薬研藤四郎は秘密を知りすぎている。
薬研藤四郎のほとんど居室となっている小さな診療室をおとずれるのは、けが人や病人のうち、その理由が出陣に関わらない物だけだ。出陣で負った傷や症状は手入を要する。そうでないのは、つまり、庭遊びで指を切ったとか、飯の食いすぎで胃の具合がよくないとか、そういう他愛無いことがほとんどだった。
けがや病気の前ではひとは皆平等に無力で、それは人の形をした刀剣男士も同様だった。
「包丁で切った? めずらしいこともあるもんだな」
薬研藤四郎は切り傷に塗る薬の葉を二つ三つ混ぜてすりつぶしてやったのを手渡しながら言った。その言葉に気まずそうに眉をしかめたのは歌仙兼定だった。
「燭台切にも言われたよ。ほかの物には黙っていておくれよ」
「心配かけるような大けがじゃねえんだ、安心しろよ」
「そうではなくて、刃物でけがなどそうそう人に知られて愉快なものじゃない」
そっちか、と薬研藤四郎はついでに、痛みが長引くようならこっちを塗ってやってやれ、ともう一種類の塗り薬を渡してやった。
「厨番としての矜持にもかかわる」
歌仙兼定が難しい顔をして言うのを、薬研藤四郎は笑って見送った。
また別の日だった。
秋田藤四郎が腕に虫刺されをいくつも作ってたずねてきた。
「痛みはないか?」
「ちょっとかゆいです」
薬研藤四郎は秋田藤四郎の右腕を取ってためつすがめつし、左腕も同様によく観察して、いくつか質問をした。刺されてからどのくらい経ってる。一時間くらいです。なんですぐ見せにこなかった。秋田藤四郎は口ごもった。
「……また冒険してたな?」
薬研藤四郎はめがねを押し上げる仕草でしかめた眉を隠しながら確認する。
「まだだれにも秘密の道なんです」
それが虫刺されをすぐに見せにこなかった理由らしい。
薬研藤四郎は薬棚の引き出しを三つ四つ引っ張り出して、植物の種と乾燥した葉をいくつか混ぜ、花の油を垂らして水っぽくなるまで擦った。あたりにつんと鼻につくにおいが広がる。秋田藤四郎がそれを避けるように顔をそむけるのを、「よく効くんだからな」と言い聞かせる。
「いち兄に知られたら、冒険をとめられるような危ない道なのか」
「わからないので、言えません」
「そりゃそうだな」
液状にした薬を匙ですくって、秋田藤四郎の袖まくりしたシャツの下の腕に点々と垂らしていく、手袋で覆われた薬研藤四郎の手つきは言葉よりも慎重である。
「しみるか」
「がまんできます」
「うん」
うん、と一つずつ頷きながら薬研藤四郎は薬を落としていく。その伏せた目元は、弟の行きすぎた冒険をたしなめたい思いと、傷がしみるのをよく堪えている我慢強さをみとめて褒めてやりたいのとで、板挟みになった結果、わずかに細められている。
手当てが終わっても秋田藤四郎はしばらく席を立とうとせず、薬研藤四郎が薬の調合道具を片付け終えるまでじっとその手つきを観察していて、それが一息ついてからようやく口を開いた。
「いち兄に話しちゃいますか?」
それが聞きたかったのかと薬研藤四郎は軽くため息をつく。それから小さな弟の頭を軽く撫でて、心配しなさんな、と笑った。
「今年は蚊がちょっと早いなって言っとくから」
それを聞いて秋田藤四郎はやっと人心地ついたような顔で、薬部屋をあとにしていった。
そういうふうに、薬研藤四郎の小さな診療室をたずねる物たちは、他愛ないけれども切実な秘密をたずさえて部屋にやってきて、薬研藤四郎の耳元にだけそっとそれを置いて帰っていく。薬研藤四郎の知る秘密は次第に増えていった。だれとだれが殴り合いの喧嘩をしたのは、本当の理由はこうで、云々。もう本丸に顕現して長らく経つのに、らしくなく手あわせで白熱して突き指をした云々。だれが聞いても別に不都合ないような、けれど本人にとっては隠せるものなら隠しておきたい秘密を、薬研藤四郎は己の胸の底にだけしまっていった。なかには、審神者の耳にいれるべきではないかと思われるような告白もないではなかったが、治療室で耳にしたことは、口外しないといつからか薬研藤四郎は決めていた。胸の内にしまいきれなくなってくると、いつか物の本で読んだやり方で、紙の端切れに書きとどめて薬棚の一番上の使っていない引き出しにしまいこんだ。そうやって、自分の胸の内から外へ、けれど誰の目にも触れない場所へ、秘密はすこしずつ移されていった。
その引き出しは薬研藤四郎以外が指をかけるはずはなかったのだ。
薬研藤四郎の背丈では梯子をかけて登らなければ届かない、天井近くまではめこんだ棚の一番上のひきだしなど、だれもわざわざ開けることはない。
そのはずだった。
いつからか、薬研藤四郎の小さな診療室に不似合いな、大きな身体の刀剣男士がたびたび部屋をたずねてくるようになった。それはけがも病もないのに、健康そのものの朗らかな笑みで薬研藤四郎をたずねてきた。けがの代わりに、まんじゅうや団子、薬研藤四郎の好きそうな重い本などを携えていることが多かった。
「俺っちはこの部屋の一応、主だからな、そろそろ仕事をさせてくれねえかな、石切丸」
一向に治療をさせてくれそうもない石切丸に、ある日薬研藤四郎はとうとうそう言った。言葉ばかりは困ったふうを装ってみせても、頬張ったまんじゅうのおかげで少しも苦情の体を成してはいなかった。
「私はこのような性質だから、なにかお手伝いできることがあるかもしれないよ」
人の病を癒やすという神社の刀であるかれは、刀剣男士にこそその力をじゅうぶんに発揮することは難しいらしかったが、その言葉どおり、薬研藤四郎のよい手伝いとなった。何番の何番、と指示すれば間違うことなく薬棚の引き出しを開けて目的の薬を差しだしてくれたし、大太刀のその力強い手で薬を調合するのもうまくやった。また薬研藤四郎が傷の直接的な治療を主とするのに対して、石切丸は部屋をたずねた物がなぜそのようなけがや症状に至ったのかをよく聞き出すことに長けていた。石切丸が少ない言葉で正確ないきさつを聞き取り、薬研藤四郎がそれに見合った薬を用意する。
ある日、薬箱を整理していた石切丸が、その背丈で腕を伸ばしてなんとか届く具合の天井近くの引き出しに指をかけた。あ、そこは、と薬研藤四郎が口を開く前に、引き出しは石切丸の慣れた動作で開けられてしまい、そこに折り重なった薬研藤四郎の秘密の走り書きが二振りの前に現われた。
「おや。薬ではなかったね」
石切丸は間延びした声をあげて、けれど落とした視線はたしかに、引き出しの中に積み重ねた紙の一番うえ、だれかの隠しておきたかった些細な秘密の内容に注がれていた。
「薬よりもっと大事なもののようだ」
石切丸があまり動揺したそぶりもなく、中身についてたずねることもせず、ただそうやってほほえましいとでも言いたげに目を細めたのを、薬研藤四郎は意外に思って見上げた。
「そこにしまってあったのを知ってたみたいな顔しなさるな」
知られてしまったものはしかたない、薬研藤四郎は石切丸に引き出しを持って近くに腰を下ろすように言い、二振りでその引き出しを挟んで相対した。薬研藤四郎は上から二、三枚の紙切れを指先で取り上げ、これはだいぶ前の、と説明する。
「石切丸、あんたも人の話を聞くのがうまいから、だれかが内緒にしたいと思ったことをここに置き忘れていくのを、もう耳ではなんども聞いただろうけど」
「そうだね、皆、薬代のかわりのように秘密を置いてゆくね」
「俺っちが一人でこの部屋の番してた頃から、そうだ。それで抱えていられなくなって、今度は俺っちの秘密をそこの小箱に移したのさ。そいつは正真正銘、だれにも話したりしないだろうからな」
薬研藤四郎は引き出しの木枠を指さした。
「私に暴かれてしまったけれどね」
「暴こうと思って暴いたんなら、あんたもとんだお人だなァ」
そうではないだろう、と薬研藤四郎は笑い声を上げる。
「まあ、秘密にしてやってくれ、たいしたことは書き留めてないが、だれかさんの内緒ごとだったものたちだ」
石切丸は、引き出しの中に積み重なった紙の束の厚みに視線を落とし、「これだけの」と声を落とした。
「これだけの秘密を抱えているのは、きみも大変だっただろうね」
薬研藤四郎は、思いがけず胸の内に触れられた気がして、わずかに背筋がこわばった。
石切丸は続ける。
「安心するといい。ひとの秘密には慣れているから。私もいろんな、本当にいろんな頼みごとを聞かされてきたからね」
これっぽっちの秘密では動じないよ、と続くのかもしれなかったが、そのあとは石切丸はただ唇を引き結んでわずかにほほえむばかりだった。そのうっすらとしたほほえみの下に、薬研藤四郎はこの千年来の神刀の、底知れない懐を見た気がして、こわばった背筋に今度は冷たい汗が伝ったような気もした。
秘密を暴いてしまったね、と石切丸は口にしたけれど、薬研藤四郎の治療室の秘密は、そのあとも本丸のほかのものに知れ渡った気配はなかった。だとすれば石切丸は、薬研藤四郎が抱えきれずに紙切れに吐き出した秘密たちを、そのあまりある量の思いを、真実自分の内にだけしまっていこうというのだろう。
薬研藤四郎は本丸の秘密を知りすぎている。
一つ一つは小さく、ささいな、軽やかですらある秘密が積み重なって、いつかは薬研藤四郎の肩に重くのしかからんばかりの量となったそれだったけれども、いまではただ二振りの内に手分けして堆積していくばかりの秘密になっている。
おわり!