善逸、正直言ってしまえば俺は、あの日からずっと自分自身が、この恋が怖いのだ。
 この燃え上がるような感情は、いつまでこの熱を持ち続けているのだろうか。
 その生徒を見たのは、入学式の朝だった。
 数日前に新しく処方された花粉症の薬が、どうも宇髄には眠気を催すタイプだったらしい。春先の陽気も手伝い勤め先の高校にやけにぼんやりとした頭を抱えて向かっていると、校門で朝っぱらから起きているひと悶着に気づき重たい瞼を少し開けた。
 新学期からお盛んなこって、張り切り過ぎだろうよ。その程度の意識で視線をそちらへ向ければ、予想通り校門に立ちふさがるように仁王立ちしているのは同僚の冨岡で、その男に止められていたのはまだ小柄で、真新しい制服姿の背中が見えていた。まあ、どう見ても頭はぎょっとするような鮮やかな金髪。
 割合自由な校風ではあるのだが、金髪の生徒というのはやけに目立つ。在校生が新学期に張り切って染めてきた可能性もあるが、制服の糊のきき具合は新入生だろうと宇随はあたりをつける。
 さて、入学と同時に社会への反逆ってか?
「地毛なんです。証明書も持ってきました」
 聞こえてきた声は想像していたよりも弱々しかったが、それでも撤回しないという意志を感じさせる不安定なものだった。おや、と宇髄はそこで興味をもって、たらたら歩いていた歩幅をぐんと広げる。
「金髪は認められていない」
 冨岡の返事と言えば、相も変わらず堅物だ。身も蓋も芸もないってやつ。
「はい。でも、地毛である証明書があればいいって、聞きました」
「髪を染めて来い」
「だからッ」
「おい、こんなとこで油売ってたら式始まるんじゃねえの」
 一生噛み合わなそうな会話は不毛さしか認めることができず、ぶった切ってやろうという意図で声をかけると、向かい合っていた二人が勢いよく一人とびぬけて背の高い侵入者の方へ顔を見上げた。
「宇髄、来るのが遅くないか」
「春だからな。俺クラス持ってねえし。
 お前、今日は入学式なんだからとっとと中入れば? お前のクラスだけ式遅れるぞ」
「…む」
 一瞬、目の前の生徒の頭髪の問題と自分のクラスを天秤にかけたのだろう。いやかけるほどかね、と宇髄などは思うのだが、風紀担当でもあるのでまあ、極端に口出しをするほどでもないなと口をつぐんで判断を待つ。金髪の少年の目は、きょときょとと揺らいでいる。
「戻る。お前の髪についてはまた今度。お前、一年だったな。名前は?」
「…我妻です。地毛です」
 往生際悪く付け足された言葉に、む、ともう一度両眉をぎゅっと寄せてから、冨岡は諦めたように踵を返して校舎の方へ足早に去っていった。一ミリも諦めた様子のない去り際の横顔に思わず宇髄は肩をすくめる。この黄金の生徒にとってあの教師は天敵になることだろう。
 詰めていた息を押し出すような、重苦しいため息が斜め下から吐き出された。ひょいと宇髄はその吐息の出元を見下ろす。
「…ええ、マジなんなのあのセンセイ怖すぎ…」
「融通きかねえんだよ。これからたぶん死ぬほど言われっけど、地毛証明書だしたら学校としてはオッケーだろ。まあ、アイツの小言から逃げ続けるんだな」
「えぇ… なんのための証明書…」
 金髪の男のつむじを見つめながら、おやと宇髄は思った。
 入学初日から冨岡の指導に食い下がるなどどんな意思の強い奴だろうと思っていたのだが、なかなかどうしてひどく臆病そうに情けなく眉をさげて、まるでぶつぶつと愚痴を言うような口調で唇を尖らせている。
「ハ、変な奴」
「…あ。あの、ありがとう、ございました」
「あ? いや別に。お前も早く行けよ、その髪で遅刻したら余計に目立つぜ」
「えっ、無理無理、行きます。どーもッ」
 先生様への挨拶の仕方かよ、と思ったがなぜか妙に面白くて、宇髄はちょっと笑いながら全速力でかけていく後ろ姿を見ていた。妙に足の速い男は、普通に歩いていた生徒をびゅんと抜きものすごい勢いで校門から校舎の入り口まで駆け抜けていた。まるで輝く黄金の流星が一直線に落ちていくようだった。金髪の俊足ってのは目立つな、と宇髄は珍しいモンみたなと満足した気分に浸りながらのんびり後を追うように歩く。
 彼の髪は春の日差しを素直に飲み込み輝いていた、あの柔らかな光り方はまあ確かに地毛かもなと思う。
「変な奴」
 面白そうでいいな、と、最初はそう思っただけだった。だけだった、はずだった。
 学校教師をやっていれば、たとえクラスを持っていない上に選択制である美術を担当していても、毎年それなりの生徒を相手にする。母数が多ければ、それなりに多様な生徒を相手することもあり、特筆すべき生徒たちの情報は教師の間で情報共有がよくなされる。
 我妻善逸という少年についても、簡単な情報はすぐに回ってきた。
 両親共に生まれた時からいない児童養護施設育ち。かつ、本来近い親戚がなる場合が多い後見人に第三者の弁護士がなっているという。聞くところによると、我妻がいた児童予後施設とつながりがあり、まったくの身寄りがない子の後見人を多く引き受けている老人だという。
 つまり、彼は高校生にして学校の近くに一人暮らしをしながら通っているのだという。名門校でありながら、宇髄が教師をしているこの私立高校は、成績さえ優秀であれば低所得世帯に向けた独自の奨学金が他よりも多く設定されている。
 なので、それなりに色々な事情がある子が門戸をたたくことの多い学校ではあったが、近年でここまで身寄りのない子も珍しかった。
 宇髄は担任というわけではないし、特別彼に対してケアをする立場でもなかった。
 ただ、事情が事情なだけに、さすがに聞いたときはなるほど、と思ったし、それと同時に「地毛です」とまったく迫力のない顔で、でも絶対に撤回しなさそうに言い続けていた金髪の少年を思い出した。
 やっぱ地毛か、染める金も対してないだろう、と勝手に納得する。あの少年からは、遊んでいる子特有の雰囲気はなかった。昼間の日差しの清潔な匂いがした。
 彼が在籍していた三年間の間、特筆すべきことは何もなかった。
 我妻は一年の時に選択科目で美術を選んだので、週に一回我妻も含めた生徒たちに美術のいろはを教えた。彼の筋はたいして良くなかった。金髪の綺麗な髪をしているのに、色彩のセンスは対してない。「綺麗な髪なのにな」と残念だなァ、と口にすると、丸い目をした我妻に「髪の色は関係ないでしょ」と反論された。いや、お前の不甲斐なさの話がメインなんだよ。そこじゃねえ。
 我妻は当初職員室の教師から地味に注目されていたのだが、まァ、ちょっとうるさいし後ろ向きだけど、良い子ではある、という判断がそうそうにおりた。生活態度も悪くなかった。所得を理由としてバイトが認められていたので、学校から少し離れたコンビニを職場として届け出をしていた。
 宇髄は教師権限を乱用し届を堂々と見て、その職場の住所を覚えた。
 「いらっしゃいま…げ」
「客だぞ、神の来訪だ」
「…なにしてんの、宇髄センセ」
「だから客だっつってんの」
「……えぇ」
「お前、そうしてると売れねえ漫才師かバンドマンみたいだな」
 金髪頭がコンビニ制服を着ている姿に素直な感想を言うと、隣のレジに立っていた同じく若そうなバイトが噴き出した。そう思ってたんだろう。だよな。
 我妻はカウンター越しに立っている神に対して憮然とした表情を隠そうともしない。
「やめてくれます?! 花の高校生なんですけど?!」
「いやー、まぁ、ヤンキーには見えねえから安心しろ」
「むしろそっちのほうがよくない?! 先生の言ったやつ、どっちも売れないって着くの嫌なんですけど」
「手ぇ動かせよ」
「アンタが話しかけるからだろ」
 ぶつくさ言いながら、手際よく宇髄の出した新作菓子のバーコードを読み取っていく。ピッピッピッ。手慣れたものだ、と感心する。
「袋入れます?」
「俺手ぶらだぞ。聞くなよ」
「アンタ車だろ、手で持ってくかもしれねえじゃん。エコ!」
「あ? 客だっつってんの」
 むうっと頬を膨らませた顔がおかしくて、宇髄は噴き出した。
「はい、ありがとございましたー」
「は? いらねえよ」
「は? 何言ってんの」
 お菓子をビニル袋に入れて差し出してきた我妻に、宇髄は両手をポケットに突っこんだまま、顎をしゃくる。
「俺、甘いものそんな食わねえんだわ。間違って買ったからやるよ」
「…はァ?」
「金払ったんだから返品処理とかすんなよ。食べるのはおうち帰ってからな。
 あ、学校では内緒にしろよ。特に冨岡。俺怒られんのゴメンだからな」
「え、マジで?」
「おう、じゃな。無理すんなよ、あと学校に届け出出してる時間以上働くなよ」
「…あ、ありがとうございました」
 ひらりと手を振って手ぶらのままコンビニを出た。我ながらキザだったかね、なんて思ったが、まぁいいかと思った。
 妙なことをしている自覚はあった。バイトをしている生徒なんて、他にもいる。他の生徒のバイト先なんて見に行ったことはない。我妻が初めてだ。バイト先をチェックして、バイト先に行って、菓子を貢いでなにをしているのか。
 実のところ、宇髄にはよくわからなかった。
 わからなかったのだが、どうしてだかやけに、我妻という生徒を見てしまうのだ。
 生い立ちに惹かれた? そんな馬鹿なことがあってたまるかと思う。
 特に誰にも言っていなかったし経歴書上はごくノーマルな育ちをしてきた宇髄だったが、彼は両親に愛された記憶をまったくもっていない子供だった。宇髄も我妻と同じくそうそうに一人で暮らし始めた。宇髄の場合はほぼ出奔といってもいい形だった。だが宇髄は幸運なことに、遠縁だが幼少期からつながりがあった親戚が何くれとなく世話を焼いてくれたので、なんとかやっていくこともできた。
 親と最低限の付き合いまですることができたのも、その親戚がいわゆる本家の人間だったからだった。
 親には恵まれなかったなという感想はあったが、その環境化のわりに恵まれた人生を送ってきた自覚がある。
 我妻に自分を重ねるには、彼の方が過酷だろう。
 だがそれが理由になるだろうか。彼が少し気になった、程度に理由にはなるだろう。だが、この、執着に似た兆しはなんだ。
 己の中で何が始まろうとしているのかわからない。それなりに自分の感情の分析と制御が得意な方だと思っていたのに、これはどういうことだろうか。
 なぜこんなにも宇髄は我妻を気にしてしまうのか。
 正直なところ、自分でさえ答えを一つも持っていなかった。
 ありていにいえば、気づけば始まっていた。きっかけさえ覚えていない。無理に考えればあの入学式の日だろうか。でも、あの時の印象は残っているけれど、その印象が自分にどんな影響を及ぼしたかなど定かではない。 
 たった一人の生徒になぜこんなにも意識が持っていかれているのかちっともわからない。最初から、出会いから全部巻き戻して、通しで今日まで見てみたい。いったいどのタイミングで俺は我妻を、特別なものとして見るようになってしまったんだ? いつから俺の目は、集団の中から我妻ばかりを映し出す自動オート機能がついたのか。
 さすがに宇髄も、アイツ金髪なんで目立ちますよね、なんて馬鹿げた言い訳がきかないくらいなのは自覚していた。自分自身には、とくに。
 だが、どうしようもなく一人の生徒ばかりを目にしてしまうようになると、もう、歯止めなど聞かなかった。雪山を転がり始めた小さな雪の塊と同じだ。一瞬で雪だるま方式に大きくなるこの衝動は、宇髄が自覚するより先に自身でどうにかできるものではなくなっていた。
 臆病で気も強くない、だが妙に頑固なところもある。他人、特に女子にはひどく親切、けれどどこか一線を引いている。他人からの好意を、うまく理解できない。数人の親しい友人には心を開いているが、あれはただ”開いている”だけだ。それ以上を求める様子がほとんどない。
 宇髄が声をかけると嫌そうにするが、断ることはない。 
 我妻、そう呼ぶと、振り向く。俺の声に振り向く。
「せんせー、入っていいですか?」
「おう」
 ある日、放課後に美術準備室にこもり授業の準備という名目で適当にスケッチをしていると、我妻が一人で入ってきた。宇髄が呼び出すことはあるが、自発的に彼が来るのは珍しい。宇髄は少し驚いて、そういえば数日前にコイツのコンビニで菓子を押し付けてきたんだったと思い出す。意外と律儀な奴なので、礼でもいいに来たのかと入ってきた善逸を観察していると、なんだか居心地悪そうにしながら、持っていた白いビニル袋を差し出された。
「あ?」
「…お礼」
「ガキが気にすんなよ」
「廃棄! だから!」
 ボンッと袋は勢いよく宇髄の胸に飛び込んできた。というか投げられた。ついそれを受け止めると、「じゃ! ありがとございました! お菓子おいしかったです!」と我妻は叫んで部屋を飛び出していった。驚いて中を見ると、宇髄がよく準備室で飲んでいるインスタントのドリップコーヒーの5個入りパックだった。
「インスタントコーヒーに廃棄もクソもあるかよ」
 思わずにやにやしながら、念のため確認すれば賞味期限も年単位で残っている。へたくそな嘘だ、というかばれることも承知だろう。浅はかな口実か。いや、さすがにばれることなど加味したうえでの言い訳だろうか。
 そして、深いため息をついた。我妻の行動にではない。自分にだ。こんなことで、ガキみたく心を高鳴らせている自分だ。自分だっていい歳だ、大人なのだ。だから知っている。
 これは恋だ。理由もなくきっかけもなく、意味もわからないのに、自分の教え子に恋をしている。なんたるザマだろうか。だがもう仕方ない。だが、手を出すなら卒業後だ。あと1年、おとなしく待ち、卒業後に手を出す。上手くいくかはそこから考えればいい。恋などうまくいくかいかないかは神のみぞ知りうることで、少なくとも宇髄の管轄ではない。
 だが、方針はこれでいいだろう。ここのところ躊躇っていたのは腹をくくれないからだったが、もうどうしようもないだろう。変に暴走するよりかは、きちんと線引きを決めておけばいい話だ。
 一年後にあれを手に入れたいと、宇髄は静かに思った。ひどく傲慢に、そしてとても純粋に祈るように、手のひらのドリップコーヒーの箱をもてあそぶ軽さとは裏腹の深刻さで宇髄は願った。
 彼はきちんと、善逸の在学中は手を出さなかった。好意を告げることもなかった。まあ、気に入りの生徒、には見えていただろう。それくらいは仕方ない。だがその「気に入り」が、とんでもない執着であることは隠し通した、たぶん。
 そして善逸が卒業後、晴れて宇髄は舌なめずりをしていた獣のように、善逸を一年かけて口説き落とした。我ながらよくまあ我慢するなと思ったが、見事成功した。
 宇随の好意は善逸に伝わり、善逸は、宇髄の気持ちに追いついたかはおいておいて、受け入れた。
 そうして宇髄はようやく冷静になり、…そして、ひどく怖くなったのだ。
 いや、ずっと怖かった。
 理由もない恋に落ちてしまった。激情のような恋だった。それ自体が罪だとは思わない。
 ある作家が、恋愛というものはチャンスではなく意思であると言った、と聞いた。宇髄はその言葉の真意を正確に知らなかったが、恋愛というものが意思であるのならば、善逸に焦がれ彼を手に入れようと躍起になったのは宇髄の意志だということになる。
 たしかにそうだ。宇髄は、丁寧に慎重に善逸のテリトリに侵入した。間違いではない、自分の意志で、彼に宇髄がもつ善逸への好意を刷り込んだ。
 それでも宇髄は怖かった。
 自分でさえ知らぬ間に始まったこの恋は、一体いつ始まったのかわからない恋は、いつか、自分の意志によらないところで終わるのだろうかという恐怖だった。
 こんなにも大事で、丁寧に丁寧に手に入れたこの少年への恋から、一瞬で冷めてしまうことがあるのだろうか。
 それは自分の白状さなのか? だが、理由もなく自分が恋したことこそが白状ではないかという不安すら抱いた。だが、古今東西恋などそういうもののはずだ、得体なく理屈なく落ちるものなのだろう。そうであれば、自分はいつまでここに落ちていられるのだろうか。
 心に柔らかい部分ばかりを持っている善逸へ自分が深く入り込めば入り込むほど、いつか急に彼への好意を失ってしまったときに、傷つける傷は深くなるのではないだろうか。
 そればかりが、怖かった。言えるはずもなかった。だって、今更、手放せねえよ。どうしてそんなことができるんだよ。
 宇髄は自分の気持ちを伝え、善逸は受け入れた。まだ、宇髄さんほど、好きとかは言えないけど、でも、と目じりをはにかむように赤く染めて、彼は宇髄に抱きしめられた。それは受容の姿勢でありながら、善逸の手は宇髄の背に回った。その動作が、この少年の意志でなくてなんだというのか!
 嬉しくないはずあるかよ、どれだけ、どれだけ焦がれたと思ってんだ。宇髄は善逸をあらんかぎりの力で抱きしめ「殺す気かよ!」と叫ばれるまで微動だにしなかった。神がいるなら今の俺の気持ちを永久保存して、永遠にこの子を愛させてくれ。
 頼む、それだけでいいんだ。本当に、それだけで構わないと、愚かにも俺は今叫びたいのだ。
 この少年だけを愛する生き物に俺をしてしまってくれ。
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輝くような夏をめで(仮)
初公開日: 2020年04月18日
最終更新日: 2020年04月18日
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