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翌日、夕方。
約束の時間まで残り一時間を切っていた。オンボロ寮の窓の向こう、空は茜色と群青色が混ざり、鮮やかなグラデーションを作り出す。姿を現した星が広く美しい舞台で踊っている。
監督生は着替えを終えていた。アズール選りすぐりのドレスは魔法がかかっているのか、纏えば彼女の思う通りに寄り添い、裾は映画のワンシーンを彷彿とさせる広りを見せた。本当に魔法がかかっているのかどうか、監督生は判断出来ない。だが、そうであるかのように思えたのなら、気持ちの勝負には勝っている。
フロイドとジェイドに貰ったイヤリングとネックレスを身につける。ドレスに映えるデザインの良さ。だからといってドレスが霞むような状態にはさせないだろう。どこか控えめに見えるよう意図されたまとまり感があった。
絶妙な塩梅。彼らもまた、アズールさんと同じように経験から得た観察眼を持っているのだろう。
「(上手くいってもいかなくても、お礼しなきゃな)」
先日の礼だけではとてもじゃないが足りない気がした。一人で準備していたら、こんなにも素敵な恰好にはならなかっただろう。
メイクも大半を終え、あとは仕上げのみ。ルージュも最後に引くと決めていた。
「グリム、どう思う?」
監督生が何時間もかけて準備する様子を見守っていたグリム。しっぽをぱたりぱたりと揺らし、改めて彼女の全身を見た。
「よくわかんねーが、いいんじゃねーか?」
「よくわからないのに?」
「オウ。頑張ったんだろ。ならそれでいーんだ」
クス、と思わず笑い声が転がる。だがその直後、グリムの一言は監督生の胸に静かに響く。頑張ったのなら、それでいい。いい言葉だな、と思った。
グリムは自分の欲しいものや得たい結果のためならいくらでも努力する。嘘も吐く。監督生が驚くほど大胆な行動に出る時もある。でも、他人を気分で傷つけるような嘘は吐かない。ある意味では、誰よりも嘘が吐けないタイプの……同期(・・)である。
彼女がそれに救われた経験は一度や二度ではない。今日もまた、グリムのなんでもない一言は彼女の背中を押す。
「……うん。ありがとう」
この二週間、沢山の人に沢山の「ありがとう」を伝えた。今回の一件、最後まで喜びだけの「ありがとう」で終えたいな。そうなればいい。監督生は心の中で願いながら、靴を履く。
「(まさか、このタイミングで履くとは思わなかったな……)」
ヒールから爪先まで、全ての流線が洗練されているこの靴は、以前、マレウスと出かけた際に彼が購入してくれたものだ。ショーウィンドウに飾られていた一足。中心から魔法で枯れないよう加工された小花が全体に施されている。凹凸を少なくしてあるデザインは、本物の花なのに刺繍のようにも見え、角度によって様々な顔をする。
つい見惚れていた私を横目に見た彼が、「来い」と有無も言わさず店内に連れ込み、あれよあれよと話が進んだ。気付くと買い上げた靴が入ったショッパーらしきモノ(魔法で浮いている。この世界ではどう呼ばれているのか私はまだ知らない)の紐が手にあった。
アズールさんと取引をした時、予めこの靴に似合うドレスをと注文を出していたので、こちらとの相性もバッチリだ。当時の店員さんがこの靴には靴擦れ防止機能や撥水加工、他にも色々な機能の魔法がかけられていると言っていたから、足が痛くなる心配はしなくても大丈夫だろう。
「――よし」
そろそろ寮を出る時間だ。自分に一番似合う色の見分け方を教えてほしい。一週間前に手紙でお伺いを立てれば、ヴィルさんは翌日に返事をくれた。シチュエーションに合わせて提案してくれた三色はどれも私にぴったりで、改めてお礼の手紙を送ると、また翌日に返事が来た。
と言っても、今度は手紙ではなく一輪咲きの花。「見合う女になれ」と言われているのだとすぐに分かった。感謝しながら三色から一番似合う色を選んで購入した。
ルージュを引き、完成。姿見の前に立つ。我ながら綺麗にまとまったと、思う。自分だけの力ならこうはならなかっただろう。
「じゃあ、グリム。お留守番よろしくね」
「ふなあ~任せとけ」
ひらひらと尻尾を振って見送るグリム。いつもの彼らしい。正直、御馳走もあるであろうパーティに行きたがらないのは彼らしくない気がしたが、立食パーティでは食堂みたいな勢いよく食べる雰囲気にはならないだろうし、興味がそそられなかったのだろう。
後日、マレウスさんによるツナ缶買収事件が明るみになるまでの私はそう納得していた。ほぼ三色ツナ缶三昧で過ごしていたグリムが二週間で五キロ太りダイエットする羽目になったのは、また別の話。
「――これでいいのか?」
「そうじゃ。お主は顔だけで目立つからの。衣(ころも)はそれくらい抑えておいても十分映える」
一方その頃。ディアソムニア寮の一室では監督生と同じようにマレウスもリリア監修の元、身嗜みの最終チェックに入っていた。
濃いグレーの生地を基調とした夜会服は、パーティに合わせて新たに誂えた特注品である。日頃服装にこだわりがなく周囲に言われるがまま望まれる服を手に取る機会が多かったマレウスにとって、自らの意志で頭の天辺、もといツノの天辺から爪先まで(リリアの監修が入っているとは言え)自分で選ぶのはほぼ初めての試みだった。
こうした服選びを他の者は毎日自分で決めていたのかと感動した。この手に関しては自分がお坊ちゃん扱いされる一因でもあるのだなと反省もした。次からはもっと興味を持とう。
「……緊張してきた」
「ふふ。お主が恋煩いで一喜一憂する日が来るとはのう。めでたいめでたい」
「他人事だと思っているな」
思わず恨みがましい声が出た。が、リリアはどこ吹く風で「そうじゃ」と頷いた。
「お主の恋慕じゃ。お主が立ち向かわねばなんの意味もない」
言われてみればそうだな、と思った。ストンと腑に落ちる感覚。そうか、この緊張、息苦しさ、なにもかも、僕自身が得なければ意味がないのか。
「……行ってくる」
「健闘を祈っとるぞ~」
満面の笑みで送り出すリリアに無言で頷き返し、マレウスも監督生と同じく約束の場所へと向かった。
***
約束の場所はパーティ会場に近いローズガーデン。中庭から少し離れた場所にこじんまりと作られている。噂が本当なら、十年ほど前のハーツラヴィル寮長がなにかしらの偉業を成し遂げた記念に造園したらしい。
今では錬金術の授業にも使う珍しい薔薇を育てる場としても活用されている。薔薇という見目麗しい存在に囲まれた空間は男子学生にはあまり好まれないらしく、ポムフィオーレ寮の生徒でもない限り、あまり使われていない場所だった。
夜になれば尚更である。先にローズガーデンに到着していた監督生は、緊張を和らげるために薔薇についたネームプレートを順繰りに見ていく。女王の僕(しもべ)、宇宙の獅子、深海の珊瑚……。乙女心くすぐる名前ばかりだ。
気が付けば夢中になっていた。だから、気付けなかった。薔薇を眺めるのに夢中になっていた自分を、約束の場所に到着したマレウスが見つめていたことに。
「……薔薇は好きか」
「!」
監督生からすれば、突然マレウスが現れたと思っただろう。驚きと共に、緊張が一気にぶり返す。不意打ちである。どうにか気持ちを落ち着かせようと深呼吸をするが、自分が緊張している事実を再確認する行動にしかならなかった。
「す、きです。薔薇も、薔薇以外の花も」
ようやく返事を絞り出せば、マレウスはそうかと頷いた。彼からすると、「花が好きか、覚えていよう」くらいの気軽な質問だったが、彼女からすれば一つ一つが運命の分かれ道に思えて仕方がない。
コツコツと革靴を石畳に響かせてマレウスが監督生の眼前にまで歩み寄る。手を伸ばせば身体を引き寄せられる距離だ。しかし、今、この僅かな距離が相手を途方もないほど遠くさせていた。
「まずは、詫びなければならない。あの時は話をしかと聞きもせず返答してしまったすまなかった」
「い、いいえ、いいえ! 私も……一方的に帰ってしまって……ごめんなさい」
「いいんだ。僕は君に対して、とても不誠実だった。すぐに全て許せとは言わない。償いもする。ただ……、……」
言葉を途中で切り、言い淀む。マレウスが言葉を躊躇う様子を、監督生は初めて見た。ハッとする。彼も緊張しているのだと、相手を見る余裕が生まれた彼女は気付いた。気付いてしまった。
途端、ぎゅうと胸をしめつける感情。愛おしい。ただひたすらに、愛おしい。マレウスもまた、自分と同じように緊張している。それだけこの時間に、約束に意味があるのだと思ってくれている。それが分かっただけで、監督生は胸がいっぱいになった。
「!」
ほぼ無意識だった。監督生が手を伸ばし、緊張固く握りしめられているマレウスの手をそっと掴んだのだ。彼女が一歩、マレウスに近付く。手を取られ、導かれるように力を緩める。掌に爪の痕がついていた。
「ただ……?」
監督生が続きを促す。マレウスは肩の力が抜けた。己の手を取った彼女の手が、変わらない熱さだったから。監督生と同じく、マレウスもまた、緊張を分け合った。一人と一人の熱がじわりじわり、ひとつに溶ける。
「……ただ、願わくば。僕の願いが叶うなら、」
マレウスはそっと監督生の手を自分の手で包んだ。小さな女の手はすっぽりと覆われてしまう。
彼が彼女には馴染みのない言葉を小さく呟くと覆われている手が光る。監督生は不意に、彼に覆われている手の指に変化が起きたと気付く。なにかが嵌められていた。
男の手がそっと変化が起きた彼女の手を持ちあげる。変化(・・)の正体を見た監督生の目に涙が溢れる。とどめておけず、零れた雫が変化の正体に――指輪に当たった。
「お前と、過ごせる限りの時間を共に過ごしたい。僕の隣にいてほしい。……お前の隣にいる、許可がほしい」
監督生の知らない花が宝石と共にあしらわれた指輪だった。くしくも今夜はパステルブルーとグリーンをメインにしたドレス。アズール達は監督生を花と見立てた。彼女に見合う花を贈るのは、相手であるマレウスの役目。
見越した分担である。ふと思い立ち、マレウスが指を鳴らす。地上へ落ちる前の監督生の涙が浮き、薔薇に捧げられた。そのまま零してしまうのは、勿体なかったから。監督生はそれで少し落ち着きを取り戻し、お化粧が崩れないように目元を拭った。それから、
「――好きです」
太陽が昇るように、花が開くように。心に従い、滑り出るまま、言葉を舌の根に乗せた。
「望んでいないと断れて関係が絶たれてしまうのが怖かったんです。不安でも、繋がりが途絶えるならそれだいいって……。でも、私、やっぱりそれだけじゃダメみたい」
苦笑する監督生が光る。比喩だが、比喩ではない。マレウスにはそう見えた。
ローズガーデンに灯された魔法の洋燈(らんぷ)は、ぼんやりと空間全体を仄かな闇を残しながら照らしている。月光の方に底抜けの明るさと白さがあるくらいだ。二つを合わせ、さんざめく星を引き連れ、彼女はマレウスの眼(まなこ)に眩く映る。心の全てから、魂の底から――初めて人を美しいと思ったのだ。
「私も、マレウスさんがほしい」
かつての自分なら言えなかった言葉だ。勇気がなかったし、照れ臭いとも思うだろう。今だって照れ臭さが全くないわけではない。でも、伝えられずにいるくらいなら伝えたいのだ。いつだって私の現実(イマ)で、マレウスさんと生きていたい。
「ぁ、」
思わず声が出る。マレウスさんに手を引かれ、抱きしめられたからだ。視界が彼の夜会服でいっぱいになる直前、闇夜でも綺麗な瞳が涙に煌めいていた。
加減して抱きしめらていると分かったので、自分から手を伸ばして彼の背に回す。力を籠めれば、その分抱きしめ返された。
「 」
耳元で囁かれた一言に心臓が甘く痺れる。息が止まりそうだった。止まってもいいかな、と一瞬だけ思う。けれどすぐに「嫌だ」と思い留まる。
強欲だと罵られても構わない。後ろ指を指されたっていい。私達が二人でなく一人と一人であるのも変わらない。その中で続く日々をどんなに美しい宝石やドレス、景色よりも美しくしたい。私の魂に、そして彼の魂に刻み続けたい。それが私の叶えたい願い。
「……このお花、なんのお花なんですか?」
監督生が腕の力を緩めると、心得たようにマレウスも力を緩める。隙間が生まれ、彼女は指輪が嵌まった手を持ちあげてみせた。
「茨の花だ」
「茨の花……」
「僕の故郷で最も多く咲く花。鋭い棘に囲まれながら、凛と咲く麗しの花」
お前だ、と呟く声に滲む熱。見上げれば、涙とは違う潤いが瞳に満ちている。このあとになにが起きるか監督生は知っている。
だがこれから重なる唇の意味は、かつとは異なる。身体の関係だけ先行していた時の喜びと等しく湧き出る虚しさや苦しみは消えるだろう。かつてのどんな気持ちのいいキスよりも心地よく、夢中になれるだろう。
二人が望む限りそれが続くのだ。やはり、息を止めている暇はない。
「もしかしたらすぐ枯れてしまうかもしれませんよ」
「大丈夫だ」
自身を花に例えた冗談めかした言葉に、マレウスさんは少しだけ生真面目な顔をして断言する。
「僕が息絶えるまで、永遠に枯らさない。そのための魔法だ」
「なら、これも魔法ですか?」
僅かに背伸びをする。キスをしてもいいと、私からの許可を受け取ったマレウスさんがふっと微笑みながら顔を近づける。満を持して唇が重なる直前、耳に届いた彼の一言にまた涙が出そうになった。
「いいや。これは、誓いだ」
ならば私も、とキスに誓う。果てが見えない未来。いつ最後が来ようとも、その瞬間まで私は――マレウスさんの魂に光っていたい。光り続けると。
「 」
唇が離れたタイミングを見計らい、私もマレウスさんだけに、本心を囁く。一度目を見開いたかと思えば、ゆるり頬を染め、微笑を浮かべるマレウスさん。
貴方の花が私なら、私の花は、貴方。貴方だけよ。
おわり~~~~!
微調整してラストスパート前とくっつけて投稿します
ご覧くださった方々ありがとうございました! 配信とめます
密です