「ええと、どっかで会ったことありましたっけ」
たった一つの言葉だけで、俺の世界は、いとも容易く真っ黒に塗りつぶされてしまった。
自分には大切な仲間がいた。みんなで小さな島で徒党を組んで、小さな拠点にたくさんの恐竜を詰め込んで、朝から晩まで、陽が沈んでまた昇るまで、笑いながら手を取る家族がいた。
みんなで生きるこの世界はあまりにも楽しくて、興奮して、眠れなくて。一人で山に鉄を取りに行こうとしたら、ついてきてくれた人がいたことを思い出す。
「三枝師匠、まだ寝ないの?」
俺と同じくらいか、それより高めの良く通る声。
「葛葉君こそ。もう朝って言うか昼だよ」
「なに言ってんすか!俺が寝るまで夜ってこと、ご存じじゃない?」
バサバサと恐竜の翼が近くで鳴る。もうすぐ後ろにいるんだと思うとそれだけでうれしくなってしまった。
———葛葉君。俺らのボス。俺を仲間に選んでくれた憧れの吸血鬼。
葛葉君は独特な雰囲気で俺たちを包んでくれて、一緒にいれて幸せだと思わせてくれる力を持っている。俺の大好きな人。前までは天より高い存在でこうやって話すことだって緊張してできなかったけれど、今では向こうから話しかけてくれるようになって、俺からも話題を振れるようになった眩しい先輩。
この人と「血を交えた」のはたったの三人だけで、その三人に入れていることが何より優越感を感じさせてくれていた。
「三枝師匠はすぐ無理するから見に来たんだけど、脳死してないってことは大丈夫っすね」
ケラケラと笑ってそう言ってくれる。心配したことを隠さない葛葉君は、素直で優しくて、何より、
愛おしい、と感じてしまう。
こんな感情は先輩に向けちゃいけないものだと思っている……そう自分で思えるくらいには、深い感情なわけで。
それを隠す俺に気付かずにいてくれる葛葉君に、その純粋さにあてられて「いつか」を想い口角があがってしまった。
「俺は大丈夫だよ」
その「いつか」が来るとしたら、それはこの戦争が終わってからだ。
もしも俺たち家族が勝てたのなら、その時にこの気持ちを言っちゃうのもありなのかもしれない。
「いつか」を「見据えられるいつか」に夢見ながら振り返って、眠たそうに眼を擦る葛葉君をみつめた。それに気付いた葛葉君はすぐに俺を拾い上げて、みんなが寝静まった俺たちの拠点まで連れて行ってくれた。
***
目が覚めて、まだ何も改築されていない自分の家をぐるりと見渡す。近くに滝があるせいで少しじめじめしたこの空間には、まだ自分が寝る用のベッドひとつしか置かれていなかった。まわりには恐竜一匹すら見えない。ただ滝の水を打ち付けるような音が響くばかりのそこは、少しだけ寂しい気もした。
戦争が終わって少し経って、俺の目の前には新しい世界が広がっていた。
前の島なんて比じゃないくらい大きくて過酷な場所が多い危険な大地。ひとりでぽつんと生まれてしまった俺は、最初はがむしゃらに走り続けたのを覚えている。
前の世界にいた時と同じようにいろんな人に助けられながらなんとか生き抜いて、新しい拠点なんかも探して、今ようやく一つの場所に落ち着こうとしていた。ひと段落、なんて言葉が似合いすぎて困ってしまう。
「…あ~生肉ないや。取ってこないと……」
誰も返事してくれない小さな拠点で、俺は少しぼうっとしながらアルゲンに飛び乗った。近くの恐竜何か殺せばいいだろ、なんて楽観的にとらえて、滝の裏から外の世界に出ていく。目の前に広がった世界は所謂砂漠で、気持ち悪い虫ばっかりが蔓延っていた。
(レッドウッドのほうが肉ありそうだな)
そう思って一旦の休憩のために砂漠に腰を下ろした瞬間。
ガツン、と身体に衝撃が走った。
全身が痛みに戦慄いて一瞬で思考が鈍っていく。呻き声すらあげれずに倒れていく身体をなんとか抑えて、近くにいた自分のアルゲンを呼んで背中にしがみつく。そのまま逃げることだけを念頭に飛び上がった。
「うぅうった、いった、なに!?」
安全域に達したところでようやく声が漏れた。慌てて下を覗くと、見たこともない大きな白いムカデみたいなものが地面から突き出ていた。敵意むき出しでこちらを見ているそれはあまりにもグロくて、冷汗が止まらない。
「あ、アルゲン、逃げよう!森の方に———」
「焼き払え」
アルゲンタヴィスが俺の命令を聞き入れるか、その直前。何よりも聞きたかった声が砂漠に響き渡った。
もう俺は背を向けている。あの山についてきてくれた時みたいに後ろにいるのに、その距離はあまりにも遠くなっていく。
あの日、あの戦争に負けた後からその姿を見れていなかった人。
俺の大好きな、
「アルゲン、止まって、引き戻して」
振り返った先にいたのは、大きな翼の青い竜に乗る、かつてのボスだった。
俺を一瞬にして苦しめた大きなムカデは、葛葉君の竜によって黒く焦げてしまっていた。ドスンと大げさな音をたてて砂漠に降り立った竜は、その口に含んだムカデの角らしきものを主人である葛葉君に渡した。
そっと、荒波を立てないように近くに寄る。
「———あの、葛葉君」
そう呟くと、彼の宝石のように赤い瞳が俺を捉えた。砂漠なんていう砂と汗とにまみれた世界でも葛葉君の容姿は造られたように美しいままで、好きだという感情がぐっと押し寄せてくる。
「助けてくれてありがとう」
「あ、俺もデスワーム探してたんで、別に良いッスよ」
(……あれ?)
何か違和感を感じてしまった。
口調も、声も、何一つ変わっていないのに。目の前にいる葛葉くんからはあの朝に感じた愛おしさも、包み込んでくれるような優しさも、その一切を感じ取ることができなかった。
俺は今、嫌なことに気付きかけている。
そう自覚しても止まらない思考に、動き始めたカラカラの喉に嫌悪感を覚えた。
「……葛葉君ここら辺に住んでるの?今回もご近所さんだね」
その言葉に、明らかにうろたえる姿が瞳に映った。
いやだ、そんなこと、そんなことあったらどうしろっていうんだ。最悪の事態を予測した脳が、さっき殴られた痛みと一緒に揺れて溶けていく。
葛葉君が迷った末に、口を開く。
涙は出てこなかった。
気が付いたら俺は、拠点に戻っていた。探しに行ったはずの生肉はなくって、手に持っているのは食べかけのベリー。
アルゲンはモンボにしまって、起きた時と同じように滝の音だけが世界を支配していた。
———葛葉君は「前の世界」の記憶を持っていなかった。
どうしようもない、覆しようのない事実が心臓のあたりをぐるぐると彷徨って離れない。
なんで葛葉君だけ、なんて思う。だってかつての仲間はみんな覚えていた。お世話になった人も覚えていた。俺だって記憶を持っている。当たり前のようにみんなが持っているものを、葛葉君はどこで落としてきてしまったのだろう。
家族のように笑いあっていたころを思い出して、どうしようもなく苦しくて手に持っていた食べかけのベリーをぐちゃり、と潰してしまった。不快感が手を伝って地面に落ちる。手の中には茎と種が残っている。それ以上のものはもう拾えないし、拾うものすら残っていない。
「前の世界」の葛葉君の記憶は今どこに存在しているのだろう。