作曲の調子が良くて、ヘッドフォンをつけたまま作業して数時間。
申し訳なさげにつんつん、と服の裾を引っ張られてはっと我に返った。
ヘッドフォンを外すと耳が外気に晒されてすうっと冷える。音に溺れる世界から引き戻した相手は、珍しく困ったような顔をした望だった。
「ごめんね空、集中してたのに」
「へ?あぁ、いいよいいよ。どしたの?もう晩ごはん?」
首を回しながら窓の外を見れば、紫がかった空がもうじきに夜の闇を連れてくるところだった。
確か今日は、モリが事務所に顔を出すから遅くなるって言ってた。ソウはドラムの個人レッスンだったか。じゃあたぶんそろそろ帰って来るだろう。廉は午後からオフだったはずだけど……。
「俺もさっき帰って来たんだけどさ、共有ルームに廉がいて」
「うんうん」
「ただいまって声を掛けたんだけど、返事がなくてね?」
「……うん?」
あの真面目で良い子で礼儀正しい廉が、挨拶しない……だと?
「何も映ってないテレビをぼんやり見てたから、どうしたん?って声かけて肩叩いたんだけど反応なくて」
「うん」
歯切れ悪く話す望の話に耳を傾けながら、手早くパソコンのデータを保存してシャットダウン。キーボードの電源を落としてヘッドフォンを首から外した。
「俺……廉怒らせちゃったのかなぁ……?」
……思わずキーボードに突っ伏すところだった。いやいやいや、何でそうなるの。
「俺知らない内に廉と喧嘩してたんかな?ねぇ空、何か廉から聞いてない?」
「違う違う!それはないから安心していいから!とりあえず共有ルーム行くぞ!」
若干涙目で俺の肩をがくがく揺さぶる望を何とか宥めて、望を引っ張って共有ルームに向かった。
「れーん、おーい廉?」
共有ルームはしんと静まっていて、誰かいるようには思えない空気だったけれど。
そっと覗いてみれば、ダイニングテーブルのいつもの席に廉がちょこんと座っていた。
声を掛けても返事はなし。ただ望の言う通り、何もない空間をぼんやりと見つめている。
「れーんくーん?」
目の前でひらひら、と手を振ってやる。はっと藍の瞳が瞬いて、それからゆるりとこちらに視線が向いた。ようやく反応が返ってきて安心したらしい望がほっと息をついた。
「……あれ……、そらせんぱい?」
「うん。空くんだよー。望もいるよ」
「れーん、どうしたの?」
望が不安そうに廉の顔をのぞき込む。そんな望をぼんやり見つめ返す廉。反応がやっぱり鈍い。これはもしかしなくても。……なんて思う暇もなく。
「……っと……!」
ぐらりと細身の身体が傾いて椅子から落ちそうになるのを何とか受け止めた。一瞬遅れて望も支えてくれ、ふたりでそっと床に下ろす。
「空!廉、すっごい熱いんだけど!」
「お前ここまでなってたらふつう気づくだろ……」
望の反応に思わずため息をつく。すっかり意識を飛ばしたらしい廉の額に手を当てれば、いつもよりも高い熱。え、え、どうしよう、と慌てる望に、「とりあえず、若月さんに連絡してー」と声を掛けて、ソファーに廉を移動させるべく持ち上げ……。
「…………」
「空、電話する前に俺運んだ方がいい……?」
「…………よろしく」
……別に。適材適所ってやつだから。悔しいとか思ってないから。
「まぁ、風邪だろ。廉のやつそのうちぶっ倒れるとは思ってた」
しばらくして寮に帰って来たソウは、スポドリやら冷えぴたやらやたらタイミング良くいろいろ買ってきた。ソウから冷えぴたを受け取った望が、ソファーで苦しそうに眠っている廉の額に貼ってやっている。
「え、ソウ気づいてたの?いつから?」
39「今朝だな。あいつ朝練出てきてなかったから」
「俺気づかなかった……」
「あいつも隠してたし、しょうがねぇよ。俺も付き合いが長いから気づいたってのもある」
「原因は?ソウ何か心当たりある?」
俺の問いに、ソウもうーん、と頭をかいて唸る。
「最近眠りは浅かったみたいだが、直接的な原因があるわけじゃないんじゃないか?寒暖差も大きかったし、それで体調崩すのも分かる。モリも今日咳してたしな」
「そういやそうだね」
と、望がぱたぱたと戻ってきた。手には電子体温計。
「空、ソウ先輩……これ、やばくないです?」
「……げっ」
「まじか……」
おろおろと望が差し出した体温計の数値は39度を超えていて、思わずソウと顔を見合わせる。これは明日の午前診療に連れていくのでは遅そうだ。脱水も怖いし、何より廉がしんどそうで早く楽にしてやりたい。
「……っお待たせ!」
「廉、大丈夫?」
ばん、と共有ルームが勢いよく開く。息を切らして飛び込んできたのは若月さんとモリだ。
「廉が体調崩したって聞いたよ、具合は?」
若月さんが廉の眠るソファーの前に膝をつくと、額を触って熱を確認し、脈を取りながら呼吸の音を確かめている。その手際の良さにそう言えばこの人二児のパパだったな、とふと思い出した。
「かなり熱が高いし、ちょっと脱水起こしてるかもな……。空、廉と話した?水分取ってたかな?」
「え……と、会話は少しだけ。でもそのまま気を失っちゃったし……水とかは飲んでないと思う」
「望、いつから廉がここにいたか分かるか?」
「俺が帰って来る前からいたっぽいけど……」
「了解わかった。……とにかく夜間外来行ってくるわ」
一番ガタイの良いソウが廉を担ぐ。望が自分の部屋からブランケットを持ってきて掛けてやると、若月さんの車で廉はツキプロお抱えの病院へ運ばれた。
……ちょっと休憩。