お題【エアコン/麦茶】
 拷問するのに、エアコンが利いてるってなかなか贅沢だ。パイプ椅子に腰かけながら、簓はプカプカと煙草をやった。そもそもこんな事務所の室内でやるなやというのが正直な感想なのだけど、事は一刻を争うのかもしれない。所詮付き添いの簓はこの拷問が何のために行われているかなんて興味もないのだ。そんなことより最近練習している、煙をどうすればまあるく吐けるのかのほうが、この場ではずっと重要だった。涼しい室内、血生臭さの充満する鉄筋コンクリートのビルの一室は、男の悲鳴と男の怒声と、それから古びたエアコンの騒音でとても賑やかだ。
 簓の部屋にエアコンはない。地区80年は固い年季の入った木造アパートである。辛うじて8畳、駅近を最も優先させて契約したこの部屋に、先日越してきた。引っ越した理由は割愛するが、簡潔いいって、前の家は燃えたのだ。今回もよく燃えそうな家だが、どうせ燃えるならちょっとでも安くて古いほうが被害も小さくて済むだろうという簓なりの気遣いのつもりである。
 何より壁が薄い。先日空却を連れ込んで一発しけ込んでいた所、早々にお隣さんから壁ドンを食らったばかりだった。そんなに騒いだつもりもなかったのだけど、まあ、事に及んでいたのは事実であるし、そういうことに抵抗のあるお隣さんなのだろう。悪いことをしたと思う。それから空却はいいだけ笑うし簓も萎えるし、その場はそれでお開きになった。ああそうだ、詫びのひとつも入れればなるまい。なんといったって、ボロい安アパートだからってご近所挨拶にも回っていない。トラブルだけは避けたいところなのだ。
「なあ、もう終わる?」
MCDの部下の現場監督としてここに居座って二時間。そろそろ簓も飽きたのだ。叫ぶばっかりで男は何も言わないし、新人部下の手際は悪いし、教育係も手こずっているし。部下ふたりは、涼しい室内なのに汗だくの顔でこちらを振り返った。殴ったり蹴ったり、他にもしたのかもしれないが、簓には関係のないことである。否、チーム内の仕事である以上関係は大いにあるのだけど、この後予定ができた簓には優先案件ではないのだ。さっさと終わらせてな、というつもりで声をかけたのをきちんと汲み取った部下ふたりは、男から情報を聞き出そうとますます躍起になった。そんなに怯えなくても簓はなんにもしないのに。そんなに汗だくになっては暑いのに可哀想だと思って、エアコンの設定温度を最低温度まで下げた。体感冷蔵庫みたいに冷やされた部屋で、簓はさむ、と呟くのだ。
 空却はちっともスマホを見ないので、この間ついに一郎にブチ切れられていた。仕事の連絡もあるのだから、せめて24時間以内に返信することを約束させていて、簓は内心一郎に親指を立てた。着信くらいはその場で取ってほしいので、必ずスマホを持っている時間を設定させたのは大きな功績だ。一日たったの30分の間、その時間なら確実に空却と連絡が取れる時間を設けたので、簓も便乗してそこを狙って連絡をとっている。16時半から17時まで。それが空却が確実にスマホを持たされている時間だった。
 16時59分ピッタリになって、簓はさっそく空却に電話を入れる。しない時もあるし、する時もあるのだが、簓は決まって時間きっかりに連絡を入れる。きっかりって言うのかそれ。以前に左馬刻が事務所で不思議そうに聞いてきたけれども、デジタルの秒数が59.00になるのを待っているのだから、十二分にきっかりと言えると、簓はそう思っている。尤も、左馬刻の前では面倒だったので笑ってごまかした。
 事務所に戻った簓は先ほど購入した菓子折りをローテーブルに雑に投げて、エクスペリアを耳元にあてる。数秒のコール音ののち、プツ、と音が途切れた瞬間簓は矢継ぎ早に切り出すのだ。
「やっほ~空却暇しとる?しとるやんな?今日あとで家おいでやぁ」
『なんで?』
「お菓子あんで~」
『えー。おまえんちあっついだろ』
「心頭滅却したらええなんか。涼しなるんやろ?」
『なってたまるか、あちいもんはあちいんだよ』
「したら暑ないようにしといたるから、せやんなあ、ほんだら俺半には帰れると思うからそんくらいに家集合な!ほな!」
一方的に約束を取り付けるのは専売特許といってもよかった。なんだかんだいって、お菓子につられてくれるはずである。空却をあの家に連れ込むのがちょっとした趣味のひとつに最近なっている簓は、帰宅が楽しみで仕方がないのだ。こんな夕方に退勤するのだ、勿論仕事をサボるに決まっていた。ごめんねの意を込めて、左馬刻が好んで座る席の前に、先ほどの菓子折りの中身をひとつそっと置いた。
 ちっとも終わらないので、さっさと終わらせることにした。
 部下のひとりがひけらかしか何かで振り回しているナイフをちょいと借りて、悲鳴ばっかりの男の前に立つ。男はなかなかに芯のある男らしく、暴力に屈しないその姿は見事である。どうやら情報も吐く気はなさそうだし、であれば何時間もここで相手をするのもつまらない。部下を後ろに控えさせた簓は持参したエンボス手袋を嵌めて、男の足元にしゃがみこんだ。
「お兄ちゃんえらいなあ」
敵意も悪意もなさそうな、本気で感心したような風に簓は言った。えらいなあ。自分の組織をひとりで守っているその姿は、とてもマネできるものではない。チンピラ然とした格好なのに、信念とやらはあるのかも知れなかった。知らんけど。椅子に縛られた男の膝をポンポンと叩いて、おっ脚気ちゃうやん!などと茶化しても、ちっとも笑わない。固い男だった。
「お兄ちゃんな、俺ももうちょっと付き合うてやりたいねんけど、これから用事あんねん」
サンダルの足をナイフの先でちょんちょんとさしても男は動じない。足首も縛られているので動けないのだけれども。口は自由なはずなのに何も言わないところを見ると、覚悟もひと一倍あるのかもしれない。
「まあ兄ちゃんが頑張るのは好感持てるからまた今度遊んでほしいんやけど、今日は手土産だけ貰っとこうかなと思て」
な!にかっと、夏らしく爽やかな笑顔で男を見上げると、怪訝そうに見下ろす男と目が合う。男の後ろの時計はもう16時半を過ぎているから、さっさと終わらせにあと間に合わない。
「実験な、今度どうなったか教えてな」
悪戯に男の足をつつくばかりだったナイフの切っ先は、右足の親指の上で止まっていた。
「なんで人様に差し上げるモンを汚すんだよ馬鹿か?」
「そういわんでや!暑かったんやから仕方ないやんか」
「ちっとも分からん」
「汚すかもしれへんと思て包装紙いれてもろた俺優秀やない?もっとそこ褒めてくべきやと思うねん俺は」
「知らねえよクソ」
 包装紙を破ってしまったので、呼びに貰っておいた包装紙を空却に包み直してもらっている。こういうのをやらせると空却は意外に器用で、きれいに仕上げてくれるのだ。逆に簓はめっきり不器用なので、紙をぐしゃぐしゃにして終わってしまう。ったくよぉとぐちぐち言いながらもやってくれるのだからかわいらしいものだ。コンビニに寄ってきたらしい、ペットボトルの麦茶をたまに飲みながら、店員さんみたいに綺麗に包装された菓子折りが出来上がった。
「おらできたぞ」
「わーい!くうこおありがとなあ」
扇風機が首を回すたびギイギイいう室内でべたっとくっつく。あちい!と引き剥がされる前に、ほっぺたを両手で挟んでしまう。体重をかけると空却は両手を床に付くので、その一瞬の無抵抗を利用してくちびる同士をくっつけた。ぺろりと下くちびるを舐めてから離れると、空却はとても迷惑そうな顔をしている。
「んふ、勃った」
「死ねよ」
「空却その顔もかわええよな」
「お前拙僧の顔でかわいくないって思うことあんの?」
「わあ」
熱烈やんなぁ。日の暮れ始めた熱気の籠る8畳間でくっつきながら、上機嫌な簓はワハハと笑った。
「これ届けてきたらえっちしよな」
「また壁殴られんぞ」
「それをされないように菓子折り持ってくんやで~」
「ふうん」
じゃあさっさと行って来いよとそう言って、空却は風呂場へと消えていった。
 人は足の親指を失っても歩けるのか?
 暇な簓は今日そればかりを考えていた。二時間も待ちぼうけを食らった上収穫もないのでは、ちょっとした遊びにだって興じてみたくなるものだ。時間がなかったのであの男があのあとしっかり歩いたかは知らないけれど、簓は歩けるに賭けてきたので、もしも歩けていなかったとしたら、部下ふたりに飯をおごらなければならない。今回は片足だけだったし、それほど支障もないんじゃないかと、簓は踏んでいる。
 男の足の親指をジップロックに入れて、簓はすぐに百貨店に走った。菓子折りを買うためだ。詫びの品といえば菓子折りである。お隣さんが何人住まいか分からなかったのでファミリーでも行けるように24個入りのあんパイセットを買った。それから左馬刻への詫び用の菓子を一緒に買うのをすっかり忘れて帰ってきてしまったので、泣く泣くあんパイセットのひとつをテーブルに置いたのだ。念のため包装紙を二枚貰っておいてよかった。これをあとで自宅に招いた空却に包んでもらえば、まあ、開けたことはお隣さんにはばれないだろう。
 急いでいたので、空になったジップロックもあんパイと一緒にテーブルに置かれたままなのに、簓は翌日気付くのだ。
「ごめんくださ~い」
何度押しても反応のないインターホンが壊れていることに気付いたのは、連打してから暫くの事である。ひとりで他人の家の壊れたボタンを押し続けている変な男に成り下がっていたことに周知を覚えながら、簓はようやっとノックと共に隣人に声をかけた。ドンドンと、先日頂いた壁ドンよりはいくらか優しく玄関の戸を叩く。中から現れたのは太った中年の男で、ちらと見えた部屋の中には虫が何かにたかっていた。なるほど、なんにもない我が家によくゴキブリが湧くなと思っていたのは、こういうことだったのかと合点がいく。
 心底迷惑そうに出てきた男は、なんだよ、とかすれた声で言った。
「ボク、こないだお隣に越してきたモンですけど、こないだはちょっとほら、迷惑かけてしもたみたいで。申し訳ないことしたなあっちゅうんと、ご挨拶もかねて来ました!良かったらお近づきの印にこれ、詰まらんモンですがよかったらどうぞ。いやあそれにしてもこないだはもうほんますんませんでした!こっちもくれぐれも気を付けるようにしますんで、またなんか気になることとかあったら遠慮なく言うてもらえると助かりますぅ。ほな、長居してもろてすんません。これからお隣さん同士、仲ようしたってくださいね」
失礼しますぅ。ぺこりと頭を下げる。男は何も言わずに室内に引っ込んでいったのを見届けてから、簓は空却の待つ自室へと帰るのだった。
 それから。先の宣言通り今夜も空却と事に及んだけれど、隣人は二度と壁を叩かなくなった。
終わり。
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102:43
しろうちゃん
終わります!難しいね…見てくださった方ありがとうございました~
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ワンドロ 麦茶、エアコン
初公開日: 2020年06月29日
最終更新日: 2020年06月29日
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テストがてらのささく~