――英龍っていうの。
腕の中で呟いた少年は、ふうっと息を吐いてまぶたを閉じた。がくりと頭の力が抜けたかと思うと、すぐに首に力が戻り、ぱっちりと目を開けた。薄墨色の瞳が、葵穣の紅い目を見る。
「おにいちゃん。目が、真っ赤っか、だね……」
不思議そうに呟く子どもに、葵穣が微笑んだ。
「あなたは灰色ですね」
はいいろ、と少年の唇が動く。
「そうなの。お母さんと一緒なの」
土砂崩れのために落ちてきた岩に潰された少年の足は、葵穣の治療によって元通りになっていた。いつまでもぼーっと葵穣に抱かれている少年に、「足は動く?」と尋ねると、細い足首がぶらぶらと揺れて、少年がこっくりと頷いた。
「動く。ありがとう、おにいちゃん」
少年はすっくと立ち上がると、空を見上げる。すっと目を細めると、「雨だ」と独り言を言った。その瞬間、柔らかな風がさっと吹いたかと思うと、細い銀の糸のような雨が降りだした。雨宿りができるところを、と葵穣が首を左右していると、ぐっと手を引かれた。顔を上げると、少年は葵穣の手を握ったまま、驚いたように目を丸くしている。見つめ合っている間に、雨脚が強くなってきた。
「お、おにいちゃん、おれのおうち、来る?」
「行く」
口が勝手に答えていた。葵穣の返事が意外だったのか、少年はまるで珍獣でも見るかのように目をみはった。突然背を向けたかと思うと、走りはじめる。小さな体はあっという間に遠くなる。びしゃびしゃとしずくを蹴りあげ小さくなる姿に見とれていた葵穣は、はっとして小さなケモノを追いかけた。
ぴょんぴょんと子鹿のように淀みなく走る少年は、巨岩の前で立ち止まり、背後を見た。葵穣を発見して首を傾げると、岩と岩が折り重なってできた隙間に、するりと入っていく。八つか九つほどの少年であれば、ちょいと身を屈めて入ればいいが、葵穣であれば四つん這いしかない。くぐり抜けると、地面は湿った軟らかい土で覆われており、葵穣が背を屈めて歩ける程度の空間が広がっていた。思った以上に奥行きがある。夜目が利く葵穣は、奥でちょこりと座る少年を見つけて、そろそろと近寄った。袴も、上着の袖も、雨と泥とで汚れきっていた。
「英龍」
声をかけると、英龍の小さな体がぷるんと震えた。震えるだけで、返事はない。隣に腰を下ろすと、英龍が少し尻を移動して離れる。葵穣はやや傷ついたが、そのまま近寄ろうとはしなかった。
「英龍、お尻は冷たくないですか」
つめたい、と小さな声が返ってきた。そうだろうなと葵穣は眉をひそめる。少年は褌子を履いていなかった。短袍に腰帯を締めただけだ。立っているときは太ももまで衣の端が達していたが、今のように膝を抱えて座れば、下着をつけた尻が剥きだしだ。葵穣は黒の上衣を脱ぐと、少年の肩に掛けた。
葵穣は吸血鬼の王だ。しっかりとした厚手の衣は、美貌の王のために特別に作られた香が焚きしめられている。葵穣の体温によってふんわりと発される甘い香りに、少年は目を細めた。
「あったかい」
「良かった。……」
「……」
無言である。どうしようと、葵穣は焦った。
何をしているんだろうと、自分でも自らの行動が不可解だ。気まぐれで人間の子どもを救った。まあ、それは別に良いだろう。それで、その子どもの「おうち」とやらに連れてこられて、じめじめした土の上に座らされている。十中八九「人間の少年」ではないモノと、穴蔵で隣りあって座っているのだ。
――この子、ごくわずかだが、瘴気が出ている。
そもそも、妙な瘴気をたどって少年を見つけたのだ。魔族の血が入っているのは間違いない。ただ、葵穣の真血を体内にいれても苦しんだりはしないので、力の弱い雑魔とも違うようだ。
「お母さんはいないと言いましたね。――お父さんは?」
「いない」
穴の入り口を見つめたまま、少年が答えた。ひとりなのだと、少年は繰り返す。
幼い声に、感情はない。横顔からも、何ら感情を読み取ることはできなかった。岩に潰され、泣きながら母を呼んでいた時の子どもらしさは、今の少年には全く見受けられなかった。
――哀しい。
胸の中からぷくりと浮きあがってきた感情を探れば、「哀しさ」というのが、もっとも近かった。もっと笑って、もっと涙を流してほしかった。子どもらしく、感情をまき散らしてほしいと、葵穣は思った。「まるで人形だ」と、かつて自分にかけられた言葉を思いだす。それと同時に、誰かが己を「人形」と称するたびに、跳ねあがった父の眉を思いだす。
少年の横顔を見て、不機嫌な父の顔を思いだし、葵穣は決意した。
「英龍」
少年がはっとしたように顔を上げた。まだいたの? とでもいうかのように首を傾げる。葵穣は先ほどから傷つけられっぱなしである。
「英龍、私の家にいらっしゃい」
終わります。
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中華風BL
初公開日: 2020年05月04日
最終更新日: 2020年05月04日
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