杉元は絶句していた。ただ茫然と立ち尽くすだけで、先ほどからたっぷり二分は玄関から一歩も動かないでいる。
「なんだよ、遠慮すんなよ。上がれ」
声をかけると、はっとしてから、杉元が俺を睨んだ。いや、睨んだというよりも、不気味なものをみるかのような目、どこか憐みの色も含んだ目で俺を見た。
「お前、マジで言ってんの」
「何が」
「本当にお前ここに住んでんの?」
「そうだ」
「……こんなん、テレビでしか見たことないんだけど」
「ははぁ、珍しいもんが見れてよかったな」
「全っ然、嬉しくねぇ、つーか、人生でかかわりたくなかった」
「てめぇがしばらく泊めてくれって言ったんだろ? 嫌ならいいぜ。さっさと帰れよ」
杉元は顔を赤くしたり青くしたりしながら、最終的には、自分を鼓舞するようにでかい声で「おじゃまします!」と叫んでから俺の部屋へと上がった。
「てめぇ、土足で上がってんじゃねぇ」
「ふざけんなよ! こんな汚部屋、靴下で上がれるか!」
生まれ変わって、前世で死ぬほど嫌いだった男は、まさかの汚部屋の住人だった。しばらく泊めろと言う俺に提示してきた尾形の条件はシンプルだった。
「泊ってる間の家事を全部やること」
非常にシンプルで簡単なことを言い出すから、何か裏があるだろうと思ったが、まさか汚部屋とは思わなかった。前世で常に銃の手入れをする、どこか神経質そうな手つきを思い出す。見た目は普通の、いや、普通よりも少し見た目に気を使っているサラリーマン。むしろ潔癖なんじゃないかとも思わせる様なところすらある。それがまさか、玄関開けた瞬間から、吐き気を催すような臭気。山積みのパンパンのごみ袋。台所にはビールの空き缶がずらっと並んで、廊下には脱ぎ散らかした靴下やワイシャツ、チラシなどの郵便物。それが部屋の中まで続いている。足の踏み場もないとはまさにこのこと。尾形はまだぶちぶち言っているが、靴下でなんて歩けるか。部屋を覗いてさらに絶句した。間取りは1DK。ダイニングがそこそこ広くて、奥の部屋は寝室として使えるようなタイプの、東京23区の独り暮らしにしては贅沢な間取りだ。しかし、ダイニングも寝室も、完全なごみの山。いったいこいつはどこで寝てるていうんだ。
「そこ」
俺の考えを呼んだのか、尾形が部屋の一角を指さす。たしかに、人型にスペースが開いていて、そこにブランケットのようなものがぐちゃっと置かれている。周りに積まれたごみからは異臭がする。床にはカップラーメンの容器にコンビニ弁当の容器があって、500ミリペットボトルのラベルはよくみる天然水の印字がされているが、中身は何とも表現のしがたい色をしている。
「……家事って」
「掃除洗濯だけでいいぞ」
「いや、嘘だろ、これ、業者いるレベルっていうか、ほんとにお前、ここで暮らしてんの?」
「……まぁ、最近ビジホが多いけどな」
ふざけんなよクソ尾形。
「っていうか、この時間からじゃ掃除なんてできねぇだろ」
もう夜だ。さすがに近所迷惑だろう。
「明日からでいい」
「いや、なんで決定事項なんだ」
「断るなんて選択肢お前にあるのかよ」
尾形がにやにやと笑っている。そうなのだ、俺にはその選択しがない。正直なところ、寝る場所だけなら、尾形の部屋より公園の方がましだ。河川敷でもいい。凍死するような季節じゃない。でも、やっぱりクソ尾形はクソ尾形だ。白石やアシリパさんのことをちらつかせてきやがった。そうであれば、尾形から二人のことを聞き出すまでは俺は尾形の元を離れられないし、さらにいえば尾形に逆らえない。それに――
「あ、ってか、俺今日どこで寝りゃいいんだよ」
「好きなとこ使えよ」
「……どこ」
どう見たって人間の居住空間なんて見当たらない。
一夜明けた。尾形は本当に、自分で指さした人型のスペースに収まって寝て、これまた水垢でぎとぎとの洗面所で顔を洗って歯磨きして、出勤していった。
「お前、そんなくせぇ状態で会社なんて行ったら、あれだ、スメハラだろ」
「馬鹿か、お前は」
「あ!?」
「途中でクリーニング屋によってスーツに着替えるんだよ」
いや分かるわけなくない? という言葉は飲み込んだ。今朝の会話はこの程度。尾形からはこの部屋にはごみしかないから全部捨てていいとしか言われていない。だったら全部ちゃんと捨てろよ。ゴミの曜日なんて尾形に聞いても分からないから、自分で調べた。明日は嬉しいことに燃えるゴミの日。しかもここはそこまで分別が細かくないようでかなりの量が燃えるゴミとして出せそうだった。いや、この量を出していいのか? まぁ、怒られるのはおれじゃぁない。
「なんだよ、全然片付いてねぇじゃねぇか」
怒る気力もなかった。ほとんどぶっ通しでごみを出し続けた。尾形のマンションのごみ置き場は、俺が今日運んだゴミでほぼいっぱいになっていた。それでもまだこの部屋にはごみがある。あんなに大量にごみを出したのに、ちっとも減った気がしない。反応のない俺を見て、尾形は髪を撫でつけるしぐさをしてから、飯でも食うかとつぶやいた。
「なんでもいいけど、ゴミ増やさないでくれる」
「ここでは食わねぇよ」
そういった尾形に連れていかれたのは、駅近くのチェーンの牛丼屋だった。
「……もっとましなもん食わせろよ」
「牛丼屋に喧嘩売ってんじゃねぇよ」
「牛丼屋には売ってねぇよ」
尾形のおごりだというから(それは当然だと思う)、牛丼大盛にチーズ載せてサラダつけて豚汁もつけてやった。