・夏の古民家復活ロケ まだそこまでバカ売れはしてない一部のIDOLiSH7 一週間泊まり込み
・民泊にしよう! プロジェクトの最中に距離感がバグるミツヤマ未満
・「返す」をテーマに。
・ちょっとだけ第三軌条~とリンク・対比(王冠と釘)(手を繋ぐのがスイッチ)
?タイトル?
夢の西日
西日の木
木は二階
木を揺らす
風は立夏の木を交わす
Can’t replace me with ___
にじのちず
 昏がりに木はあった。
 家屋の裏庭、二階の高さまで伸びている木の枝に、窓枠から身を乗り出して手を伸ばす。
 前にのめった三月の背中に、とん、と、大和がぶつかってきた。埃っぽい空気に、一迅、確かな風が吹き込む。じんわりと佩いていた汗に、風は冷たい。
 腕の中に身を抱え込むようにして支えてきた大和に、三月はなぜか、頬擦りをしたかった。
「三月ー? あったー?」
「……ああ、うん! こっち、埃っぽいから、向こう行ってろー!」
 メンバーの声が聞こえても、どくどくと耳の後ろで脈打つ心臓の持ち主は、離れようとはしない。
「なあ……」
 遠くで呼びかけてきた陸に応じたトーンとは、数段下がる声音で、三月は大和を呼んだ。ぴっとりと、汗ばんだ体を三月の背中に合わせた人は、覆い重なるように、三月の耳元に唇を近づける。
 そんなことされたら、振り向けないじゃんか。
 咎める言葉を飲み下し、三月はさらに腕を伸ばして、木の枝に引っかかった帽子をとった。
「……取れたんだけど」
 顔は前に向けたまま、背後の大和に不平を漏らす。声の硬さが悔しかった。ハグも、おんぶも、ライブでしょっちゅうやるパフォーマンスだ。それを、ここでは動揺して受け止めかねていることを、悟られてしまう。
 からかわれる、と耳を赤くした三月に返されたのは、けれど揶揄ではなく、ただの首肯の声だった。
「うん」
 低く、熱っぽい、耳の奥がくすぐったくなるような、素直な声。
 驚いて引いた頭が、大和の襟元にぶつかったらしい。そのことを詫びる間も無く、窓枠についた片手を、大和の大きな手が包む。
 声よりも、胸よりもずっと熱いてのひらが、ゆるく三月の手の甲にふれる。
 三月の握っていた帽子を、大和の手がうばった。
 奪われた帽子を目で追って、大和の方へ振り向いた三月の口元に、帽子が影を作る。
 帽子は、夏の木漏れ日を遮って。その影の中に、二人の唇が重なったことを、三月はなぜか不思議だと思わなかった。
 目を閉じてキスに応じた三月に、大和が投げて寄越した視線に、悲しげな影が落ちていたこと以外は。
 なんで、キスしたあんたが、苦しそうにしてんだよ。
 問いかけの代わりに、指の間に大和の指を迎え入れ、ぎゅうと握り込む。
 唇を押し付け合うだけのたわいもないキス。
 ゆっくりと、まぶたを下ろそうとした時。じい! と、ひときわ大きなセミの鳴き声が、二人の間に割り込んだ。驚いた互いの眼差しがかち合う。夏の木は揺れず、二人の肌に木漏れ日を落とした。
 じいじいと鳴くセミの声から逃れるように、大和の視線が、ふいと部屋の扉の方へ流れる。何を言うべきかもわからないまま、薄く開いたままの唇で、三月は息も吸えずにいた。
 大和は、帽子を三月の頭に深く被せて、部屋を立ち去った。
「……なんなんだよ」
 被せられた帽子のつばを、片手でぐっと引き下ろす。重ねていた手を窓枠から離せないままで、三月はその場にしゃがみ込んだ。
 日差しに温んだ部屋の空気を、窓から吹き込む夏の風が押し流す。
 古民家復活民泊化プロジェクト。今日は、IDOLiSH7として引き受けた泊まり込みの仕事の、始まりの一日。それだけではない何かの始まる予感が、三月の胸を揺らした。
*
「一週間、七人が一箇所にいることは無理です。特にMEZZOのおふたりにはツアーの練習も必要ですし。日替わりでハンディカメラを持って、各自の視点で作業状況を記録しましょう」
「なるほどな。それで今日はイチがカメラってわけ。いつの間に決まってたんだ?」
「たまたま、マネージャーがお仕事を受ける場所に居合わせまして。企画書を先にいただいたんです」
「ふうん」
「そしたら、陸たちやMEZZOの仕事に被んない日に担当決めとかなきゃなー」
「こちらで決めてあります! 明日からは順番に、三月さん、環さん、大和さん、ナギさん、陸さん、壮五さんにお願いしていきます」
 スケジュールの話題になると、仕事の多さの話を持ち出さないわけにはいかない。
 ライブも増え、各自の個人での露出も増え始めているいま、人気の順位で他のメンバーに自分が遅れを取ることには、三月自身、気づいていた。そのことをおかしいとは思わない。
「こうやって使うんですか! オレ、こういうカメラ持つの初めて!」
「七瀬さん、あまりはしゃいで落としたり汚したりしないでくださいよ。あと、使える映像を撮ってくださいね」
「使える映像?」
「あなたの撮る動画、だれそれの寝顔だとか、そのへんの虫だとか、そんなものばかりになりそうで。メンバーの、働いている姿を撮ってください」
「わかってるよ」
陸の帽子が風に乗り、古びた洋館の裏手へ舞い込む。帽子を追いかける陸や一織の背中を撮りながら、
帽子は、高い木の上に引っかかったようだ。内庭に面した、二階の奥まった場所の部屋が、その木のそばに窓を開いている。きっと、あの部屋から手を伸ばせば取れるだろう。小柄な自分なら枝に乗ることもできそうだ。
「あ、あの部屋、多分わかる。さっき行った部屋だ。オレが取ってくる」
「あ、兄さん、私も……」
「いいよ。陸、カメラ持ってて。一織は陸についててやんな」
「……気をつけて」
「おおげさだな」
何か口につかえたような、素直に送り出せないという様子の一織に、明るい声を返せただろうか。
一織が何を心配しているかはすぐにわかった。道に迷って、目当ての部屋にたどり着くどころか、戻ってこられなくなるのでは、と考えているんだろう。兄さんは方向音痴で頼りない、と言われているようで、少しだけ、胸がざわついた。じりじりと暑い日差しの下で、半袖の腕をまくり上げる。
「三月!いってらっしゃい!」
俯いたまま駆け出した背中に、陸の声が投げかけられた。パッと顔を上げて振り向くと、こめかみに汗を輝かせ、陸がまばゆく手を振っている。すなおで、人を疑うことに不慣れな、弟の顔で。
「任せとけ。涼しいとこで待ってろよー!」
意図して、頼りがいのありそうな、明るい太い声を張った。
一織が陸を日陰に連れていくのを見届けず、三月はくるりと踵を返した。
洋館の中、
廊下の窓から、庭を見下ろしてみると、陸がカメラで遊んでいるのが見えた。
一織が危惧した通りに、陸は景色ばかりを撮ってはしゃいでいる。
カメラの画面に夢中になって転びそうになる陸の後ろに、呆れた顔の一織がついて歩く。不器用な弟に、率直に話せる友人ができたことを、三月は嬉しく思っていた。
「一織が持ってなくて、オレが持ってるもの、なくなっちまうな」
気づけば、知らない音が、自分の口から転がり出ていた。はっと見開いた瞳で、周囲を見渡す。誰かに聞かれてしまっただろうか。
心臓が早い。驚いている。呟いた自分の声の低さに。その言葉が一織を、自分を傷つけることがわかっていて、口からとびだした気の緩みに。
気が緩んでいる、というよりも、緊張しているのかもしれない。もうずっと。
憧れのアイドルになって、夢の近くで目を輝かせながら、それでも目指すアイドルの姿は遠い。幸せを噛み締めて笑いながら、完璧な弟のおまけだと、ひがみっぽく卑屈に口にしてしまう自分も、胸のどこかにはいつもいた。
「……オレ、最悪……」
仕事だろ、気引き締めろ。自分に言い聞かせるように強く思って、ぱちんと両手で頰を張る。
この部屋には自分一人とはいえ、カメラのある場所で、こんなふうに不安定な姿は見せたくなかった。一度きつく閉じた目を、大きく開き、改めて部屋を見渡す。どうやら、書斎のような部屋らしい。
本棚の日焼け、くすみ、シミ、ひとつひとつに、誰かの暮らしていた気配。
微かな風に、窓の外の木々が煽られるたび、薄い紙のページが擦れ合うような音がする。
言葉はなかった。
付き合おう、という口約束の代わりに、人混みに隠れて、体に触れ合うことが増えた。
バレるかもしれないスリルのぎりぎりを縫って互いを求める、ふわふわとしたささやかなリスクの甘さに、酔っていたのかもしれない。
「揺れてる」
「酔った?」
「いや、地震……」
「寮って、防災訓練したっけ」
「そういえば、していませんね。マネージャーから、大神さんに伝えてもらいましょう」
「防災面も配慮して居住スペースを設定しなくちゃならないね。オーナーさんはご高齢だから、一階の、外庭に面した部屋をリビングにして、そのとなりを寝室にする?」
「それだと家事の動線が悪くねえ? お客さんのシーツとかもオーナーさんところで洗うんだろ。水回り固めるならこっちでさ、勝手口から物干しに出られるように……」
「なー、この部屋あったけーから、ハンモック置いていい?」
「ハンモックあるの?」
「さっき見つけた」
「それなら木に吊るしたほうがいいんじゃねえ?目玉になるかも!」
一織と壮五と三月が実用性を重視して設計図に発想を書き込んでいく。そこに、環と陸が茶々を入れ、アイデアがだんだんと形になっていく。
「てことで、午後はオレとナギと大和さんで草刈り。陸と一織、環と壮五は使えそうなもん発掘して、汚れてたら洗濯な」
「発掘!」
「私たちで、夜寝られるようにベッドを整えておきます」
「おう、頼む」
「環隊員、さっき真っ暗で物が多い部屋を見つけたであります!」
「ワタシもそちらがいいです!」
「ナギはでかいんだから、環と一緒に探検したら狭いだろ」
「ナギくん、僕で良ければ代わるよ」
「ソウゴ!良いのですか?」
「ダメだって!メッゾは一緒の方がみんな喜ぶんだから……ほら、ナギ、終わったら晩飯好きなもん作ってやるから」
「暑さで食欲が湧きません……」
「昼の冷やしカレー山ほど食ってただろうが。行くぞ」
「うう、はい……」
「う……暑い。マジでやんの」
「マジでやんの! ほら、撮れ高撮れ高」
「こういう力仕事はお兄さんの仕事じゃないんだけどー」
「厳しいアイドル業界、仕事選んでちゃやってけねえだろ。ほら、一生懸命やる!」
 いつだかその人に口にしたような、一生懸命、ということばに、その人が口を閉ざした。
 じっと、三月を、真意を図るように見つめる。
「……何」
「いや。言ってくんないんだと思っただけ」
「行く? どこに」
「何でもないですー。見せてやりますよ、お兄さんの野良仕事」
「おう!」
「見てよ。ジーンズまで汗で色変わってんの。疲れたー。癒してー」
「コラ、マネージャーに絡むな。悪い、ナギが向こうでダレてっから、ちょっとこれで冷やしてやって。オレら陸たちの様子見てくるから」
「なんか涼しくなれるようなもん、考えなきゃなー」
「優しいね、おまえさんは」
「ぅあっ、ちぃー」
「うわ、何だこの部屋。サウナ?」
耐え兼ねた三月が喚いた時、ダイニングに現れたのは大和だった。
「キッチン。ジャム作ってんの……」
「ジャム? なんでまた」
「昨日、庭で木苺見つけてさ。ちょっと酸っぱかったけど、どうせなら名物にできないかと思って。鍋一個分くらいしか取れなかったし、ジャムとシロップもちょっとしか作れないけどな」
「ふーん。いつできんの?」
「煮詰めるのはすぐだぜ。砂糖に浸けて、水分出してあるから。十五分くらい?」
「じゃあ十五分したらまた来る」
「煮詰め立ててすぐは食えねえよ。裏ごしして瓶詰めして、冷ましてからがうまいんじゃん。ま、明日楽しみにしてろよ」
「明日までかかんの? ミツ、意外と気が長いんだな」
「お菓子作りは根気と体力! あ、でも、今日食えるお菓子も作ろうと思ってるから、そっち楽しみにしててよ」
「裏ごしした後のつぶつぶにも果肉ついてるから、もったいないし。粒々のところはゼリーにして、ジャムのシロップ使ってムースにしてみた」
「庶民派と本格派のいいとこ取りって感じだな、ミツのデザートは」
「褒められてんだよな? さんきゅ。あと、大和さんにはこっち」
「こっち?」
「余った生クリームでパンナコッタ作った。キルシュっていう酒で香り付けしてあんだけど、洋酒きつめだから、オレと大和さん用。木苺ソースかけて完成」
「何でもできるなー」
「デザート作りならオレに任せろ! じゃ、早速味見してよ」
「ミツ、すげえ汗だくで頑張ってんだもん。お兄さんもなんかやんなきゃって、実はずっと撮ってました」
「マジ? うわ、オレ料理しながら独り言言ってたかも……」
「言ってた言ってた。えーっと、次は、何すんだっけ……あっゼラチン溶かすの忘れてた! あっぶねえー! ってな」
「うはは、似てねえ」
煮詰める間、どうも手持ち無沙汰で、ポケットの企画書を取り出し、広げてみる。
「オレ、意外とこういう企画とかすんの好きなのかも」
 これは環が食べるから、甘く作る。これはナギが食べるから、口当たり良くまろやかに。こっちは、壮五も食べやすいように、甘さを抑えて、苦味や酸味が際立つように。お菓子作りの設計図は、いつだって頭の中でかんたんに組み上げられた。それを喜ぶ人の顔を想像しながら、どんな気持ちになってもらえるか胸をおどらせて。設計図が少しずつ埋まっていく喜びは、お菓子作りの楽しさに似ていた。
「意外でもないだろ。お前さんは、誰かに喜んで欲しいって駆け回ってばっか、って感じがする」
リクとか、ナギとかも。数え上げられたメンバーたちの名前に、三月は苦笑した。また、他人事みたいに話すんだな。
「あんたは?」
「俺はこうして、喜ばしてもらうタイプ」
ひと口、と大和がスプーンを取った。煮立てている鍋に金属の匙を差し込もうとするその人に、三月は目をすがめる。
「別に食ってもいいけど、あんた、猫舌なんじゃねえの」
「いい匂いすっからさ……冷ませば食えるよ」
「あち」
「だから言ったろ。できるまで待ってろって」
「はいはい」
大和が眉を思い切りしかめ、舌を突き出して冷ます。こめかみを汗が伝い落ち、大和のTシャツの襟元を濡らした。
急に大和が味見をしようとしたのは、話を逸らしたかったからだとわかっていた。
「あんたが汗だくになってがんばる姿って、需要ある気がするけどな」
「テキトー言ってない?」
「言ってない。前も言ったじゃん、あんたも頑張って見せろって」
「はは……あー、あつ。うま」
「うまい?」
「うまい……店じゃこんなスイーツ出ないでしょ」
「甘さ控えめの大人の味だし、あんまり大衆受けはしないかもな。大和さんに食わすつもりで作ったし」
「ふうん、俺用……」
「なんかお礼してやるよ。お兄さんにしてほしいことある?」
「え、いいの? そうだなあー、肩揉んで! あと腕! すげえ疲れたわ」
「はいよ」
目を細めた大和が、ハンディカメラを閉じて、テーブルに置く。
「あれ、カメラ、撮らねえの? 貴重な大和さんの働くシーン」
「こら、お兄さんをニートみたいに言うんじゃありません。撮らないよ。俺からミツへの、個人的なお礼だから」
「あ、右だけでいいよ。左は大してこってねえし」
「右だけ凝んの?」
「デザート作りって右手ばっか使うからさあ」
「右手ばっか使うって言うと……」
「おい、なんかやらしいこと考えただろ」
 カメラにちらりと視線を送ると、電源ごと落ちているようで、今の会話は記録されていないらしい。エプロンで手を拭いてから、大和に背中を向けて座る。
「おねがいしまーす」
「はいよ」
 大和の右手が、三月の肩に押し当てられる。アイドルらしい線の細さではあるものの、三月よりは厚く大きな、大和の男らしい手は、肩揉みなんてするのは初めてだとでも言うように、つたない力加減で三月の肩を押した。
「ふ、くすぐってえよ」
「揉んでもらって文句言うな」
「だって……なあ、もっと強く揉んでよ。ぜんぜん効かねえ」
「強くったって……痛かったら言いなさいよ」
「おう」
 大和の大きな手が、鎖骨ごと握り込んで揉もうとして、三月は左手でその指先を押さえた。
「待て待て、あんた、肩揉み下手か! んなとこ揉んだら骨折れるわ!」
 明らかに緊張した大和の手を持ち上げて、自分の肩の上で動かし、ぽんと肩に押し付ける。
「ここ。親指に力込める感じで、揉んでみてよ」
「……こう?」
「あー、いい感じ。できんじゃん」
「上からだな」
「お礼なんだろ?」
「はいはい。三月様に奉仕させていただきますよ」
 ため息混じりの大和の声を耳の後ろに聴きながら、三月は声を出して軽く笑った。大和の肩が少し下がった気配を、背中に受け止める。
 ひょっとして、肩を揉むのは本当に初めてなんだろうか。それか、どんな揉み方をしても喜ばれていたか。
 大和から、家族の話を聞いたことはない。聞いてはならない話題なのだと、メンバーの誰もが察していた。さっきまでこちらを向いて楽しそうに笑っていたその人が、硬い表情で背を向ける瞬間を、すすんで見たがるメンバーは、IDOLiSH7には居ない。それでもいつか話してほしいと、家族の話題から逃げるように部屋へ引き上げるその背中を見送る日々だった。
 ふと。
 大和の片手が、三月の片手に触れた。最初は伺うように手の甲へ、三月の反応がないとわかると、指の隙間に指を滑り込ませて。
 人差し指と中指で、人差し指を絡め取り、引かれる。持ち上がった三月の人差し指を、大和が掌に握り込んだ。
汗ばんだ掌が、じっとりと、三月の人差し指を締めつける。苦しいほど熱いその感触に、三月は思わず瞬きをした。大和は、じっと、三月の後ろで、三月の右肩を指圧する。
その左手に、三月の指をとらえたままで。
ふわりと、カーテンが持ち上がった。珍しく強い風が、キッチンに吹き込んでくる。
調理のあとの、ぬるい空気をかき混ぜて押し流す風がやんでも、大和の掌は熱く、三月の指を握り込んだまま。
会話もなく、
「……味見、する? ジャムの方」
この時間が続くのが怖かった。
「まだ冷めてないって言ってたじゃん」
大和の手は、果たして、三月の思惑通り、三月の指を解放した。
「手汗が……すげえよ」
「ん……」
じりじりと、蝉が唸る。大和の汗が首筋に落ちて、三月は肩を震わせた。
炎天が見下ろす夏の濃い影が、二人分、ぴったりと重なって、その中に三月を閉じ込める。
「あー……暑いな……」
低く呟く大和のこめかみを、大きな汗が粒を結んで落ちていく。次から次へと顎を滴る汗を拭いもせず、大和は三月の手を握り続けた。
「ごめん! すぐ戻るからー!」
あんなところに部屋があったんだね、埃っぽいでしょうから七瀬さんは近づかないでくださいよ。階下から上がってくる子どもたちの声に、ぱっと、大和の指が離れた。
「あ……」
三月の唇から、惜しむような声がまろび出る。
気づいているくせに、困ったように眉を下げ、大和は両手を組んでしまった。
「戻りますか」
「……オレはもうちょっと、ここ、片して行こうかな。何か使えるもんがあるかも」
「屋敷ん中で迷子になるなよ。イチとナギが不安がるぞ」
「ならねえよ! 多分……」
「自信ないのかよ。まあ、迷ったら呼びなさい。お兄さんが迎えにきてやるから」
「ミツ、声デカいからな。体は小さいのに、どこにいてもミツの声ははっきり聞こえるよ」
「いちいち一言余計だよな、おっさん」
「ほい! 木苺ジャムのアイス!」
「アイス⁉︎」
「三月が作ったの⁉︎」
「そうだぞー。ナギも陸も暑い中お疲れさん。環も、甘いもんあったほうがやる気出るだろ?」
「出る! ちょう出る! みっきー大好き!」
「はは、ほら、溶けないうちに食っちまえ」
「アイスなんて家で作れんだな」
「そりゃ、人が作って売ってるもんだし……そのまま実になって木にでも生ってると思ってた?」
「いや、そこまでじゃないけど……すげえな。ソウまで目輝かせちゃって」
「手作り菓子、新鮮なのかもな。
くじらの谷、にじのちず。というタイトルが書かれた真っ白な表紙を開けると、一面を色鉛筆で薄く濃く、疎に密に塗り尽くされた1ページ目があらわになる。
おおきなくじらが、涙の海を折り返す。
その背中から、飲み込みきれなかった涙が、また絶えず溢れて海をつくる。
悲しい絵本の最後に、奥付はなかった。
「自作の絵本なのかな」
「アトリエって感じの部屋だし、こういうの好きな人だったのかもな」
雨の季節を照り返す、夏の強い日差しが、木を濃い影に取り込んで。
二人しかいない部屋に、少し早い、遠いセミが、みんみんと歌声を響かせた。
短い命で好きな相手を見つけなくてはならないかれの、必死な歌声を向こうに、三月と大和は唇を重ねる。
三月の、反った背中を支える腕の下で、みしり、と軋む音がした。
「待った! ……壊れる……」
「苦しくなんかないよ。今だって、夢がとけないことが不思議になるくらい。
「お前さんが頑張って掴んだ、現実だろ」
「うん」
戯れの通り雨に、水たまりの底は浅い。
「夏休みの宿題?」
「楽しいことだけしようぜ」
「のんきだなあ」
「ミツは?」
「うん?」
「ミツは見たいの、俺が頑張ってるとこ」
「……見たいよ」
何故そんなことを聞かれるのか分からなかった。けれど、三月の言葉で、大和がぎゅっと目を細めたのには気付いた。
逆光で見えないだろうと思っているのか。大和が、顔を真っ暗に翳らせながら、嬉しそうに笑っている。
そんな風に笑うなら、太陽の下で、明るいところで笑ってくれよ。
「大和さん、そっち……」
「大和さん?」
部屋を覗き込むと、大和は窓辺で何か本をめくっていた。さっき、マネージャーに渡されていたものだ。
その本が台本だと、文字の連なりの間隔から分かって、三月は声をかけられなくなった。
あんたは、この仕事の後も、仕事、あるんだもんな。
オレは……。
ひき結んだ唇が痛い。
部屋の中は決して明るくはないのに、大和の、めくるページの中に見入って、こちらにはちらりとも気づきそうにない真剣な眼差しが、眩しくて痛い。
西日が射し込んで、真っ黒な影を大和のほおに作った。
逆光に見えない大和の表情。
迷い込んだ揚羽蝶が羽をひらめかせ、引き返した。
「おまえさん、おいていかれちまったのか」
自分に言われているみたいだと思った。
でも同時に、その人が、その人自身に言っているみたいにも聞こえた。
なああんた、何を隠してんの。
何にそんなに怯えてんの。
誰が、何が、あんたにそんなふうに、置き去りにされた本のつぎはぎを撫でさせんの。
アナログの柱時計がぼおんと打つ。茫漠と、どこかに遠のいていくような音の反響。時計の内側、壁に打って返す音がいつかどこかに
釘抜きは、力を込めなくても簡単に釘を抜けるようにする道具だ。
抜かれた釘は曲がってしまい、もうもとの釘としては使えなくなるけど。
この人の怖いもんぜんぶ、オレたちが照らして、晴らしてやりたい。
「夏って、意外と、大和さんに似合う季節だな」
「どういうことよ」
ケータリングの水が揺れ、カラカラと氷を鳴らす。
「あ、それもらうよ。すぐ飲み終わっちゃったね」
「結構暑いですよね。お疲れ様です、すいません! お願いします」
空き缶を返して、
まつってあるところを解いていく手つき。ごつごつと節くれだった男の手の甲が、器用に布の上を行き来して、カーテンを一枚の布に戻した。
「ちょっと穴は空いちまったけど、使えるだろ。これはシーツにするつもりだったんですよね?」
「はい……ありがとうございます!」
「いいっていいって。届かないところにあったんじゃしょうがないし、ついでに。暑いから、ちゃんと水飲んでくださいね」
「は、はい!」
「スタッフの子、大和さんに惚れちまうんじゃねえ?」
「はは、報われないこと言ってやんなさんな」
「報われねえの?」
「意外だな。ミツは、アイドルなんだから女の子引っ掛けんな! ってくると思った」
「今の、オレの真似? 似てねえ」
「茶化すし」
「そりゃ、ファンの子たちに不義理なことはしちゃいけねえって思うけど。好きなアイドルが自分の幸せ掴んでくれたら、自分も頑張ろうって思えるじゃんか」
「イチが聞いたらぶっ飛びそうだな」
「あいつの方がその辺の考え方はしっかりしてんのかもな。でも、ゼロがいなくなった時、すげえ驚いたし、無責任だとか世間で騒がれてんのはすげえ嫌だったからさ。説明責任っていうか、そういうのして。ちゃんとファンの子たち安心させてやれるような交際はアリ!」
「ラムネだ!」
「さっき大和さんにスタッフが助けられたって聞いたんで……お礼です」
「ヤマさんあんがと!」
「はいはい。お兄さんはラムネよかビールが良かったけどなあ」
「貰ったもんにつべこべ言うな。撮影中に酒なんかダメに決まってんだろ」
「あとゼリーもありますよ、お一人二つずつくらいは大丈夫だと思うんで、ケータリングの氷んとこ入れときます」
「わ、何から何まですいません」
「こっちのセリフです。三月くんや一織くんのおめがねにかなうか分かんないですけど、地元のフルーツで作ってて、けっこう人気のゼリーなんです」
「いちごありますか?」
「ありますよ。ぶどうやマスカットもあるから、ラムネも合わせればメンバーみんなの色ですね」
「私と逢坂さんはブルーベリーとぶどうで、ほぼ同じ色になりますけど」
「はは……。今召し上がりますか?」
「俺、食う! ぶどう!」
「ワタシも食べます! 洋梨をください」
「はい、どうぞ」
「そういえば、この家って、名前はないのかな?」
「名前? オーナーさんの名字ってこと?」
「じゃなくてさ、なんだろう、お店の名前みたいな! 三月の家ならフォンテショコラだろ?」
「ああ。そういえば確かに、名前とか聞いてないよな」
「名前、ねえの?」
「ないんだろ。まだ営業もしてねえし」
問いかける環の脇を素通りして、大和は少し離れた石の上に座った。受け取ったばかりのラムネの瓶に爪を立て、包装を剥がす。
環は大和の返事を受けて、胸を張った。
「俺らがいる間だけでも、呼び方、決めてやろうぜ」
「オレたちで?」
陸が目を輝かせ、環の方を見る。欲しい答えを待つ陸の、弟じみた浮かれた声音に、環が目を細めた。
「あだ名がある方が、仲間って感じ、すんじゃん」
三月はその会話を聴きながら、横目でちらりと大和を見た。日だまりを離れて座るその人が、気になって仕方がなかった。
「ドリームハウス!」
夢をいっぱいに詰めた家。陸の言いたいことはわかる。
「うーん。山ん中だしなあ、なんか胡散臭くね? 希望の家みたいな……アットホームな職場みたいな」
「アットホームな職場、だめなの?」
「イミテーションめいた同調圧力は感じますね」
「大それた名前つけられても、家だって困るだろ」
「アイナナハウス?」
「そのまますぎますし、もしもそういった呼び名で呼んでいるのが視聴者にまで定着してしまったら、権利が絡むでしょう」
「虹の家」
 大和がぽつりと呟いた。大和の腕の下で、垂直に圧されたラムネのビー玉が、がこんと落ちる。
 ラムネがじゅわりと膨れてせり上がり、大和の掌を濡らした。まるで、鯨が水を吐くようだった。
「……なるほど。良いんじゃないですか、私たちも7色ですし」
吐き出されたラムネを、大和が手を振って払う。
「虹の家! いいな、もっと早く決めてやればよかった」
喉仏がゴクリと鳴った。
よろこびにわななく器官に、指先で触れる。
言葉にしてしまえば楽になれるのかもしれない。でも、三月は告げたくなかった。
愛することにも愛されることにも、その人が身を任せられずにいるうちは。
ただ傷を舐め合うような寄り添いじゃ、その人も自分も報われない。
もったりと熱に緩んだゼリーをつついて、
五時の放送が鳴り響く。魔法が解ける合図にしては物悲しいメロディ。夕焼け小焼け、の音色を聞いて、あの人が昼間口ずさんでいた音楽の正体に気づく。
子どもたちが家に帰っていく時刻を知らせる曲を、一人で口ずさんでいた、その人の背中に、いま、触れたいと思った。
階を二段、三段遅れてついていく。背ばかり向けるその人に、拒まれているように感じながら。
「あんたさあ、あの時怖かったよ」
たん、たん、たん。続くはずの足音が途切れる。三段目でその人が足を止めた。
息を潜めて階段を上がり、三月は、その脇に滑り込んだ。
「お前さんは俺に、なんて言って欲しいんだ?」
大和の視線は、三月を振り向くことはなく。
隣に並ばれてなお、ずっと向こうを見据えていた。あるいは何も見ていなかった。
「望む通りの言葉をやるよ。だから黙ってろよ」
大和の唇は動いていなかった。けれど三月は確かに、大和の拒絶の声を聞いた。
くるりと踵を返した大和が、上がりかけていた階段を降りていく。三月は、追うことができなかった。
踏み締めた板目のゆらりと揺れる曲線が、立ち上って、足にまとわりつくようだ。
足の真下に溜まった、真っ黒に濃い影の中に、汗が滴り落ちていく。
「魔法でも夢でもないよ。あんたが言ったんだろ」
目の横をじっとりと汗に濡らして、その人はただ聞いていた。
大和も三月もここにいる。向き合っている。それなのに、透明な階段が二人の間にあるようだ。
「あんたの生きてるあんたの現実に、あんたと同じ夢を見てる、オレたちがいるんだ」
同じ夢、という言葉がピンと来なかったみたいに、大和の鼻からくすりと空気が漏れる。照れ隠しのような音を、三月は目を伏せたまま聞いた。
「俺の夢、ね」
大和は、三月の答えを採点しないまま突き返してきた。
それでも良かった。
オレたちがどう思ってんのか伝えてやんないと、あんた、そんなの聞いてませんって顔して、一人で全部背負ってどっか暗いところに行っちまいそうだもんな。日陰でプールの授業見学したあと、楽しそうに着替えてくるやつら待たないで、さっさと教室帰って突っ伏して寝てる奴。塩素の匂いのする教室で、みんなが寝てる時にだけ、なんでか起きてどっか見てる奴。みたいな。
オレは、あんたが、何考えてんのか知りたい。
オレは魔法も夢もあんたに使ってやれないけど、あんたと同じ夢を見て、あんたの世界に割り込みたい。
あんたの主語が、あいつら、じゃなくて、俺たち、になるようにって。オレは願ってるよ、あんたをリーダーに選んだ日から。
オレたちを引っ張るリーダーが、遠くで一人でぼーっとしてられると思うなよ。
言うべきことがまとまらない。居眠りの後のノートみたいに乱雑で、真っ白で、とりつくしまもない。手がかりさえつかめないままに、三月はその襟元を掴み上げた。
唇を寄せる。
唇が合わさる。
その端に残っていた木苺のソースを、舌先で舐めとる。
思っていたよりずっと柔らかな唇の感触に、三月は目を閉じることができなかった。
驚いた顔の大和の襟を離して、三月はじっとその目を見つめる。
「ドラマみたいなキスだったけど、現実だっただろ」
唇の端に残った木苺の酸味を、舌を出して確かめて。
大和も、鏡のように、三月と同じ仕草をした。
とたん、ぶわりと、大和のこめかみに汗が浮く。
ヨレヨレになるまで握りしめたシャツの裾を、その人の手の甲が何度か往復するのを眺める。
ぐっと伸ばされても完全には消えなかった皺。
「あんたのも直してやる」
「いいよ、俺のは。……呼んでるぜ。戻ろう」
「直す」
「陸ー! オレらもうちょいかかるからー!」
「何か手伝おうか? どこにいるのー?」
「平気! 埃っぽくねえとこ行ってろー」
三月は陸に叫び返して、なおもシャツから手を引かない。大和が分かりやすいため息をつき、三月の手首から手を離す。
三月の手が、しつこくしつこくシワを伸ばそうとするのを、二人を探すメンバーの声を遠くに聞きながら、大和は見ていた。
「返す」と「汗」をテーマに書きました。汗だく、はアイドル二階堂大和にとって原点となるキーワードだと思っています。引き返しも、取り返しもできない過去を過去にして、前向いてやってく二人だから、きっと自分の思いにも相手の思いにもしばらくは気づかないフリをするんだと思います。四部の頃にはそれもひっくるめて全部オレたち! って開き直った前向き思考になっててそれもまた大好きです!
夏の、うれし恥ずかし付き合いたて、を書きたかったんですが、二人は外的な要因がないと好きを言葉にしなさそうだったので、付き合う付き合わないが微妙な推しカプになってしまいました。自分の愛する力を信じてない頃の大和さんと、アイドルに一直線でいようとする三月さんが、大喧嘩をして仲直りをしてくれたこと、本当にありがたいです……。
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⚠️二次創作 1部のミツヤマ しっとり原稿
初公開日: 2020年04月12日
最終更新日: 2020年04月12日
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1部のミツヤマ原稿を書いています。