やったああああ!! 暗黒SFだああああ!!
 というわけでふとしたきっかけから知った「ポーランド暗黒SF〈文明の終焉4部作〉」。暗黒SFを主要な栄養源としているわたくし人形使いとしてはこれはぜひとも見に行かねばということで上映館を探してみたところ、行きつけの映画館では上映していなかったので今回初めて行ってきました第七藝術劇場。
 名前は知ってましたが行ったことはなかったこの劇場、今回はいい機会だということで行ってみることに。
 劇場は第七藝術劇場とシアターセブンのそれぞれ単館に分かれており、今回行ってきたのは第七藝術劇場の方。
 入ってみるとシネコンとはまた異なる、一種のアングラ感漂う空間。わたくし人形使いはぜんぜん行ったことがないんですがどちらかというと映画館というよりライブハウスといった印象。中には古本屋「海月文庫」の古本販売コーナーがありました。本棚を見ると思わず駆け寄ってしまうのでさっそく物色。新書や文庫に混じって昔の漫画などもありなかなか見ない品揃えでした。
 今現在通っている映画館とはまた味わいの異なる場所で、上映作品もアート系やかなりマニアックなものが多いようなのでこれからもちょっとチェックしていこうと思います。
 そして今回見てきたのはこの作品!
 本作は前述の「ポーランド暗黒SF〈文明の終焉4部作〉」のうちの一作。ポーランドの映画監督ピョトル・シュルキンによるこれら4作、公式サイトによれば本国では一時上映禁止、ヨーロッパ最大のヨーロッパ最大のSF・ファンタジー・ホラーの祭典ユーロコンにて最優秀SF映画監督賞を受賞したにも関わらず作品はポーランド国外では知られることなく監督は2018年に死亡したとのこと。
 ディストピアSFといえばすっかりフィクションのいちジャンルとして定着、あるいは定型化した感があります。しかし本作からは、このディストピアという概念がフィクションとなる前の、いわば生(き)の状態の、現実に存在したディストピア、言い換えれば未来社会への絶望を感じることが出来ました。
 舞台は1941年。核戦争の影響で人口が大きく減少した社会では、減少した人口を補填するためにクローン人間を製造しているという噂がまことしやかに流布されていました。
 主人公ペルナートは、身に覚えのない殺人事件の容疑をかけられ取り調べを受けます。しかし彼には身に覚えがないどころか、自分の隣人もそれまでの生活も人生も思い出すことができません。かろうじて金属加工職人として働いていたという記憶だけを取り戻した彼は、同じアパートに住む奇妙な住人たちと出会いながら、錯乱したかのような世界を彷徨います。
 いっぽうで、どこかの研究所で科学者たちがペルナートを監視していました。彼は実はクローン人間で、その「原型」となった人物はすでに死亡している様子。科学者たちは「原型」なきあとのクローン人間であるペルナートの処遇について話し合います。「自分の過去」という自信の根拠のないクローン人間であるペルナートは、この閉鎖的な社会でなにを見出すのか。
 70~80年代の全体主義制度真っ只中で制作されたという本作、まず感じたのは「社会という全体の中への個人という個の没落」でしょうか。
 かつては「人の命は地球よりも重い」なんてフレーズがもてはやされたこともありましたが、本作の中におけるペルナートは、地球どころか社会どころかアパートとその周辺というごく限定された範囲から出ることもできない、「個」としての主張が不可能になった状態に見えました。
 このテの作品におけるアパート、集合住宅はしばしば縮小された、戯画化された社会として描写されます。アパートの住人たちはだれもが人間としての背景を持った人物というよりは、各々のパブリックイメージの擬人化であるように感じられました。特に売春婦のロジーナや人形修理店のミリアムといった女性キャラはそれぞれ「(軽薄で浅学な女性ではなく)女性の軽薄さと浅学さ」「(純粋でか弱い女性ではなく)女性の純粋さとか弱さ」そのものでしょう。
 本作に登場するキャラクターは、全員がこのようになんらかのパブリックイメージの擬人化、あるいは社会という全体におけるさまざまな人間の「役割」あるいは「属性」そのものであり、意図的にそれぞれの背景=人生を抱えた個人としては描写されていないと感じました。
 では、主人公たるペルナートはどうかというと「社会での役割、属性、ポジションを喪失した個人」という気がしました。文字通り居場所がない。
 まず周囲との関係性がない=社会との接点がないのでアパートという縮小された社会の中では彼の役割が存在しない。なので、「キャラは持たないものを求める」という作劇的走性によって彼は関係性を獲得しようと住人たちと交流を試みますが、彼ら彼女らはすでにこの閉鎖的社会の舞台装置となっておりペルナートはこの社会における居場所を獲得できず、さりとてこの社会から脱出することもできない。
 結局彼はアパートの周囲を巡回しているヘッタクソな楽隊の中に紛れ込み、プロパガンダを垂れ流すテレビの中では彼の管理番号が描かれたカードを持った彼そっくりの政治家がクローン人間生産が虚偽であることを声高に訴える……というラストは、まさにペルナートという個人が社会という全体に飲み込まれてしまったことを示すものだと思いました。
 あと、本作が制作された年代を考えると、新聞とテレビというふたつのメディアの扱われ方も注目に値すると思います。
 冒頭で覚醒したペルナートの口に突っ込まれる新聞紙、がらんどうで観客のいないはずのライブステージを観客で埋め尽くされたライブとして放送しているテレビモニタ。口封じと欺瞞を行う装置としてのメディアの描写ですよねこれ。特に後者は「欺瞞装置としてテレビ」を端的に表していると感じました。
 残り3作も楽しみ!
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第七藝術劇場「ゴーレム」見てきました!
初公開日: 2026年03月14日
最終更新日: 2026年03月14日
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