彼は、委員会も何も予定が入っていない時間を見つけて、仕事場に足を運んでくれる。約束はしていない。
陽射しが心地よい午後は戸を開けて、日がな一日筆を滑らせているのを知っていて、彼はこっそりやってきていつの間にか座っている。
仕事のことを考えて、声はかけてこない。ただ気が付くとそこにいてくれるのが嬉しかった。
音もなく動くことが出来るのは、彼が学んできたこと。
出会った頃はばたばたと足音をさせていたなんて、今では考えられないほど、静かに動く。
暖かな縁側に座り込みこちらには背を向けて、私から声をかけてくるのを待っている。
いやもしかしたら、私が見ていることにも間違いなく、気が付いているだろう。
でも私の仕事の状況をうかがい知ることが出来ないから、静かにまっている。
今日はいったいいつからそこにいたのかわからないけれど、私も集中力が切れて視線は完全に彼の背中だから、筆を走らせようとはもう思わない。
声をかけようと立ち上がって、ふいに思いついた。
ひっかかるわけがない。
ひっかかるわけがないのだ。
そう思いつつ、近づいて「食満くん、お待たせ」と声をかけながらがっしりとした肩をたたいたのだ。
「駒乃さ……」
むにっと人差し指が、振り返った彼の薄い頬にささる。
うそ。
「……まさかひっかかるとは思わなかった」
驚いて目を見開いた彼が、刺されたまま。
「あなたがこんなことをするとは思わなかった」
だって忍者ですよ。たまごと言えど、気配に聡い忍者。
私なんかの悪戯にひっかかるなんて……!
「ぷっ…くくく」
「駒乃さん」
「ごめ、ごめんね。ふふふ」
笑いながら暖かい縁側のふち、彼の隣に座り込むと手を握られた。包み込まれて、指先を触れられる。
「細いな」
「こんなものじゃないかな」
「細すぎだ」
ぎゅっと優しく握りしめられて、心臓がうるさくなってくる。
かさついた手は私のものよりずっと温度が高くて、分厚くて、握られていて先ほどまでの筆の緊張感から解放されていくようだった。
「お待たせしました。今日はまたせすぎてしまったかな」
「待ったうちには入らないさ」
「そう? 私が食満くんを見たのは気が付いてた?」
「ああ」
「近づいたのは?」
「もちろん」
「じゃあ、どうしてひっかかってくれたの?」
純粋な疑問だった。
6年生ともなればプロ忍者と変わらない実力だと聞いたことがある。
さすがに後ろをとられるようなへまは絶対にしないと思うのに。
するとふはっと彼は笑った。
「あなたがこんな子供っぽいことをするとは思ってなかったんだ」
いつの間にか大人になった彼に笑われて、たまにはいいでしょうと照れ隠しに彼の肩にもたれかかった……。