『凄腕の錬金術師 4』
ムスーラの家に椅子は二つしかない。
調理している間に、リリアが部屋の隅に積んであった木箱を移動させて、とりあえず全員がテーブルを囲んで席へつけるように準備をしてくれていた。無詠唱で念動の魔法を使ったのに驚いて、フライパンをひっくり返しそうになったのは秘密である。
そして今、ムスーラたちが囲むテーブルの上には、ほかほかと湯気を上げる苦緑草とクリームチーズのパスタがあった。悪魔の指示は的確で、魔法を使った調理など行ったことのないムスーラでも、まともな料理が作れていた。むしろ、自分ひとりで作るご飯よりもかなりおいしそうだ。
食材だけでなく、食器まで持ち歩いているあたり、きっとこの悪魔は本当に食べることが好きなのだろう。
「及第点と言ったところだな」
「美味しいかどうかは、食べてみないと分かりませんけれど……」
とりあえずの合格を言い渡してくる悪魔に、ムスーラはおずおずと答えた。
「いや、分かる。我の指示を過つことなくこなしたのだからな」
悪魔はそう言って、リリアの肩口から立ち上る影をゆらりと動かした。
「姉御殿の言は正しい。錬金術師の基本にして、得難い才だ」
「そうでしょう、ムスーラさんはすごいんですよ」
「それより、冷める前に食べようよ。ミル姉さま」
リリアの視線はすでにパスタに釘付けとなっている。実のところ、ムスーラもリリアの意見に賛成だった。数日振りのまともな食事を前にしてお預けを食らうのは非常につらい。
「もう、リリア。いけませんよ。ムスーラさんが依頼するに足る錬金術師かどうかを、侯爵に見定めてもらうための試験でもあるのですから」
「そういえばそういう話だったな。構わんぞ。この者なら少なくとも素材を無駄にすることはあるまい」
悪魔が当初の目的を忘れていたかのようなことを言う。
いや、あるいは悪魔の目的はリリアと同じだったのかもしれない。腹を鳴らしたムスーラへ高級な蜂蜜飴を勧めてくれた少女と、試験にかこつけて夕飯を食べさせようとする悪魔。そんな二人が契約を結んでいるのだとしたら、それは悪魔憑きという言葉とは裏腹に、とても優しい関係であるような気がした。
「はい。侯爵も納得していただけたようですし、改めて」
ミルルが指を組んで目を閉じた。リリアがそれに倣ったのを見て、ムスーラも慌てて指を組む。
「神よ。今日の恵みを感謝いたします」
「侯爵にも感謝いたします」
略式の祈りと、悪魔への感謝が並ぶ。教会の人間が見れば噴飯ものなのだろうが、この姉妹は食前の祈りをこうして行うことに随分と慣れているようだった。
神と並べられたことに、悪魔は文句をつけなくていいのだろうか、とムスーラがずれた心配をしてしまうくらいには。
「おいしい!」
パスタを口に運んだリリアが顔をほころばせる。
ムスーラも一口たべて、目を丸くした。チーズとクリームのソースが絡んだパスタは濃厚な味わいに反して、どこかつるりとした食感をしている。これまでは茹ですぎてでろでろになったパスタばかりを食べていたのだと、ムスーラは初めて知った。
これを自分が作っただなんて、にわかには信じられない。
「うむ。やはりベーコンはケチらず、やや厚めに切った方が食べ応えがあるな」
どうやって食べているのか分からないが、影の中へパスタが吸い込まれていくと、悪魔からも感想が返ってきた。目を凝らしても見通すことのできない真っ暗な闇の奥に悪魔がいるのか。それとも、悪魔が住むという魔界へ通じる門であるのだろうか。
「苦緑草がいいですね。眠気覚ましのお茶にするくらいしかいただき方を知らなかったのですが。ハーブとしては香りが弱めなところが、こうすると活きてくるのですね」
「私はもう少し苦くないのも好きだな」
リリアは見た目通り、まだ舌が子供なところもあるのだろう。
「苦緑草の代わりに卵を入れてもよいぞ。ただしこちらは冷めると激烈にまずくなるので気を付けるように」
悪魔が別の調理法を上げる。その味を想像したのか、リリアが目を輝かせた。しかし、数秒考えて首を傾げる。
「侯爵。おいしそうだけど、お野菜が足りないと思う。黄甘瓜とか煮崩れないように炒めてから入れるのだと駄目かな」
「その指摘は正しい。だが黄甘瓜だけでは味がぼやけるな。丸葱も合わせるとよかろう。あれは火を通せば苦味が飛ぶのでな。お子様のリリア好みの味になる」
優しげな声音。ムスーラの中にあった悪魔のイメージがどんどんと崩れていく。
「お子様じゃな……うー、今度、それを作って、おいしいって言ったら侯爵の負け」
「あら、今回は侯爵が負けそうですね」
お子様じゃないと言っているうちは子供だ、と何度か言われたことがあるのだろう。リリアは反射的に出かけた言葉をこらえて、切り返していた。
「分が悪そうだな。ふむ、我が負けたらデザートにチョコレートを出してやろう」
「チョコ! やったー!」
「負けたらだと言っているのが聞こえんのか。せいぜい旨い飯を作れ」
もう勝った気になって、両手を上げて歓声を上げるリリアは、やはりまだまだ子供のように見えた。