ゆらり。蝋燭の灯りが暗闇で朧気に揺らめく。ゆらゆらと机の上で頼りなく揺れるそれは、息を吹きかければ消えてしまいそうなほどにぼんやりと手元を照らしていた。
炎の熱さに耐え切れなくなった蝋がどろどろと溶けていくのをぼんやりと眺める。じいっと眺めていればきゅうと瞳の奥が締め付けられるような心地がして慌てて視線を逸らす。
そろそろ新しい蝋燭をもらいに行かなければ。夜目は効くほうではあるが、それでもやはり明かりがあるに越したことはないだろう。
イライは頭の片隅に明日やるべきことを一つ追加して手元の羊皮紙に文字を書きる連ねていく。
窓の外では空一面に広がる雨雲が、普段であれば夜の闇を優しく照らしてくれているはずの存在を覆いつくしていた。
星の一つも見えやしない空から零れ落ちる雨粒は先ほどから絶え間なく窓枠を叩き続けていた。昼過ぎに降り始めた時点ではぽつぽつと可愛らしい雨音を響かせていたというのに、気づけばバケツをひっくり返したような勢いに変わっているのだから自然というのは侮れない。ゴロゴロと物騒な雷鳴が響き渡る度に、ばさばさと忙しなく羽を広げては飛び上がったりと落ち着かない様子の相棒には少しばかりの同情を覚えざるを得なかった。
「すごい雨だな……ああ、大丈夫かい」
忙しなく飛び回る相棒に手を伸ばせば問題ないと言わんばかりに羽を膨らませる。試合外でも頼もしい相棒の様子に、イライの口からは小さな笑みが零れた。
昼頃から降り始めた雨が収束する気配は微塵も感じ取ることが出来ない。この悪天候のせいもあるのだろうか。屋敷に充満する空気はどこか重たくて、息をするのが憂鬱に思える。
結局天候不順のため、本日予定されていた午後の試合は全て中止された。
ナイチンゲールによると、この調子でいけば明日の試合も延期になる可能性もあるとのこと。荘園の主から受け取ったのであろう指示書を彼女が淡々と読み上げる。その言葉に喜ぶ者、不安げな表情を浮かべる者と、連絡を受けた仲間達の反応は皆それぞれだった。
イライとしては別段何か思うところはなかった。強いて言うならば、そう。連戦が続いていた身からすると、予想外に降って湧いた休日に少しばかり喜びを覚えるくらいだろうか。せっかくなのだから相棒共々お言葉に甘えて羽を休めてしまおう。夕食が終わって早々に広間を後にしたイライを止める者は一人もいなかった。
***
かりかりと日記に荘園の主への報告を書き記してペンを置く。椅子に腰かけたままぐっと背伸びをすれば、ぎしぎしと椅子が小さく悲鳴をあげた。
さて、やることも済ませたことだし、いっそのことこのまま眠ってしまおうか。
伸びを終えて立ち上がると同時に一際激しい雷鳴が鳴り響く。先ほどまで聞こえていたのとは桁違いの轟音に、流石のイライも驚きを隠せずに窓の外へと視線を向ける。数秒もしないうちに空を駆ける閃光は、近場に雷が落ちたという証明に他ならなかった。このまま試合が実施されていたらと思うとすっと背筋が冷える。
ナイチンゲールの英断に感謝をしていると、部屋の外。トントンと控えめに扉を叩く音が聞こえた。
もしこの部屋の主が弁護士の彼であれば、「こんな時間に非常識なやつだ!」と深夜の訪問者を追い返していたに違いないが、この部屋の主はお人好しの権化であるイライ・クラークだった。当然扉を開けて来客を笑顔で出迎える。
「いらっしゃい、ノートン……おや」
扉の先にいたのはイライの予想通り、ノートン・キャンベルであった。彼もまた自分と同様試合に出てはいなかったはずだがその顔色は芳しくない。
「新しい衣装できたんだね」
彼にしては珍しく明るい色を基調にした衣装だったため思わず全身を凝視してしまう。なんでもハンターである芸者の彼女と白黒無常と揃いで誂えられたという衣装は、普段彼が纏っているものよりも少しばかり幼い印象を感じさせた。流石にヘルメットは置いてきたらしい。おかげで癖のある黒髪はあちらこちらへと好き放題に跳ね返っていた。
両手を広げて再び名前を呼ぶと、どすりと全身に衝撃が走る。受け止めるつもりで構えていたはずだったが残念ながら自分よりも体格のいい男を受け止めることは叶わなかったようだ。ふらつく足を堪えきれなかったイライの身体はノートンと共にそのまま背後のベッドへと倒れこむ。勢いよく二人分の体重を受けてぎしりとベッドが鳴き声を上げた。相変わらず自分の上に圧し掛かる男が何か言葉を発することはない。
「子守歌でもご所望かい?」
「いらない。このままでいい」
「そう」
冗談めかしてかけた言葉にも素っ気なく返すだけで、ぐりぐりと頭を擦りつけてくる男は相当に弱っているらしい。普段は頼もしいほどに広い背中に腕を回してとんとんと規則正しいリズムを刻むと、暫くしてからすんと小さく鼻を鳴らす音が聞こえた。
頬に両手を添えて無理矢理顔をあげさせると、薄暗い中でもうっすらと涙の幕の張った瞳と視線がぶつかる。ほんのりと赤く染まった目元が兎みたいで不覚にも愛らしさを覚えている自分がいた。眉間に皺を寄せている男の目元に唇を寄せれば塩っぽさが口内に広がる。嫌々とでもいうように顔を逸らすノートンを気にも留めずに、イライは口づけを落とすのをやめない。
「ちょっと、やめて……」
「わざわざその衣装で来なくたって、入れてあげるのに」
「……」
「まぁ可愛らしくて私は好きだけど」
最後にちょんと鼻の頭に唇で触れる。むすりと拗ねている表情ですら衣装も相まって今日に限ってはちっとも迫力がない。
にこにこと満足そうに己を見つめるイライに何を思いついたのかノートンは首元に顔を埋める。ちくりと走った痛みに慌ててイライが声をあげる。
「っあ、こら、ちょっと。ノートンきみ、雷の音はもういいのか……っ!」
「ヤダよ。全然良くない。けど、イライさんは可愛い恋人にきっと優しいから」
がじがじと甘噛みを繰り返すノートンにイライの息が少しずつ荒くなる。その瞳に先ほどまでの兎のような可愛らしさは微塵もない。あるのは獲物を前にした肉食獣のそれだけ。
「ね、可愛らしい男に襲われる気分はどう」
「~~っ最悪だ……!」
形勢逆転。先ほどまでの余裕はどこへ行ったのか。ローブの割れ目から差し込まれた掌がゆっくりと肌を這う感覚に噛みしめた唇から声が零れ落ちた。その声の一つすら逃すまいというように二人の唇が重なる。息が止まるほどに長い口づけからようやく解放されたイライの涙で滲む視界の先。迷子の子供のようにノートンが笑う。
「だからお願い。聞こえなくなるくらい、溺れさせてよ」
「……断らせる気なんてない癖に」
小さく呟かれた恨み言に、笑ったのは、一体どちらか。
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初公開日: 2020年05月09日
最終更新日: 2020年05月09日
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