突き出した拳はあっさりとかわされた。しかしそれは想定内。背中側のベルトに差し込んだ武器を凪ぐように振るうと相手は、大きく後ろに下がった。直前まで見えていなかった筈のリーチを正確に測って後退している。これを食らわせられるとも思ってなかったが、体制を崩すことくらいはできるだろうというグラドの狙いは外れた。
「ヌンチャクか」
相対する黒いスーツ姿の男はグラドの武器に眼を細める。相手は常に受け身に回る。先手には回らない。グラドはその余裕にも見える態度を利用し、体制を整える。ヌンチャクの繋ぐ紐を肩にかけるように左右の棒をそれぞれ持ち、片足を下げ、下げた足に重心ををかける後屈立ちの体制をとる。
「付け焼刃では私には通用しないぞ」
やけに黒く陰る男の瞳があっさりと見抜く。グラドが見たのは一本の古い映画だった。そこから派生して色々な動画を見て動きを何度もトレースしたが、まだ完全に身についている感覚は確かにない。しかしこの武器特有の動きを見切れるか。初撃を躱された時点で嫌な予感はしているが、まだ使えるか、通用するのか見極められてはいない。上から目線の忠告も、グラドを熱くした。
グラドはヌンチャクを捨てなかった。男はため息をついてグラドにゆっくりと近づく。
「まあいいか」
独り言ちて、瞬間、一気に距離が近づく。
グラドは入らせないように前方に踏み込んで上から腕を振るう。ヌンチャクの間合いは広く、上から来るのか、横から来るのかと見せて相手に選択を迫る。その見える選択肢が相手を容易に間合いに踏み込ませない。いかに相手が強烈な一撃を持っていても間合いに入らせなければ当たるはずがない。
しかし、男はその一撃をまるでどこから来るのかわかっていたかのように完全に見切り、あまりにも大胆に懐に入ってくる。
勢いのまますっと身体の中心に手を添えられた気配に全身が粟立った。踏み込んだ足に重心が降りている為、避けられない。
衝撃が身体に感じた瞬間、制御ができない身体がはじきとばされた。
たたらを踏んで堪えるが、足がもつれ、地面に腰がついてしまった。地についた手の感触が今回も倒せなかった事をグラドに思い知らせる。
「構えがよくない。あれならどこから出るのかわかる」
「ああ?」
<live ここから>
「足運びもよくなかったな。ヌンチャクは真正面から受けられる武器じゃない。常に重心を後ろに預けておき、いつでも躱せるようにしないと」
すらすらとグラドの敗因を述べる男にグラドは、顔を顰めた。
「……やけに詳しいな」
「うちの部下に使い手がいる」
グラドは自分の判断が誤っていたことにうなだれた。背筋が寒くなるのは感じていたが、有名なカンフー映画でも使用されていたので見知った様子自体はそこまで問題視はしなかった。が、初撃を完璧に躱された時点で捨てる判断を入れておくべきだった。遅くとも構えの段階で忠告を受けたときか。その忠告こそ、グラドが冷静に判断できなかった要因の一つではあったが。
「なんでいるんだよ、どういうことなんだ、お前の仕事は」
相手を仕留めるために学んだ技術に足をとられ、己の未熟も見抜かれ、悪態にも力はないが、このまま諦めるのも具合が悪かった。グラドはヌンチャクを放り投げると、その一瞬で立ち上がり、男に向かって飛び込むように大きく踏み込んだ。投げたそれが、男に落ちる直前、同時に拳を浴びる、とその時呑気な声が響き渡った。
「ユアン!グラド!朝ご飯できたわよー」
ユアンと呼ばれた男が、ヌンチャクを払い落とし、声に勢いを失った拳をつかんだところで、本日の勝負は終わりを告げた。
<live ここまで>
朝食は家族でとる。この家の不文律である。
父も母も多忙な身の上であり、夕食を共にすることは少ない。その代わりかどうかわからないが、母は毎朝手料理を振る舞い、家族は一堂に会すのだ。
父、母、妹、は今は寮で生活していていないが、そして自分。家族はそれだけのはずであったがいつも余計な人間がいる。グラドの隣に座っている男。男にしては長い黒髪を無造作に一つに縛り、細身の体はいつも同じ黒いスーツに身を包んでいる。
グラドにとっては天敵のようなものである。睨みつけても、相手に通じないことは分かっているので、おそらく原因であろう母を見やった。
「なんでこいつがいるんだよ」
「あんたの17の誕生日でしょう?」
テーブルの上にはいつもより豪勢な料理が並べられている。グラドの好きな手作りのグラタンもあった。祝う様子ではある。しかし、祝う気ならば、何故この野郎がいるのか。母だって自分がこの男を嫌っている事を知っているはずだ。
「誕生日祝いというなら、私は必要ないと思うんだが」
そっと手をあげ、申告する男。グラドに嫌われている自覚はあるらしい。
「そうね、まずはお祝いしましょうか」
母は息子とその隣に座っている男の言葉をあっさりと流し、飲み物の入ったグラスを掲げた。この家のルールは母である。それを知っているグラドは勿論、その隣の男も、父も母にならいグラスを掲げた。
「17歳の誕生日おめでとう。グラド、これからのあんたの未来に乾杯!!!」
「「「乾杯」」」
宴会の始まりのようであるが、これがいつもの流れだった。しかし、ここからの流れがいつもと違いすぎた。
「それでね、グラド。あんたも17だし、分別がつく年になったでしょ。ユアンと婚約してもらうから」
「は?」
言っている意味が分からなかった。母の言葉は飛躍しすぎていた。唐突な婚約という言葉から、その相手の名前を聞いたところで完全に理解が及ばなくなった。
「なんだそれは」
父も知らなかった様子で、問いただすが、母はなんてないことのように続けた。
「あなたには言ってなかったわね。前から考えていたのよ。旧貴族とはいえ由緒正しいアウグステンブルク家の生まれなのだから、婚約者くらいいたっていいでしょ」
「貴族の婚約は本来家同士の結びつきが重要になってくるはずなんだが」
と父はちらりとグラドの隣の男を見る。グラドにはその意味は分からなかったが、そんなことはどうでもよかった。もっと根本的な問題があるのだ。
「なんで俺がこいつと婚約しなきゃならねえんだ!!!
グラドの隣に座っている男こそがユアンだった。男同士で婚約させるということもそうだが、それ以上に父の前には言い難いこともある。そんな事情は全て否定の疑問になった。
「あんたもいい加減鈍いわねー。ユアンは女よ。なんで気づかないの」
「……は?」
グラドの思考は再び停止した。
隣に座っている男だと思っていた女が珍しく困ったように笑った。
無情にも固まる息子の肩をおいて、父は仕事場へ向かってしまった。もはやこの場にグラドの味方はいない。
母の話では、父方の祖母からグラドに婚約者の一つでも見繕うべきだとせっつかれていたらしく、母・アイリスはわざとらしくしょうがないわよねえと困ったように言った。
「どうせ、あんたには恋人とかいないでしょ」
「ぐっ」
グラドには恋人はいない。というか産まれてこの方出来たことがない。アイリスにそんなことは話したこともないが、グラドの性格をよく知っているのも母である。
「恋人の一つでもいたら、私だってお断りすることも考えたわよ?」
でもいないんじゃねえ。とにまにまと笑いながらアイリスはグラドを追い詰めた。
「だからってこいつはないだろ。つーかほんとに女なのかよ」
未だ世界が反転するような心地から抜け出さないままで、思わずついてでた疑問にユアンがさらりと答える。
「脱ごうか?」
ユアンがシャツのボタンを外そうとする。その行動にグラドも思わず特に盛り上がりのない胸あたりを見てしてしまうが、アイリスの制止が入った。
「ユアン! そういうのはちゃんと恋人になってからやってちょうだい」
「ならねえよ!」
そうか、あっさりとユアンは引いた。おかしい。普通女が自分の性別の証明の為にいきなり脱ぎだすだろうか。
「あんたもさ、なんで反対しねえんだ。あんたはその、母さんの愛人だろ!?」
父の前では言いにくかった婚約はありえないと思った事情である。そしてグラドがユアンを嫌う理由でもある。しかし、本当にユアンが女であるなら、グラドの盛大な勘違いという可能性もある。ならば今までの態度も改める必要があるが。
「愛人というか、恋人だな」
「否定しろよ!」
「そうよ、愛人なんかじゃないわよ、ユアンは。本命よ」
「息子の前で全力の肯定をするな!」
一縷の望みも潰えた。つまりは、現状をまとめると、グラドの母は女の恋人を家にしょっちゅう連れ込んでおり、その上で息子と婚約させようというのである。
自分の母ながら、控えめに言って頭がおかしいのではないだろうか。
<ここから>
ため息を大きく吐いても、現状は変わらない。母は何故か、ユアンを婚約者に仕立て上げようとしている。話が進まないのでグラドは現状を受け入れもう一度、ユアンに問うた。
「母さんの恋人なのに、俺と婚約することになってもいいのかよ」
「それがアイリスの望みならな」
あっさりと言い切った態度にグラドは腹が立った。
「自分の意思はねえのかよ」
「アイリスの望みをかなえるのが、私の望みなんだ」
グラドの怒りの感情を意に介しもしない。いつもと同じ無表情で母へ献身にも似た愛のようなものを語る。
話にならないと思った。
グラドは舌打ちして、母と向きあう。
「俺に恋人がいたら、こいつが婚約者にならなくてもいいんだよな」
「ええ、いいわよ。ただし、ひと月後までに恋人ができなきゃお義母様にユアンを婚約者として紹介するからね」
「……ひと月」
「できないなら諦めなさい」
「やってやろうじゃねえか!」
<ここまで>
「いいのか」