匂い起こせよ梅の花
 高は怒っていた。それはもう滅茶苦茶に。怒りに任せて歩くうちにいつのまにか梅林の中にいた。天に向かって真っ直ぐに伸びる枝に咲いた梅の花。その甘やかな香りに釣られて上を向いたまま歩く。頭上の花の赤と空の青。梅の香に酔う。
 ふと、視線に気付いた。人がいたのかと梅林を見渡す。
「誰だ」
 誰何する声にも動じず嬉しそうに笑っている。
「阿選様」
 呼ばれた方へ目を向けると腰に剣を佩いた武人の男がいた。
「この梅の花たちが魅せるひと時の夢ということにいたしましょう」
「愉快な男だなお前は」
 柔らかく笑う男の視線になんだか照れ臭くなってその膝を枕にして寝転ぶ。母がいつもしてくれるように。
「美しいおぐしですね」
 高は得意になった。
「そうだろう。阿母は鍛えた鋼のような色をした髪で腰まである。俺の髪も少し違うけどあんな風に伸ばしてる途中なんだ」
 肩甲骨程までの長さを結うのは父に貰った赤い髪紐だ。伸びた髪にいつもは厳しい顔を緩めて笑う父の目も赤い。
「梅の香りがしますね」
 友尚はなぜか嬉しそうに高の髪を梳る。
「梅の精かと思いました」
「人間だ。お前は仙だろう」
 男は外見こそ若く見えたが高を見つめる視線は万事を分かりきった老爺のようだった。
「あなたは仙ではないのですか」
「俺は……阿父が…仙籍にいれてくれないので」
「どうか友尚とお呼びください。敬語もおやめになって」
 そんなことを言ってヘンな男だと思ったが花の香に気分が高揚していたからかそれが当然だというような気がした。でも
「阿母は行儀に厳しい人だから怒るかもしれない」
「厳しい方なのですか」
「ああ。でも俺が泣いてしまうと優しく抱いてくれる。もう違うけど」
「何があったのです」
 言葉は喉で引っかかって詰まった。
「阿母は母じゃないと、阿父も父ではないと言われた。わからなくなってここまできた」
 口を噤む。顔が熱い。
「怒っているのですか」
 怒りではない、これは───
「悲しいんだ」
 腕で顔を隠す。情け無い顔を友尚に見せたくなかった。
「子どもは二親が里木に願って生まれてくるものだろう」
 子を想って二親が帯に針を刺し模様を形作る。その話を寝物語に聞いた夜。
「でも俺は選ばれたわけじゃないんだ」
 夢で優しく笑う阿母といつも厳しい顔が柔らかくなる阿父が帯に針を刺す様子を
「それがひどく悲しい」
「阿母も阿父もいつも笑ってたけど本当は俺のことを好きじゃないかもしれな
「どこからかもらわれてきた子どもだったんだ」
 だから阿父は厳しい顔をするし阿母は時々ひどく悲しそうな顔をする。
「もう帰れない」
 歩いて
***
 また怒りが湧いてきたがそれをこの男には見せたくなくて話題を変えた。
「さっき、阿選様と俺を呼んだがそれは誰だ?」
「大切な方です」
「選ばれた方」
 高の手に『選』と指で書いた。その手は柔和な笑みを浮かべる顔とは違い硬い。幾度も肉刺の潰れた痕がある。剣を振るい人を斬る武人の手。慈しむような視線を向けてくれるその底には深い闇がある。友尚もまた父のように人を手にかけたことがあるのだろう。苦しみを耐えるように高の手ごと握る。
「あの方にもこんな梅林で陽光の下で笑っていていただきたかったのに」
 膝に頭を載せている高の頬に雫が落ちた。百も年上のような顔をしていたのに今はずっと年下の幼子みたいな顔をして泣くので困った。友尚が泣くのは見たくない。だがそれと同時に泣いてるなら慰めてやろうと思えた。起き上がって頭を胸に抱え込む。優しく頭を撫でてやる。
「良くやった。友尚」
 涙は止まらない。
「お前は何も悪くない。
 声をかけ撫でてやっても泣き止まない。
  
***
「阿選様は相手が貴方を想ってくれないのならその人を嫌いになるのですか」
 こちらを見てくれない人を好きでいるほど辛いことはない。そんな子どものようなことを言いたくなくて反対に問うた。 
「友尚は」
「私は……嫌いになろうとしても無理でした。どんな仕打ちを受けてもただ直向きにあの方を思い続けます」
「本当に」
「100年経っても思い続けるでしょう」
「これ程までに思われている者が羨ましいな」
「阿選様は私をそうやって弄ぶのですね」
「本当だ。ずっと友尚と一緒にいられたらいいのに」
「いけません」
「ご心配なさっていますよ」
「でも友尚をここに置いて行くわけにはいかない」
「私はお待ちしてます。ずっと」
「100年待つか」
「阿選様がいらしてくれるとお約束いただけるなら」
 
***
また会いましょう
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