それはほんの出来心。幼子のいたずらと一緒。
張り替えたての障子紙の、ざらり、紙の目を撫でて。まっさらだからこそ沸くその感情。
俺はもう子供ではないから、許される。そもそも貼ったのは自分だ。言い訳も要らない。欲望を満たした後、また障子紙を持ってこればいいだけだ。
短く切り揃えた少し黄ばんだ爪の先。引っ掛けば楮の毛羽が立ち、紙の面に音が響く。指先の湿り気でたわんだ。周囲の木枠に掴まれたまま限界まで、それは緊張し。決して柔軟ではないから、破裂、するように穴があいた。いや、俺があけた。指の太さと同じ円を覗けば、そこからは春の宵。月光は柔らかく。しかし、室内の燭台のあかりとは異なり、それは冷たく冴えていて。地に届くまでに熱を含んでしまうのだろうか。地上を照らす光よりずっと、天にある光源は鋭く、あの星はきっと凍っているに違いない。
いたずらを咎められる前に、ああ、これでいいか、と文机の上の紙切れを手に取る。抽斗から鋏を取り線を引くこともしないで、たどたどしく思い描く形に切り抜く。歪な五枚の花弁。元より細かな細工は不得手だ。こういうのは彼奴の方が上手い。台所のお櫃から米粒を二、三。潰して擦りつけ、穴を桜の花で覆う。中心だけ薄く透けて陰影が付く。悪くないと思う。
ふと、人影が向こう側に。廊下で足音など響かせず気がつけば近くに居る。開けてやろうかと、取手に指をかければ、先に咲いたばかりの桜に紅葉の影。もう見慣れた彼の手のひら。戸を滑らせるその一瞬が惜しくて、だのに、直したばかりの障子紙は惜しくない。今度は花の付いたひと枠を、派手に破いてその手を掴みに行った。すぐ側にあったはずの手はひらりと逃げて、俺は空を掴んだ。小さく舌打ちをして障子を開け放てば、思った通りほくそ笑む奴の顔があった。
ちょうど良い明り取りができた。燭台の火を吹いて消し、部屋は月明かりだけ。しばらく、目さえ慣れれば二人の姿形など、昼間よりずっとはっきりと見えた。待てが出来ない野郎だなどと、あざ笑う癖に自ら帯を解く。浴衣の下には何も付けておらず、湯上がりの火照った肌がぼうと白く光った。
教えてやる、と指差してもう分かりきった芝居。喉元から順に俺の手を取り導く。
ここが臥龍山、谷に沿って降りれば左右に一つづつ島がある。
なだらかな丘が左右に三つ、中央の真っ直ぐな道を寄り道しながら降りていく。
一つひとつ確かに存在することを、見せられ触れさせられ教え込まれる。
もう忘れることなど疾うに出来なくなって居るのに。
ここが給水塔、下にぶら下がるのが水道局。奥に井戸。杉元、ここにつるべを落とせ。奥まで桶を落とし、引き上げる。これまで幾度もしてきたように。これからも幾度。
沈ませ絡め、ここに確と現前する地図をその指で辿れ。
そう、ここが獣道、樹海。もう戻っては来れまい。
爪で残す引っかき傷で目印を刻み、どうか身体を這った指先の熱を忘れないように。
痛みは熱さに、血の筋は傷跡に。治る前にまたその瘡蓋を剥がしてやる。
薄れゆく印など要らないから、どうか、お前の手でこの肌を焦がして欲しい。