「なあなあ盧笙、肉まん買わへん?」
「アホ、学校からまっすぐ帰れ言われてるやろ。あと夏に肉まん食うアホがおるか」
「真面目やな~」
夕方、カラスの鳴く下校時刻。高校生である簓と盧笙はいつものように喋りながら帰路についていた。
東京の方で起きたテロリズムがどうとか、最近行方不明者が出ているなどの騒ぎにより二人が通う学校はしばらくの間部活動を取りやめ生徒たちにすぐ帰宅するよう言いつけている。とはいっても漫才研究会という二人だけの部活をしている簓と盧笙には、喋る場所が変わっただけであった。しかし、ひとつ気がかりなことがあった。簓は鮮やかな橙色に染まる空を仰ぐ。
「コンテスト、結局どうなるんやろなあ」
二人は将来漫才師になるという夢を持つ若者だ。そのため今の自分たちがどれほどできるのかの指標となる高校生漫才コンテストが重要だったのだが、情勢の影響により今年は開催が危ぶまれていた。
「どうやろな……良くて延期ちゃう?外出規制もまた厳しなるらしいってオカンが言うてたし」
「盧笙のオカンが言うんやったら間違いないやろなあ……せやったら学校も休みにしてくれたらええのに」
「そしたらお前みたいなやつが勉強せんくなるやろ」
「そんなこと……あるかもしれへん」
「あるんかい。せめて否定せえや。一応受験生やぞ俺ら」
「ええねんええねん、インテリ枠は盧笙に任せたから!俺はアホ枠」
「頭と口は無限に回るくせによう言うわ」
「首も回るで!」
「回すな回すな」
住宅街に笑い声が響く。簓はこの時間が何よりも好きだった。自分の好きなものを馬鹿にせず受け入れて、一緒に笑ってくれる人が居る。誰も簓の帰りを待たない家にいるより、ずっと楽しかった。
だからこんな時間が、いつまでもあってくれればいいと願わずにはいられなかった。
ひやり、と冷たい空気が流れる。夏休み前の暑い時期にはありがたいはずのそれは、何故か嫌な予感を伴っている。思わず簓が身震いすると、盧笙はすかさず「どないしたん?」と心配してくれる。だがその顔色はあまりよくなかった。
「……いや、なんか変な感じせんかった?今」
「……簓もそう思ったん?」
「おん。……最近地球ちゃんの気候おかしいしな~そのせいかもな!やっぱ地球温暖化はあかんな!」
「急に頭のよさそうなこと適当に言いだすな。……はよ帰ろか」
「……ん」
暗い空気にしたくなくて二人とも笑うが、胸中の不安がそれを空回りさせる。頷きあって、どちらともなく歩調を速めた。
かちかち。ぎしぎし。金属音のような何かが聞こえる。
耳鳴りか、幻聴か。神経を逆なでするような耳障りな音から逃げるように、簓はつとめて元気に「なあ盧笙、そういえば」と声を上げる。
「簓、後ろっ!」
瞬間、視界がぶれる。勢いよく腹や顔を地面にぶつけたかと思えば、そのまま体は後方に引きずられていく。
考えるより先に、簓は恐る恐る何かがついている自分の足を見た。
「あ……」
粘着性のある糸に絡めとられた左足。その先に、紅く染まった夕焼けを背後に存在しているのは──巨大な、蜘蛛。
かちかちと口から音を出しながら、その姿は徐々に近づいてくる。いや、簓が近づけさせられている。糸が巻き取られて、
このままだと、食われる。
そう理解した瞬間簓は今までに感じたことのない恐怖に駆り立てられた。死にたくない。その一心で地面のアスファルトに爪を立てるもただただ無慈悲に引きずられていく。前方では盧笙が焦燥を顔に浮かべて必死に簓へ手を伸ばしていた。助けようとしてくれている。盧笙、と手を伸ばしかけて、やめた。こんな化け物に太刀打ちできるとは思えない。せめて盧笙だけでも逃がさないと。
「盧笙、はよ逃げろ!」
「何言うてんねん、置いてけるかボケッ!」
「アホ、ええから逃げろ!」
盧笙は簓の言葉に決して頷かない。こいつそういう奴やったわ、と簓はどこか安堵を覚えると同時に、このまま二人とも殺されたらと恐怖する。しかしその間に盧笙がとうとう簓の手を捕まえた。後方へと引きずられていた簓の身体が止まる。盧笙はどうにか彼を蜘蛛の糸から外そうと顔を上げると同時に、簓がはっと顔を強張らせた。
「盧笙、逃げ──」
鋭利な物が盧笙の腹から生える。それが後方から身体を貫いた蜘蛛の爪だと気付く間もなく、盧笙の口と腹から鮮血が溢れ出た。
繋いだ手が、離れる。
「盧笙、盧笙っ、いややっ、盧笙っ!!」
悲鳴に近い叫び声を上げながら、必死に簓は手を伸ばす。二体目の蜘蛛がぎょろぎょろと目を動かしながら、地面に倒れ伏した盧笙に近づく。簓の思考が絶望で塗りつぶされていき、視界が、滲んでいく。
ドン、と鈍い音と同時に簓の視界がぶれた。今度は何だ、と混乱する頭を起こして後方を見やると、蜘蛛の頭部に車が突っ込んでいた。ぼたぼたと体液をまき散らしながら蜘蛛が耳障りな声を上げる。だがタタタタ、と小気味よい音と共に蜘蛛の頭部で火花が散った。
「ヒュプノス二体、民間人二名確認!理鶯、そちらをお願いします!」
「了解した」
人の声。それがしたほうに目を向けると、車から降りた男性二人が銃を蜘蛛に向けている。眼鏡をかけたスーツの男性は簓の前に立ち、盧笙を刺した蜘蛛に銃口を向け引き金を引く。放たれた弾丸に蜘蛛は怯むように下がる。
誰かが、助けに来てくれた。簓は荒い息を整えるように呼吸を繰り返す。銃刀法だとか化け物はなんなのかを気にしている余裕は無かった。
「たす、け、て……」
ひりついた喉からやっと出た言葉はあまりにも弱弱しく、だがスーツの男性には届いたのか彼は頷いた。けれど、本当に伝えたいのは。
「ろしょ、を……たす、けて……おねがい、やから…………」
傷だらけの手を盧笙に向かって伸ばす。地面に伏せた彼はみじろぎ一つせず、血だまりがどんどんと広がっていた。それと比例するように、簓の中で不安が膨れ上がる。
「大丈夫です。必ず助けます」
そんな簓を励ますように男性は優しく言うと、「理鶯!」と声を上げた。
「一名は重傷です。連れて撤退しましょう。恐らく一郎くんたちは間に合いません」
「わかった。手当てまでもちそうか?」
「もたせます」
「了解した。銃兎」
理鶯と呼ばれた男性は一つ頷くと鞘のついたナイフを銃兎に投げ渡す。銃兎は片手で鞘を抜いて投げ捨てると、ナイフを構えて蜘蛛に向かった。爪を受け流しながら盧笙を庇うように立ち、牽制するように銃口を向ける。他方ではマチェットで糸を切るより先に頭部を切断したほうが早いと判断した理鶯が、手斧を蜘蛛の脳天に振り下ろした。かん高い悲鳴をあげて尚蜘蛛は立ち上がる。
「やはり普通の武器では難しいか……」
眉を顰めて理鶯はちらりと周囲を伺う。銃兎が重傷者を連れて車に乗り込んだら、自分は軽傷者を連れて、と考えを巡らせたとき、何かがアスファルト上を蠢いていることに気づく。
──小さな蜘蛛だ。小さな蜘蛛が列を成して、車内に入り込んでいる。
理鶯は簓に向かって走り出すと同時に叫んだ。
「銃兎、伏せろ!」
その刹那、爆風が四人と蜘蛛を襲った。
おぼつかない思考のまま、簓ははっと我に返る。焦げ臭い臭い。視界の端で何かが炎上していた。
道路には焦げ付いた金属片がちらばっている。車が爆発したのだと気付き、自分に覆いかぶさるようにして倒れている理鶯がそれから自分を守ろうとしたのだと理解すると、簓は慌てて周囲を見渡した。
盧笙と銃兎が爆風にやられたのか地面に転がったまま動かない。理鶯は息はしているが、背中の火傷がひどく、金属片が突き刺さっていた。
かちかち、と嫌な音が響く。
火のついた蜘蛛たちが、愉快そうに口を鳴らして踊り狂っていた。
──許せない。
簓の胸の奥で、何かが燻る。今までに抱いたことのない、真っ黒で熱烈な感情が思考を、心を焦がしていく。
ふと、視界の隅に輝くものがあった。焦げた布袋から出たそれは、ドラマ等でしか見たことがない日本刀。
髑髏の意匠が施された持ち手と真っ白な鞘。
──俺を取れ。
まるでそう言っているかのような佇まいに、簓は迷わず手を伸ばした。
許せなかった。
突然自分の日常を引き裂いた化け物も──何もできない、自分も。
柄を握った瞬間、身体の奥にある焔が渦巻き燃え上がる。怒りと憎しみ。衝動のままに、簓は刀を抜く。
夕闇の世界で、閃光が舞った。
目を覚ます。視界には見知らぬ天井。
痛む身体を起こし、簓はうめき声を上げた。
なにやらとてつもない夢を見ていた気がする。怪物が出てきたりとあまりにも非現実的で。
「よぉ、やっと起きたか」
そう、例えば、目の前で銀髪のイケメンが宙を浮いているぐらい非現実的で──
「オオオオアアアアアアアアッげほっごほっ!!」
「うるせ」
「ひひひひ人が浮いとる!!」
情けない悲鳴を上げながら簓が震えていると、部屋のドアが勢いよく開けられた。
「何事だ。……む、起きたのか」
部屋に入ってきたのはさきほどの夢に出てきた気がする男性、理鶯だった。……とすると、さっきの光景は夢じゃない?けど理鶯は無傷に見えて、簓の思考はさらに混乱する。
「あの、あの、あの、えっと」
「落ち着け。ゆっくりで大丈夫だ」
「……あ、あの、俺の頭がおかしくなったんかもしれへんのですけど、そ、そこに人が」
「浮いてるな」
「アアアアアやっぱり!!」
「さっきからうるせーなテメェ」
宙に浮く美形は不機嫌そうに舌打ちする。いや本当にこいつ何なんだ、と簓が困惑していると、理鶯は何かを簓に手渡した。思わず受け取ってしまったそれを見ると、日本刀だった。髑髏のある柄、真っ白で美しい鞘。簓の記憶にあるものと、間違い無い。
「あ、これ……って……」
「貴殿が先ほど蜘蛛退治に使ったな」
「か、勝手に使ってすんませんでした!」
震えながら簓は勢いよく頭を下げる。どうみても国宝級レベルの物を素手でべたべた触ったどころか使ってしまった。しかも無断で。というかあの怪物のことは本当だったのか、じゃあ盧笙は?とさらに簓は錯乱していく。そして理鶯が悪気なくとどめをさした。
「案ずるな。その刀の付喪神である左馬刻が認めたから、それはもう貴殿の物だ」
ぱたり。簓は無言でベッドに倒れ伏した。
「あーあ、こりゃ混乱しすぎてショートしたな」
「ふむ。では滋養強壮のために小官特製ドリンクを用意しよう」
「……多分大丈夫だから要らねえんじゃねえかな」
宙に浮いている男──左馬刻は理鶯を諫めつつ、簓に視線を向けた。魘される彼が戦いの宿命を背負ったことを知りながら。
目覚めた後、医師を名乗る寂雷という男に連れられて盧笙の居る病室を訪れた簓は、穏やかな寝顔にほっと安堵した。
「盧笙……良かったぁ……!」
傍に寄って座り込んだ簓は破顔しつつも、ふと違和感に気付く。盧笙の怪我が、明らかに軽い。軽いにこしたことはないのだが、あの化け物に腹を貫かれた上に爆発に巻き込まれていたのだ。もっとボロボロで、もしかしたら生命の危機かもしれないと恐れていたのがまったくの杞憂とでもいうかのように、目立った外傷も治療の後も無い。どこかにぶつけたときにできたであろう小さな痣が手の甲にあるだけだ。
理鶯も怪我がなさそうに見えたことといい、何より付喪神という存在である左馬刻が近くをふよふよと漂っていることといい、不可解な出来事が多すぎる。怪訝な顔をした簓に気づいた寂雷が、「ちょっといいかい?」と声をかけた。
「きっと今、不思議なことがたくさんあって混乱していると思う。今から皆の紹介も兼ねて色々と説明したいのだけど……」
「お、お願い、します」
巻き込まれた以上、聞かないという選択肢は簓の中には無かった。怖々と頷くと、頭上から「ビビりすぎだろ」と馬鹿にしたような左馬刻の声が降ってくる。なんやこいつ……と簓は眉を顰めるが、実際未知の世界に踏み入れることは確実だし、何より寂雷は物腰柔らかとはいえ背がかなり高く気圧されているのは事実だった。簓は盧笙を起こさないように小さな声で「また後でな」と別れを告げ、寂雷と共に病室を後にした。
案内されたのはリビングのような場所で、理鶯と銃兎以外初めて見る顔ぶれの人間が思い思いにソファに腰かけていた。というか一名、宙に浮いてる。緑と赤のオッドアイな黒髪の男の子の上に赤髪の少年が浮いてる。にやにやと値踏みするように簓を見て、「テメェが左馬刻の使い手か」とくくくと笑った。恐らく付喪神なのだろうけど、付喪神って偉そうなやつしか居ないのだろうか。神って時点で偉いのかもしれないけど、と簓は首を傾げつつ、銃兎に促されるままに空いた席に座った。
「さて、どこから説明したものか……ひと先ずは自己紹介を」
と、銃兎が言うや否や、場が一斉に騒がしくなる。
「俺、二郎ってんだ!よろしく!なあお前付喪神持ちってことは強ぇのか!?」
「ボクは飴村乱数だよー!ねえねえ、どうやってあのサマトキサマを手懐けたの!?」
「我は漆黒の堕天使に導かれし子羊……」
「おやおや、皆さんこれだと聖徳太子じゃない限り聞き分けられませんよ。小生は聖徳太子の生まれ変わりですからわかりますけど」
「マジかよ幻太郎!?それ初めて聞いたぞ!?」
「いやどう見たって嘘だろ……空却、人の分のコーラ取るな。お前の分あげたろ」
「いいんだよォ、使い手のモンは拙僧のモンだ」
「一兄ぃ、やっぱりこの付喪神は性格が破綻してます!律儀にお供えする必要ありますか!?」
「はいはいはいストップストーップ!喧しいですよあなたたち」
銃兎がパンパンと手を叩いて諫めようとするがまったくもって収まらず、簓はどうしたものかときょろきょろと狼狽える。左馬刻は全く興味なさそうに欠伸をし、見かねた理鶯がホイッスルを吹くことで漸く場は収まった。体育の授業じゃねえんだから、とリーゼントの男性が呆れたようにぼやき、恰好はあれやけどこの人は銃兎さんたちの他でまともな人かもしれんと簓は頭の中にメモをした。
はあ、とため息をついてから、銃兎は仕切り直しとでもいうかのように眼鏡の位置を直してから口を開く。
「とにかく、白膠木簓くん。まずは君が眠っている間に君について調べさせてもらいました。ご両親や学校にはひとまずこちらから入院として連絡しています」
「え、あ、はあ……」
困惑しながらも頷く簓に、乱数が「出た、おまわりさんの個人情報すっぱ抜きー!」と囃し立て銃兎に睨まれる。あれクラスに一人はおる先生の言うこと絶対聞かんやつやな、と簓はちらりと見てから銃兎に向き直った。
「そして君は、ご友人と共に下校中、怪物に襲われた。相違ないですか?」
「な、ないです、けど……ほ、ほんまに現実、なんですね……?」
「現実、というには少々微妙なところがありますね。……ここから説明するとややこしくなるので、時系列に沿って説明しましょう。資料を」
銃兎はすっと二郎の方に手を出した。しかし二郎はきょとんとしてから、あっと思い出したように声を上げる。
「やっべ、今日の資料係俺か!忘れてた!」
「……あのねえ」
こめかみに青筋を浮かび上がらせんばかりに低い声を出した銃兎に、簓が大変そうやなあと同情していると左馬刻は面白そうにへらへらと笑っている。こいつ人の心ないんか、神やからないんか。納得する簓の前で、煌びやかなネイルの施された手が書類とタブレットを銃兎に差し出した。
「忘却されし落とし子の運命は我が掬い上げた……」
「十四、代わりにやってくれたのか!サンキュー!」
十四と呼ばれた少年は謎のかっこいいポーズを決めつつも二郎の礼に照れたように破顔すると、二郎の頭に拳骨が「サンキューじゃねえだろ」と落とされる。ごめんいちにぃ、と情けない声が上がったのでふむふむここは兄弟で、あっちで付喪神について怒ってた黄色い服の男の子もか?と簓は観察していた。新しい環境において人間関係を把握しておくのは、外にしか居場所のない簓にとっては重要なことだ。
十四にひとまず礼を言った銃兎は、タブレットを操作してから机に置く。画面には東京で起きたテロについての記事が表示されていた。
「この事件についてはご存じですか?」
「東京の事件ってことは知ってるんですけど、詳しくはあんまり……」
簓が銃兎の問いに首を横に振ると、銃兎は「ではそちらから説明していきましょう」と言い、簡潔に述べた。
数か月前に起きた東京でのテロ。突如として現れた『中王区』と名乗る連中がそのテロの犯人であり、現在東京を占拠している。
中王区は『ヒプノシスマイク』と言う謎の機器を使用し、機動隊や自衛隊を指一本触れることなく壊滅させた。寂雷によると、このヒプノシスマイクは音と言葉を介して人間の精神に干渉する催眠兵器であり、気絶させることや、洗脳することも可能らしい。そして中王区は男性を東京から駆逐し、女性は洗脳して自身の勢力に取り込んでいる。
「な、なんでそんなことを……?」
あまりに現実味のない話に冷や汗を流す簓に、銃兎は「彼女ら曰く、女性主体の世界に正すためだそうですよ」とさもその主張に呆れたふうに答える。ええ……と困惑する簓に、左馬刻が「これ以上にもっとヤベェ話があるから、次は気絶すんなよ」と無茶苦茶なことを言ってくる。けれど気絶したって現実は変わらないので、簓は表情を引きつらせながらも頷いた。
それから銃兎は画面を切り替え、行方不明事件について説明し始める。
中王区が東京を占拠する数日前から行方不明事件が東京で多発し、主に男性の要人が姿を消している。そして東京が完全に中王区の手中に落ちてから、行方不明事件は日本全国へ広がり、今では世界でも見受けられている。行方不明者は全員、男性。
「ヒプノシスマイクで、行方不明にさせたっちゅーことですか?」
頭の中に疑問符を浮かべながらも簓はなんとか情報を整理する。といっても催眠兵器でどう行方不明にするのか甚だ不可解だった。
「簡単に言えばそうなりますが、実際にはもういくつか段階を踏んでいます。こちらに関しては先生の方が詳しいので」
銃兎がそう言って寂雷の方を見ると、寂雷は頷いた。
「ヒプノシスマイクには催眠の他にもう一つ別の機能があるんだ。人々の思念を、半異世界において具現化させる。そうしてできたものを、私たちや彼女らはヒュプノスと呼んでいる」
「は、半異世界……?」
「私たちが居る世界とは違うけど、限りなく近くに存在する世界のことだね。夢の中だとか、想像の中って認識に近いかな。ヒュプノスはそこに人を引きずり込む力を持つんだ」
「はへー……」
「催眠機能の方も半異世界に関係しているんだけど原理が異なってくるからひとまず置いて……白膠木くん、君は思い込みで人が死ぬことを知っているかい?」
「えっ、えっと、はい……」
唐突に物騒な質問を投げかけられた簓は、あかんやっぱこの人怖いかもしれんと震えながら頷く。無意識のうちに刀の入った布袋をしっかりと握り締めていた。
「半異世界で『自分は死んだと認識してしまった』人間にも、それと似たようなことが起こる。現実世界から跡形もなく姿を消す、という形でね」
「……ええと、つまり、中王区は……ヒュプノスで人に死んだって思わせて、行方不明って形で消してる……?」
「うん、その通り。そして君たちはそのヒュプノスである女郎蜘蛛の怪物に襲われた、という経緯だね」
「っ……」
ひゅ、と簓は息を呑んだ。もしあのまま、盧笙や自分が蜘蛛に殺されていて、死んだと認識してしまえば──二人はもう、この世から亡き者になっていた。完全に理解するや否や背筋を襲う寒気に簓が身を震わせると、乱数が黙って簓の背中をさすった。その様子を見て寂雷は申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「……すまない、怖がらせてしまったようだね」
「ホントだよ~、顔真っ青でかわいそー!ていうか誰だって怖がるにきまってるじゃん!寂雷はそーいうとこ配慮ないよねー!ねっ獄センセー!」
「なんでそこで俺に振るんだ……こいつにデリカシーがねえのは元からだがよ。とにかく、次はちったあ希望のある話でもしてやりゃいいんじゃねえのか」
獄と呼ばれたリーゼントの男性はコーヒーを啜りながら提案すると、ふむ、と寂雷は頷く。
「そうだね……裏を返せば、半異世界では死んだと思わなければ死なないんだよ」
「は、はあ……」
「……さらっといってるけど、結構とんでもないことだからな。それ」
獄の言葉に簓は思わず頷いた。理論はわからないでもないが、とんでもなく強靭な精神を持っていないと無理なのでは。そんな簓の思いを肯定するかの如く、寂雷が「確かに、これは精神力の問題だね」と言う。そこで、ふと簓はあることに気づいた。
「思い込みが実現するってことやったら、怪我が綺麗に無くなってたのも……?」
「そうだね。現実での出来事ではない、と認識してしまえば半異世界で負った傷は現実世界に戻れば回復する。他にも、ヒプノシスマイクでそう思わせることによって癒すことも可能なんだ」
そう言って寂雷が懐から出したのは、ハンドマイクだった。それが手の中で一回転させられると、羽の生えたスタンドマイクに変化する。ぽかんと簓が口をあけていると、スタンドマイクは元のハンドマイクへと戻った。あけられた簓の口に飴を放り込みながら、乱数が感心したように声を上げる。
「相変わらず不思議だよねー、スイッチいれただけでカタチかわっちゃうもん」
「私たちにはそう見えている、だけかもしれないけどね。とにかく、傷は治したから白膠木くんのお友達は大丈夫だよ。精神的な消耗が激しいけど、少しすれば目を覚ますと思う」
「そっか……よかった……」
疑問点が解消したところで、ようやく緊張の糸が解けた簓はふう、と肩の力を抜いた。そこで漸く、布袋を握り締めていたことを自覚する。先ほど理鶯に付喪神である左馬刻が認めた云々言われたが、この付喪神ももしや、と指をさした。
「そういや、これもヒュプノスっちゅーことですか?」
「これって言うな、左馬刻様って呼べ」
「ほんま偉そうやなお前……」
「アァ?」
「なんでもありませーん」
うわ和服の美形の凄んだ顔こっわ、と簓は顔を逸らす。そんな二人の様子に空却は宙で胡坐をかいてけたけたと笑っていて、一郎は苦笑いだ。寂雷は「中王区が作り出したヒュプノス、らしいよ」と銃兎を見ると、何故か銃兎は気まずそうに目を逸らした。
「そこのウサポリ公が廃棄された俺たちをどさくさに紛れて盗んだからな」
俺たち、と言って左馬刻は自分と空却を指さす。中王区の男嫌いの徹底ぶりからして、付喪神として形を成したのが男だったのが気に食わなかったのだろう、と簓が想像するのは容易だった。おほん、と銃兎が咳払いをする。
「盗んだとは人聞きの悪い。拾ったと言っていただきたいですね」
「はいはい」
それ以上追求する気はないのか左馬刻はひらひらと気だるげに手を振る。それから、左馬刻の紅の瞳がじっと簓に向けられた。あまりに真っすぐ見つめられて簓はついたじろいでしまう。
「……な、なんやの」
「すっかり緊張解けちまってるみたいだけどよォ、テメェこの先ずっと戦わなきゃなんねえんだぜ。わかってんのか?」
「……えっ、えっ?」
思いもよらない言葉に簓は慌てて寂雷たちを見る。理鶯は簓を見つめ返して頷き、銃兎は申し訳なさそうな表情をしながらも沈黙で肯定する。獄は呆れたふうに腕を組んでから、寂雷を見た。寂雷は少し考える素振りを見せてから、顔を上げる。
「ヒュプノスによって半異世界に取り込まれていない人間がそこに乗り込むには、同じヒュプノスの力が必要なんだ。それも時空すら斬れるほど強い力を持ったものでないといけない」
「で、その力を持つ俺様はこいつらに協力してやってたわけだけど、さっき俺様はテメェを使い手に選んだ」
「拙僧も斬れるぜ!」
「お前はちょっと黙ってろ」
元気よく手を挙げた空却を諫める一郎を一瞥して、左馬刻は簓に視線を戻す。
「付喪神が使い手と契約した場合、好きに暴れられる代わりに使い手が居なきゃ力を使えねえ。ここまで言えばわかるだろ?」
すうっと紅い双眸が細められ、簓は息を呑んだ。つまり、簓が協力することを選ばなければ、ここに居る彼らはヒュプノスを止める手段を一つ失うことになる。それによってどれほどの犠牲が出るか──
脳裏に浮かんだのは、あのとき深手を負った盧笙の姿。もうあんなのを見たくない。恐怖と自責に押しつぶされるような思いを、したくない。
簓は膝に置いた手をぎゅっと握り締める。
「覚悟は決まったみてェだな」
満足げに笑う左馬刻に、簓は頷いて見せた。
「朝飯食ってたら、突然親父が消えたんすよ」
一郎からこの言葉が返ってきたとき、簓は軽率に聞いたことを後悔した。
状況説明が終わり、簓の覚悟も決まったところで次なる課題は簓を戦闘に慣れさせることだった。同じく付喪神持ちの空却が居るということで一郎が教育係に任命され、連絡係としての帝統も渋々承諾した。開けた場所でやろうと移動中、簓は何となく「何で一郎くんは付喪神持ちになったん?」と聞いたところで、ひとまず返ってきたのが上記の言葉。端的に衝撃的な内容をぶつけられ簓が気まずさにどう答えたものか悩んでいると、一郎はさらっと「皆知ってることなんで気にしなくていいですよ」と言ってのけた。ええ子や。身長は簓より高いが高校一年生らしい。めちゃくちゃしっかりものや……と感心していると、一郎は続けた。
「それで、色々調べているうちに中王区で親父に似た人を見かけたって情報があって。乗り込もうとしたら、半異世界でバケモンに襲われたんすけど、そこで入間さんに会って」
「ちょうどあいつが拙僧たちを盗んで走ってたところだな」
「そうそう。それでまあ、やばそうだから応戦しようとして、なんやかんやでこうです」
「えらい省略したな!?」
こう、と錫杖を指さした一郎に簓は思わず大阪育ち生粋のツッコミを披露してしまった。だが話し方から関西出身は圧倒的にアウェイであり、東京生まれ東京育ちの一郎は「そうですかね?」ときょとんとしているだけだった。けたけたと一頻り笑ってから空却が頬杖をついた。
「まあ、ここに居る連中は何かしらの形で中王区関係に巻き込まれてんだよ。帝統はお袋を連れてかれたんだろ?」
「そ、それさらっと言うてええ奴なん?」
「……別に、口うるせえババアが居なくなったところで何とも思わねえよ」
話を振られた帝統は不機嫌そうに顔を顰める。どこもかしこも地雷だらけやんけ、と簓がひやひやしていると、「けど」と帝統は口を開く。
「中王区とかいうワケわかんねー奴ら、いきなり家に上がり込んできてワケわかんねーもんで人のこと気絶させやがったんだ。この借りは百倍にして返す。……ババアの分もついでに返してやっていい」
……なるほど、反抗期の息子さん。得心のいった簓が暖かい目で彼を見やると、一郎も同じ目で帝統を見ていた。それに気づいた帝統が「なんで乱数たちとおんなじ顔してんだよ気持ち悪ィな!?」と叫ぶ。乱数と幻太郎、帝統は年の違う幼馴染だと改めましての自己紹介時に言っていたが、なんとなく彼らの気持ちがわかるような気がした。
鳥肌の立った腕をさする帝統は「ほんとなんなんだよ……最近クソリーマンも乱数たちと同じ顔しやがるしよ……」と気味悪がる。
「クソリーマンって誰のことや?」
「独歩さんかな。一二三さんと一緒に調査に行ってる方っすね。帝統さんと仲悪いっていうか、いっつも帝統さんが一方的に突っかかってるんすよ」
「難しいお年頃なんやねえ……若いわあ」
「大して年変わんねーだろうが!じじくせえこと言うなよ!」
「じじ……!?」
一つ年下の帝統にじじくさいと言われてしまった簓は、咄嗟に顔をくちゃっとさせ掠れた声を出し、腰を曲がらせおじいちゃん校長の真似で「えーあのー、他人にですねー、じじいと言うのはですねー、わたくしいかがなものかと思いましてー、日本にはお爺様という奥ゆかしい言葉がありましてぇー」と喋りだす。
「うわっお前そんな声どっから出してんだよ!?こっわ!」
「ギャハハ、参拝でこんなジジイ居たわ!」
「大阪の人って物真似得意なんですね……!」
三者三様の反応に簓がほくほくしつつ、もっと笑かせたかったなと思っていると先ほどからずっと黙っていた左馬刻が「くだらねえ」とぬっと横に現れた。簓は顔をむっとさせる。
「くだらないってなんやお前!簓さん渾身のモノマネボケを!」
「うるせーな、つかいつまでくっちゃべってんだ。俺は待つのが嫌いなんだよ、さっさと始めろや」
「マイペースやなあ!何様や!」
「左馬刻様だっつってんだろ」
「いやそこは神様やろ!」
「口答えすんじゃねえ!」
「いったぁ!殴った!嘘やんお前こっちに干渉できるん!?体罰や!暴力はんたーい!!」
「ひゃはっ、あいつら上手くやれんのかねえ」
「ど、どうだろうなあ……」
ぎゃいぎゃいと騒ぐ簓を左馬刻を見て空却と一郎は肩を竦める。その横では帝統が座り込み、いいから適当にやろうぜと足を投げ出した。
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初公開日: 2020年05月15日
最終更新日: 2020年05月15日
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