4,結婚したのか?僕以外のやつと。(完全独立設定)
生徒達の声や足音で騒がしいディアソムニア寮の自室にて。セベク・ジグボルトは、クリスマスのホリデーに故郷である茨の谷へ帰郷するのを、胸の内で酷く楽しみにしていた。
茨の谷で特にやりたい事があるわけではない。自学に励むよりは授業を受け、新たな知識を身に着けた方が実になると思うし、鍛錬は何処でだって出来る。それに馬術の訓練をしたくても向こうには馬がないから練習にならないし、そういった面では、彼にとってホリデーは憂鬱である筈だ。しかし其れを考慮しても帰郷を心待ちにしているのには理由があった。主君であるマレウスの側に付きっきりで居られるのも理由の一つであるが、もう一つの大きな理由。
それは、故郷に想い人が居るからである。
想い人は#name2#といった。茨の谷のどの人間とも似ていないミステリアスな面持ちの女は、リリアが嘗て極東を訪れた際に見つけた捨て子であり、セベクやシルバーよりも僅かに年上で、今はドラコニアの屋敷で使用人として奉公をしている。(リリアは#name2#を痛く可愛がり、使用人として働かせる事を快く思っては居なかったが、父が仕える主君の役に立ちたいと言う彼女の立派な志に感銘を受け、重い物を持たないという条件付きで奉公を許したのだ。)
セベクが初めて#name2#に会ったのは、ヴァンルージュの屋敷の敷地内でリリアに狩りを教えて貰っている最中の事だった。彼の放った矢が見当違いの場所に辺り、標的であるウサギが驚いて茂みに飛び込んだ。狙った標的は必ず仕留めなくてはならないと躍起になっていたセベクはウサギに倣って茂みに飛び込み、草木を掻き分け、標的が進んでいった筈の方向へと進んでいく。草の青い香りと湿った土の匂いが鼻を付き、木漏れ日が眩しかったのを覚えている。
暫く進むと突然開けた場所に出た。吹き抜ける爽やかな風に揺られてざわめく草木と、其の真ん中に堂々と広がる穏やかな湖面を湛えた美しい泉がセベクを出迎え、小鳥の声が彼を誘う。キョロキョロと視線を彷徨わせ周囲を伺えば、泉の辺りに先程の野ウサギが居て、湖面に口を付けて水を飲んでいた。
気配を悟られない様足音を消し、慎重にウサギに近付く。草を踏む軽い擦過音と自分の鼓動すらも邪魔なほどに彼は集中していた。弓を持ち直し矢をつがえ、照準を定めて息を潜める。弦は張り詰め、篦がぎりぎりと音を立て、放たれる時を今か今かと待っている。
白鳥の矢羽を掴む指の力を緩めようとした瞬間、大きな水音がして、不意に放った弓はまたあらぬ方向へと飛んでいってしまった。慌ててウサギに視線を向ければ、標的は水音に驚き、彼に尻を向けて茂みへの向こうへ走り去った後であった。落胆よりも狩りの邪魔をされた事に対する怒りが大きいセベクは、燐光を孕む鋭い瞳を泉へと向ける。水音を立てたのが熊でも鰐でも、怒りに飲まれた今なら殺す事が出来ると思ったのだ。
しかしそこに居たのは、茶色い毛並みの熊でも鰐でも無く、一糸纏わぬ姿で立ち尽くす黒髪の少女だった。ぐっしょりと濡れた黒髪は白い肌に油絵の様に張り付き、オニキスよりも黒い瞳が彼をじいっと見詰めている。彼もまた、初めて見る不思議な顔立ちの少女と其の裸体に釘付けになっていたが、彼女がゆっくりと瞬きをした後で我に返り、直ぐに後ろを向いた。
幼いながらに、見てはいけない物を見てしまったと思った。女性らしさの欠片も無い薄いばかりの身体でも、彼にとっては女人の裸体である。ウサギの事などすっかり頭から抜け落ち、今はただただ顔が熱かった。
「こんにちは。」
水が波打つ音と共に聞こえた声は、鈴の音よりも繊細で清廉な響きを持っている。しかしセベクは、挨拶よりも先に服を着て欲しいと思っていたので、何も言葉を返さない。
彼女は、彼が物言わぬと判断したのか、水音は少し遠くなり、暫くごそごそと物音を立てた後で草を踏む音と共に再度「こんにちは。」と声を上げた。
セベクが恐る恐る声の方向へ視線を向ければ、少女は白い綿のワンピースを纏い頭にタオルを被せ、漆黒の瞳を日光に煌めかせて立っていた。
「こ、こんにちは。」
漸く口を開いたセベクに、少女は薄い唇を持ち上げる。其の顔は、やはり珍しいこの辺りでは見たことが無い顔立ちをしていた。
「こんな所で何してるの?」
「僕は、リリア様に狩りを…。」
「お父様に?」
「お父様?」
「リリア・ヴァンルージュは私のお父様。」
其処で初めて、この少女がリリアが溺愛している娘であると知ったセベクは丸い瞳を更に大きく見開いて不躾にも彼女を凝視してしまった。確かにシルバーには血の繋がらない姉が居ると聞いた事が有るが、まさか自分よりも幼く見えるこの少女がその人物であるとは思いもしなかったのだ。
「あなたはシルバーのお友達?」
「いや、友達というわけではない。」
「そう。あの子はぼんやりしているから、あなたみたいにしっかりしたお友達が居るなら安心だね。」
「だから友達ではない。」
「そういえば、私#name2#っていうんだ。あなたは?」
「…セベク。セベク・ジグボルトだ。」
「ああ、あなたがセベク君なの。お父様や若様にあなたのお話を聞いたことがある。生真面目な子だって。シルバーは怖いって言ってた。」
なるほど、確かにシルバーの姉らしいとセベクは思った。リリアに似て浮世離れしているし、シルバーに似て何処かぼんやりとしている。そして人の話をあまり聞かない質らしい。第一に、見知らぬ男に肌を見られても平然としている所が既に普通ではない。
#name2#の第一印象は、見た目も相まって「変わった女」であった。