何をしても眠れない夜。そんな夜は誰にだってあると思う。ホットミルクを入れてみても、羊を数えてみても、何をしても効果はない。
そんな日は当然、僕にだってある。一見死んでいるように見えたって人間だもの、当然だろう。
いつもなら寝れないからこそとネトゲをしたり煩雑な連絡のアレソレをすることもあるけれど、今日は到底そんな気分ではなかった。寝たいのに寝られないのだから。
別に今日が初めてのことではないし、こんな時はどうすればいいかも知っている。部屋から出ないといけないのが少し面倒だが、こんな深夜に人に出会すこともないから許容範囲か。
普通の人ならまず近寄りたがらない場所。学園生活を送る上で避けて通りたい場所。それが僕を寝かしつけてくれると言ったら誰が信じるだろうか。
茨に囲まれた、主を守る堅固な城の如き寮、ディアソムニア。ここが僕のホットミルクなのだ。
こんな時間にも門番なんてものがいる入り口を抜け、灯りだけが妖しく灯る談話室を抜ける。響く足音に誰か起きて来ないか少し不安はあるものの、なんとか目的の部屋の前まで辿り着いた。
明らかに扉の頑丈さが異常。最初に連れられて来た時の素直な感想はそれ。本当にここ寮?って聞いたのは多分一度や二度の話ではないし、寮の内装そのものもRPGでよくあるやつだと未だによく思う。そういうゲームをしてる時は特に。
防犯の為なのかこだわりなのか、とにかく人の力では普通に開けられるのかと疑問に思える扉を小さく2回、トントンとノックする。こんな小さくてほんとに聞こえるのか怪しいところだがこんな深夜にドンドン出来るほど神経は図太くないし、いつもこれで扉が開くので気にしたら負けだと思っている。
今回だってほら、立派な造りに不釣り合いな程静かに扉が動いて視界が開けた。
「こ、こんばん……は…っ」
開いた扉の先、相変わらずの豪奢な部屋の中でとても絵になる佇まいの彼と目が合う。反射的に縮こまって挨拶をしてしまう僕は何なの、バカなの?こんな時間に押し掛けといてこんばんはて。
「シュラウドか。どうした、また眠れないのか?」
救いは彼があまり人の話を聞かないタイプなことだろうか。そのせいで会話のキャッチボールが場外ホームランなんてことも日常茶飯事ですけど。
僕が自らここに来る理由なんて一つしかないから、またいつものかって感じで笑われる。イケメンはそれだけで花が舞うからちょっと直視したくないです。
未だに心底信じられないんだけど、彼まさかの彼氏なんですよね。天変地異待ったなしだと思ってるよ。まあそうは言っても向こうは王子様だし、そもそも寿命とか圧倒的に違うことだらけだから学生生活で出来るお戯れ満喫中ってところだと思うんですけどね。僕もそう思うようにしてるし。
だからまあ、甘えていいって言うから少しだけ甘えさせてもらってる、ってことにしておいてよ。
入っておいでと手招きに応じれば、また静かに扉が閉じる。
デジタルメインの僕の部屋とは打って変わってアナログでアンティークな部屋。書物机は僕の家でも見たことがあるような立派で細工の細かいものだし、本棚に並ぶのは古文書か古代の魔術書か。年季の入った背表紙のものがズラリ。空いた壁には彼の得意としている色々な弦楽器が飾られている。
少し不思議なのは年代物の糸紡ぎがあるところ。彼が糸を紡ぐでもないだろうに、部屋の隅に綺麗に手入れされ、家具の一員のように鎮座している。
ベッドは僕のものと比べ物にならないくらいの大きなやつ、しかも天蓋付きだ。今日も僕はここで寝かせてもらうわけですけど、実は広すぎてちょっと落ち着かない。広いベッドに一人っていうのは、昔を思い出してしまうから。
「また何かおかしなことを考え込んでいるようだが、眠りの妨げになるだけだぞ」
「あ、ご、ごめん……」
少し嫌なことを思い出してしまったけれど、知ってか知らずか彼の言葉がそれを掻き消す。
謝る必要はないのに思わず謝れば、謝罪をもらう意味がわからないと返されてぐうの音も出ない有様。いつもダメだけど、今日はいつもよりダメかもしれない。そういう時はさっさと寝るに限る。
僕はそう決めると靴を脱いで彼のベッドに潜り込む。ひやりとしたシーツの感触が、僕を少し落ち着かせてくれた。
彼もベッドに入るけれど潜り込むことはない。いくつも積まれたふかふかの枕を背凭れに、僕の顔を見下ろしてくる。少し髪を弄ばれたりするんだけどこれがまた嫌になるくらい様になるんですよね。
「さて、今日は何を弾いてやろうか」
言いながら伸ばす手に、壁に掛かったハープが引き寄せられていく。あまり見ないサイズの小型のハープ、フェアリーだったかピクシーだったか、持ち運びに丁度良いハープだと聞いた気がする。
それを軽く爪弾くと、彼の細長く形の良い指が音を、曲を奏でていく。
オルゴールのようでいて、全く違う優しく響く高い音。それはホットミルクを飲むよりも、羊を延々数えるよりも、圧倒的な引力で僕を眠りの世界に誘い込む。さっきまで欠片も存在していなかった睡魔が、今は必死に僕の瞼に重しを乗せているのがわかる。
徐々に遠退く意識の中、体をずるりと動かして彼の腰辺りに顔を付け温もりを求めてしまう。顔に伝わる体温に、また眠気が増幅していくのがわかった。
器用に片手で音を奏でたまま、頬を撫でてくる手が心地好い。向けられる視線が、温かい。
「おやすみ、イデア。よい夢を」
最後は音色だったか声色だったか。
心地好い音と温もりの中、僕は眠れぬ夜を終わらせた。
おしまい。