部下が置いていったのか。
誰かの落とし物なのか。
それとも、差出人不明の贈り物か。
いつの間にか一冊の分厚い赤革の本がテーブルに置かれていた。
十字かつ厳重にかけられたベルトを外して表紙、裏表紙を確認する為に回転させる。
何も書かれていない。丁寧になめされた赤革が光を返すだけ。
ゆっくりとたくさんのページを捲る。
何も書かれていない。全てのページが真っ白だ。
さて、どうしたものか。
最後に何度も回転させれば唯一文字の刻まれている場所があった。背表紙だ。
そこには恐らくタイトルであろう文字列。
タイトルは――。
【ジム・ゴードンの飼い方】
「そんな馬鹿な!」
暖炉の薪が弾ける音を掻き消す程の声が出た。まじまじと凹凸で刻まれたタイトルを確認する。
How to keep James Gordon.
すなわち、ジム・ゴードンの飼い方。
今までずっと・何をしても・どう足掻いても、振り向いてもらえなかった――正確には脅しによって強制的に同居人にしたのだが――あの男を飼う事が出来るなんて!と喜んだのも束の間、中身が真っ白だった事に気付く。
「……下らん!」
急速に冷めていく脳内に溜息をつきながらテーブルを滑らせるように本を放り出せば、不自然に表紙が開いた。
「ん?」
本を覗き込めば、焼印のようにじっくりと文字が浮かび上がる。
《第一条 仕事が終わったらべた褒めしましょう。殴られるかもしれませんが、照れているサインです。》
「なるほど……」
自分が試した事のない内容。少なくとも試してみる価値はある。
――その夜。
帰宅したジムからは相変わらず挨拶もない。その背中には疲労感が滲んでいる。
「おかえり、ジム」
「……あぁ」
ジャケットを脱ぎながら渋々返事が返って来る。
「今日はアーカムで殺人事件があったんだろう?」
ジムが素早く振り返った。何故知っている、そう聞きたいに違いない。
この街を牛耳る俺が知らない事はないが、ここで高慢になる訳にはいかない。
「今日も疲れただろう?一緒に酒でも飲まないか?」
何かあるのでは、と訝しむように視線が向けられる。
「俺だってたまには酒を飲みたくなる日もある」
「……分かった。一杯だけなら付き合ってやる」
ジムの返事に心が踊ったのは言うまでもない。勿論、顔には出さないが。
出せば間違いなく、今すぐ言った言葉を撤回される事だろう。
そうして普段は突っぱねられるところが、無事に酒を酌み交わす事が出来た。
つまり、あの本のタイトルは本物だった訳だ。
翌日、ジムを見送ってからページを捲る。白いページが大半であるのは変わらない。
ジムとの仲を深めたい一心で次に条文が浮き上がるのを今か今かと待っていると昼過ぎにじんわりと文字が浮かび上がる。
《第二条 ハービーと一緒にいたらそっと見守りましょう。イチャイチャし始めるかもしれませんが、そっと見守るのが吉です。でないと不機嫌になります。》
「ッふざけるな!」
思わず本を叩き付けた。
「どうかしたんです?」
物音を聞きつけてザーズが顔を覗かせる。
「何でもないッ!」
八つ当たりをすれば肩を竦めながら引っ込んでいった。いなくなった事を確認してから本を拾い上げる。
《第二条 ハービーと一緒にいたらそっと見守りましょう。イチャイチャし始めるかもしれませんが、そっと見守るのが吉です。でないと不機嫌になります。》
書いてある事に変化はない。溜息と憤りばかりが募る。
ジムが他の男といる所を大人しく見ていろだって?
よりによってブロックと!しかもイチャイチャ!
――落ち着け、ハービー違いなのかもしれない。判事のハービー・デントか。
いや、どっちにしろイチャイチャと言うのは聞き捨てならん!
「ザーズ!」
「はい」
「車を用意しろ!市警に行くぞ!」
「了解、ボス」
用意された車に飛び乗り、さほど遠くもないゴッサム市警に到着すると車とザーズを外に待たせて市警に乗り込む。
「ジム!」
一段上がった先にいるジムの姿が視界に入るなり入り口で大声で呼びかける。ジムの目の前にはハービー・ブロック。デントではなかったのが救いか。
「何だ、また何かやらかしたのか?」
「そんな訳ないでしょう」
「まさかデキてるのか?」
「……冗談はよして下さい」
「それにしてもペンギンはすっかりお前のくっつき虫だな」
「小うるさいだけですよ」
「ペンギンはそんな事ないみたいだけどな」
軽く笑うブロックを横目に降りてくるジム。苛立ちは増すばかり。
「何の用だ」
呆れ混じりに返事が返って来た。
遅かったな、と問い詰める代わりにジムのネクタイを掴んで引き寄せる。
「今日は帰らない。ハービーの家に泊まる」
「は?」
「大人しくしてろ」
「おい!」
ネクタイを掴む俺の手を払って――力では敵わない――
《第三条 傷の手当てはちゃんと面倒を見てあげましょう。》
今までの流れから考えると本の内容は直近に訪れる様子を現している。まるで予言じみた言葉。あまり信じたくはないが――。
「おかえり。ジ、ム――その怪我はどうしたんだ!」
「何でもない、お前には関係ない」
弱々しい声が聞こえる。
「何でもない訳ないだろう!」
一喝すればジムが珍しく黙り込んだ。まるで叱られた子供だ。
そのままジムの腕を掴むと暖炉前のソファへ向けて歩き出す。俺の足が不自由でもジムは追いつかないくらい疲弊しているらしく、連れて行く事に難儀しなかった。
「座って待ってろ」
無理矢理椅子に座らせると近くの棚から救急箱とテーブルから水差しを持って戻る。ジムの前に跪くと胸元からポケットチーフを取り出して水で濡らすと傷口を拭いていく。
落ち着いた所で本を見れば文字が浮かび上がっている。
《第四条 彼の周りは不幸になりがちです。自分は不幸ではなく、ずっと一緒にいるぞアピールをしましょう。》
「なるほどな……」
すぐにもう一行文字が浮かび上がった。
《第四条二項 背を向けた時は照れ隠しの可能性が高いです。耳に注目しましょう。もしも、照れ隠しではなかった場合でも少なからず好感度が上がります。》
「俺は君に会えて幸せだ」
「そうか、俺はお前に付き纏われて不幸だ」
ごろり、と寝返りを打ち背を向けられた。深追いは禁物だ。本の言う通り耳を確認すれば少し赤く染まっているようにも見える。
「ジム、愛してる」
「……ふざけるな」
不意に振り返ったかと思えば銃が額に向けられる。敵意はないと両手を上げる。
《第四条三項 ただし、銃を突きつけられた時は嫌われています。つまり、好感度が下がりました。》
「早く言え!」
何度目か分からないが、深夜に本を叩き付けて叫んだ。
《第五条 不機嫌になったらウイスキーを与えましょう。適度な量がオススメです。》
《第五条二項 過度に与えると甘えてきますが、記憶が残っているのでその後の反撃が大きいです。》
ちらりと本を見やれば文字が浮かび上がっていた。
明日は怖いが、少しでもジムからの甘えが欲しい。仕方ない。
「ジム、今日は俺のとっておきを開けよう」
「ン……」
既にほろ酔いらしく、ほんのり赤くなった頬をこちらに向けてくる。
同時にグラスが掲げられれば瓶から直接ストレートで注ぐ。
しばらくしてソファに身体を預けてうとうとと船を漕いでいる様子が視界に入る。
「ジム」
「あぁ……」
「ジム、寝るぞ」
揺れるその手からグラスを取ると肩を貸しながら寝室へ連れて行く。
ジムをベッドに寝かせると自分もその隣に身を寄せて瞼を閉じた。