビリビリと、指先が痺れる。
 ユグノアという言葉に思わず声の方を向いた。六〇〇年前に、世界を救った勇者が再建を進めた国。当時の大国、デルカダールが滅んだ今、世界の中心はユグノアといって過言でない。ただ、この時のエリックには、〈勇者の故郷〉という知識しかなかった。
「盗って来ちまったもんは仕方ねえ」
「仕方がねえもんか! コイツを取り戻しにユグノアの兵隊が来たらどうする!」
「なら返せってのか? 一度盗み出したもんをどうやって返すんだ? 返したところで、オレたちは全員首に縄をもらうだけだぞ?」
 殴り合うような声で、男達は言い合う。
 エリックは一刻も早くこの場から立ち去りたかった。なぜここに呼ばれたのか、何の説明も受けていない。座ることも、口を開くことも許されず、重苦しい空気を吸い続けている。
 アジトに連れて来られて二年以上経つというのに、この空気に馴れることができない。怒鳴り声を聞く度に、肺の奥の方が痛んだ。思わず胸を押さえたくなるが、それすら許されない。
「おい」
 と、頭目が低く唸る。周りの男たちが言い合っている最中、この男はねめつけるように事態を引き起こした張本人を見ていた。
「てめえだって、昨日今日で盗賊家業をはじめたってわけじゃあねえだろう。わざわざこんなもん持ち込みやがったんだ。算段がついてねえなんてぬかすんならよ、てめえの部下にこいつを戻すように言え。ただし、この場でお前の首を斬って、脳みそにコイツをぶち込んでからだ。首ごと届けさせろ」
 色よい返事以外は受け付けないという様子だ。弁明が聞き入れられるほど甘くはない。
 エリックは、いつでも目を瞑れる準備をして、小柄な盗賊を見ていた。
 狭い室内。男の腰には短剣が差してあったが、多勢に無勢だ。逃げる道は自分の横の鉄扉しかない。しかし、そこにはやはり武装した盗賊団の男が立っている。
 エリックが、ごくりと痛いほど喉を鳴らしながら唾を飲み込むと、
「算段ならある」
 と、涼やかな声がした。
 ハッとして目を見開く。声が高い。少年だろうか──いや、盗賊は女だ。
「ほう」
 頭目が笑う。それから、追求するような言葉が出てこない。多少、彼女に視線を向ける男たちはやきもきしているようだったが、頭目はその〈算段〉とやらをここで深く聞こうとはしなかった。
「今回の報酬は四分の一だ。構わねえな」
「わかってる」
「まあ、こっちだって危ない橋をわざわざ渡りたかねえんだ。金になるようにしろよ。まずは次の仕事だ。──オイ、ガキはどこだ?」
「こっちですぜ」
 と、扉の横で煙草を吹かしていた男が言う。顎でエリックを指すと、蛇のような目がチラリと少年の様子を伺った。
 エリックが顔を上げる。できるだけ、動揺しないように拳を握った。
「こっち来い。何、取って食いやしねえよ。このガキでいいのか?」
 周囲に問うと、幾人かが頷いた。エリックがテーブルの横に立つ。目だけでぐるりと周囲を見回した。テーブルは目よりも少し低い位置にあって、その中央で輝いている赤い宝玉が目に入る。
 なぜか、強くその光に惹かれた。
 周りでは、「こいつはどんな鍵でも開けられる」「体も小さいから狭いところでも大丈夫だ」「聞き分けはいい、馬鹿じゃない」と、彼らにとっての自分の価値が語られている。それが、どこか遠くで聞こえる戯言のようだった。
「なに? これ……」
 思わずつぶやいてから、口を慌てて閉じた。
「レッドオーブだとよ」
「え?」
 少年が跳ねるように顔を上げる。
「勇者が大樹にのぼったときに使ったっていう?」
 大きく見開かれた目を見て、男たちは吐き捨てるように笑い出す。
「そんなわけないだろ坊主!」
「これだからガキはよお。そんなもん、おとぎ話に決まってんだろう?」
   でもと、エリックは食い下がった。
「ユグノアの宝なんだろ? 今そう話してたじゃないか」
 と続けると、それには男達は閉口する。しかし、ただの魔力の籠もった宝玉としか考えていないようだった。大樹に続く、虹の橋を生み出す秘宝などということは、遠い昔の、誰かが考えたおとぎ話のなかの出来事で、真実だとは思ってもみない。エリックだって、どこかであれは作り話なのだとはわかっていた。それでも、彼はここに連れて来られてからずっと、物語の中の勇者に助けられてきたのだ。
〈勇者とは、最後までけっしてあきめない者のこと〉
 例え作り話だとしても、エリックはこの環境のなかでも膝をつききっていなかった。
 これを持ち込んだ本人はどうなのだろうと、覗き見るように女盗賊の様子を伺うと、巻かれた布のせいで、やはり目元しかわからない。
 ちらりと、切れ長の目がエリックを捕らえる。
 わずかに、瞳が細められたような気がする。こんな子供が、アジトの奥に入り込んでいるのを驚いたのだろうか。それを確かめる間もなく、頭目が口を開いた。
「次の仕事にはこいつを連れて行け」
「……足手まといよ」
 彼女は素早く返答する。
「頼んでんじゃねえ、命令だ」
 頭目はきっぱりとそれを言い退けた。
「コイツは生まれながらに盗賊の才がある」
 その言葉はエリックの胃を、ズンと重くする。
 同じ口から、次の〈仕事〉の中身が語られる。ここに居る人間にとってはいつものことだ。
 エリックはその時、指先まで凍るような思いがしていた。
   +++
 がらんとした宿屋の一室に、わずかに波の音が聞こえる。ウミネコがミャアミャアと鳴きながら、開け放たれた窓の外を飛び去っていった。
 砂漠を越え、湿原を越え、ようやくたどりついた港町の宿屋。柔らかなベッドなどいつぶりの感触だろう。
 ここには、蛇のような鋭い目を持った男も、傷だらけの肌を惜しげもなくひけらかす、盗賊の棟梁もいない。煙たくもないし、窓からはほのかな潮の香りが風に運ばれて来ている。それでもエリックは、壁に背をつけたまま、ベッドの上に身を投げ出すこともできずに佇んでいた。
 随分と遠くまで来た。長い日数、旅をして来た。しかし、エリックの心は未だにあの薄暗い一室に引き戻される。自分の人生はまだ十年かそこらだ。デルカダールの貧民街に身を沈めていたのは、そのなかでも三年ほどのこと。あの鉄の扉の奥に入ったのは、数えるほどしかない。だというのに、この清涼感のある空間でさえ、容易くあの時の記憶に飲み込まれてしまう。
 ぎゅっと、胸に抱えた革袋を身に押しつける。なかには、いくらかのお金と、乾燥させたフルーツが少し、そしてレッドオーブが入っていた。あの日、アジトのなかで見た宝玉が手の中に納まっている。指先で、球体の感触を確かめると、胸の奥がつかえるように痛む。一人で部屋にいると、いやな想像ばかりが頭をめぐってしまって、息を吸いたくて窓を開いたが、あまり解決にはつながらなかった。
「──……」
 浅い呼吸を、大げさなまでに深くする。
 幾度かそれを繰り返すと、自然と、棒立ちになっていた足から力が抜けて、息を吐き出す腹だけがじわりと熱くなった。不意に、それがイレブンが日ごろから自分に教えている剣を扱うときの体の作法と似ていて、胸のつまりがわずかに解けた気がする。
 この部屋にはエリック一人。不意に下を向けば、デルカダールの貧民街が脳裏を過ぎる。それを振り払って無理にでも首をあげる。
 あきらめなかった盗賊の使いっ走りは、この世で一番あきらめの悪かった少年と出会い、今にいたるのだ。
 この町のどこかに、生き別れた妹がいる。
 盗賊団の頭目は、この町のガラス商に次の狙いを定めていた。
 妹の無事を知りたい。彼女が無事で、幸せに生きているのかを知りたい。もしも、平穏な日々が何者かに壊されるようなことがあるのなら、自分が守る──そう言い聞かせて、この港町、ダーハルーネにまでやって来た。
 不意に、ノックの音がする。
 エリックは跳ね上がるようにして、扉の方を見やった。恐る恐る近づいて、扉の隙間に耳を当てると、「わたしよ」と声が聞こえる。万一があったらいやだと思って、ベッドの下に革袋を滑り込ませ、ドアノブに手をかけた。
「ああ、よかった。全然反応がないから、部屋から出ちゃったのかと思ったわ」
 開いたドアの前には、日に焼けた商人の女──ベルタと、その後ろには彼女の主人であるファーリスが立っていた。
 見るからにエリックが安堵したことがわかったのか、二人はそれを見て少しばかり困ったような顔をする。
「だいじょうぶだったのか?」
「ええ。まずはなかに入れてもらっていいかしら?」
「うん」
 エリックは二人をなかに招き入れると、緊張した面持ちで部屋の真ん中に立った。立ってから、ベッドやサイドテーブルに、指先でも頼れる場所に行けばよかったと思ったが、両足が床に居着いてしまってうまく動かない。ファーリスはそんなエリックを見やりながら後ろ手で静かに扉を閉め、ガチャリと金具の音がしたところでベルタはエリックの前に膝をついた。そして、にこりと笑って見せる。
「待たせちゃってごめんなさいね。この町、道が複雑で、思ったよりも港まで距離があるのよ」
「うん……」
「まずは、盗賊たちの乗った船のことね」
「……デルカコスタから来るはずなんだ」
「ええ、言われた通り、港で確認したわ。一番最近でデルカコスタ出航の船が到着したのは一ヶ月前。次の寄港予定は明日だそうよ」
「じゃあ……」
「盗賊団はこの町にたどり着いていないってことになるわ」
 エリックは緊張したまま小さく頷く。
 その様子を見て、ファーリスも声をかけた。
「次は、この町で最近起こった大きな事件がないか聞いてみたんだけど──」
 エリックの大きな青い目が見開かれ、無言のまま視線がぶつかると、ファーリスは思わず「そんな顔しないでくれよ」と自分もなんだか恐ろしい気持ちになって呟いてしまった。
「えっと……いろいろ聞いたんだけど、誰か人が亡くなったり、怪我をさせられたような事件はないって」
 零れんばかりだった瞳が、すうと、一度まばたきした。
 だからと、ベルタが力強く言う。
「盗賊団の襲撃は起こっていないし、やつらもまだ到着してない。よかったわね、あなた間に合ったのよ!」
 そこまで言われて、ようやく肩の荷が下りた。
 この部屋で一人、彼はこの知らせを待っていたのだ。盗賊たちがガラス商を襲撃することは確かだ。エリックには、その襲撃先も、細かな時間もわからない。襲撃がまだだったとしても、すでに船がダーハルーネに到着していたなら、彼の顔を知っている者がいる。迂闊に外を歩くことはままならないし、エリックの所在が知れることは、革袋のなかで眠っているレッドオーブの所在を明かしてしまうことにも繋がる。
「船は明日来るって言ったよね?」
「ええ。この季節は嵐や時化もないから、予定通りなら明日の朝、遅くても夕方には……って」
「イレブンは?」
 表情の明るくなった少年は前のめりになって尋ねた。
 「下にいるよ」と、ファーリスが言うと、エリックは窓に駆けよって勢いのまま両手を桟にかけて身を乗り出した。
 潮風が青い髪を揺らす。オレンジやピンクの家の壁、ところどころグリーンの装飾が目立つダーハルーネの町は、砂漠とはまた違う、まばゆい太陽の光で照らされている。細い路地には家と家の間に洗濯物が揺れて、そこを商人や町の人々、観光客たちが行き交っていた。
 エリックは宿屋の真下を覗き込む。
「イレブン!」
 黄色い声に、遊びっ気のない真っ直ぐな亜麻色の髪をした少年が空を見上げた。
 名を呼ばれ、窓から転げ落ちそうなエリックを見つけると、この世で一番あきらめの悪い少年──勇者イレブンは、小さく口元に笑みを乗せて彼を見返した。
 
 
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いち。
半くらいまで書いてると思います。見てくださってる方、ありがたいです。どうぞ、無理のない範囲で。
95:16
いち。
今日はここまでで終わりにします。来ていただいた方、ありがとうございました。
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長編の続き
初公開日: 2020年07月24日
最終更新日: 2020年07月25日
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いつもの長編の続き書いてるやつです。