7日後の涙
兄がジョースタ一行に倒され、そしてまた自分も倒され病院へと運ばれた。負けたのだ我々は。
あれだけ自信満々にコレクションに加えてやると豪語していた兄が倒されたと聞いた時は情けないとさえ思った。
そして同時に自分が勝って兄の鼻を明かしてやろうと思ったのに、同じく倒された屈辱は計り知れなかった。
兄が勝てなかった相手に勝てれば兄を超えた事になる、何て子供じみた優越感に浸りたかったのにその願いはあっけなく崩れ去った。
病院に運ばれて初めに目にしたのは白い天井。視線を横に向ければ兄だった存在がボーッと窓の外を見ていた。艶々の黒髪は白髪に染まり、瞳には光が無かった。窓の外に視線は向けているものの、その瞳は焦点が合っているのかわからない。兄は弟である私を認識できるのだろうか。その時の私は声を掛ける事も出来ず再びゆっくりと目を瞑った。
まともに動けるようになったのは数日後。その頃には兄がジョースタ―一行に負けた事により負った精神的な傷が深いものだという事を知った。起きている時はただボーッと窓の外を眺め、時折コレクションだったコインを手慰みに弄ぶ。其処にはもう勝者の証として勝ち取った顔達は刻印されていないというのに、それにさえも気付いていないのだろう。何とも空しい。
「ダニエル」
入院してから初めて私は兄に対して言葉を発した。その日も兄は窓の外を眺めていた。行きかう人々を何の感情も無く見つめ続けるというのは如何いう気分なのだろう。
「ダニエル」
再び呼びかける。二度目にしてようやく自分の事だと気付いたのか、ゆっくりと首が動いた。其処には勝負師としての兄はいなかった。勝負に対して、否賭け事に対して爛々と光っていた目の光は完全に消え去り空洞だけが支配していた。その目には何も映っていない。瞳に映るもの全てを鏡の様に反射しているだけで、視覚から入った情報を脳内へ伝達処理しているのかさえ分からない。
「君は誰?」
実の弟に対して吐き出された言葉は何とも辛辣で冷たくて残酷だった。兄は弟である自分を認識していない。忘れてしまっている。
「テレンス。テレンス・T・ダービーです」
「ダービー・・・・・僕と同じだね」
光を失くした目が微笑む。フルネームを言ってもそっけない反応。彼は本当に忘れてしまったのか。事実だけが深く突き刺さる。
「私は貴方の弟ですよ。もっとも、貴方は私の事など認識ししていないのでしょうが」
皮肉の様に言葉を吐き出す。今の彼に弟だと言っても伝わるはずない。万が一、億が一の可能性にかけてもその望みは薄いだろう。わかっているのに伝わって欲しいと望まずにはいられない。
「弟?君は僕の弟なの?僕に弟なんていたんだね。看護師さんによると僕は記憶がおぼろげみたいなんだ。それに、酷く昔の事にこだわっているみたい。それが何か思い出せないのにね」
きっとコインの事だろう。手慰みのように暇を見つけては手で意味も無く弄び、顔が刻まれていた面を骨太の指で丁寧になぞる。その仕草はコレクションを愛でる時の彼の癖で、記憶が抜け落ち精神が傷ついても身体に身についた習慣だけは抜けていないのだ。そんな習慣残っていた所で何の意味も無いのに。精神が深く傷ついている今恐らくスタンドも出せないだろう。昔のように賭け事で勝ってコレクションを増やすという事もできやしない。そもそも、賭け事さえも今の状態ではできないだろう。兄は何もかもを失くしてしまったのだ。兄弟である私の事も。賭け事の事も。スタンドの事も。コレクションの事も。兄を構成するであろう全てが根こそぎ消えてしまった。今此処にいるのは抜け殻だ。
「貴方は、思い出したいと思うんですか」
「思い出せるなら思い出したいかな。だけど思い出そうとすると酷く頭が痛むんだ。思い出してはいけないと警告でも発するみたいに。それに何故だかわからないけど恐怖が襲ってくるんだ」
兄が負けた時承太郎はDIO様のスタンド能力について問い詰めたらしい。恐らく兄は知っていた。それを口にするのはDIO様を裏切るのと同意で、口にしたらという恐怖の末精神的負担が押し寄せおかしくなってしまったのだろう。DIO様に殺されるのとスタンド能力を失うのとどちらが恐怖だろう。兄にとってはDIO様に殺される方が恐怖だったらしい。かくいう私も殺されるぐらいなら能力を失った方がマシだ。生きていれば運がよければまた能力を発現させる事ができる。だが死んでしまってはそれさもできない。
「君は僕の弟だっていうのなら僕の事は知っているんだろう?何か教えてくれないかい?」
問われても何を教えればいいのだろう。家族の事?スタンドの事?賭け事の事?浮かぶがどれも泡の様に消えていく。何を話した所でもう昔の兄は戻ってこないと思うと、その行為が酷く空虚なものに感じた。自分が覚えている兄に関する事を注ぎ込んだところでそれは私と言うフィルターがかかった兄が出来上がるだけで、本当の兄ではない。兄の本心も生き様も、兄自身にしかわかるはずがない。
「残念ながら教えれる事は何もないです。余り兄弟仲はよくなかったもので」
本当の事だ。幼少期は仲がよかったが何時しか兄弟仲は冷えていった。距離を取り始めたのはどちらが先か等わからないし覚えてもいない。兄がガールフレンドに手を出した辺りから関係は冷え切っていたのかもしれない。それが同じ人に仕え共に戦う事になろうとは思いもしなかった。勝敗の結果は今目の前に広がっている。負けたという事実だけが突きつけられている。
「そうなのか。僕は仲がいいものと思っていたんだけどな」
「如何してそう思うんですか?」
「看護師さんが言うにはね、何時もこの写真を持ち歩いてたみたいなんだ」
ベッド横の引き出しから取り出された写真を見れば其処には幼少期の兄と自分がいた。何で兄がこんな写真を持ち歩いていたのか疑問で仕方ない。家を出たあの日でさえ荷物は鞄一つだった。中に入ってるのは金と賭け事に関する道具とコレクションと数日分の着替えだけだろうと思っていた。その中に写真が混ざっているとは思いもしなかった。
「これは、幼少期の私達ですね」
あの頃より背も伸び大人になった。顔立ちは残すものの二人共すっかり大人になった。写真の中の二人の様に共に並んで笑顔を浮かべる事も無くなった。むしろ喧嘩腰で噛み付きしかめ面をされて皮肉を返されてばかりだった。
「やっぱりそうなんだ。顔立ちが似てるなって思ったんだ。こんなに笑顔なんだから仲がいいものだと思っていたんだけど違うんだね」
寂しそうな表情をする兄を見て何故か胸が痛んだ。本当は仲良くしたかった。喧嘩腰で噛み付く事をやめたかった。だが人間すぐに変わる事何てできなくて、素直になれないまま時は過ぎた。兄は、私とまた仲良くしたいと思ってくれていたのだろうか。あの舘で再開して、そんな風に。
「貴方は、仲良くしたいと思いますか?」
自分でも何故こんな問いを発したのかわからない。ただ真っ白になってしまった今なら、やり直せる気がしたのだ。不器用で素直になれなかった自分を変えられるかもという気がしたのだ。
「兄弟だからね、仲良くしたいとは思うよ。僕にはその記憶はないんだけどね」
意味も無く手元のコインを弄びながら言う様をじっと見る。記憶がないからこそやり直せる事がある。それがまさに兄弟の仲を再び良くする事ではないかと思った。あの頃の兄とは違うけれど、もしもまたやり直せるのならと淡い期待を抱いてしまう。
「私も同じ事を思っている、と言ったらどうします」
「本当?嬉しいな」
裏表の無い無垢な笑顔。ついぞ見る事が無くなった兄の笑み。兄が浮かべる笑みは何時でもイカサマが成功した時や賭け事に勝ちコレクションを増やした時ぐらいしかなかった。其処には相手を騙してやったという優越感と勝負に勝ったという愉悦が感じられた。こんな風に無垢な笑みを見たのは何時ぶりだろう。
「テレンス、如何して泣いてるの?何か悲しい事でもあったの?」
言われて私は初めて自分が泣いている事に気付いた。何故自分は泣いているのだろう。昔の兄がもう戻ってくる事は無いと気付いてしまったから?再び仲良く過ごせると嬉しく思ったから?今目の前で様子を伺う彼は兄であって兄ではない。私の中に存在していた兄は、承太郎への敗北と共に跡形も無く消えてしまった。今此処にいるのは、兄の姿をした別の誰か。兄であって兄ではない。兄だった何か。兄の姿をし、兄の記憶をおぼろげながらに持ちながらも私の知る兄ではない。私の知る兄がもう戻ってくる事は永遠に無いのかもしれないという事実に、私は一人泣いたのだ。
「何でもありませんよ。それよりも、これから仲良くしませんか。お互い仲良くしたいと思ってるみたいですし」
「勿論!何時まで此処にいなきゃいけないのかわからないけれど、テレンスと一緒に此処を出て一緒に暮らしたいな」
既に今後について思考を巡らせる兄とは別に私は一人涙を流した。もう戻らない兄に対して。新しい兄に対して。私は敗北から7日後、ようやく泣けた
しろいまつげ
彼を縁取るものは銀色の髪に蒼い目を覆う白いまつげに白い肌。細く伸びた手足に程よくついた筋肉。
「なーにジッと見とるんじゃ」
仁王君に言われてハッと我に返る。彼に見惚れていた、何て口が裂けても言えない。言ったら最後どんな風に茶化されるか分かったものじゃない。
「いえ、今日はちゃんと練習に取り組んでるなと。普段から真面目に取り組んでくれれば私も探す手間が省けるのにと思いまして」
仁王君は気が付けばフラリと練習を抜け出しては野良猫と戯れたり昼寝をしたりとサボり魔だ。其の度に真田君の「仁王は何処に行った!」という怒号が響き渡る。そうしてダブルスの相棒である私が探しに行くはめになるのだ。連帯責任、というわけでは無いのだが他のレギュラーが探しに行くよりも私が探しに行った方が早く仁王君が見つかるから探しに行くというだけ。丸井君からは「流石アイツの相棒なだけあるよな」と言われた事があるが、最初は私も探すの苦労した。彼は猫の様に気まぐれで何処に行くかわからない。色んな所を探し回りコートに戻ってこれば、何食わぬ顔で真田君から説教を貰っているという場面に遭遇した事も何度もある。彼の行く場所がある程度わかるようになったのは何度も探しに行ってからだ。
「そいつは無理な相談じゃの。俺は柳生が探しに来てくれるのをわかってるから抜け出せるんじゃ」
「それ如何いう意味ですか。私が探しに行かなければ抜けださないとでも?」
「さーてどうじゃろな」
仁王君は煙に巻いて再び練習に取り組む。彼の発言はまるで何処に行こうとも私が探し出すから抜け出しているのだと言ってるようなものだ。信頼されたものだと思う反面、真面目に取り組んで欲しいと思う。毎度探しに行く側の気持ちにもなって欲しいものだ。
練習が終わり制服に着替えると仁王君と帰る。夕方だというのに随分と明るく夏が近づいているのだと思った。
「今日の部活は殊更疲れたのう」
あくびを噛みしめ仁王君が言う。抜け出さずに練習に取り組んでいれば疲れも増すというものだろう。
「毎日抜け出さずに練習に取り組んでれば慣れますよ」
「プリッ」
何の事かとでも言う様に誤魔化され思わずため息を吐く。彼からダブルスを組まないかと誘われた時は此処まで長続きするとは思わなかった。まるで正反対同士だからこそ逆に気が合ったのかもしれない。最初は仁王君の言動や行動に振り回されっぱなしだったが何時しか慣れ、入れ替わり案に協力するまでになった。自分ではない人間を演じるというのも楽しいものだと思ったのはその時だった。勝手に自分のふりをして好き放題されるのには困ったものだが。
「明日も抜け出さないで下さいよ。探しに行くのは大変なんですから」
「大変といいつつもお前さんはちゃあんと見つけてくれる。そうじゃろ?」
「探しに行く身にもなってください。それに真田君からの説教も待ってるんですから」
「真田の奴は口うるさくてかなわんの」
「それは仁王君が練習中に抜け出すからでしょう」
真面目に練習に取り組んだと思ったらこれだ。抜け出す事に対して反省の色が無い。どれだけ言っても頻度が減るばかりで決してやめてはくれない。言い続ければ最終的にはやめてくれるのではと思うが何時になるのかと思うと頭が痛い。
「俺は柳生だから信用しとるんよ」
不意に真面目なトーンで言われ仁王君の顔を見る。夕日が仁王君の顔を照らす。
「他のメンバーは、信用できませんか?」
「そういう事じゃなか。柳生は特別ぜよ」
特別という言葉に思わず嬉しくなる。相棒であり恋人である仁王君に言われる特別は、他の誰かに言われる特別より重みが違う。
「特別、ですか」
「特別じゃ」
意味も無く言葉を繰り返す。特別という言葉がループする。仁王君にとって自分も特別なのだろうか。特別と思っていてくれたら嬉しいと思う自分がいる。
分かれ道につき「また明日」と告げると家路につく。脳内では特別という言葉がずっと鳴り響いていた。
次の日のお昼時、私は仁王君と屋上でご飯を食べていた。こうして二人で食べるのも何だか日常茶飯事になりつつある。仁王君が私のお弁当から勝手におかずを拝借するのも、それを見越して少し多めにおかずを詰め込むようになったのも今では当たり前になりつつある。
「柳生の弁当は美味いの」
「そう言うなら野菜ももう少し食べてください。バランスが悪いですよ」
ひょいっとおかずを口に運び、咀嚼した後に言った仁王君に対してプチトマトを差し出す。
「野菜ならこれでとっとる」
総菜パンを掲げ言うがパンに挟まっているのはコロッケでとてもではないが野菜が足りて無い。
「その量じゃとってるに入りませんよ。ほら、食べてください」
差し出したプチトマトを口元に持っていけば不満そうな顔をしながらも口を開き咀嚼する。
「柳生も随分口うるさくなったもんじゃ」
「貴方といればそうなるものですよ」
「口うるさいのは真田だけで十分じゃ」
「では抜け出さずに練習に励んで野菜もしっかり食べてください。そうすれば口うるさくする必要がありませんからね」
余計な事を言ったとばかりに仁王君は息を吐くと総菜パンを頬張る。口元のほくろに目がいき思わずジッと見つめる。
「何じゃ?何かついとるんか?」
視線に気付いて仁王君が問いかける。
「いえ、何でもありません」
「お前さん昨日もジッと見とったのう。もしかして見惚れてたんか?」
図星を突かれるも顔を逸らし平静を装う。彼を構成するものはどれも目を引いて離さない。女生徒から人気があるのも知っている。同性である自分でさえ見惚れてしまうのだ。女生徒から人気があるのも納得がいく。
「気のせいですよ。自意識過剰も程々にして下さい」
「本当に気のせいなんか?」
手が伸びてきて再び顔を向き合わせられる格好になる。銀の髪と白いまつげが太陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。昨日の帰り道も思ったが、日の光に照らされた仁王君の髪とまつげは一段と綺麗だ。
「柳生、本当の事教えて?」
ジッと瞳を見つめられながら問われれば全て見透かされている気がして恥ずかしくなる。無意識に頬が赤く染まっていく。火照りを鎮めようと思うも上手くいかない。
「ひーろ」
返事を促すように名前を呼ばれる。くすぐったくてこそばゆい。彼にこうして名前を呼ばれると何時もこうなる。これ以上口を閉ざしていても無駄な抵抗と思いゆっくりと口を開く。
「見惚れてました」
「ええこ」と言われ唇にキスをされる。目を閉じる寸前縁取られたしろいまつげが眼に入り、やっぱり綺麗だと見惚れた。
あなたのゆめをみた / いつも いまでも いつまでも / 誰よりしあわせでいてほしく / そっとやさしさの中で死んでゆく / 笑ってなんてゆわないから、そばにいて