いつからだろうか。あの柔らかな笑顔が好きになったのは。いつからだろうか。彼女が愛おしくなったのは。この感情は、膝丸には重すぎて大きすぎて、どうにかなってしまいそうなぐらい甘かった。理性が溶け落ちてしまいそうな程に。
「膝丸さん」
背後から弾んだ声が膝丸を呼び止める。
前に彼女から教えてもらった本丸IDを打ち込む。ゲートが開いてから直ぐに門へ飛び込んだ。数時間待たせてしまったが、或いは……、、
「やあ、遅かったじゃないの」
膝丸を出迎えたのは彼女の声では無かった。
彼女の本丸の髭切である。玄関に背を預けながらにこにこと微笑んでいるが目の奥に光は見られなかった。威圧的な空気が重たく肩にのしかかる。
「あのね、僕はあの子が幸せならと思って黙ってたんだけど………主を傷つけるなら君には渡さないよ」
鋭い眼光が膝丸を射抜く。
多くの髭切は自分の本丸の弟で無くても何かしらの名前で呼びかける。自本丸の弟のように接する。膝丸もまた例外では無かった。
最早名前すら呼んでもらえないのか、突きつけられた事実が体を貫いた。「君」に乗せた氷の刃は膝丸の柔い場所を深く抉ってきた。そして留めの正論である、痛い所を突かれて何も言えない。
「……申し訳なく思っている」
「駄目だよ、口先だけじゃ。彼女を一番優先するって言えなきゃ駄目だ」
いつの間にか髭切の顔から笑顔が消えている。冷徹な視線を浴びながら、膝丸はぎゅうと拳を握り締めた。絶対にそれは出来ない、彼女と自分との間には政府という壁がある。
「……すまない……それは、できない…」
自分が優先すべきは政府の仕事で、疎かにしていれば最悪刀解も有り得る。だって、『代わり』は幾らでもいるのだ。政府の刀剣は特定の主がいない為そういった情は一切通用しない。使えなくなったら終わりだ。彼女に会う事も叶わなくなるだろう。
様々な葛藤が頭を駆け巡る。嗚呼、鬱陶しい、悔しい。両の手を持ってしても、自分は愛しい女も自由にかき抱けないのだ。
俯いて押し黙る膝丸を見つめても、髭切は何ら表情を変えずに腕を組んだ。
「……まあいいけど、このまま対応が変わらないなら本当に僕が奪っちゃうからね」
「………せめて、彼女に謝罪する事を許してはくれないだろうか、」
ガン、
膝丸が言い終わるか終わらないかのうちに、鈍い音が聞こえた。顔を上げてみると、髭切が妨害するように玄関の壁に足を上げている。
「…どの面下げて謝れると思ってるの。今日はもう帰った方がいいよ」
「しかし、」
「無理に通ろうとするなら最悪斬っちゃうよ」
硬く冷たい声色が、髭切の覚悟や本気を乗せて鼓膜を鋭く抉る。耳を塞ぎたくなる程の圧だった。
「あのね、彼女は人間なんだよ。僕たちよりずっと、ずうっと柔くて優しい心を持ってる。道具の僕たちには計り知れないほど、暖かい心を持ってる。お前は何だ」
すっかり雰囲気に呑まれていた膝丸は、突然突きつけられた質問にたじろぎながら答えた。
「俺は、刀剣男士だ。刀だ」
「守るべきものを守れる力があるのが僕たちだ。傷つけることだって出来るのが僕たちだ。意味をゆっくり考えてから出直してこい。覚悟が決まるまで彼女には合わせない。もしまた中途半端な真似をしたら、」
髭切は、いつの間にか刀に添えてあった指をつかに引っ掛ける。
「僕がお前を折る」
気迫にひゅうと喉が鳴る。思わず後退りする。髭切は、気迫はそのまま、その琥珀の双眼を煌めかせながら、こう告げた。
「人の子は、すぐ死ぬよ」
「何処か上の空だねえ」
取り立てて急ぎの任務もないので、ベンチに茫然自失と座っていると、穏やかな声が降ってきた。
「あに、……髭切殿」
「なんだか浮かない顔をしているよ?」
「そうだろうか」
兄者、と呼びかけて内心で舌打ちをする。普段ならば絶対に呼び間違えはしないのに。そもそもの話、膝丸に「兄者」は存在しなかった。いつでも切り捨てられるように、情が湧かないように、政府所属の刀達は兄弟と呼べる個体を持つ事は許されていない。だから、彼女の本丸の髭切が、彼だけが唯一兄者と呼べる刀だったから、今日のやりとりはなお胸に応えた。
『人の子はすぐ死ぬよ』
そればっかりが頭の中をぐるぐると駆け巡って、終いには彼女の死装束までもが頭をチラつき始める。
髭切はいまいち要領の得ない答え方をする膝丸を見てう〜んと眉根を寄せてみる。
「僕は君の兄じゃないけど、それでも弟が暗い顔をしているのは嫌だなあ」
ここで初めて膝丸が顔を上げた。
「そういうものなのだろうか」
「う〜ん、必ずしもとは言えないけど、僕たちはみぃ〜んな弟を大切に思っているはずだよ。同じ本丸に顕現してなくてもさ。たった一振の大事な弟だもの」
「実は、担当している本丸の髭切殿と少々拗れてしまってな」
本音をこぼしてしまえば少々どころではないのだが。
カット
Latest / 1,606:36
カットモードOFF
文字サイズ
向き
チャットコメント通知
政府所属膝丸くんのお話
初公開日: 2020年04月02日
最終更新日: 2020年04月04日
ブックマーク
スキ!
コメント