──カチャー……ン
 後ろ手に縛られた状態で、冷たい大理石の床に投げ出される。受け身も取れないまま倒れ込んだ拍子に、首から下げたロザリオが床にぶつかって甲高い音を立てた。石と石が奏でる硬質で澄んだ音色は、窓一つないこの暗い、陰湿な部屋に似つかわしくない程、ひどく清らかに響いて木霊する。
 まるで悲鳴のようだ、そう思いながらミナトは目の前の斑模様を見つめる。穢れを知らぬ清き乙女、自身が祈り奉る聖母が漏らした、か細い悲鳴。
 まるで神をも恐れぬ魔物に囚われた、自身の身を嘆くかのような。 
「……そいつが鼠か?」
 地面に伏せるミナトの頭上から、低い、静かな声が降ってくる。特に声を張り上げている訳でもないのに、その声は不思議と良く通った。
「そのようですボス。確か女王と一緒にいた護衛ですね」
 最初に口を開いた男は、どうやらこの館の主らしい。彼の問いかけに答えて、ミナトの背後にいる男──ミナトを捕まえてここに連れてきた張本人だ──が返事を返す。
 彼の口調はまるで執事のようにしいものだったが、同時に仮面舞踏会で深窓の令嬢をダンスに誘う貴族の若者のような、ある種の軽薄さを含んでいた。どちらにせよ、先程ミナトを捕らえたような凶暴性は微塵も感じさせない。
「なんと、誇り高き我らの城に侵入者を許すとは!」
 背後の男の言葉に続いたのは、前の二人よりも高い、少年のような声だった。最初の男と同じように上から声が聞こえてくるが、距離はこちらの方が近いようだ。そっと視線を上に伸ばせば、三歩ほど離れた所に、よく手入れされた黒い革靴と、そこから伸びる同じく黒い靴下が目に入った。
「しかもこの嫌な十字の気配…聖職者ではないか!穢らわしい!」
 滑らかなボーイソプラノが苛立ちを含んで跳ねる度に、目線の先の革靴もカツカツと忙しなく音を立てる。喋り方こそ歳嵩のいった騎士のような厳しいものだったが、小さな鳥が盛んにるような声の調子は、ミナトがよく面倒を見ている町の子供たちのそれとまるきり変わらない。
 そのアンバランスさがなんだかひどく可笑しくて、こんな状況だというのに込み上げてきた笑いを、ミナトは喉で押し殺した。
「コイツ!今笑ったのか!?一千年続く由緒正しき一族の正当な末裔であるこのオレを、人間風情が!」
 しかしその声にもならなかった微かな音を、目の前の少年は聞き分けたらしい。怒りに震える声に合わせて、視線の先で跳ねる革靴がますます激しさを増して、大理石の床を鳴らした。
 人間離れした聴力だ。とミナトは目を見張った。もちろん魔物の塒にいる以上、ただの子供であるはずがないのは承知している。ただ実際にその証を目の前にすると、どこかまだ信じ切れずに胸中を漂っていた靄のような危機感が、背筋に冷水を垂らされたような悪寒に変わった。
「まあまあ王子、そうお怒りになりませんよう。貴方の言うとおり、所詮ただの人間風情の戯れ言なのですから」
 コツコツと足音がミナトの脇を通り過ぎて行き、怒りの収まらない少年の側で止まる。一拍遅れて、なにやら上等な布の様なものがミナトの後ろ髪を掠めた。そういえばこの若い男はマントを羽織っていたな、とミナトは自分が捕まったときのことを思い出した。
 
 ことの発端は、女王に届いた一通の手紙だった。
 それは最近国に移り住んだ貴族からの、舞踏会への招待状だった。国の主を呼びつけるなど、と近衛兵は立腹だったが、手紙と共に届けられた数々の財宝を見て、女王は出席を決めた。ちょうど貴族達が移り住んだ頃から流行り始めた謎の疫病から、少しでも国民を救うためだった。森に囲まれた小国の財政は乏しく、備蓄庫の穀物もそう多くはない。
 ──国民の苦しみに比べれば、私の権威など些細な問題です。
 そう宣言した女王は、城と見紛う貴族達の館を訪れた。『舞踏会ゆえ、兵や武器といった無粋なものは何卒ご遠慮いただきますよう』そう綴られた招待状の通り、国の教会を司る牧師だけを護衛に連れて。
(その結果が、このザマだ)
 ミナトは心の中で臍を噛んだ。ずっと傍を離れなかったはずなのに、貴族の一人に声をかけられ、ほんの少し立ち話をしていた間に、女王の姿はなくなっていた。それどころか貴族達の姿も忽然と消え、大広間には熱に浮かされたように踊り続ける人達だけが残されていた。これは尋常の事態ではないと、女王を探して館の奥に足を踏み入れたのがつい先程のことだ。
(万が一に備えて鍛えていたのに……)
 ほんの瞬きの一瞬だった。薄暗い通路の先に、橙色の瞳が光ったかと思った瞬間、ミナトは地面に押さえつけられていた。
(これは、ただの魔物じゃない)
 こめかみを冷たい汗が伝う。女王に万が一のことがあれば、この国はどうなるというのか。
「おい、顔を上げろ」
 あの低い声だ。ミナトは一度目を強く瞑ると、毅然と頭を上げた。
 ミナトの眼前に、三人の男が並んでいた。左右の二人が手前に立ち、真ん中の男は豪奢な椅子に腰掛けている。燭台の灯りしかないこの部屋は薄暗かったが、三人の瞳は暗がりの中で爛々と光っていた。
「どうしてあげましょうか。この哀れな子羊を」
 右にいるのは橙色の瞳と髪の、ミナトを捕らえた若い男だ。長い睫毛に彩られたアーモンド形の瞳と、しなやかな笑みを浮かべる薄い唇は、いかにも異性の目を引きそうな優美さがある。シンプルな黒の衣装に真紅のマントという出で立ちも、その雰囲気に一役買っていた。しかし派手な色使いの仮面の奥の瞳は、鼠を見つけた猫のようだ。
「決まっているだろう!我々の城を穢し、あまつさえこのオレを笑った罰を与えなければ!八つ裂きにして、隷属共の餌にしてやろうではないか」
 右にいるのは、15に手が届こうかという見た目の少年だった。菫色の前髪が小さな顔の左半分を覆い、同じ色の右目だけでミナトを睨みつけている。深い紺色のシルクハットとマントに身を包んだ姿は壮年の紳士のような気品があるが、半ズボンから伸びる脹脛の細さは幼い少年のものだ。
 この二人は舞踏会で見た顔だった。若い男は自分を含むあらゆる人に話しかけては酒を勧めていた。少年の方は一段高いところに座り、大広間で踊る人達を眺めていた。
 ただ、真ん中の男は初めて見る。先程「ボス」と呼ばれていたことから察するに、彼がこの三人のリーダーなのだろう。
「牧師風情が。コソコソと何をしていた」
 男は堂々たる体躯の持ち主で、鋼のような筋肉に覆われた身体はまるで彫像のような美しさすらあった。褐色の肌を晒した衣装はミナトが初めて目にするもので、金属と革を組み合わせた不思議なものだ。頬から鋭い目元にかけて走る紋様が、鮮やかな紫色の瞳を際立たせている。
「……おれはミナト。神に生涯を捧げた者だ」
 ミナトは口を開いた。気を抜けば威圧感と恐怖に倒れ付してしまいそうになる身体と心を叱咤して、真っ直ぐに異形の瞳を見つめる。
「女王をどこへやった」
 下腹に力を込めて声を張る。必死の抵抗を見せる人間の姿に、魔物達は三者三様の反応を返した。
「ハッ!!愚かな人間め。虚勢を張ったところで無駄なことだ。お前の運命は、我々に歯向かった時点で既に決まっている!」
 少年が高らかに笑う。それに合わせて、若い男も同調するように笑い声を漏らした。
「フフッ、語尾が震えてるよ。──それに、女王様がどうなったかなんて、君も想像ついてるんじゃないの?」
 薄い唇が酷薄な弧を描く。開いた唇の隙間からチラリと覗いたのは、鋭く光る一対の牙。
「ヴァンパイアに囚われた者の末路なんてさ」
 やはり、とミナトは歯噛みした。
 ヴァンパイア。人の生き血を啜る魔物。永遠の夜を歩む不老不死の支配者。一度血を奪われた人間は、例外なく魔物となり彼らの隷属として支配される。一介の人間が敵う相手では到底ない。
 ミナトは手足の先がスッと冷える感覚に襲われた。心臓が嫌なリズムで脈打ち、背筋を悪寒が撫で下ろす。
「……女王はどこだ」
 それでも、ミナトは喉の奥から声を絞り出した。少年の眉が不愉快そうに歪み、若い男の瞳孔が猫の目のように細められるが、ミナトは構わずに顎を引き上げる。
「魔物の言うことなんか信じるか……仮に、女王がもう亡くなられていたとしても、女王の亡骸を貴様らに穢させる訳にはいかない。おれを女王の元に連れて行け!!」
 がらんどうの空間に声が反響する。額から流れ落ちた汗が眼に入り、視界が霞むが、歯を食いしばって虚空を睨みつける。仮にここで無残に殺されようと、魔物に屈服することだけ絶対にしない。
(女王様……お守りできず、本当に申し訳ない) 
 滲んだ視界の中で、真紅と紺色のマントが翻る。カウントダウンのような足音を聞きながら、ミナトは最後の懺悔を胸の中で呟いた。
「気に入った」
 唐突に、低い声が耳に飛び込んできた。と同時に、迫っていた足音も止む。
 ミナトは一度瞬きをした。澄んだ視界に映ったのは、自分の眼前で止まった革靴の先と、玉座から立ち上がる男の姿だった。先程まで静観していた男が悠然と歩を進めると、少年と若い男は静かに脇に退く。ミナトは呆然と、近づくヴァンパイアを見上げることしかできない。
 男はミナトの眼の前に立つと、祭服の襟首を掴んで引きずり上げた。突然のことにミナトが呻き声を上げる間もなく、男は唇から牙を覗かせて笑った。
「お前は俺の奴隷にしてやろう」
 ミナトの目が見開かれる。驚愕に揺れる水色の瞳いっぱいに、この世の何よりも鮮やかな紫の瞳が映り込む。
「後は任せたぞ」
 男は背後に向かってそう言うと、バサリとマントを広げた。ミナトの視界が宵闇の色に包まれ、そして全ての感覚が消え失せた。
 ◆
 足が硬い床に触れる感触にミナトが眼を開けると、そこは真っ暗な空間だった。灯りも何もなく、部屋なのかどうかすらも把握できない。突然の事態を把握しようとするよりも早く、何かに突き飛ばされたミナトは為す術なく倒れ込んだ。
(……柔らかい?)
 また硬い床に身体を投げ出されるという予想に反して、ミナトを受け止めたのは柔らかい、弾力のあるものだった。頬に触れる感触はひどく滑らかで、石とは違う冷たさにはどこか覚えがあった。
(布?)
 何故布が。しかも手触りからするにかなり上等の。何一つ分からない状況にミナトが硬直していると、暗闇の向こうでパチンッ、と指を鳴らす音が響いた。
 瞬間、視界に飛び込んできた眩しい光に、ミナトは反射的に目を瞑った。
「ぅわッ」
 間髪入れずに誰かに足首を掴まれ、うつ伏せだった身体を無理矢理仰向けにされる。そのまま靴を引き抜かれて、地面に何かが落ちる音がする。
「う……ッ?」
 耐えかねたミナトが恐る恐る目を開けると、そこは寝室だった。
 背後の壁には燭台が取り付けられ、蝋燭の火が煌々と灯っている。先程目を焼いたのはこの光だったのだろう。火を着ける気配は一切なかったが、これもヴァンパイアの力なのだろうか。視線を足元にずらすとそこは寝台の上で、大の大人が優に二人は寝られるだろう広い寝台に敷き詰められたシーツが、橙色の光を反射して滑らかな光沢を放っていた。天蓋からは薄い布が垂れ下がり、四方を半透明の白で覆っている。そしてその間からこちらを伺っているのは。
「……なんのつもりだ」
 ミナトは目の前の相手を睨めつけた。警戒心と不安で口の中が乾く。
「分からないのか?ハッ、呑気なことだな」
 対するヴァンパイアはミナトの視線を軽く受け止める。どこかこの状況を楽しんでいる様子に、ミナトは手を握り締めた。
「貴様の奴隷にはならない。おれの全ては神のものだ」
 相手の意図は分からないが、遅かれ早かれ殺されることだけは確かだろう。死を意識すると背筋に冷たい汗が流れたが、一人魔物に襲われたのであろう女王のことを考えれば、自分の苦痛など些細なことだ。
「随分と神に執着するが」
 すぐ耳元で聞こえてきた声に、ミナトは息を呑んだ。気がつけば相手の姿は視界から消え、背後から顎を掴まれていた。動けないように頭を固定され、鋭い爪が首筋をなぞる感触に、鼓動が堰を切ったように激しく脈打つ。ドクドクとうねる血管を辿るように褐色の手は下に降りてゆき、十字架の下──胸の中央を撫でた。
「その神とやらはお前が魔物に抱かれても守ってくれるのか?」
 
「……は、」
 吹き込まれた言葉の、意味を図りかねる。
 真っ白に霞がかった頭と、耳朶にかかる笑い含みの吐息。胸元の合わせを割って皮膚を伝う指の腹が鳩尾の窪みを浅く押して、漸く頭の霞が晴れてくる。
 徐々に色をなくしてゆくミナトの頬を、背後の魔物は楽しげに眺めていた。
   ◆
「ッ……!離せ!」
 ミナトはまとわりつく手を跳ね除けようと暴れた。しかし男の手が緩むことはなく、自由な脚を蹴り上げても、両手を縛る縄が食い込むだけだった。
「今更なんだ。さっきまでは覚悟を決めて大人しくしてただろう」
「ふざけろ!何をする気だ……!」
 禁欲の教えを忠実に守ってきたミナトは、性知識に乏しい。ただそれでも、この男が何かおぞましいことをしようとしているのは分かった。
 そうこうしている間にも男の手は止まらない。今や臍まで肌蹴た祭服に、危機感を募らせたミナトは一層激しく抵抗した。
「チッ、うるせぇな」
 必死に足掻くミナトに男は舌打ちを漏らすと、顎を掴んでいた指をミナトの口にねじ込んだ。
「ぅーーッ!」
 人差し指と中指で歯列を割り開かれる。咄嗟に歯を立てるが、男は意にも介さない。咥内を無遠慮に侵される不快感に、ミナトは顔を歪めた。
 不意に、ミナトの耳に何かが千切れるような鈍い音が響いた。何を、と身構えると同時に、顔を強く引かれて背後を向かされる。
 瞬間、ぬるりと咥内を満たした未知の感触に、ミナトは声にならない悲鳴をあげた。
「──ッ!!」
 自分の唇の、男の指の隙間から何かが入ってくる。指でも、男が身につけていた何かでもない。濡れた、妙に弾力のあるそれは、男の指よりも少し熱い温度で咥内を侵していく。ミナトが唯一自由な舌でそれを押し返すと、ざらついた感触が味蕾を撫でた。
 さらに妙なことに、その先端からは液体が流れていた。絶え間なく溢れるそれはあっと言う間に狭い咥内を満たし、喉奥に流れ込もうとする。それを拒もうとするほど、唾液と混じりあった液体は閉じることの叶わない唇から零れ落ち、仰け反った喉を伝って肌蹴た鎖骨の窪みに水溜りを作った。
「、ぅ」
 ミナトは謎の液体を飲むまいと抵抗していたが、どんどん増していく息苦しさに喉の筋肉が引攣れる。それを見計らったように咥内を侵す何かの動きが激しくなり、ミナトの目尻に生理的な涙が浮かんだ。
 ──ゴクン
 ミナトの喉仏が上下する。ずるりと咥内を占領していたものが抜け、口を抑えていた指が離れると、ミナトは大きく息を吸いこんだ。
「ゲホッゲホッ、カハッ」
 いくら咳き込んでも、飲み込んでしまったものは出てこない。指を入れて吐き出したかったが、生憎手は動かせなかった。顎と喉を濡らす感触がひどく不快だが、それを拭うことすら叶わない。
「下手だな」
 そんなミナトをよそに、男の声はどこまでも余裕を含んでいる。せめてもの抵抗に、ミナトは折り曲げていた身体を起こして背後の男を睨みつけた。
「初めてか?」
 そう言って笑う男の唇が赤く汚れていて、ミナトは一瞬怯んだ。ちろり、とその液体を舐めとる舌の先に、噛み跡のような傷がある。
 液体の正体に気づいた途端、鉄臭い匂いが鼻をついた。
「気を楽にしてろ」
 呆然と目を見開くミナトの唇を、男は指でなぞった。同じ液体で汚れた唇は、ほんの微かに震えている。
「すぐに効く」
 何が、と思う間もなく、ミナトの身体を異変が襲った。
 男の血を飲み込んだ胃が、ジワジワと熱い。内臓を直接羽根で撫でられるようなむず痒さが全身に広がり、下腹の辺りがひどく落ち着かない。
「……ッ」
 ミナトは慌てて顔を伏せた。身体中が熱い。うなじに伝う汗の感触が、嫌に敏感に感じる。疼きとも焦燥感ともつかない感覚に、丸まった爪先がシーツを掻いた。
 流されては男の思うつぼだ。だが、体験したことのない衝動に、身体が勝手に動いてしまう。
「ッぅあ」
 ミナトの身体が大きく跳ねた。褐色の手が祭服の下に潜り込み、汗ばんだ肌に直接触れている。
「あッ、い、嫌だッ」
 鎖骨に溜まった血が流れ落ちた跡を、男の指は辿っていた。鎖骨の頂点を通り、逞しく張った胸筋の合間を伝い落ちる。腹筋の凹凸を越えて臍の窪みの淵を撫でると、ミナトは激しく頭を振った。
 触れられた場所から痺れが走っている。微弱な痺れは一瞬だけ疼きを忘れさせたが、それが去ると余計に強くなった疼きが身体を苛んだ。晒された身体に男が触れるたび繰り返され、際限なく高まる焦燥に、ミナトは身をよじらせた。
「いや、だ、もう、やめ、うぅ……ッ!」
 男の手から逃れようと足をシーツに突っ張っても、背後の胸に背中を押し付けるだけだった。耐えかねた身体がくの字に折り曲がり、汗ばんだ前髪が額にかかる。
 ──熱くて、辛くて、苦しい。誰でもいいから、この苦痛を和らげて欲しい。
 永遠に続くような苦しみに思わずそう願った瞬間、ミナトの身体に電流が走った。
「あァッ!!」
 抑える間もなく大声をあげてしまう。身体が一人でに仰け反り、握り締めた指先が背後の肌に擦れる。
 男の指はミナトの胸の頂点を弄っていた。淡い色合いのそこはぷっくりと腫れ上がり、硬くなった先端を指の腹で擦られるたび、悲鳴じみた声がミナトの口から漏れる。
「あ、なに、やッ、ア、ん……ッ!」
 いつの間にかミナトを苦しめていた疼きは消え失せ、目の眩むような感覚が身体を支配していた。
(なんだこれ)
 自分では普段意識することのない箇所に男の指が触れると、不思議な刺激が背筋を駆け上がる。浅く表面を擦られると下腹の辺りが収縮して、指で抓まれると頭の芯がじぃんと痺れた。
(なにも、考えられない) 
 自分の身体を支配する感覚が果たして何なのか、ミナトには分からなかった。ただ先程の耐え難い疼きと確実に違うのは、苦痛ではないということだ。
 それどころか、ずっとこの心地を味わっていたい気さえする。
「ア、あ、あッ、あァ、アッ」
 そんなミナトの心情を読んだかのように、男の指は滑らかに動き続けた。時折鋭い爪の先が皮膚を掠める痛みすら、今は全身を震わせる甘美な刺激になる。
 身を捩らせたミナトが天を仰いだ。何より憎いはずの男に全身を預けて、反った背筋が弧を描く。
「あー、あああ、あ、ア──ッ」
 身体の中で熱と痺れが急激に膨れ上がった。体内に収まりきらないそれは出口を求めて、背骨から下腹へと濁流のように流れ落ちる。その激しさに、ミナトは全身を戦慄かせた。
 閉じることを忘れた口元から、一筋の唾液が伝い落ちる。
 そしてそれが合図だったかのように、男の手は動きを止めた。
「あ……?」
 水色の瞳が瞬く。永遠に続いて欲しいとさえ願った心地は、あまりに呆気なく去ってしまった。
「物足りなそうだな」
 突然耳元に吹き込まれた声に、ミナトの身体が跳ねた。くつくつと笑う吸血鬼の嘲笑が、蕩けていた頭に冷たく染み込む。
「う、るさい……」
 しかし、返すミナトの声は弱々しかった。
 膨れ上がるだけ膨れ上がった何かが、身体の中で出口を求めて渦巻いている。排泄欲にも似たそれに、ミナトは無意識に太腿を擦り合わせた。 
 ジクジクと身体を苛む疼きを煽るかのように、男はミナトの下腹部に手を伸ばした。
「なっ……やめ、触るなッ」
 ミナトは咄嗟に拒絶の言葉を口にしたが、男は笑い含みの吐息を漏らしただけだった。
 男の手が臍のさらに下、両脚の付け根の間に潜り込むと、そこを撫で上げる。
 そこで初めて、ミナトは自分の股間が窮屈に盛り上がっていることに気がついた。
「やめていいのか」
 ミナトが自分の身体の異変について考える間もなく、男の手がズボンを引き下ろす。堰を失って飛び出したそれは、ミナトの腹筋に当たって湿った音を立てた。
「随分と物欲しそうだがな」
 聖職者は皆神に操を立てる。中には結婚する者もいたが、未婚のミナトは未だ、清い身体のままだった。子供を為す行為の、最低限の知識は持っていたが、禁欲の掟を守るため自らを慰めたこともない。
 ミナトは呆然と、先端を濡らして張り詰める肉の塊を見た。これが自分の身体の一部なのかと、どこか信じたくない自分がいる。
「邪魔だな」 
 急に支えを失って、ミナトの身体は仰向けに倒れ込んだ。乱れた祭服が引っ張られる感覚と共に、全身の肌が外気に晒される。
 いつの間にか男は正面にいた。ミナトの膝の間に陣取り、今や前を肌蹴た上着しか身に着けていないミナトの身体を見下ろしている。無遠慮に注がれる視線に、ミナトの頬がカッと熱くなった。
 汗ばんだ乳白色の肌が色づき、羞恥に震える身体の中央で、銀のロザリオの鎖が虚しく音を立てる。男は愉しげに唇を歪ませると、血を透かして赤くなった皮膚に爪を這わせた。
「ぁ……ッ」
 男の鋭い爪は鎖骨のすぐ下をなぞり、爪の動きに合わせて、浅く裂かれた皮膚に赤い線が引かれていった。一拍置いて血が滲み出し、細い傷口に点々と赤い玉が浮かぶ。
 重力に玉が崩れて垂れ落ちる寸前、男の舌がそれを舐め取った。
「ひッ、ぁ」
 突然の濡れた感触にミナトの口からは悲鳴が漏れた。ざらついた舌は傷の断面までも舐めあげ、時折血を強請るように吸い付いた。
「あ……ぅあ」
 傷に触れられるたび、ピリピリとした感覚が皮膚の表面を走った。普段であれば痛みだったであろうその感覚は、身体を支配する熱と疼きに混じって、もどかしい刺激へと変わっていた。
「あ、やめ……ふ、ぁ」
 男は気紛れにミナトの身体に爪を這わせては、その跡を舌でなぞった。肩口、鳩尾、脇腹、胸。乳白色の身体に赤い線が増えるごとに、下腹に渦巻く欲求は激しさを増して、疼きは耐え難いものになってゆく。
「あ!あアッ、そ……ッ!」
 男の舌が胸の頂点のすぐ側に触れたとき、ミナトは口走りそうになった言葉を慌てて飲み込んだ。
「ん、んン、ふ、ア、あッ」
 舌が通ったのは、腫れ上がった淡い色の裾野の輪郭に、ぎりぎり触れないところだった。男の吐息が突起を湿らせ、時折、鼻先がツンと立った先端を掠める。
 そんな僅かな、分かりたくない刺激すら、今の身体は鋭敏に拾って、あまつさえさらなる刺激を求めてしまう。
(も、少し、ほんの、少しだけ)
 乳首が疼いて堪らない。濡れた、分厚い、ざらついた舌が触れれば、きっとこの疼きは収まるだろう。そして、その代わりに、蕩けるような快感が得られるはずだ。
 ──先程、男の指で与えられた感覚が"快感"だと、ミナトは知らず知らずのうちに理解していた。
「あっ……」
 男の舌が離れていく瞬間、ミナトは思わず声を上げていた。その声が如何にも物欲しげで、欲に濡れていて、ミナトは羞恥心に耳まで赤くなった。
「欲しいか?」
 満足げに唇を舐める男が問いかける。何が、と言われなくても、そんなことはミナトも分かっている。
「い、嫌だ……」
 だからこそ、ミナトは拒絶の言葉を口にした。あれだけの醜態を晒しておいて今更、なんてことは百も承知だ。ただ、ミナトの理性と矜持が、自らヴァンパイアに屈服するのを拒んでいた。
「そうか」
 睨みつけた先で、紫の瞳が弧を描く。追い詰められた牡鹿を見る狼のような、獰猛で残虐な笑みだった。
「やはりお前は俺のものになれ」
 そう言うと、男はミナトの膝裏に手をかけた。
「やめッ……」
 片手で右脚を押し開かれる。あられもない格好にミナトは抵抗したが、こんな状態でヴァンパイアの膂力に敵う訳もない。 
 根本まで晒された陰茎は、長時間の刺激にすっかり濡れそぼっていた。透明な体液が双球にまで伝い落ち、さらにその下も濡らしている。自身ですら触れたことのない先端は、血を透かして濃いピンク色をしていた。
 男はミナトの太腿の付け根、ちょうど脚を開かされて筋が浮いている場所に指を伸ばした。
「いッ……!」
 張り詰めた欲のすぐ近くで走った甘い痛みに、ミナトは悲鳴を呑み込んだ。
 皮膚の薄いそこは、軽く爪が掠めるだけで容易に血を流した。一つ、二つと男が線を引くと、傷と流れる血が交差して乳白色の肌に紋様を描く。
 男は少しの間それを眺めていたが、やがて血の匂いに引き寄せられるように舌を伸ばした。
「うあ……ッ!ひ、ふ、ンあぁッ」
 ざらついた舌が太腿の内側の、滑らかな素肌を撫でる。ピンと伸ばされた皮膚は刺激をそのまま神経に伝えて、くすぐったさとむず痒さが綯交ぜになった感覚が下腹部全体を痺れさせた。
「ひァ、あ、イ、うあぁ、あ」
 男の舌の動きに合わせてミナトの陰茎が跳ねる。中心に直接響くような刺激は膨れた上がった熱をさらに煽り、決定的な快楽を得たいという欲求は最早疼痛と化していた。出口を求める疼きはチクチクと陰茎や双球を苛み、永遠とも思える焦燥感に、頭が欲望で塗り潰されていく。
 じゅ、と男が音を立てて吸い付くと、ミナトの先端から透明な液が滴り落ちた。
「アッ、もう、もう、もう……ッ!」
 仰け反った後頭部がシーツに擦れて、緑の髪が乱れた。耐えかねてきつく瞑った瞼の隙間から一筋、体温と同じ温度の雫が流れ落ちる。
 
 閉じた瞳の向こうで男がどんな表情をしていたのか、ミナトは知るよしもなかった。
 真っ暗な視界の中、パチン、と高い音が響いた。と同時に、ミナトの手首を戒めていた拘束が解ける。
「ぁ……?」
 ミナトは目を開けた。涙で滲んだ視界が徐々に晴てゆくと、酷く鮮やかな紫の瞳がこちらを見つめていた。
「好きにしろ」
 男の低い声が蕩けた頭に響く。水色の瞳が意図を問いかねて揺らめくが、男は何も答えなかった。
(好き、に)
 男から視線を下にずらすと、ぐっしょりと濡れた自身が目に入る。縛られていた両手は少し痺れていたが、今は自由に動く。
(ダメ、だ、そんなこと)
 どこか遠くで声がする。
 ──しかし、もう限界だった。
「ん……」
 右手で張り詰めた陰茎にそっと触れると、それだけで甘い刺激が走った。両手で包み込むように軽く握ると、手の中のものが期待にヒクリと震える。
「ふ、あ……」
 濡れた皮膚の上を滑らせるように手を動かす。自身の吐き出した液に塗れた表面をそっと撫でるだけの動きは酷く緩慢で、愛撫と呼べない程幼稚なものだったが、今まで刺激を与えたことのない性器には十分な刺激だった。
「あ、あ、あぁ」 
 緩やかな水音と共に、尾てい骨を柔らかな羽で撫で上げられるような、腰が思わず浮いてしまうような感覚が広がっていく。下腹部を襲っていた疼きが穏やかな快感に変わり、甘美な刺激に閉じることを忘れた口元から、ひっきりなしに甘い声が零れた。
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 ◆
ミナトが死から蘇り、城の裏庭から這い出した頃、アレクサンダーを始めとする城の吸血鬼達は皆、討伐隊によって退治された後だった。
 空に複雑な模様を描く夕暮れを背景に、壮麗を誇った城は焼け落ち、崩れ落ちた残骸は薄く煙をたなびかせていた。ミナトは緑色に変色してしまった首をぐるりと巡らすと、迷わずある一角へと向い、そこに積もった瓦礫をどかし始めた。
 それは本能だった。血を吸ったヴァンパイアと、その配下として蘇ったアンデッド。両者を結ぶ血の契約が、ミナトを主の元へと導いた。 
 
 無心に残骸を漁り続けて、ようやくミナトは彼を見つけた。
 かつての不老不死の象徴、魔物達の王は、胸を銀の剣に貫かれ、身体中を炎で焼かれ、大量の瓦礫に埋もれていた。
 もはや見るも無残な状態だったが、ミナトは彼の姿を目にすると、ほっとした顔で微笑んだ。
 もう日は沈みかけていたが、万が一にも彼に日光が当たらないよう、ミナトはその場所が太陽の死角になっているかを確認した。幸いそこはうず高く積まれた瓦礫に四方を囲まれていて、地面を這うような西日を遮ってくれていた。
 慎重に瓦礫から彼の身体を掘り起こし、平らな地面に寝かせる。彼の頭を自分の折り曲げた膝に乗せて安定させると、ミナトは近くにあった硝子片を掴み、迷わず自分の手首を切りつけた。
 ──ボタボタボタ…
 鋭利な硝子は容易く肉を断ち切り、ぱっくりと開いた傷口からは赤い血が流れ出た。命の源である血は、しかし勢いよく噴き出すことはなく、タラタラと一定の間隔で手を伝っていく。
 ミナトは傷をつけた手首を、彼の口元へ持っていった。静かに滴る血は点々と彼の身体に痕を残しながら、僅かに開いた唇へと辿り着き、口腔へと流れ落ちる。
 もしこの光景を見た人間がいたなら、その余りのおぞましさに悲鳴を上げ、逃げ出していただろう。しかし、傷だらけのヴァンパイアに自らの血を分け与えるその表情は、まるで聖母のように穏やかで、慈しみに満ちたものだった。
 辺りが血の匂いで満ちていく中、彼の焼け焦げた喉が微かに上下するのを、ミナトは恍惚の目で見つめていた。
 ◆
 ──コツーン……コツーン……
 暗い穴の中で、硬い足音が響く。
 穴は本来、城の備蓄庫として使われていた地下室へ続く階段だった。しかし持ち主が去った後廃墟になって久しく、そして先日の火災で焼け落ちたばかりのこの城は、もはや瓦礫の山となってしまった。唯一焼け残ったこの地下室も、崩れてきた建物の残骸で埋もれてしまっていた。
 ──コツーン……コツーン……
 地下室への扉は炭と化し、今は落ちてきた天井の破片が蓋の代わりをしていた。熱風と黒煙に晒された階段はそこら中煤にまみれていたが、男が通る場所だけは掃いたように煤がなく、男の靴裏に石段の細かい凹凸が直接触れていた。
 ──コツーン……コツーン……
 入り口が塞がれ、燭台も溶け落ちた階段に光はなく、男の手にも灯りはなかった。正真正銘の暗闇の中を、しかし男は迷いのない足取りで下っていく。
 ──コツーン……コツーン……カツン
 一定のリズムを刻んでいた足音が止むと、ガチャリ、と金属が擦れ合う音がした。
 ──ギィィィー……
 暗闇の中に一筋の白い線が引かれたかと思うと、見る間にそれは幅を増し、大きな四角を描いた。
 男はしばらくの間、開け放たれた扉の中から溢れる光に眩しげに目を細めていた。しかし目が慣れてくると、中の様子が見えるようになってきた。
 そこは寝室だった。
 壁の燭台には火が灯され、四方の壁沿いに積まれた大きな布袋を照らしている。先ほど男の目に白く写った蝋燭の光も、明るさに慣れた今は柔らかいオレンジ色に見えた。
 男は扉の前で丁寧に服の汚れを払ってから、部屋へと足を踏み入れた。燭台の蝋燭の長さを確認しながら、部屋の一番奥へと向かう。壁沿いに整然と並ぶ布袋は男の目線程の高さがあったが、入り口の真正面にあるそのスペースだけは、ぽっかりと空間が空いている。
 そしてそこには寝台があった。二つ重ねた布袋を並べ、人一人が横になれるようにしてある。その上には何処からか調達してきたのか、煤けた白い布が敷き詰められていた。
 そこで静かに横たわる者の姿を見て、男──ミナトは、愛おしげに目を細めた。
「ただいま。アレクサンダー」
 ミナトは親が子供にするように、アレクサンダーの褐色の頬を撫でた。こめかみに手を滑らせて髪を優しく梳くと、くすんだ暗緑色の指の間を若草色の髪が通り抜けていく。親指でそっと瞼を撫でると、綺麗に生え揃った睫毛が指の腹をくすぐった。
 粗末な寝台に眠るアレクサンダーは、目を閉じたまま動かない。その目の下に刻まれた真紅の紋様と、微かに開いた唇から覗く牙が、アレクサンダーが人間ではないことを物語っていた。
 
 果たして、アレクサンダーはヴァンパイアだった。そしてミナトはかつて牧師だった男で、アレクサンダーに殺された。
 寝台の傍に跪いてアレクサンダーの顔を覗き込んでいたミナトは、ひとしきり彼を慈しんだ後、そっと身を乗り出した。アレクサンダーを見下ろすような体勢になると、枕元に置いてあった硝子片を掴んだ。
 手のひら程の長さの硝子片は先端が鋭利に尖っていて、蝋燭の灯りを反射して白く煌めいていた。
 ミナトは顎を少し反らすと、口を開けてその切先を口に含んだ。前歯に滑らかな硝子の表面が当たるのを感じながら、持ち上げた舌の中央に切っ先を押し当てると、一気に刺し貫いた。
 ──ズチュッ
 弾力のある肉を割り開く湿った音と共に、下顎に濡れた切っ先が触れる。人間ならば尋常ではない痛み伴う行為も、今のミナトには舌の筋肉が引き攣れる感覚としか認識されなかった。ミナトが人ではなく不死のアンデッドとして蘇ってから、痛みという感覚に鈍くなってしまって久しい。
 硝子と舌の隙間からはじわりと血が染みだし、ゆっくりと硝子片を抜いていくのに合わせて、口の中を満たす鉄臭い血の味と匂いも濃くなっていく。
 ミナトは顎を反らせたまま、咥えた硝子片を慎重な手付きで抜き取った。先端が赤く染まった硝子片が唇を抜けると、つ、と赤い糸が垂れて唇を汚した。咥内に溢れる血を零さないよう口を閉じたまま、硝子片を布で拭って枕元に戻す。
 ふと、眠るアレクサンダーの瞼が動いた。開きはしないが、時折ピクピクと動いている。それを見て、ミナトは目を細めた。
(そろそろかもしれない)
 ミナトはアレクサンダーの胸──正確には、胸の中央に残る大きな傷跡に目をやった。
 それは刀傷だった。ヴァンパイアハンターの剣が胸を刺し貫き、不死身であるアレクサンダーが死の淵にまで追い込まれた痕。ミナトはそれにそっと触れた。
 ミナトが瀕死のアレクサンダーを城の残骸から見つけ出したときは、赤い肉を覗かせる傷口から背中の地面が見えようかという有様だった。しかしミナトの懸命な"看病"のお陰で、今では肉色の引き攣れた痕が残るばかりだ。
 逞しい褐色の胸はまるで彫像のように冷めたく、静かだったが、アレクサンダーの身体はまだ生きている。それはミナトが城の裏庭の土の中で目覚めたときから、ずっと確信していることだった。
 ミナトは傷口を撫ぜていた手を頬に滑らせた。もう片方の手も頬に添え、頭を垂れて屈み込むと、そっとアレクサンダーに口付けた。
 微かに開いた唇を覆うように、自分の唇を重ねる。鋭い牙を舌で掻き分ければ、咥内に滴る血が舌を伝って、アレクサンダーの乾いた唇を潤していった。
 ミナトはタラタラと血を供給し続ける舌を動かない舌に絡ませて、ざらつく舌の表面に血をなすり付けた。味蕾に懐かしい味を擦り込むように、丁寧に丁寧にアレクサンダーの舌を舐める。血と唾液が混ざり合った液体がアレクサンダーの咥内に満ちてゆき、ミナトの舌がそれを掻き混ぜるたび、粘着質な水音が鼓膜を刺激した。
 咥内に溢れる血はやがて行き場を失い、重量に従って喉の奥に流れ落ちる。渇いた喉に馨しい液体が滑り込む感覚に、アレクサンダーの喉仏は反射的に動いた。
 ──ゴクリ
 アレクサンダーの喉が鳴るのを聞いて、ミナトは口付けたまま微笑んだ。至近距離にある瞼の動きが激しくなり、それに合わせて頬を擽る睫毛に、ミナトは更に深く口付けようとした。
 その瞬間だった。
 ──ジュルッ
 血を啜るくぐもった音と共に、舌が強く引き込まれる。驚きに目を見開くミナトの後頭部を、何かが強く掴んで押さえ付けた。
 ──ジュルッ、ジュッ
 舌に直接吸い付かれ、流れ出る血を一滴残らず飲み干される。それでもまだ足りないと言わんばかりに、鋭い牙が舌を噛んだ。
 飢えた獣のような激しい口付けに、重ねた唇の隙間から濃厚な血の香りが溢れ出した。アレクサンダーにとって──そしてミナトにとっても──嗅ぎなれたその匂いは、揺らめく蝋燭の熱に煽られて部屋中に広がっていく。
(ああ)
 久しぶりに感じる新鮮な痛みと熱に、ミナトはうっとりと目を閉じた。一心に血を貪るアレクサンダーの首に手を回して、アレクサンダーが血を飲みやすいように頭を支えてやる。密着した胸から伝わる激しい鼓動は、動きを忘れたはずのミナトの心臓をひどく高鳴らせた。
 ──ジュル……ジュル……ゴク……ゴク……
 どれほどの間、そうしていただろう。
 ミナトの身体中の血が吸い尽くされる、という頃になって、ようやくアレクサンダーの腕の力が緩んだ。
 ぷちゅ、と泡が弾ける音を立てて唇が離れると、濡れた赤い糸がお互いの舌を繋いだ。頭を抱いた手は離さないまま、ミナトはそっと身を起こした。
 自らの手の中、激しい口付けに乱れた前髪の下で、アレクサンダーの瞼がゆっくりと開いてゆく。まるで下弦の月が満ちるように紫の瞳が姿を現していく一瞬は、ミナトが心から待ち望んだ瞬間だった。
「おはよう」 
 ──アレクサンダー。
 万感の思いを込めた優しい囁きは、深い眠りから目覚めたばかりのアレクサンダーの耳には殊更柔らかく聞こえただろう。
 じりじりと蝋燭の芯が燃えていく音だけが響く部屋の中、夜空の満月のようにきらきらと煌めく瞳を、二人はしばらくの間見つめていた。
 ◆
 
ラスト
「ッはぁ、ねぇアレクサンダー…」
 腰の動きを止めないまま、ミナトが語りかける。
「気持ちいい?」
 問いかけながら、ミナトはアレクサンダーを見つめる。アレクサンダーは結合部から込み上がる快感に耐えながら、目の前の死人――元が付くが――を睨みつけた。
 一度墓の下の土の中で腐ったアンデッドの癖に、生物らしい体温なんてまるで感じられない緑色の肌をしている癖に、その瞳だけはまるで燃えるよな熱を孕んで、アレクサンダーを見つめてくる。
「ねぇアレクサンダー…答えて?」
 褐色の胸に手を滑らせ、そのまま頭を抱き込むようにして、耳もとで囁く。
 その腕をうっとおしいと押し退けることなど、ヴァンパイアである自分には訳もないはずだ。だが今のアレクサンダーには、その簡単なことができなかった。
 ──どうしても、コイツを"拒絶"できない
「アレクサンダー…?」
「…ぅ、…気持ち、いい…ッ、くそッ」
「…ふふ、僕もだよアレクサンダー…」
 うれしい、そう呟いてミナトはアレクサンダーに口付ける。自分の唇と他人のそれが重なるいやに柔い感触に吐き気のようなものを覚えながら、アレクサンダーは抵抗できない自分の身を呪った。
 ミナトがアレクサンダーを見つけたとき、アレクサンダーは瀕死の状態だった。あのまま朝まで瓦礫に埋もれていたら、完全に死を迎えていただろう。それほど肉体の損傷は激しかった。
 しかしミナトが自らの血を与えたことで、アレクサンダーは死の淵から再生した。――しかしその行為は、ある予想外の結果を生んだ。
 ヴァンパイアは、血の繋がりを何よりも重要視する。血を糧とする彼らにとって、血こそが生命の源であるとされるからだ。同じ血を分けた同胞同士は見えない絆で結ばれ、人間や動物に血を与えればそれは強固な鎖となって相手を支配する。
 ただ、彼らが糧として摂取する血はあくまで食事であり、通常体内で魔力として変換されるだけで、その身体に影響を及ぼすことはない。超大な魔力を持つヴァンパイアにとって、人間の命が持つ魔力など無に等しいからだ。
 しかし、あの時のアレクサンダーの身体は、自力では再生が出来ないほど深く損傷していた。再生には魔力が必要だが、瀕死の危機に陥った身体には、取り入れた血を魔力に変換するだけの余裕すらなかった。
 あの時、ミナトがアレクサンダーに捧げた血は、そのまま彼の血肉となった。ミナトの血はアレクサンダーの肉体の奥底に深く根を張り─結果二人の間に見えない『楔』を生んだ。
 アレクサンダーがミナトを隷属の鎖で繋いだ様に、ミナトはアレクサンダーの身体に対して、ある種の"所有権"のようなものを得てしまったのだ。
 「ぁ、ゔッ…つ、ぐッ…」
 それはヴァンパイアが人間にする様な、相手の全てを支配するものではなかった。いくら肉体の所有権を得たところで、アンデッドがヴァンパイアの忠実な僕であることに変わりはない。
 「はぁ、あッ…、アレクサンダー…」
 ただ、アレクサンダーは─少なくとも彼の身体は─ミナト
 「…声、聞かせて…?」
 『お願い』に逆らうことができなかった。
 
 
 
 
 
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RNV
初公開日: 2020年05月06日
最終更新日: 2020年05月06日
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