目の細かい網を腰につけ、てっくらてっくら歩く●の後ろをゆるり進む。細っこい手足がひなひなと揺れるに、やあ転ばぬか、やあ着物を何処かに掛けぬかと大変気ぜわしない。来て然程も経たぬが、刑部は既に疲れ始めていた。
ぐるりを川に囲まれたここは厳密に言えば砂州である。しかしあまりに巨大なので、野原といっても差し支えなかった。遥か彼方の海から吹いた風が苛烈な塩を行く先々でふるい落とし、川を溯り、こうして背の低い草を靡かせる。若葉色の海原がきらきらと波打つ。過ぎ去る風は背後に連なる山脈にぶつかり、砕けて天へ昇るのだろう。
「まだぁ?」
「もう幾ばくもない。…そら…見えたァ」
「どこぉ?」
疎らに佇む木のあたりに、こんもりと茂った緑がいくつか。示した指の先に走って行った●は果たしてきちんと見つけられているのか。この辺りは野ばらも生えている。足などちっくり刺されねばよいが。
「…?」
「やはりわからぬか。ほれ、先に蕾がついておろ」
「でも黄色くないよ」
「もう三日もすれば色もつく」
これは梅より少し遅れて咲く初春の花。早朝の蒼い空気に玉菜に似た香りが混じる。まだ蕾も膨らみきらぬ──
「ほんとにこれ菜の花?」
「左様」
「苦くない?」
「…ものによる。上手く選べば蕗薹と同程度といったところよな」
「じゃあ大丈夫だ」
この歳の幼子は蕗薹の苦味も嫌がって口にせぬが…まあ食わぬよりよいか。
独りごちて視線を戻すと、何やら悪戦苦闘している。随分根元から千切ろうとしているようで、朝露で瑞々しくふくれたであろう茎はぐちゃりと潰れていた。このままでは根まで掘り起こさんばかりの形相である。それはそれで面白いが、食えぬ部位ばかりで網を占めても詮なし…
「先から三寸までよ」
「んえ?」
「そこから下は固くて噛めぬ。葉の付け根に指を添えて折るように…」
「…??」
「あなや…」
先から三寸と言ったそばから株の根元に手を突っ込む●に目眩がする。葉の付け根と根元の区別もつかぬ幼子に刑部の七面倒な言い回しは相性が悪すぎたのだろう。そこからどんなに言葉を重ねても、●は頓珍漢なところを握ったり引っ張ったりでなかなか進歩がなかった。しまいに口をとんがらせて、むちゃむちゃになった茎をぺしょんと投げ捨てる。
「…わかんないよ、わかんない!」
「だからな、●…」
「刑部がやってみせてよ!」
途端、今まで根気よく言い含めていた刑部がぴたりと黙った。この男、おべんちゃらと共に生まれ、◎◎と共に生き、◎◎と共に死ぬような饒舌の擬人化であるが、時折こうして石のように沈黙する。それは決まってわかりづらい地雷を踏み抜かれた時であった。流石に何かを察した●も駄々を止める。早朝の空気だけではない静けさと寒さが辺りに満ちた。