オタクには上映されれば自動的に見に行ってしまう作品があります。(断定口調)
 というわけで今日見てきたのはこれ!
 説明不要のサイバーパンクの金字塔。1995年制作ということが信じられないほど今見ても新しい作品です。
 当時は「映像化不可能と思われていた」なんてキャッチコピーが着いていたのを覚えています。今のように配信で気軽に見られる環境でもなく、田舎住まいだったのでレンタルビデオ店も映画館もなかったので、月刊ニュータイプの特集記事を食い入るように見てた記憶がありますね。何もかもが懐かしい。
 そんな本作が4Kリマスターで再上映されるということでさっそく見てきました。なんかついこないだイノセンスと一緒に見に行ったばっかりのような気もしますがそんなことは知らん。好きな作品は何回見ても足りんのじゃい。
 そして今回の嬉しい誤算としてパンフレットが再販されてたので即買い。ってえらくでかいなこのパンフ。ざっと中身を見てみましたが、さまざまなシーンについての解説があるようなのでじっくり読んでいきたい。
 さて本編の感想なんですが、本作はまごうことなきSFなんですが、SFでありながら(あるいはだからこそ)オカルトだなあと感じました。「イノセンス」はそれをさらに先鋭化させた感じですかね。
 この作品を見てると、オカルトもSFも行き着くところは同じというか、そもそも出どころが同じなんじゃないかという気がします。
 本作は改めて見ると、SACなどのTVシリーズに比べて、ポリティカルアクションやスペキュレイティブ・フィクションといった側面はごくごく最小限に抑えられているのがわかります。ある意味原作のアイコン的存在であるフチコマも出てきませんしね。
 もう徹底して「自我の在処」「生物と非生物の境界線」「そもそも『存在』とは?」を問い続けて禅問答を繰り返すような内容なんですよね本作。その禅問答の答えがあのラストという。
 今回の鑑賞でもいろいろ感じたことがありますがやはり言語化は難しいですね。なんとか頑張って言語化していきましょう。
 「そもそも『存在』とは?」に関しては、肉体的・物理的実体を伴うものだけにとどまらず、ネットワーク上にアップロードされた情報の集合体として成立してる時点で人間はそれを「存在」として認識(あるいは誤認)するってことなのかなと思いました。人形使いは実態を伴わないプログラムであり、その人形使いと最終的に融合した少佐は「個」としての規格を逸脱してネットに模倣子を撒き散らす「種」となる。そうした意味では本作は肉体的・物理的実体を伴う存在から一段階上の存在にアセンションする話なのかなと思います。
 また「自我の在処」については、現実の世界でもしばしばそうであるように、しばしば本来の人格や記憶が外部に形成されたそれや外部から挿入されたそれに取って代わられてしまうという。今やネットミームとなってしまったあの清掃員のシーン、そしてそれと同じ意味を持つであろう人形使いに操られたハッカーに少佐が語りかけるシーン。ともに「記憶に基づく自我の脆さ」を感じさせるシーンだと感じました。
 「生物と非生物の境界線」に関しては、そうはっきりした境界線が引けるわけでもないですよね。作中で脳を除いた肉体のほぼすべてが義体である少佐やバトーと、ほぼ生身である荒牧課長やトグサはともに人間として扱われてますし。この辺は所謂テセウスの船のパラドクスにも関わってくるとも思いますが、「SAC2025」ではそこからさらに進んでポスト・ヒューマンの領域に踏み込んで、「人間かどうかは生物かどうかとイコールでもない」ってところまで行った感じですかね。
 思いつくままだらだら書いてきましたが、やはり本作に込められた情報量と哲学は圧倒的の一言ですよ。
 ところでこの調子でいっそのこと劇場版攻殻機動隊関連作品を全作上映とかどうですかね。SSSとか非常に攻殻機動隊らしくて好きなんだよな。
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塚口サンサン劇場「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊 4Kリマスター」見てきました!
初公開日: 2025年11月11日
最終更新日: 2025年11月11日
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