気がついたら終映日というパターンをなくしたい。
というわけで今日滑り込みで見てきたのはこれ!
リティク・ローシャン、タイガー・シュロフの2大スターの共演で人気をさらった「WAR ウォー!!」の2作目にして「パターン」「タイガー」シリーズと世界観を共有する一連の作品群「YRF(ヤシュ・ラージ・フィルムズ)スパイ・ユニバース」シリーズの第1作です。
今回はリティク・ローシャンがカビール役で続投するとともに、カビールに対する切り札として選ばれたエージェント・ヴィクラム役としてNTR.Jrが出演しています。約束されしアクション大作ですよ。
前作「WAR」のラストで、「裏切り者」を演じたまま研究分析局・RAWの任務に従事していたカビール。そのカビールも一瞬の油断から謎の組織に捉えられてしまいます。その組織の名は「カリ」。
カリはカビールを仲間として取り込もうと画策し、彼の育ての親であり上官でもあるルトラ大佐の殺害を強要します。カビールは個人よりも国家を、インドを優先する兵士としての義務に基づきルトラ大佐を射殺、カリのメンバーとして迎え入れられます。
一方でルトラ大佐の娘・カヴィヤは父殺しの犯人であるカビールを追う任務に自分も加えるよう熱望しますが、彼女の上司であるコウルは肉親であることを理由にこれを却下。代わりにインド軍の精鋭であるヴィクラムをチームに投入します。
しかし、ヴィクラムもまたカビールと因縁浅からぬ過去を持っているのでした。任務以上にカビールへの復讐を遂げようとするヴィクラム、「裏切り者」のまま国家に仇なす敵と戦い続けるカビール。二人の男の戦いの行き着く先は果たして――。
いやー面白かった! なにが面白かったって上映時間170分のあいだずーーーーーっとアクションアクションアクションアクションのアクションの釣瓶打ちで全然飽きないスクリーンから意識が離れるスキがない。
わたくし人形使いは例によって例のごとく前情報ゼロで見に行ったんですが、上映スタートからいきなり「日本 鎌倉」と来てチャンバラ! ヤクザ! ニンジャ!ですよ。もうこの時点で100点満点中2387579845点出ました。
映画を見る楽しみはたくさんあるんですが、その中の一つが「最初のシーン」です。あらすじや登場人物は予告やトレーラーで知っていても、スクリーンに最初に映るのがなにか、というのはその瞬間が来るまでわかりません。この瞬間が楽しみなんですよね。
しかるに本作はいきなりチャンバラが来たので脳内の小学3年生500億人がスタンディングオベーションですよ。詳しくは後述しますが本シリーズは日本文化へのリスペクトが込められているので、つかみの部分である冒頭シークエンスにチャンバラを出してくれたのが非常に嬉しい。
そしてそこから前述の通り、一切の失速なくストーリーが突き進んでいきます。これ、もちろん映画的な面白さを減衰させないためというのもあるでしょうけど、もしかしたらそれ以上に本作の主役であるカビールとヴィクラムの物語が、一度動き出したら終結するまで止まらない、止めることができないという「後戻りできない感」を観客に味あわせるという効果もあるような気がします。
実際、カビールは本作の冒頭で任務のために上官であるルトラを本当に射殺しています。なのでもう後戻りはできないんですね。そしてヴィクラムとの因縁もまたなかったことにはできない。本作のノンストップな展開は、このふたりの決して途中で止めることができない物語そのものだと言えるんじゃないでしょうか。
本作のメインキャラであるカビールとヴィクラムの対比もよかった。前作での戦いを経て、国家のために「インドのために」という誓いのもと国家のために身を捧げて戦いに身を投じるカビール。対してヴィクラムは、かつてスラム街でカビールと知り合い、同じ少年院で最高の兵士を目指して訓練してきたときから一貫して己のために戦ってきました。このカビールvsヴィクラムの対比は、そのまま「国家という全を取るか、個人という個を取るか」という対比だったと思います。もちろんこの対比は、どちらかが一方的な正解というわけではありません。国家という全体は、個人という個がないと成立し得ず、しかし個人すべてを優先していては国家という全体は成立しない。
この矛盾は、そのままカビールとヴィクラムの行動にも当てはまります。国家に身を捧げ、任務のためには育ての親すら手にかけた「全」の体現者たるカビールはしかし、手にかけた上官の娘であるカヴィヤという個人を守り、自身の個人的なカビールとの因縁と復讐のために行動してきたヴィクラムは、最終的にカビールと同じ道をゆくことを決意する。
本作に限らず、前作「WAR!!」や「パターン」「タイガー」も、その根底にあるのは「インドという国家、社会を守るという大義」に対する問いかけなんじゃないかと感じました。主人公であるカビールがこの大義の体現者であり擬人化であるなら、それに対するハーリドやヴィクラムといった敵対者はその大義への問いかけの体現者であり問いかけの擬人化なんじゃなかろうか。悪の組織であるカリとかはむしろ舞台装置でしかないという。
そう考えると本作に連なる一連のシリーズは、「国家間、組織間の戦争」というよりも一種の問答なのかな、とも思いました。