カロン。
溶けた氷がグラスにぶつかった。そんな音がした。
ジョングクはハっと振り返り真夏に汗を滴らせる。白地のシャツが汗に染みて、噎せ返るような暑さの中にそれは随分と場違いな、爽やかで透き通った音だった。
突如として涼しい冷気がむわりと顔を包む。呼び寄せるように風が背を押し出す。夕暮れのあわい木陰が肌の上を踊った。額に玉のような汗を浮かばせたまま、ジョングクは静かにそちらへ歩を向ける。じわりじわりと蝉が鳴く。空気の切れ間の濡れそぼつような、葩の香りが。
カンカンと続けざま二つ三つ鳴った音に下駄の音だ。と、理解する。
自然と急ぎ足、水たまりを避けて湿った地面を鳶色のローファーが軽やかにすすんだ。右に左に。音の鳴る方へ。次第に耳に残る煩いような祭囃子は聞こえなくなっていた。
進むごとに周囲には目に鮮やかな花、花、時期遅れのかきつばたは露を纏って咲いている。棗の鮮やかな緑。ムクゲの白さが目に眩しくて、ジョングクは知らない間に鳥居の内側に立っていた。眼前に古ぼけた神社とその奥に一件の屋敷。苔の生えた狛狐が対になってこちらを睨み、琵琶の音がどこからか聞こえてくる。
首元を一筋の汗が伝って、ジョングクは呆然として、その麗しい瞼をゆっくり閉じて開いた。その一輪の瞬きに呼応するように、またあの涼やかな音が鳴る。ジョングクはパっと顔を上げ、そして一一目を剥き驚き後ずさり、大きな屋敷の縁側に見慣れぬ男が座って居た。
逆上せるような熱の中、その人は消えてしまいそうな白色を纏う。
その人は少年のようでもあり、同じ歳の学生にも見え、成熟したおとなのようにも感じた。ジョングクはただ立ち尽くしズボンの裾を掴む。感じたことのない不思議な魅力があるようだった。汗ばんで直立するジョングクなど意にも介さず蝉の声に煩そうに首を傾げて喉を掻く。手足がおおきくて威風がある。突き刺すような瞳にはスっと目尻にはね上げた朱が入っていた。睫毛の長い三角の瞳と小さな口はどことなく人に懐かない野良猫を連想させる。
男は汗の一つもかいていない。片足を縁側の上に乗せ頬杖をつく。すらりと足から抜け落ちた下駄が敷石の上を跳ね、涼やかな音を立てた。裸足の足にブルーの葉陰がよく映える。ま白い装束衣装が雪のように、まぶしい。
「それ」
「…。えっ」
「それ。くれよ。紅いのだよ」
手指は動かさず、目もやらず、顎でジョングクの手元を指す。ジョングクは買ったままずっと大事に持っていたりんご飴に目をやって困ったように身動ぎした。
「え、あ、でも、えっと、その…」
「?その握ってるやつだよ。食い物だろ。綺麗な食い物」
ローファーの下、砂利が軋んだ音を出す。
「おまえいっつも変な食い物持ってくるな」
「え?」
「いいから来い。腹減った」
なんて傍若無人の輩だろうか。
吸い寄せられるように彼の元へと歩いたら、満足そうに目元が細まった。ふつふつ熱いジョングクの手に冷たい指先がそっと触れる。
何も言えず黙って見ていたら、信じられないくらい優しく微笑むのだ。
ジョングクはどきりとして、俯いた。
「あ。あー。どっから食うんだ、これ」
「あ。えっと…」
「歯でさすの?」
「うん。あ、これを…」
「…。何笑ってんの、おまえ。」