1週間限定の作品は警戒度が高いのでさっさと見に行くようにしてますが、それ以外の作品はどうしても後回しになって気がつけば上映終了となってしまうのがいつものこと。なので今日も滑り込みです。
というわけで今日見てきたのはこれ!
これまた予告で気になり、心の妖怪アンテナが反応したので見に行こうと決めてたんですが、公開当時は気がついたら上映が終了。しかし映画見逃しの民の救いの地であるサンサン劇場で上映されるということでそっちで見に行くことに。
アメリカの田舎に住む青年・キリアンは、祖父の介護をする傍らでボディビルで雑誌の表紙を飾ることを目標に日や過酷なトレーニングを続けていました。しかし彼は友人も恋人もなく孤独な生活を送っており、その精神状態も健康的とは言えない状況でした。
ボディビル大会での成績は振るわず、トレーニングを配信しても心無いコメントが募るばかり。そして彼自身もさまざまな問題行動を引き起こすようになっていきます。精神の均衡を失ったキリアンは、最終的に銃を手にして――。
「ボディビルダー版ジョーカー」と評されている本作ですが、わたくし人形使いは「幸せの青い鳥」を連想しました。文字通り取り返しのつかない破滅への引き金を引くか引かないかの決断のあとのあのラストシーンは、キリアンが青い鳥を見つけたってエンドだったんじゃないですかね。
本作の主人公キリアンは孤独で空虚な青年。ボディビルで雑誌の表紙を飾るという目標はあるものの、前述の通り恋人も友人もいない、そもそも外的な人間関係がないに等しい。憧れのボディビルダーへの手紙は一方通行で職場でも浮いている。彼にとっては帰属集団がない。
対して彼の内面は「内面化された他人」でいっぱいなんですよね。コンテストで彼を落選させた審査員への恨み、人気絶頂のボディビルダーへの偏執的な憧れ。キリアンはこれら内面化された他人への感情に支配されている。
そもそも彼の自我それ自体が希薄というか、おそらくコンテストでの落選がきっかけで彼は自信と自尊心を失ったんでしょうね。その失った自信と自尊心を補填するために、キリアンは延々と憧れのボディビルダーの記録映像を見続け、彼を内面化しようとする。彼と同化しようとしていると言ってもいいでしょう。
キリアンは見ていて明らかに自我が表に出てきていないし、出たら出たでそれはデートのシーンでの場にふさわしくない唐突な自己開示や衝動的・感情的な暴力行為としてしか表出しない。自我が正常に機能していないとも言えるでしょうかね。
とにかくキリアンは社会や他者とのコミュニケーションが正常にできていない。外部との関わりが正常にできていない。そんなキリアンが唯一関われる対象が、この世で最も自分に近いものである「自分の肉体」。
しばしば「トレーニングは嘘をつかない」と言われるように、キリアンにとっては自分の肉体だけが過酷なトレーニングというコミュニケーションで唯一関われる相手なんじゃないでしょうか。他人は逃げても自分の肉体は逃げないから。
じゃあ彼は自分の肉体と「正常な」コミュニケーションができているかといえば答えはNO。彼は過剰なトレーニングや食事制限のみならず、ステロイドまで使用しています。彼のトレーニングは自分の目標を叶えるための手段ではなくもはや自傷行為の域に達している。
言葉の真偽はさておき、「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉があります。では、肉体が不健全ならその精神は? その答えは作中後半の彼の破滅的な行動を見れば明らか。
しかし個人的に作中での彼の最も破滅的な行動は、中盤でのカウンセラーにウソをついて、自分の現況は「ぜんぶ上向きだよ」と答えるシーン。あれカウンセラーはもう明らかにキリアンが嘘をついていることをわかっている顔つきで本当に悲しそうなんですよね。でも、カウンセラーとしてそれを指摘することはできない。指摘してしまえばキリアンの崩壊寸前の自尊心が完全に崩壊してしまうから。そしてキリアンを引き止めることもできない。
ここで完全にキリアンの運命は分岐点を過ぎてしまったと思います。仕事とはいえ、彼と関わってくれていたのは祖父を除けばこのカウンセラーだけだったのに。
そしてキリアンは完全にタガが外れ、購入した銃を手にボディビル会場に――。
普通ならここでエンドロールに入るか、そのままキリアンは凶行に及ぶかのどちらかだと思うんですよね。実際キリアンの精神状態はここに来て完全に崩壊してますし。
しかし本作はここでえらく引っ張る。銃弾を撃ち込まれたビルダーが倒れる中で、キリアンが誇らしげにポーズを決めるシーンも、ここで終わるかと思いきや現実か幻覚かわからないまま。
そして最終的にキリアンは――銃とステロイドを捨て、いつも自分のそばにいてくれた祖父を抱きしめる。幸せの青い鳥は、最初から自分のそばにいた、という。
ここ、祖父は一貫してキリアンを止めようとしたり慰めようとしたりしてないのがいい。このシーンはそうではなく、キリアン自身が気づくというのが重要なんですよね。
「肉体は魂の牢獄」とも言いますが、本作ではキリアンは文字通り肉体の鍛錬にこだわりすぎるあまり魂までもその中に囚われてしまっていたと言えます。だからこそ彼は自分の外側に目が行かない。それが顕著に現れているのがデートのシーンでしょう。それが最後の最後で自分の外側に目が行き、自分の側にいた青い鳥を見つけられたと言うあのラスト、すごく良かったです。