三門市立大学。
その名の通り、三門市が設立した大学、および大学院である。
地域に貢献する人材育成を謳って、経営学部、教育学部、看護学部、社会学部など、多様な分野の教育を施してきた、三門市を誇る大学だったが、五年前に存続の危機を迎えた。三門市を襲った、第一次近界民侵攻だ。
三門市立大学の旧キャンパスは、トリオン兵による直接の攻撃こそ免れ、近くにいた学生や市民が建物内に避難して難を逃れたものの、今後もトリオン兵による襲撃があると予想される警戒区域に含まれてしまった。母体である三門市も突然の災害のような事態による財政難で、あわや廃止かと思われたが、そこに救世主が現れた。
三門市に彗星のように現れ、異世界からの侵攻を食い止めた境界防衛期間、ボーダーは、侵攻で家族を亡くしたり、家を壊されたりした住民に対して支援を行う代わりに、子どもたちのボーダーへの入隊などの協力を取り付けていた。その一環で、隊員たちの進学先の確保のため、三門市を通して大学を援助したのだ。
再建された新キャンパスは、旧キャンパスの職員や学生だけでなく、ボーダー隊員たちの受け入れ先にもなり、三門第一高校や六頴館高校と同じく、ボーダー提携校として新たな道を歩み始めた。構内にはトリガー研究室というボーダーの派出機関も作られて、市民にボーダーを理解してもらうための役割を果たすことになったのである。
「すいませーん、ボーダー研究室に13時からアポとってる迅ですけど」
昼下がりの大学の正門は開放されている。一、二限で授業が終わり、学食で昼ご飯を食べてからバイトに繰り出す学生や、その逆で三限の授業に出るべく登校してくる学生、フィールドワークに出るゼミの一行など、人の行き来は絶えない。そんな正門の、入ってすぐ脇にあるプレハブ小屋の守衛室を覗き込んで、迅は守衛に声をかけた。
「あぁ、いつもの」
「お世話になりますー」
「名前と連絡先書いて、許可証、見えるように首から下げてね。行き先以外は入らないようによろしくお願いします」
「はーい」
「帰りに返してくれよー」
守衛も、定期的にやってくる顔見知りの部外者を認めて、気軽に返事をしてくれる。いつもの注意事項を聞きながら、迅は入構記録に名前と連絡先を書き込み、入構許可証と書かれた灰色のネームホルダーを受け取る。それを首から下げて、目的の建物に向かった。
四年ほど前に完成したこのキャンパスが、ボーダーの本部基地ほどではないがトリガー技術を駆使して作られたことを知っているのは、上層部とほんの一部の隊員だけだ。とはいえ、一年かからなかった完成の早さに、噂は流布している。迅は警戒区域内の旧キャンパスも知っているが、昭和感あふれる向こうの建物からすると、新キャンパスの建物は四年経っていても新しく思えるものだ。
そんなことを考えながら歩いていると、帰り際らしい女子学生のグループが、迅の服装に目を留めて訝しげな顔をした。
「あれ、ボーダーの隊服じゃない?」
「え、今日って説明会とか避難訓練、あったっけ?」
「それか何か起こったとか?」
ひそひそと声を潜めていても、漏れ聞こえる単語からなんとなく内容は察せられる。任務を終えてすぐに来たので着替える暇がなかったが、普段から生身でもボーダーや玉狛支部のエンブレムのついた服を着る迅なので仕方がない。でも上脱げば良かったかな、と思っていると、女子学生たちの会話の続きが聞こえてきた。
「あー、トリガー研究室に学外の隊員とか結構来るから、それじゃない?」
「トリ研かー、確かになんかあったらもっと大人数だよね」
「太刀川くんさっき中庭でサボってたし」
「いいよねートリ研。あたしもボーダー入ろうかな」
「どうせ嵐山くん目当てでしょ、やめときなよ……」
「嵐山くん今日来てないねー、防衛任務かな」
(太刀川さんサボってるんだ……あ、風間さんが怒りに行くなこれ)
正しく迅の用事が理解されてホッとしたのも束の間、突然一つ上のライバルの情報が入り、直後、脳裏にパッとイメージが閃いた。中庭のベンチで猫に餌をやっていた太刀川が、怒り心頭でやってきた風間に単位を落とすなと怒鳴られて引きずられていく未来だ。ついでに数週間後、太刀川に「サボっても大丈夫な講義視てくれ!」と頼まれる未来まで確定して、ちょっと辟易した。
次に視えたのは、そういう見慣れた隊員たちではない、知らない女性が、スーツ姿でボーダーの入隊面接を受けている未来だった。知らない、と言うが、その女性はさっき通りかかった女子学生のうちの一人だった。ボーダーに入りたがる友人を、嵐山目当てだと言って止めていた子だ。その先は、ボーダーに入る未来と落ちる未来、両方が視えたのでそこで深追いはやめにする。
(……久々に来たけど、相変わらず大学はウェルカムな人多いな)
三門市と言ってもそれなりに広く、ボーダーに対して未だに反感を持つ人も少なくない。だが、ボーダーの息がかかっている三門市立大学は、学生にボーダー隊員が多数いるため、むしろ好意的に受け入れてくれるほうだ。特に今在籍している学生は、留年や浪人でない限りほとんどが侵攻後の入学のため、よりボーダーを身近に感じているだろう。
「お」
講堂を通り過ぎ、渡り廊下で繋がった第一棟と第二棟が見えてきたあたりで、聞き覚えのある声がした。
「迅じゃねぇか」
「弓場ちゃん」
偶然すれ違ったのは、同期でこの三門市立大学に通っている、弓場拓磨だった。トリオン体では恐れられがちなオールバック姿だが、今は髪を下ろし、メガネ姿もあいまってインテリ然としている。目つきの悪さと佇まいから滲む近寄り難さは、長い付き合いの迅からすれば可愛いものだ。
「なんでお前が大学に……」
「トリ研にサイドエフェクトの検査だよ」
ボーダー専業で大学進学を選ばなかった迅がキャンパスにいるのに、弓場は訝しげな顔をした。ただでさえ趣味の暗躍で多忙なことを知っているので無理もないが、入講許可証を見せながらそう言うと、ああ、と思い出したように頷かれた。
「そういやァ、研究協力者か」
「サイドエフェクト研究が本部からトリ研に正式に移ったから、3ヶ月に1回来なきゃいけないんだよね」
「ご苦労なこったな」
本部の開発室では、日夜様々なトリガーやトリオンに関する研究・開発が行われているが、なにぶん最前線基地であるだけに、急を要さない開発や長期に渡る研究はどうしても後回しにされがちだ。そういうものを拾って持続させたり、開発室と連動して大量の実験を行ったりするために作られたのが、トリガー研究室なのである。サイドエフェクト研究もそのうちの一つだ。場所を取る検査機械をトリガー研究室に移し、より様々な検査ができるように環境を整えた上で、長期研究として継続されている。
そこまで考えて、迅はかねてから疑問に思っていたことを思い出し、弓場になんの気なく訊ねた。
「そういえば風間さん、別の研究に移ったよね。次の担当者って誰か知ってる?」
風間は大学二年の頃から、サイドエフェクト研究の隊員責任者を務めていた。自分の隊に引き入れた菊池原や、スコーピオン使いの後輩である影浦など、サイドエフェクト持ちと関わるうちに、さらなる研究の必要を感じ、開発室から徐々に研究を引き継いで、トリガー研究室に移した功労者である。
しかし、四年への進級と同時に、卒業後を見据えて別の研究に移ることになった。そのことを風間本人から聞いた時点では、後任が決まっておらず、そのまま聞きそびれて今日を迎えたので、ついでに聞こうと思ったのだが、弓場は形容し難い表情になった。
「お前、誰って……」
「俺だが」
言いづらそうな弓場の言葉に被せるような低音が、迅の後ろから聞こえてくる。振り返った迅の視界に飛び込んできたのは、ワイシャツにジャケット、かっちりしたパンツという相変わらずきちんとした格好に、パンツのポケットに無造作に手を突っ込んで、威圧感満載に佇んでいる二宮匡貴だった。
「うわ……二宮さん」
「おい、うわってなんだ」
思わぬ人選に、弓場同様神妙な顔になった迅は、脳裏に立て続けに閃くイメージを首を振って追い払った。二宮だけでなく太刀川とか加古とか諏訪とか、色んな先輩たちが出てくる未来が視えた気がするが、重要度は低そうなので無視する。そんな迅の態度に眉を寄せかけて、二宮はふと不思議そうな顔をした。
「……知らなかったとしても、視えていなかったのか?」
風間から二宮に研究が引き継がれることは、迅の介入によって変えられる未来ではない。となると、どこかで視える未来だろうと思ったらしいが、迅はううん、と首を横に振った。
「おれ、ここは基本部外者なんで。こういうときでもないと視えないんですよね」
「そういうものか」
いちいち視ていたらしんどいから、という理由は口には出さないが、研究室どころか大学すらも普段来ないゆえに、事情や今までの流れに詳しくなく、よってあまり視えない、というのは本当だ。
「長期研究だから視ても役に立てるわけじゃないしー、おれ高卒だし」
「高卒は別に関係ねぇだろ、スコーピオン作ってたじゃねぇか」
「あれはエンジニアさんもすごかったからさぁ」
「それに、高卒でエンジニアと言えば寺島さんという例があるだろう。珍しくもないと思うが」
「いやーあの人こそ例外でしょ。学生でほぼ一人でレイガスト作っちゃうんだもん」
立ち話に興じていると、遠巻きにする学生が増えてきた。ちょうど授業前で、弓場のように移動中の学生が多いのだ。あれ二宮? とか、ボーダーじゃん、と言った声が聞こえてきて、二宮はちらりとそちらを気にした。同期とならまだしも、部外者の迅をこれ以上目立たせるのは良くないと思ったのか、体の重心をずらして足を目的の方向に向けた。
「……早く行くぞ」
「はーい。じゃ、弓場ちゃん、またあとでね」
「何が視えてんだ、てめぇ」
立ち去り際に、そう含みを持たせて言うと、弓場は露骨に嫌そうな顔で、しっしっ、と犬を追い払うような仕草をする。まぁ、天然の嵐山と悪ノリした生駒っちに巻き込まれるだけなんだけど、とは言わないでおいた。
トリガー研究室は、キャンパスの奥、木々に囲まれたところに建っていた。パッと見は分からないが、機密事項を扱うことも多いので、警備はしっかりしている。例えば、入り口にはスキャナーが設置してあり、登録してあるトリガーをかざさないとドアが開かず、無理やり入ろうとすると警報が鳴る、といったシステムだ。他にも、窓はトリオンで強化されたガラスだったり、捕獲トラップなども仕掛けてあるらしい。
「二宮さんってさ」
「なんだ」
スキャナーにそれぞれのトリガーを読み込ませて、トリガー研究室に入る。中はボーダーの開発室と同じような感じで、ずらりと並べられたデスクの上には、資料や模型、パソコン、計測機器などが所狭しと置かれている。自分のロッカーを開け、ジャケットを脱いでしまっている二宮の背中に、迅は問いかけた。
「なんでサイドエフェクト研究選んだの?」
「なぜ俺にはサイドエフェクトがないのか、疑問に思ったからだ」
迷う間もなく即答されて、迅は少し拍子抜けした。迅を胡散臭がって、そういう質問には答えない者も多い。
「……分かりやすいね」
「バカにしてんのか?」
「してないって!」
思わず素直な感想を溢した迅を、二宮はじろりと睨めつけた。慌てて否定すると、フン、と鼻を慣らして、ロッカーを閉める。
「サイドエフェクトは基本的に、トリオン能力が高い者に発現する。発達したトリオン器官、あるいは高いトリオンが、感覚器官や脳になんらかの影響を及ぼし、感覚や能力に変化をきたした、というのが定説だ」
「うん」
「稀に、外的要因によって発現することもあるが、それも一般人以上のトリオン、ボーダー隊員の平均値くらいのトリオンを持つ者に発現している」
話しながら歩き始めた二宮の後を追う。サイドエフェクト検査は、専用の検査室で行う決まりになっている。二宮はポケットから鍵を取り出して検査室を開け、壁を探って室内の電気をつけた。
「だとしたら、ボーダー隊員の平均値の1.5倍から2倍のトリオン量を持つ俺は、その発現率が他の者に比べて高いはずだ。だが実際はそんなものはない」
「そうだねぇ……絶対あると思ったのに、ついぞ出なかったね……」
二宮の入隊時を思い起こして、迅は苦笑した。二宮は侵攻直後ではなく、少し後の入隊だったが、計測したそのトリオン値の高さに、よくぞ侵攻で捕まらなかったものだと古株の隊員たちは震撼したものだ。となれば、現在よりもサイドエフェクトが貴重だった当時、二宮になんらかのサイドエフェクトが発現しているのではないかと思われ、検査が行われたものの、まったく引っかからなかった。
「でも、出水だってレイジさんだってないし、強化五感とかはそこまでトリオン高くなくても出るし、そんなもんじゃない?」
「その、そんなもん、が重要なんだろうが」
呆れたように言われながら、バインダーに挟んだ問診表を渡される。前回の検査時から変わったことなどがないか、自己申告で書かされるのだ。このあたりの仕組みも全て、風間が作り上げたものである。
「トリオン量が影響するのが傾向程度なら、外的刺激なり体質なり、ほかに別のファクトがある。それを突き詰めるのは基地の開発室じゃ忙しすぎるが、ここなら可能だ」
「なるほど。そういえば風間さんも同じようなこと言ってた」
迅を始め、天羽、影浦、村上、菊池原、陽太郎など、ボーダーのサイドエフェクト発現者に共通した何かがないか、それを調べ上げたい、と風間は言っていた。迅たちよりよっぽどトリオンがあるのに発現しなかった二宮も、同じようなことを疑問に思い、研究に興味を持ったのだろう。風間はそんな二宮なら研究を進められると思い、引き継いだに違いなかった。
「ったく……さっさと始めるぞ」
「了解」
「……よし、とりあえずこれで終わりだ」
「お疲れ様でーす」
「ご苦労。お前は安定してるな」
「俺「は」?」
「……菊池原や村上が、成長期だからかトリオン値も伸びてる。それに副作用の精度が左右されないか、経過観察中だ」
「まー確かに、おれは身長もトリオンもだいたい止まったからねぇ」
「とはいえ、お前はSランクだからな。また一年付き合ってもらうぞ」
「はーい」
「……」
「ていうか、この研究って、進んだらどうなるの?」
「どう、とは?」
「二宮さんは自分に副作用ないのが不思議だったからって言ってたけど、研究が進んで条件が分かれば……、たとえば、人為的に副作用を発現させたりできるようになるのかな」
「……その方向に進めなくもないが、少なくとも俺が目指しているのは、その前だ」
「前?」
「すでに発現した副作用の制御方法」
「、……」
「確かに副作用は有用だ。だが同じだけ、あるいはそれ以上に、保有者への負担が大きい。精神的にも肉体的にもな。企業としてのボーダーにとって、社員の労働環境改善は放置できない問題だ」
「となると、戦闘などの必要なとき以外は副作用を働かせない、つまり制御できれば、負担は軽減できる。そのためにはやはり、トリオン量以外の原因を探ることが……おい、迅?」
「あはは、二宮さんってさ……」
「なんだ?」
「……なんでもない!」
「ね、制御方法が分かったら教えてくれる?」
「……話が逆だ。俺は副作用を持っていない。実際の制御方法を考えて試すのはお前らだぞ」
「え、そういうこと?」
「あぁ。来年度は二人も副作用持ちが入ってくるから、研究が進むな」
「こき使う気じゃん。鋼はともかくカゲは嫌がるでしょ」
「どうせ入学すれば、全員半自動的に研究室に籍を置く。あの太刀川だって東さんにこき使われてんだ」