見たい映画がたくさんあるので、紅楼夢原稿で本格的に忙しくなる前に早々に見てきました。
というわけで今日見てきたのはこの作品!
いわゆる「リミナルスペースもの」のゲームとして大ヒットした本作がまさかの映画化と聞いた時は、お約束の実写化への不安よりも先に「これはどういうアプローチで映画化するんだろう?」という疑問が出てきました。
こないだの夏コミでお会いしたバロッカー同志のしおのりさんともお話したんですが、映画化するとなるとどうしても特定のキャラクターとストーリーを付随させなくてはいけません。そうなると、面白くなるかどうか以前にそもそも原作であるゲーム版からは大きく変質してしまうのではないか?という疑問が出てくるわけですよ。
そもそもゲーム版には特定のキャラクターは存在しませんしストーリーもありません。「無限ループする地下通路」というシチュエーションそのものが主役です。プレイヤーはそこに迷い込むというシチュエーションを疑似体験することがゲームの主眼であり目的なわけですね。
ですが、そこに明確な主人公となるキャラクターやストーリーを付随させると、必然的に主役であった「無限ループする地下通路」というシチュエーションは背景になってしまいます。そうなると原作のあの独特の不気味さや閉塞感、少しのミスで振り出しに戻ってしまう徒労感などあうまく作中に出てこなくなってしまうんじゃないかと思ったんですね。
結論から言うとこの点は完全に回避されてました。ことによっては原作と同等かそれ以上に閉塞感や孤独感、得体のしれない無限ループというシチュエーションを背景に引っ込めることなく主役として出しつつも、主人公として据えられた二宮和也氏演じる「迷う男」と彼がたどるストーリーをしっかり語ることに成功していました。
料理に例えると、「素材の味を全く殺さずに調理に大成功した作品」と言えるでしょう。
まず言及したいのは冒頭部分のスムーズさ。主人公である「迷う男」が自分が無限ループする地下通路に閉じ込められたことを悟り、ゲームと同じルールに従って異変を探しながら8番出口からの脱出を目指す、という流れに入るまでが早い。
ここで主人公のパニックやもたもたを長々とやってしまってたらその時点で出遅れが発生してたと思うんですよね。なぜなら本作におけるルールはすでに原作ゲームで提示されているので見てる人はほとんどが知っているでしょう。いわば最低限の前提知識なわけです。そんな最低限の前提に入るまでに時間がかかってたら、見てる方は「いやそれはわかってるからさっさと先に進めよ!」と思いますし、限られた尺の無駄遣いにもなってしまいます。これはよくある失敗ポイントだと思うんですが、本作ではそこに過度に尺を割かずに、主人公が早々に8番出口のルールに従って探索を開始したのは大正解だったと言えるでしょう。
また、本作の勝利の鍵のひとつは間違いなくカメラアングルだと思います。
本作は映画なので、ゲームと違って観客がカメラアングルを自由に動かすことはできません。しかし、作品のルールは「異変を見つけなくてはいけない」。なので、観客は自分がカメラアングルを自由に動かせない=異変を確認したいところを自由に見ることができないというもどかしさに終始苦しめられる=楽しめることとなります。このもどかしさが実に心地良い。
特に曲がり角を曲がるところとか、アングルや画角次第ではもっと先や広い範囲をスクリーンに映し出せるはずなのに、おそらくあえて意図的に通路の先や広い範囲がスクリーンに収まらないカメラアングルを多用してたと感じました。特にこの種のシチュエーションでいちばん怖い「曲がり角を曲がるシーン」ではあからさまにもどかしいカメラアングルを使って
そもそもゲーム→他ジャンルへのメディアミックスでは、必然的にインタラクト性が必ず失われてしまいます。作品を手に取る側はプレイヤーではなくなるので、基本的に作品に対する操作や干渉ができなくなるわけですね。多くの場合はここで「原作がゲームであるからこその面白さ」を失ってしまい別物になってしまうか、面白さのキモが抜け落ちてスッカスカになってしまうかというのがお約束。アニメ版ダンガンロンパとかな。
しかし本作はこの点を逆手に取って、「観客がプレイヤーとして干渉できないからこそのもどかしさ」という新しい面白さを提供してくれました。
この「もどかしさ」は主人公である迷う男の行動にも強く感じられます。迷う男は試行錯誤しながら異変を見つけようとしますが、やはり見落としがあって振り出しに戻ってしまうという展開が何度もあります。この「同じ展開が何度もある」というのはふつうなら過剰に繰り返されるとクドい、飽きるといったマイナスポイントになってしまいますが本作はさにあらず。
本作におけるこの繰り返しのもどかしさとそれに対する飽きなさ、これは明らかにゲーム実況を見てるときの楽しみ方ですよ。本作はある意味、迷う男によるゲーム版「8番出口」初見実況プレイであると言えるでしょう。だからこそ既プレイ勢としては「あああーそこに異変あったのに! なんで気付かないの!?」というもどかしさを抱えて楽しむことができました。
本作は実は3幕構成となっており、最初の迷う男パートの次は、8番出口のマスコットキャラクターとも言えるあのおじさんパートである「歩く男」パートが始まります。
ここは原作ゲームでは一切なかったパートであり映画版のオリジナル展開ですね。8番出口に限らず、さまざまな作品がバズり始めるとどこからともなく湧いた考察勢がさまざまな解釈や考察を繰り出すわけですが、このパートはそうした考察や解釈と同じ、いわば「二次創作パート」であると言えます。
あのおじさんもかつてはこの8番出口に迷い込んだ普通の人間であり、通路で見つけた謎の子どもとともに脱出を図っていたのでした。しかし何回繰り返しても8番出口にはたどり着けず、発狂寸前にまで追い詰められたおじさんは最終的にゲーム版にも存在した「偽の8番出口」に向かってしまい、おじさんは8番出口の異変として取り込まれてしまったのでした。
このおじさんパートでは当然おじさんはおらず、かわりに女子高生が同じように歩いてくるんですが、この女子高生もおそらくは……という、まさに無限ループを想起させてくれるパートでした。また、迷う男パートから歩く男パートへの移行がシームレスで、この地下通路では時間の流れすらもおかしくなってる感があって良かったですね。
そして最後の少年パート。迷う男パート、歩く男パートにそれぞれ登場した謎の少年視点のパートです。さらにここに迷う男も合流して、ラストシーンへと進んでいく流れ。
ここはほぼオリジナルに近いドラマパートですね。ここが本作の感想の是非を大きく分ける分水嶺となったでしょう。
迷う男は、本作の冒頭で分かれる予定だった恋人から妊娠を告げられます。しかし男は妊娠した恋人との関係をどうするか、そして子どもをどうするかを決断できないまま、気づけば無限ループする謎の地下通路に閉じ込められてしまいます。
その子どもこそが、謎の少年の正体だったんですね。迷う男は少年とともに8番出口からの脱出を試みますが、突然起こった津波に飲まれてしまいます。男は少年だけでも助けようと必死でもがきますが、やがて彼も水中に没してしまい……。
そこからのドラマパートは直接的には8番出口とは関連しない完全なオリジナル要素です。ここがうまく馴染んでいると感じたかどうかで本作の評価は大きく分かれると思いますが、個人的にはこのドラマパートの塩梅は良かったと思います。
そもそもフィクション、特に映画に、わけてもシチュエーション重視の作品においては、「シチュエーションとキャラクターの心情をうまくシンクロさせられるかどうか」でドラマパートの価値が決定されると思います。ここが剥離してると作品のシチュエーションとは無関係なところでドラマが展開してしまって「いやいやさっきまでの話は何だったの?」ってことになるんですね。甲子園中継を見てたはずなのにその観客の恋愛ドラマにカメラが向いてしまうみたいな。
しかるに本作では、迷う男とその恋人、そしてこれからふたりの間に生まれるであろう子どものドラマをうまい具合に「無限ループする地下通路」というシチュエーションに当てはめていたと思います。
無限ループする地下通路で堂々巡りを繰り返す迷う男の姿は、そのまま恋人との間に子どもができたという事実をどうするか決断できずに延々と迷い続ける男の思考そのものと言えるでしょう。そしてその迷いの中には、当然子どもが生まれたときの幸せな姿もあったはず。事実、津波に飲まれた男は、そのまま浜辺で親子三人で遊ぶ幸福な幻想を垣間見ます。しかし反面、少年の顔には傷があるんですよね。あれたぶん、タバコを押し当てられた火傷の跡でしょう。子どもを持つことは幸福なことばかりではなく、大きな責任やストレスをも抱え込むことでもあります。この少年の顔の顔の火傷は、男が子どもにやってしまうかも知れない未来の虐待行為でしょう。
前述の通り、地下通路内は時間軸すらも混線していることが示唆されています。まあそもそも無限ループしてるんだからまともな空間であるはずはないんですが……。なので、迷う男にとってこの地下通路は単に無限ループする空間ではなく、己の迷いそのものであると感じました。
そして冒頭と対応する形でのラストシーンもよかったですね。冒頭で男は電車内で泣く赤ちゃんを抱えた母親にサラリーマンが絡んでいる場に出くわすものの、イヤホンを着けて知らんぷりを決め込みます。しかしラストシーン、8番出口から脱出した男は、同じ状況に出くわして同じようにイヤホンを着けようとするものの……。
いわゆる成長譚は、作品の開始時点と終了時点での主人公が大きく変化、成長していることが大きな魅力というかその定義なんですが、その観点でいうと本作は、ひとりの男が父親になる覚悟を決めるまでの葛藤と成長を「無限ループする地下通路」というシチュエーションで表現したビルドゥングスロマンであるとも言えるんじゃないでしょうかね。
いやーこの原作をどうやって映画化するんだ?と思ってましたが、いざ見てみると素材の味をしっかり活かしたまま調理に成功した良作でした。抽象的なところは抽象的なままにしてたのが、原作ゲームの雰囲気ゲー的要素を殺さずに実写化できた勝因なんじゃないですかね。
われわれオタクとしては「実写化」の3文字には警戒度が反射的にマックスになってしまうものですが、こういう方向性の成功もあるとわかると多少は警戒度を下げてもいいかも知れないと思いました。